30.もっとマシな選択肢ないんです?
静寂に包まれた部屋で優陽は手汗を握りしめる。
クリードの言うことを、理解はできる。
『天羽優陽』としてこの世界で生きていくのは難しい。クリードにもラーストーにも、自分を助けている余裕はない。そもそも『天羽優陽』を助ける義理は彼らにはない。しかし『シャレム・エストリンド』となれば別だ。
リュシオンに対抗する数少ない手段である、フロスト家とエストリンド家の同盟を結び直すことができる。それを可能にするのはエストリンド家、唯一の生き残りである『シャレム・エストリンド』だけ。
『天羽優陽』が『シャレム・エストリンド』を演じるのであれば、彼らにも『天羽優陽』を助けるメリットがある。『天羽優陽』もこの乱世へ放り出されずに済む。むしろクリードの提案は利害関係だけで言えば理想であると言えよう。
分かってはいて優陽が口ごもるのは、脳裏を過る青年の微笑みのせいだった。
クリードの言う通りに彼の妻になる。それは以前スロースの口から聞かされた、シャレム・エストリンドの死の未来へ近づくことになるのではないか。
ケテル•ミトロンの話しを全て信じてはいけないとは言え、思えばラーストーがあの場に現れてから、クリードがここで申し出てくるまで。やけにトントン拍子ではある。
だからと言ってここで頷かなければ、クリードは戦力にもならない無力な自分を側に置いておきはしないだろう。
無言の視線に促される優陽は床を見つめて頭をフル回転させた。しかし悲しいかな。何も思いつくはずがない。ラーストーとクリードは分かっていて、自分をここへ連れてきた。『シャレム・エストリンド』として砦に迎えられた『天羽優陽』に、選択肢は残されていない。
「この場でその手札を切るのはいささか早計ですね、クリード様」
静寂を破ったその嫌味っぽい声音には、なんだかんだ助けられている気がした。
目を瞬く優陽の視線の先。自身の脚で歩くスロースの姿があった。
優陽を見下ろしていたクリードはため息をついてこちらへ背を向ける。
「俺の元へ戻って来たと思ったらまた小言か……?」
「忠言とおっしゃっていただきたいものです。誰の入れ知恵かは知りませんが、クリード様がお父上のお考えを引き継いだだけで解決できるようであれば私も苦労していません」
「辛辣なお言葉だねぇ」
ラーストーが口笛を吹いて怪訝そうなスロースを茶化した。
靴音を鳴らして室内に入ってきた彼は真新しいメガネを直して優陽の前で立ち止まった。
鮮やかな髪色が元に戻っている。着衣も全て元通りだ。この短時間であの大ケガが自然に治るはずもない。それはそれとして、ケガ人であったことに違いないのだから一言くらいあっても良いのではなかろうか。
口を引き結んでいる彼女を見下ろし、スロースは肩を竦めた。
「仮に、ここで『シャレム・エストリンド』と婚姻の手札を切ったとしましょう。対リュシオンの勢力の士気向上は確かです。散らばったフロスト家、エストリンド家の者を呼び戻す有効な手段であることには違いない。こちら側に最も足りないのは戦力です」
「むしろ、ここで両家の縁を結び直さずにリュシオンを下す手段があるなら、もったいぶらずに教えてもらいたいものだな」
「その考え方が甘いと言っています」
スロースの言葉にクリードの表情が険しくなる。向き直った彼は腕を組んで元部下を睨みつけた。
つい昨日まで死にかけていたのが嘘のように、スロースは相も変わらず皮肉な物言いだった。
「いくらリュシオンに敵対する者をかき集めたところで、今のリュシオンを完全に下すのは不可能です」
「その根拠は?」
「リュシオンとの国力差はクリード様もご承知のはず」
「リュシオンが戦闘に投入する戦力のほとんどは吸収された他国の捕虜か、竜が大半だ。前者は著しく士気が低く、後者は今のリュシオン領土の全てを守れるほどの数はない。ならば、まず首都から離れた領土を取り戻し、補給路を断ち、リュシオンへの物資の流れを止める」
「問題はその先。リュシオンと硬直状態に陥った後の城壁内部の攻略です」
「分かっている。だが、いくらリュシオンが強国であろうとあれだけ広く展開した城壁を、長く守り続けるのは難しい。食料の流れを断てば、蓄えの少ない民から声が上がるのは必定だ」
優陽とスロースの視線が交わる。暗に口を開くなと言われた気がして、優陽は大人しく彼らの話しへ耳を傾けた。
苛立ち気な声音に怯む様子もなく、スロースはクリードがテーブルへ広げた羊皮紙を無造作に掴んだ。
「竜人の頑丈さを舐めてると痛い目を見ますよ。極端な話し、私を含めて大半の竜は首を落とされるか、火の山に落とされでもしない限りなかなか死ねませんからね」
「つまり、不死身じゃあねぇだろう?」
