35.はじめまして。じゃない
なぎ倒された木々に沿って暗い森を進む。スロースの裾を握って歩いていた優陽の目の前にぽっ、と明かりが灯った。
スロースの手のひらに浮かぶ光源を指して優陽は口を尖らす。
「やっぱり便利な魔法使えるんじゃないですかー!」
「私は基本的に魔術しか使えませんので魔法をあなたへ教えることはできませんし、何より魔術を普段使いするような人間に魔術を教える気はありません」
「前にも少し聞きかじったんですけど、魔法と魔術って何か違うんですか?」
「口よりも足を動かしたらいかがです。お一人で夜の森を散歩されたいと言うのでしたら構いませんが」
冷ややかな応答。反論しようにも置いて行かれては困るので優陽は口をつぐんだ。
スロースは振り返り、後ろをついてくる馬に声をかけた。
「周囲の獣を追い払ってきて下さい。目を離した隙にそちらのお荷物が盗まれると困りますので」
「…………」
ひと撫でされた馬はしばし優陽をジッと見つめていた。何かを訴えられている気がしてならないがあまり好意的でないのは確かである。
ガサガサと茂みをかき分けて夜の森へ消えていく陰を見送り、優陽はスロースを横目で見上げる。
「……馬、じゃないですよね?」
「少々、特別な馬でして」
「いや、だってさっきめっちゃ高く跳んで……」
「はやく捕まえないと逃げられますよ」
答えないと言うことはそういうことだ。優陽は馬の姿をしていた何かが消えていった方角を二度見した。
そんな彼女の疑問を軽く流した当のスロースは辺りを照らす。それまで木々が倒れて拓けていた空間がそこで途切れている。
足元へ視線を滑らせるスロース。彼は何かを辿るように茂みへと足を踏み入れる。
「アイギスはこっちに……?」
「そろそろ追いつきます」
彼の言う通り。獣道の先に青年が倒れている。優陽は慌てて駆け寄ろうとしたが、一度ピタリと足を止めた後。スロースへ振り返り両手を差し出した。
「何か?」
「何か? じゃないよ。アイギスが服着てないの見えてますよね……」
「竜の身で人間の服など着ていられるはずないでしょう」
「分かってるならそのローブとか貸してあげて下さいよ! 凍えちゃいますよ!」
「この程度で死にはしませんよ。レイ・ジールの火に焼かれた私ですら生きているんですから」
「こっちが! 生きた心地がしないんです!」
スロースはメガネを持ち上げてため息をつく。
必死で訴える優陽にスロースはぼやきながら自身のローブを渋々と言った具合で脱ぎ出す。
「クリード様が見ていたらもっと慎ましい態度を取れと小言を申していたでしょうね」
「アイギスがお風呂というか、水浴びが嫌いで……。2人で暮らしてた時にきちんと水浴びしてるか確認していた時期が……」
「はぁ……?」
「アイギスが猫ちゃん並みに水浴びが嫌いで仕方なかったんですよ! クリード様にチクるのやめて下さいね!!」
つい口を滑らせてしまい優陽はスロースから冷ややかな視線をいただく。
基本的に何でも1人でこなしてしまうアイギスだったが、何故か水浴びだけは優陽が何度言ってもなかなか行こうとしなかった。その上、優陽が見ていないとカラスの行水よろしく一瞬で出てこようとする。悩んだ優陽は苦肉の策として、水浴びする彼に背を向け、お風呂場でおなじみのカウントをするハメになった。クリードのところで世話になり始めた頃にはだいぶマシになっていたが、そんな苦労話しをクリードにする訳にもいかず。今日に至る。
スロースは脱いだローブを無造作にアイギスへとかけた。優陽も自身のローブを脱いで改めてアイギスの横へ膝をつく。日も沈み、寒さが骨までしみる。
「アイギス? 大丈夫?」
顔をのぞき込めばやはり見覚えのある顔。彼は荒い息で唸る。目を合わそうともせず、這いずってでも逃れようとしているようだ。
血がにじむ顔を拭うと、彼は弱々しく顔を横へ振って嫌がった。
