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33.記録とは常に更新されるものだ

 相変わらず『シャレム・エストリンド』の故郷であるエストロランド領は寒さが堪える冬を迎えていた。

 数日の間。荷馬車の中で揺られていた優陽は足を地面につけてもまだ揺れている気がしてならない。

 白い息を吐いて、優陽はまっさらな土地を眺める。崩れた家の瓦礫があちらこちらへ散らばった空き地だ。何かが地面をえぐったような跡がある。


「近隣の村々が『何か』に襲われたそうだ。実質、リュシオンのエストロランドへの侵略だな」


 ラーストーは優陽の隣で足を止めた。

 横目で見上げた男の顔には笑みが浮かんでいる。


「フロスト家は落ちたも同然と考えるべきだろうなぁ。引きこもり当主サマには困ったもんだ」

「どうしてリュシオンの侵略だと?」


 ラーストーはしゃがみ込み、大きく抉れた地面を指した。


「野盗にしては食糧や金目のものが置き去りだ。遊び半分で作った死体もねぇ。魔獣なら、手当たり次第に家畜や人間を食い散らかす。が、ここは違う。瓦礫の下敷きになった奴はいても、誰も死んじゃいない。殺しが目的じゃねぇのさ」

「犠牲者はいないんですね?」

「今のとこはな。にしたって、この時季に住む家が無くなるのは死活問題だ。ツテがなけりゃ、飢えと寒さで簡単に死ねる」


 冷たい風が吹き抜ける空き地をただ眺めることしかできない。数週間前まではここにも人が住んでいて、生活していた。一夜にして全てを失くした人たちは、今も小さな砦の中で震えている。

 優陽は燃え盛る屋敷でのことを思い出していた。あの時は悪夢だと思い込んでいたために無鉄砲な行動をしたが、今考えると寒気がする。

 アイギスがいなければ、自分はラーストーの言う通り。きっと野垂れ死んでいたことだろう。

 優陽は抉られた地面に近寄り、しゃがみ込んだ。痕跡は3本の直線でできている。爪の跡だろうか。だとすればこの痕跡を残した主は人間より遥かに大きい。


「その『何か』って?」

「魔獣だったって言う奴もいれば、竜だったって言う奴もいる」

「でも、竜は聖リュシオンって神様に滅ぼされちゃったんですよね?」

「ああ。恐らくは魔獣だろう。リュシオンで飼ってんだか、その辺の魔獣を村へ誘導してんのかは分からねぇがな」

「魔獣ってペットにできるものなんですか……」

「さあな? だが、リュシオンにはそういう噂もあってな。汚れ仕事は魔獣に押し付けてるらしいぜ?」


 ラーストーはむき出しになった家の基礎へ腰をかけ、辺りを見回す。


「実際にそんなことができるのかは知らねぇが、連日連夜となれば、さすがに見過ごす訳にはいかねぇ。こっちに親兄弟残してる奴は多い」

「今は、フロスト家が土地の管理をしてくれているんですよね……? 助けてはくれないんでしょうか……?」

「そこだよ、お嬢。曲がりなりにも、今のエストロランドはフロスト家の収入源だ。コレだけ自領が荒らされてるってのに、助けに応じないってのは妙な話しだろ?」

「……助けにこれない理由がある?」

「もしくは取り引きの材料にされたか、だ」


 視線を感じて振り返ると、細められた隻眼と目があった。

 男は無精髭が伸びてきた顎をさする。


「フロスト家は長い間、親リュシオンと反リュシオンで割れてた。それを、前当主はリュシオンのお貴族様の娘を迎えて協調路線を取ったのさ。だいぶ頑張ってはいたようだが、リュシオンは恭順以外の返答を受け付けない。結果はご覧の通りだ」

「クリード様のお父さんはどうにか仲良くしようとしていたんですね……」

「交易で金稼ぎしてるフロスト家からすりゃあ他国と戦争して得することはひとつもねぇ。だがリュシオンからすれば、そんなことどうでもいいんだろ。全部奪えば関係ねぇからな」

