32.ただいま。嫌な思い出
優陽が砦へ戻ると、兵士たちが忙しなく動いていた。ラーストーが馬車ごと奪った積み荷を見せると歓声が上がり、その場はさらにお祭り騒ぎだ。
一方で。駆け寄ってきた兵士の一人が強ばった表情でクリードへ声を潜め、何かを伝えている。
「シャレム様」
「……」
後ろで馬を引くスロースが視線で促すので、優陽は荷台を下りた。
砦の中は昨夜とうって変わって忙しない。馬小屋でも張りつめた空気を感じ取っているのか、繋がれた馬たちは蹄で地面を蹴っている。
自身の馬を繋ぎながら、スロースは息をつく。
「今のところ、ケテル・ミトロンの予想通りです」
「私がクリード様と婚約するのはさっきスロース殿が止めましたよね?」
「そうするよう言われましたから。そうでなくても、ラーストーは厄介だ」
周囲へ視線を滑らせながら、スロースは馬を撫でる。優陽も手を出しかけたがこちらを見る馬の目が明らかにスロースとは雰囲気が違うので引っ込めた。
「寒い、痛い」などと馬上で散々文句を言って嫌われたのかもしれない。
「スロース殿はラーストーと面識があったの?」
「私でなくケテル・ミトロンが、です」
「ケテルはラーストーが嫌いってこと?」
スロースは手を止め、シャレムを馬の陰へと連れ込む。
「まずは先ほどのクリード様の提案に関して。私からお詫びいたしましょう」
「え? なんで?」
首を傾げる優陽にスロースは膝を折って彼女と視線を合わせる。
ため息の後、メガネ越しに目が細められる。
「クリード様は焦っていらっしゃる。ご実家であるフロスト家が、ほぼリュシオンに取り込まれていると言っても過言ではない。フロスト家が取り込まれてしまえば、当然クリード様の立場も危うくなります」
「いつの間にそんな事態に……」
優陽も口元を隠して声を抑えた。
とは言え、自分は5年もの間スヤスヤ眠らされていたのだから何らおかしくはない。
彼の馬が構ってほしいとばかりにスロースの背中を鼻先で擦っている。
「ラーストーはそれを知っていてクリード様を焚きつけたのでしょう。あの男からすれば、クリード様は反リュシオン勢力をまとめるのに都合の良い経歴をお持ちです。フロスト家も前当主が亡くなった後、現当主と折り合いがつかずに下野した者も少なくはありません」
「げや……?」
「フロスト家を去ったということです。フロスト家が親リュシオン派に傾いてしまった以上、クリード様が取ると思われるべき行動はひとつ」
「……自分がフロスト家の当主になる?」
先のクリードの言葉を思い出し、優陽は生唾を呑んだ。
当主である兄がいながら自身が当主になる、となれば。穏やかな話しではあるまい。
「でも……。だからって私を妻にする必要あります……?」
「馬鹿なあなたが堂々とリュシオンの騎士に『シャレム・エストリンド』を名乗ったからですよ」
「もうただの悪口じゃん……?」
「名乗らず逃げれば得体の知れないどこぞの小娘で済んだというのに、シャレム・エストリンドが生存したと知った以上。預言者は確実にあなたの息の根を止めにくる。それを阻止するためにも、クリード様はあなたを常にそばへおける口実が必要なのです」
「ラーストーとしても、それが都合が良いの?」
質問の尽きない優陽に、スロースは指を一本ずつ広げていく。
「ラーストーの思惑として考えられるのは、ひとつ。あなたの生死で兵の士気が大いに変わること。ふたつ。あなたの名の元に旗をあげれば彼自身の大義も正当化されること。みっつ。何より、エストリンド、フロスト家を中心とした反リュシオン同盟と、リュシオンが衝突すれば、かつてないほどの大戦となること」
「……つまり?」
「シャレム・エストリンドとあの男との記憶はあなたの中にはないので?」
「シャレムちゃんの記憶はだいたい覚えてますけど、小さい頃ほど私の記憶と混ざってあいまいなんで全部は思い出せないんです」
「なるほど。つまりあなたの警戒心は10歳程度のシャレム・エストリンド以下、と」
「ケンカですか? ケンカ売られてますか?」
いつ見ても腹立たしい大げさなため息に優陽は口元を隠していた手を握りしめてみせるがスロースは怪訝そうに続けた。
「エストロランドの『猟犬』あるいは『狂犬』。あの男の噂は決して良いものではありません。さらにタチの悪いことに、今のあの男には手綱を握る人間がいない」
「ラーストーってそんな有名人なんです?」
「アレでもエストリンド公の飼い犬たちを従えている男だぞ」
彼女の問いへ呆れた様子で答える声が聞こえてきて優陽は顔を上げる。
「エストリンド公が亡くなられた後も、反リュシオン勢力の戦線がしばらく維持できていたのは、生半可な戦士や魔術師ではあの男の相手にならんからだ。もっとも、飼い主が死んだ後に名をあげるようでは、忠犬でないことは確かだがな」
やって来たクリードは声音からしてもあまり機嫌がよろしいとは言い難い。スロースが立ち上がると彼の馬は不満気に首を振る。
優陽はしゃがんだまま、仏頂面のクリードとスロースを交互に見上げた。
「主人の女に手をつけるとは、お前も随分と手癖が悪くなったようだ」
「そこまで悪趣味ではありません」
「ロリコンでないって意味ですよね……?」
スロースがあまりにもきっぱりと断言したので優陽は彼を睨む。
クリードは2人の前で足を止めると苛立ちげに腕を組んだ。
「内緒話もほどほどにしろ。怪しい動きをされると俺も擁護できんぞ」
「そちらに関してはクリード様から、直々に私をシャレム様のお付きとして任じていただけるとありがたいのですが」
「えぇ〜〜……?!」
「嘆きたいのは私です」
思わず優陽は立ち上がる。
それはつまり、またあの介護生活に引き続きこの男の嫌味を浴び続けるということではないか。
全力で不満を訴える優陽とぼやきながらメガネを直すスロースに挟まれたクリードは肩を竦めた。
「ケテルの元で何があったかは知らんが随分と仲良しこよしになったものだな」
「クリード様もそのようなお戯れをおっしゃる余裕ができて何よりです」
「嫌味のキャッチボールしてる場合か」
「ラーストーや他のエストリンドの家臣を差し置いてお前を『シャレム』のお付きに任命できるほどの力はない。妥協案くらいなら考えられなくもないが……。それよりも、今は急ぎ出立の準備をしろ」
「私もですか?」
優陽は自身を指さした。
「ああ」と頷き、クリードは顔をしかめる。
「急ぎエストロランド領へ発つ。このままではエストロランド領に残る反対勢力が壊滅しかねん」
「フロスト家はリュシオンの脅威ではないとの判断ですか。追い詰められてきましたね」
「二人で納得しないでいただけますか。あと私この状況でエストロランドに戻って大丈夫なんです? この世界の農民って落ち武者狩ったりしません?」
「まったくだ。少しは俺にも情報をよこせ。ケテル・ミトロンは本当にユーヒを助ける気があるのか? 自国の滅亡を救う救世主が別世界の人間だとは、おおよそ信じがたい」
「どうでしょうかね。あの男の言う『救い』が、どのような意味なのか、私には測りかねます」
「え? え……??」
そこは嘘でも良いから肯定して欲しい。嘘じゃ困るけども。
自然と語気が荒くなる優陽に、スロースは無情にも視線をそらす。
「狂人の考えなど、理解できる訳ないでしょう」
そんなこんなで。
『シャレム・エストリンド』は故郷の地へ戻ることとなった。