「アイギス、聞こえてる? 私のこと忘れちゃったかな……」
「あなたを覚えているから逃げようとしているのでは?」
「心当たりしかないですけども……?!」
ショックの余り優陽は声を上げた。彼からすれば気の済むまで本を読んでいろと言った相手を待っていたら勝手に消えていたのだ。腹も立つだろう。それが6年後にケロッと帰ってきたらなおさらだ。
慌てて弁明しようとする優陽をスロースの冷ややかな笑みが遮る。
「そんなかわいいモノではありませんよ。そうでしょう、掃除屋?」
「掃除屋……?」
視線の先にいるアイギスの動きが止まった。それまで定まらなかった彼の目が、ぎこちなくスロースを見上げる。
「武勇に秀でたエストリンド家の当主が、そう簡単に殺されるはずはない。相当な厄介者だとは分かっていましたが、預言者の掃除屋であれば納得がいきますからね」
「だまれ……!!」
掠れた声で叫び、アイギスはスロースに掴みかかる。突然のことに優陽は驚いて目を瞬いた。対してスロースは軽く彼をいなし身をひいている。勢いあまったアイギスは再び地面へと倒れ込んだ。
その背中を見下ろし、スロースは指でメガネを持ち上げる。
「暗殺者は痕跡も残さず消えたのではなく、痕跡ごと消される予定だった。本来なら、目標を始末した証拠を雇い主に見せるのが基本ですが、預言者の目であればそれも不要です」
「だまれ……! ちがう、ちがうちがう…………!」
「しかし、預言者も飼い犬に手を噛まれるとは予想外だった。おかげでエストリンド家の娘は生き残り、よりにもよってあなたがそれを人目につかない山奥で匿った。結果としてリュシオン国外まで見渡せない預言者は、昨今までシャレム・エストリンドの生存に気付けていなかった。預言者からすれば手痛い失態です。その様子ではかなりご立腹でしょう」
「ちがう……。おれは……おれは…………」
震える四肢で体を持ち上げるアイギス。その背中へ、スロースの声は無情に響いた。
「罪の追及がないのを良いことに隠していた事実へ、今さら罪悪感でも覚えたのですか?」
息を呑む気配がする。
優陽はスロースが言わんとする意味をようやく察した。
当然のことではあるが、アイギスからすれば、自分は『シャレム・エストリンド』なのだ。
あの燃える屋敷で彼が何をしていたのか。天羽夕陽は分かっていた。
生き残っていたのは彼と、彼を殺しにきた黒い装束の男だけだったし。彼は火事の現場で何故か深い切り傷を負っていたし。何より、彼は得体の知れないモノを前にしたような目でこちらを見ていた。
自分が殺したはずの人間から命を救われたら誰だって気味悪いだろう。
その後、アイギスは何故か自分が殺したはずの『シャレム・エストリンド』を匿った。スロースは恐らくその「何故」が知りたいのだ。
『シャレム・エストリンド』の窮地を救ったのは彼の意思なのか。それとも雇い主である預言者の命令だったのか。彼は今、どちら側なのか。
優陽は震えているアイギスの隣へ改めて膝をついた。冷気が脚を芯まで冷やしていく。
「アイギス」
「っ…………」
彼は相変わらず、こちらを見ない。視線を地に落としたまま、体を小さくしてしまう。
優陽は目を閉ざしてもう一度ゆっくり呼びかけた。
「ごめんね。ずっと図書室の前で待っててくれたんだよね」
「…………」
「スロース殿から聞いたの。私がいなくなった後も、しばらくあの家にいたって。待っててくれたんだよね。私が帰ってくるの。だって、アイギスは強いし、一人で何でもできるから、本当ならクリード様のお世話になる必要もなかったよね」
「…………」
「ありがとう。アイギスがいなかったら、私とっくに死んでたよ」
「…………」
「だから、ごめんね。私、嘘つきなんだ。アイギスが何でお屋敷にいたのか、何となく分かってた」
「……は?」
ようやく顔を上げたアイギスはあの時のように灰色の瞳でこちらを見ていた。彼の口から初めて聞いた間の抜けた声に優陽は居心地が悪くなり、今度はこちらが視線をおよがせる。
