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31.巫女

 サヘル・オルランドは有りふれた生まれだった。

 母と父を幼くして病で亡くした彼女は信仰心のあつい叔母と司祭に育てられた。村の小さな祠で土地の神へ祈り、人々に寄り添い、田畑を共に耕し、家畜の世話をしていた。平凡でいて、とても満たされた時間だったと、今でも思う。

 それが突如として一変したのは、預言者と呼ばれる他国の女王が自ら彼女の元へと現れてからだ。



「サヘル」

「…………!」


 窓の外を眺めていたサヘルの肩は厳かな声音に跳ねた。

 背筋を正して向き直ると、本を片手に女がこちらを見ていた。白いベールに被われたその表情をサヘルが伺い知ることはできない。

 慌てて頭を下げ、サヘルは言葉を濁した。


「申し訳ございません。アロマティ様……。少し、考え事を……」

「先日の件であれば話しは済んだはずです、サヘル。あなたが考えるべきはこの国の未来。下々の者のことは、それらを管理する神官たちに任せなさい」


 単調で冷たい声。彼女だけではない。伴侶である国王も。その声にはまるで抑揚がない。

 常に穏やかな物腰の息子とは大違いだ。

 サヘルは開いていた聖書を閉ざして身を乗り出す。


「アロマティ様。やはり私にはまだ預言者の務めを果たすのは難しいかと……」

「果たせるか、果たせぬか、ではありません。サヘル。あなたは預言者と定められているのです」

「私にできることは病や怪我で苦しむ方々のために祈り、行動し……。少しでもその痛みを和らげることだけ。国のためとは言え、その方々を見なかったことにすることは……」

「病や怪我を患った者を治せる者であればこのリュシオンには数多おります。しかし、私の『目』を受け継げる者はあなたのみ。この『目』を失えば、リュシオンの治世は乱れるでしょう。聖リュシオンの導きにより平穏が訪れたこの土地に、また多くの争いが巻き起こり、幾多の血が流れるのです。さすれば、いかにケテルが優れていようと無用な犠牲が増えましょう」

「それは……」


 喉まで出かかった言葉をサヘルは呑み込んだ。

 さらに紡がれようとした言葉を、固いノックが遮った。


「何用ですか、ケテル」

「お話しの最中に申し訳ありません、母上」


 やはり穏やかな物腰で入ってきた青年はベールに覆われた母へ恭しく頭を下げた。


「サヘルとはこれより魔術を共に学ぶ約束をしておりました。サヘルをお借りしてもよろしいですか?」

「ケテル。あなたも近頃は城を空ける時間が多過ぎます。自重なさい」

「それはなりません、母上。私の実力は父上に遠く及びません。王位継承の儀式が近づいているのですから。少しでも父上に近づけるのであれば、手段を選んではいられません」

「……ではせめて」

「もう護衛を巻いたりしませんよ。僕も大人になりましたからね」

 

 笑って、ケテルがこちらへと腕を伸ばす。

 サヘルはテーブルの荷物をかき集めて抱えると、母となるはずの女へ一礼してそそくさと部屋を出た。背後からの冷ややかな視線を、扉を閉ざしたケテルが遮る。


「……助かったわ、ケテル」

「僕こそすまない、サヘル。戻りが遅くなってしまった」


 荘厳。豪奢。何より巨大な城内は、その大きさに比べ人の気配がない。がらんどうの廊下を2人は声を潜めて進む。

 横目で話しかけるサヘルに対し、ケテルは前を向いたまま続ける。


「スロースにはユウヒと共にクリードたちと行動することにしてもらったよ。預言者が『裏切り者』に気付いた以上、その方が安全だ」

「クリード? クリード・フロスト殿のこと? あの方はフロスト家を出て行かれたのでは?」

「ああ。そうだよ」


 目を瞬くサヘルにケテルは「大丈夫」と頷く。


「今のクリードとスロースの実力であれば充分にユウヒを守っていけるだろう」

「でも、ケテル……。あなたの話しでは、この先フロスト家は……」


 サヘルは周囲を見回す。

 ひらけたホールの先にようやくちらほらと人影が見えた。立ち止まった彼女に合わせ、ケテルも足を止める。


「スロースへ必要なことを伝えた。だから僕たちは別の不安要素を潰していかないと」

「……随分と、あの人のことを信頼しているのね」


 サヘルは少し棘を含んだ調子でケテルを上目遣いに見た。スロースとの約束をしていた場所に自分を連れて行っていかなかった理由を、彼はまだ話していない。自分がいては不都合な話しを彼としていたのか。単に預言者の気を引く者が必要だったのか。

 眉を寄せるサヘルへ、ケテルは苦笑する。


「彼は努力家だからね。物事を諦観し過ぎているきらいがあるけれど……。いざとなれば、君も彼らを頼ってほしい」

「ケテル、彼はあなたを信頼しているようには見えないわ。あなたを裏切る可能性だって……」

「だからこそ彼にユウヒを預けるんだよ」

「…………?」


 ケテルは頷く。微笑む彼にサヘルは首を傾げることしかできなかった。

 彼は「さあ」と、再び足を進める。


「まずはレイ・ジールと話しをしないとね。彼女なしではこの先どうにもならなくなってしまう」

「ええ。そうね……。彼女を置いていく訳には行かないわ……」

 