「…………」

 

 気づくとため息が口をついている。

 立ち上がった優陽は冷たい手を擦った。

 『天羽優陽』は特にこの土地への思い入れはない。見つからないよう山奥でひっそりと暮らし、クリードの元で安穏とした生活を送り、ケテル・ミトロンに拉致されて意識を失っていた間。ほぼ接点がなかったと言って良い。

 ただし『シャレム・エストリンド』はそうもいかない。

 

「で? アンタはどうする?」

「……私?」


 男はにんまりと口角をもち上げる。それはまるで、獲物を品定めしている獣だ。


「シャレム・エストリンドに戻るのか? それともアマバ・ユーヒのままでいるのか?」

「私がシャレム・エストリンドに戻れば、何か変わるんですか?」

「少なくとも、エストロランドには領主が戻ってくる。民はそれだけで安心する。すがる先ができるからな」

「……すがられても、私には何もできないです」

「俺がいるだろう?」


 自分の顔が険しくなっていくのが分かる。

 スロースの言葉が脳裏をよぎった。

 『そうでなくても、ラーストーは厄介だ』

 少なくとも、目の前の男に誠実の二文字はうかがえない。


「旦那が言ってたろう? どちらにせよ、砦でアンタの帰りを待ってる兵士たちは『シャレム・エストリンド』に期待してる。アンタは決めなきゃならねぇ。何かするか。何もしないか」

「…………」


 目を背けることはできない現実。

 『シャレム・エストリンド』には本人が望まなくとも、エストリンド家に生まれた時点で責任が生じていた。『シャレム・エストリンド』の人生を引き継ぐのであれば、それらも全て背負う必要がある。それが嫌だと言うのであれば、温かい家や食事は諦める他ないだろう。

 

「何もしないならそれで構わねぇ。俺がアンタの『代弁者』になるだけだ。腹くくってお姫様を演じるなら、死ぬ気で頭を使え。フロスト家のお飾りに添えられるか。ケテル・ミトロンの操り人形になるか」

「……もしくはあなたの都合のいいおもちゃになるか?」

「おいおい。ソコまで言ってねぇだろ?」


 隻眼を伏せてラーストーは笑った。

 優陽は握ったドレスの裾で手汗を拭いながら背を向ける。


「私は人の上に立てるような、すごい人じゃありません」

「人の上に立つだけなら特別である必要はないぜ?」

「イヤな言い方~」

「事実だろ。俺だってこれでも隊長だ」

「え? ご自分を一般的な感性の人間だと思っていらっしゃる?」

「嬢ちゃんのがよっぽどヒデー言い様じゃねぇの」


 帰路につく優陽の後ろを、ラーストーは一定の距離を保ってついてくる。

 優陽には、それが弱った獲物をどこまでも追いかける捕食者に思えて仕方がなかった。ひたすらに口を動かして、優陽は足早にクリードたちが停留している砦へと戻る。

 砦の管理をしていた領主が『シャレム・エストリンド』を見て顔を輝かせた時。優陽はただただ、彼へ労いの言葉をかけることしかできなかった。彼の厚意で天羽優陽はここでも雨風を凌げる。ひとえにそれはやはり『シャレム・エストリンド』の権威に違いないのだ。

 自然と足が重くなり、目視できる距離にある砦がやけに遠く思えた。

 ふと、オレンジ色に燃える空を見上げる。夕暮れの空にはすでにうっすらと月が浮かんでいた。夜と夕暮れの合間を、何かが横切っていく。

 足を止めた優陽の隣で、ラーストーも空を見上げた。次第に近づいてくる何かの影は大きくなっていく。

 翼はあるが鳥ではない。四足ではあるが翼がある。羽ばたく巨体を覆うのは羽毛ではなく、冬の風すら通さない厚い鱗だ。

 生唾を呑み込む彼女の隣で、獣は爛々と目を輝かせていた。

 

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