「あのね……。『シャレムちゃん』はあの時、アイギスが殺しちゃったからもう生きてないんだ……」
「は……?」
「ちょっ……。いきなりそんな怖い顔しないで下さい……。いや、私が悪いんですけども……」
「お前を間違えたりしない。お前は間違いなくお前だ」
「あー……。うん……。アイギスを助けたのは『私』だからアイギスの言うお前は『私』なの。それで、その、そもそも『私』は『シャレム・エストリンド』じゃなくて……」
途端に圧が強い。
優陽はぎこちない笑みで誤魔化そうとしたがアイギスは打って変わりしっかりと、彼女には抜け出せない力で肩を掴んだ。
「ならその『お前』は……。俺を殺しにきたのか……?」
「え……?! な、なんで……?!」
「……怒って、ないのか?」
突拍子もない説明に納得したらしいことにも驚きだが、次に繰り出された物騒な問いかけに優陽はまた問いかけで返していた。
再三驚く優陽にスロースは肩を竦める。
「あなたの目の前にいるのは、幼い子どもとその両親。そして無関係の使用人や臣下を殺した立派な暗殺者ですよ」
「ああ……。はい……。それはそうデス……」
「真っ当な人間ならまず同じ屋根の下で暮らそうとは思わないでしょうね」
スロースはアイギスが跳ね除けた自身のローブを再度、アイギスへと寄越す。
力なくうなだれている彼にスロースは息をついた。
「あなたも分かったでしょう。あなたの目の前にいるのは正真正銘の魔女だ。見た目通りの扱いをしていると痛い目をみますよ」
「訳も分からず巻き込まれてる無力なパンピーを極悪人みたいに言わんで下さい」
「お互い様というヤツではありませんか。あなたがいなければその魔女は野垂れ死んでいたでしょうし、その魔女がいなければあなたは預言者に消されていたでしょう。どちらの魔女について行くか。この場で決めて下さい」
「チーターと一緒にされるのは心外です」
「あなたは少し黙っているように」
スロースは視線で優陽を制す。
優陽は口を尖らせながらも大人しく彼の言葉に従った。スロースの言っていることは間違っていない。
彼も何かしら理由があって『シャレム・エストリンド』を匿った。そして『天羽優陽』は生きるためにそんなアイギスを利用していた。
だから『天羽優陽』に彼を非難することはできない。彼の行為を知っていながら、分かっていながら彼を諌めなかった時点で。彼の犯した罪を誰にも伝えなかった時点で。『天羽優陽』は彼の共犯者なのだ。
「……お前は、それでもいいのか」
静寂に落ちたアイギスから彼女への問いかけは随分と小さい。今にも消え入りそうな声に、優陽は目を閉じて頷いた。
「私はアイギスがいてくれて、とっても助かったよ」
それは嘘ではない。
生活面だけでなく、右も左も分からない世界で、彼と二人きりの間は『天羽優陽』でいられた。そのありがたみは今になって痛感する。
「アイギスが私のことを許してくれるなら、また一緒にいてくれると嬉しいな」
ゆっくりと言葉を紡いで、優陽は目を開いた。そこにはやはり未知の生物に出会って困惑する青年がいる。
優陽が伸ばした手を彼は恐る恐る取った。それでもまだ小さくなっている彼に優陽は自身のローブをかけ直す。
「寒いから帰ろう、アイギス。風邪ひいちゃうよ」
「……『お前』がそう言うなら」
優陽の手に引かれたアイギスはよろよろと立ち上がる。そして彼女と共に一歩を踏み出し、そのまま顔から倒れこんだ。
「アイギスー?!」
「まあ、そうなるでしょうね」
夜の森に悲鳴がこだました。慌てた優陽が体を揺すってもアイギスが起きる気配はない。
その横でスロースが軽く指笛をふくと、ぱかぱかと軽快な蹄の音を立てて黒毛の馬らしきものが茂みから現れる。
帰りの道は静かな月夜とは言い難い速度で夜道を駆け抜け、治まったと思われた優陽のくしゃみはまた止まらなくなった。