 『赤銅の騎士』と呼ばれる彼女とサヘルには個人的な付き合いがあった。ケテルにはこの城へ連れられてきた頃から助けられているが、やはり異性へ相談しにくいこともある。護衛としても付き従っているレイ・ジールは、今でもサヘルの良き相談相手でもあった。

 よそ者でありながら次期女王となる自分へ、平等に接してくれる者は少ない。ケテル・ミトロン、レイ・ジール。そして『シャレム・エストリンド』であるアマバ・ユウヒくらいであった。

 最後に重ねた小さな手の感触をまだ覚えている。

 あの小さな体で彼女は本当にこの国を救ってくれるのだろうか。そんな一抹の不安が拭えないのもまた事実だった。


「お待ちしておりました。ケテル様」

「おや。どうしたんだい、レイ・ジール。それにジャラス」


 うつむいていたサヘルはケテルの笑い声に顔を上げた。

 馬屋の前で途方に暮れる赤銅をまとう甲冑の女と、もう一人。黄金色の甲冑を身にまとった壮年の男が腰に手をあて息をついた。


「どうした、ではありません。ケテル様。レイ・ジールは先日、城内に侵入した賊を逃がしたのです。失態を侵した騎士に護衛を任せるなど……」

「それを言うなら、そもそも城内に賊の侵入を許した神官たちも同様に罰されるべきだろうね」

「またその様な……」


 朗らかに受け答えするケテルに対し、男は目元を覆い低く唸る。

 肩身を狭そうにしていたレイ・ジールが口を開くのを見て、サヘルはさらに口をはさんだ。


「レイ・ジールはアロマティ様の手勢が見失った賊を見つけ、それを退けたのです。『失態』は少し言い過ぎではありませんか、ジャラス殿」

「サヘル様まで、この者を甘やかさないで下さいませ……」

「ジャラス殿のおっしゃる通りです。自分は賊を追い詰めたにもかかわらず、逃してしまいました。それも……」

(君たち)は真面目だなぁ。城外に出ると言っても、壁の間にあるひとつ向こうの庭じゃないか」

「笑いごとではありませぬ。ケテル様」

 

 眉を持ち上げるジャラスの肩を叩き、ケテルは馬屋へと足を進める。サヘルもいそいそとその後ろをついて行った。

 諦めたようにため息をついたレイ・ジールが馬屋の扉を開く。

 

「未だ賊の目的も判明していないのです。サヘル様もご一緒ならば馬車をお使いになればよろしいでしょう」

「たまには馬に乗らないと僕も乗り方を忘れてしまうよ。そんなに心配ならジャラスも一緒にくるかい?」

「無茶をおっしゃらないで下さい。国王陛下の警護をおろそかにする訳には……」

「それこそ僕は不死とされている父上に護衛が必要だと感じたことはないけどな」

「ケテル様……」


 声を潜めるも彼をたしなめるジャラスの声音は鋭かった。

 彼はケテルの前方を阻み、膝をつく。


「あなた様は国王様のご意思を継ぎ、この国を導く御方。そのようなことを申されてはなりません」

「分かっているよ、ジャラス」


 頭を垂れる従者の額へ、ケテルはそっと指先で触れた。


「君が大切なのは『国王』だからね」

「…………」


 穏やかな微笑みとは対照的な冷ややかな声。サヘルの目にもジャラスの表情がこわばったのは明らかだった。

 言葉を詰まらせる男の横を通り過ぎ、2人はレイ・ジールを追って馬屋へと入る。今では懐かしささえ感じる獣の臭いに安堵を覚えながら、サヘルはケテルの小声で彼へ呼びかけた。


「ジャラスは『王子』である僕を心配してくれているだけだ」

「そんなことは……」

 

 普段と変わらない声音にサヘルは曖昧な相槌を返すことしかできなかった。


「僕にはジャラスを救えない。ジャラスを救えるのは僕じゃない」

 

 ケテルはどこか遠くを見たまま、苦笑気味に笑う。

 

「サヘル。僕は大切なモノを全て救うことはできない。何かを選ぶために、何かを諦めなければならない」

「でも、ジャラスはあなたの……」

「そうだね。できることなら、彼を失いたくはなかったよ」


 言葉は途切れ、ケテルは自ら馬の手綱を引く。

 サヘルにそれ以上の追及はできなかった。

 レイ・ジールが遠慮がちに馬をひいてきた。ちらりちらりと。馬屋の入り口からジャラスが現れるのではないかと気にしているようだ。

 

「さあ、行こう。時間がない」

 

 ケテルの言葉を受け、レイ・ジールが短く了承する。

 彼女がひいてきた馬に跨ったサヘルは前を行くケテルの背を眺めた。

 彼は自身の兄も同然の男の命を諦めると言う。本当に、それで良いのだろうか。しかしそんな問いかけは、それこそ彼が何度も、気が遠くなるほどに、自分自身へと問いかけたはずだ。

 後ろに乗ったレイ・ジールから呼びかけられ、サヘルは「大丈夫」と首を横へ振る。

 城を出た3人の行く手にはどこまでも続くはずの灰色の空が、そびえ立つ壁に遮られていた。

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