34.この美少女が目に入らぬか!
ラーストーの背に担がれて砦に戻った頃には、すでに阿鼻叫喚の光景が広がっていた。
石造りの壁の上に巨大な体が降り立つと、それらはガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。尾をしならせ、逃げ惑う兵士を薙ぎ払う姿は正に圧倒的だった。
「遅いぞラーストー! 仕事をしろ!」
「はいはい。言われなくても」
兵を引き連れたクリードの叱責を受け、ラーストーは優陽を下ろした。
「じゃ」と。軽く手を振って優陽を置いていく彼の背を見送る。柱の影から優陽は顔を覗かせ、崩れた瓦礫の上で吠える神秘の姿を見ていた。
甲高い遠吠えに鼓膜が震える。自分もはやくここを出ていった方が良いに決まっているのに、優陽は後ろ髪を引かれた。やはり不謹慎だと分かっていてもドラゴンと言う存在には人間、心惹かれてしまうものなのだろうか。
「こんなところにいらっしゃったのですか」
「あ。スロース殿」
「相変わらず呑気ですね」
悠々と自身の馬を引いて歩いてくる男に言われたくない。主人に似て馬も涼しい顔だ。
優陽はラーストーが向かっていった方向を指す。
「スロース殿はお手伝いされないんですか?」
「真正面からの力比べは私の仕事ではありません」
「堂々と開き直れば許されると思ってます?」
「見た限り、アレは『雑ざりもの』です。クリード様とラーストーならばそう手こずりはしないでしょう」
「まざりもの、って……?」
「人間と魔物。魔物と精霊。精霊と竜。もしくはそれら。本来は混じり合わないモノが入り混じり合ったモノの総称です。アレは恐らく、人間と竜に……。何か別のモノが混じっている」
「人間…………?」
スロースが優陽の体を持ち上げ、馬へ乗せる。
彼の言葉に今一度、砦の上で咆哮を上げて動く小さな山を見上げる。意思の疎通ができる状況には見えない。どの部分から人間と判断できるのだろう。
カツカツとスロースの馬が蹄で強く石畳を蹴っている。やはり嫌われたかもしれない。
「私やレイ・ジールのような『竜人』と呼ばれる者も大きな括りでは『雑ざりもの』です。が、何度も交配が繰り返され、人間の血が濃くなったため、ほぼ人間として生活ができる。では一方で、人間以外の血が濃いとどうなるか」
「……どうなるの?」
「全てにおいて不安定です。我々、同類からは先祖返り、とも呼ばれる。未だにそういった者が生まれることは間々あります。ご覧の通り、血の天秤が一度傾くと、ああして傾いた方へ返ってしまう。女王様はそれを使い魔よろしく使役する術をお持ちのようだ」
「やっぱり、リュシオンの……?」
スロースも馬に跨り、激しい戦闘を横目に足早に進む。
ラーストーが地面から一気に櫓の屋根まで跳躍したように見えたのはたぶん気のせいだ。
スロースは自身の額を軽く指で叩いた。
「アレは救いようがありません。解呪しようにも預言者からの呪縛に加え、竜への呪いも相まって厄介この上ない……」
「のろい……」
優陽は今一度、夕暮れに染まる巨体を見上げた。
灰色の鱗に覆われた巨躯は比べればまち針程度の矢など通さない。ラーストーだけがその頭部へ執拗に槍を振り下ろし厚い鱗へ傷をつける。
クリードが剣を払うと、身を切るような吹雪が視界を白く染めた。巨体の動きが鈍くなる。
優陽も堪らず腕で顔をおおい、隙間からその姿を盗み見る。
捻れた左右非対称の角。それぞれ3つずつ並んだ鉛色の両目。開くと真っ赤な口には鋭い牙がずらりと並んでいる。翼には所々に穴が空き、竜と形容するにはいささか禍々しい。
スロースにたしなめられながらも、優陽は暴れまわる巨躯をまじまじと見ていた。
未知の生物。自身の命を脅かす存在。にもかかわらず、初めて会った気がしないのは何故だろうか。
邪魔者を薙ぎ払う尾。振り下ろされる爪が地面を抉った。クリードの魔術が放つ冷気ですら凍り付くことのない厚い鱗。それが左の肩から腕にかけて剥がれていた。
「……アイギス?」
不意に口をついた単語は喧噪の中でも不思議と届いたようだ。
圧倒的な存在はぴたりと動きを止めた。不自然な動きにラーストーたちも攻めの手を緩める。
長い首がぎこちなくこちらへ向けられた。
「アイギスだよね?」
目が合い、確信した。どうりで初めて会った気がしない訳だ。
優陽は手を伸ばす。
対して、それまで暴威を奮っていた巨体は途端にクリードやラーストーたちに背を向け、崩れた石の上によたよたとよじ登ったかと思えば翼を大きく羽ばたかせる。
強い風に優陽は思わず鞍へ掴まった。
「アレがあなたの子守りである確証は……?」
「か、勘……?」
「……だけですか?」
「だけ……!」
「でしょうね……」
耳元で深いため息が聞こえた。スロースは一転して馬の腹を蹴り、不格好に助走をつけて飛び立とうとする巨体の後ろを追いかける。
馬は驚くほど速度を上げていく。前を見ていられず、優陽はうっすらと目を開いた。
蹄が強く大地を蹴った。軽やかに、だが到底、馬とは思えない大きな跳躍で巨体に肉薄する。
スロースが背後で低く何かを唱える。次の瞬間、投げられた小さなナイフは正確に鱗のはがれた肩へとんでいった。その巨体からしたら蚊に刺されたか、それ以下の大きさだろう。
しかし、馬が地面に着地する頃にはすでに様子がおかしかった。
「……スロース殿?」
「大人しくさせないことにはどうにもなりません」
疑惑の視線を向ける優陽をスロースは手で宥める。
大きな地鳴りと共にはるか先の森で眠りにつこうとしていた鳥たちが一斉に飛び立ち、木がなぎ倒されていく。
兵を率いてやってきたクリードがスロースと優陽を交互に見た。
「何があった、スロース。対抗手段があるなら事前に教えろ」
「私も予想外のことが起きておりますので、仔細は分かりかねます」
「どういうことだ?」
馬へ跨ってきたラーストーが遅れてやってくる。
持ち上がった口角の合間から犬歯がのぞいた。
「どうした旦那。アレは俺がもらって良いのか?」
「アレは『雑ざりもの』。人間の姿に戻せることができれば、何者が差し向けたのか聞き出せましょう」
「一度、人の姿を捨てた『雑ざりもの』が元の姿へ戻ったと言う話しは聞いたことがないが?」
「前例が少ないだけで文献には残されています。ええ、昨今であれば限りなくゼロに近くはありますが……」
首を傾げていぶかしむクリード。優陽は無言でスロースを見上げていた。
スロースは口元へ手を当て、しばし間を空ける。
「エストロランドの現状を見て妙だとは思っていました。見た目からして竜の血が濃いのは明白。しかし『雑ざりもの』の割には死者を出さずに土地を荒らすと言う、実に器用なことをしている。おそらく理性が働いているのでしょう」
「もったいぶらずに話してくれねぇと、勝手に狩りに行くぜ」
「戦況の判断も早い。不利と分かると撤退しました。ただの『雑ざりもの』とは思えません」
スロースとクリードの視線が交わる。
クリードは馬の腹を蹴るラーストーを制した。
「元の姿に戻して情報を聞き出せる可能性はどれくらいだ」
「やってみないことには分かりません」
「ならばやるしかないな。必要な人手は?」
「気が散るので結構です。私とシャレム様で向かいます」
「何故シャレムを連れていく必要がある」
「どうやらシャレム様に用事があったご様子でしたので」
「シャレムに……?」
クリードの眉が吊り上がりこちらを見る。
「必要になりましたらお呼びいたしますので、クリード様たちはこちらでお待ち下さい」
優陽が口を開く前に馬が反転し雪を蹴った。
砦を出るとすでに日は山の向こうへ沈み、夜空には細い三日月が浮かんでいる。
優陽は鳥が騒いでいる方向へ目を凝らす。刺すような冬の風も聞こえないくらいに心臓が大きく鳴っていた。