「つまり。個体差があるとは言え、よほどの練度が高く、統率の取れた部隊であっても竜一匹を処理するのは困難。もちろん空腹にも耐性がある。兵糧攻めをされるのであれば通常よりも長い期間を想定せねばならない。念の為つけ加えますが、飢え死にする下民に分け与える慈悲などあの国にはありません」
鼻で笑うラーストーに対し、クリードは優陽と共にスロースの話しを静かに聞いていた。
スロースの手に触れた羊皮紙はみるみると変色していった。そして嫌なにおいと不気味な色をした炎を上げてじりじりと燃え尽きていく。
スロースは指についた灰を軽く払った。
「上手くリュシオンを囲えたとしましょう。兵糧の手を切れたとしましょう。ですがリュシオンが降伏することはない。国王や預言者へ与えられた神の加護を攻略する術を、こちらが持ち合わせていませんから。このふたつをどうにかしない限り、リュシオンは残った戦力で対抗してくる。加えて、対リュシオンの勢力も一枚岩ではない。長期戦になればなるほど、預言者に付け入る隙を作り、同盟の足並みを乱される可能性が増す。今のフロスト家が正に良い例だ」
「…………」
スロースの言葉にクリードは苦々しげに頷く。
ここまでの会話で薄々察してはいたがどうにもご実家が大変なようだ。
「そこで『シャレム・エストリンド』が必要になる」
「はい……?」
助け舟を出してくれたと思った私がバカだったぜ……。
優陽は思わず抗議の声をあげるも、視線すら合わなかった。
「リュシオンが得ている全ての神の加護を攻略をする唯一の術です。ここでクリード様と婚約されてはこの先、リュシオンに対して有利を取り続けるのは難しいでしょう。『シャレム・エストリンド』が婚約していては使えない」
「……結局はケテル・ミトロンの遣いか」
「残念ながら現状で最も真実に近いのはあの男です。そして、現状のあなた方が自力で真実にたどり着くのは困難だ」
「真実……?」
妙な物言いだ。勝利ではなく、真実に近いとは。
スロースの外套を引っ張って問うとするも、視界を物騒な物が横切ったので優陽はまた口をつぐむ。
ラーストーの槍の先端がスロースの首でぴたりと静止し、軽薄な笑みがこぼれた。
「おいおい。その提案を俺の前でするのはいただけねぇな。これでもエストリンドの残党をまとめてるのは俺なんだぜ?」
「『シャレム・エストリンド』が自らケテル・ミトロンとの婚姻を望めばあなたが何と言おうが関係ありません。むしろ、故郷を焦土と化すのを防ぐため、人柱として自らの意思で選んだとなれば、兵や民からは好感をもたれる可能性も高い」
「エストリンド家の血を引く人間が、リュシオンの王子に嫁入りしてお飾りのお人形さんになるだって? 笑えねぇなぁ。なんで俺たちがリュシオンへ下らずにいるか分かって言ってんのか?」
「やはりあなたの入れ知恵でしたか。こんな後先考えず動く子どもを担いで最後の一人になるまで戦をするとでも?」
「私の意思……! 私の意思は……?!」
優陽は地団太を踏む。
どうやらスロース・ディールはこちらの味方とは言い切れないようだ。あくまで彼はリュシオン王国、もといケテル・ミトロンと穏便に決着をつけろと言いたいらしい。
対して、ラーストーは『シャレム・エストリンド』を担いでリュシオンと徹底抗戦の構えだったのだろう。恐らくこの様子では初めにこの話しを持ち出したのはクリードではなくラーストーだ。ヘラヘラとした眼帯おじさんかと思いきや例外なくタチが悪い。
クリードが息をついてラーストーへ切っ先を下げるよう手で促した。
「あまり長居もできん……。そこの癇癪持ちが何かしでかす前に一度戻るぞ」
「誰のせいで癇癪もちになってるとお思いで……?!」
「悪かったって、お嬢。ほら、帰るぞ」
「誤魔化されないからなー! 私を人柱にしようとしてることゼッタイに忘れないからなー?!」
ラーストーは自身の槍とまとめた荷物を担いで早々に部屋を後にした。
未だ苦い顔をするクリードがスロースを横目で見ると、彼は肩を竦める。
「次になさるべきことは分かっていらっしゃるでしょう。急ぎ準備をなさって下さい」
「まったく、厄介な従者だな……」
「私からしてみればこっちで出会った人たちみんな厄介なんですけど……」
やれやれとぼやくクリードも部屋を後にする。彼に続いて出ていこうとした優陽は背後から首根っこを掴まれ、カエルが潰れたような声をあげた。
「ケテル・ミトロンは信用できませんが、それ以上にラーストーは信用なりません。信用する人間はよく選ぶように」
「……スロース殿も?」
振り返ると、スロースは彼女の問いを鼻で流した。
「お好きなように」
火傷の痕もすっかり消えているようだ。これも竜の血のおかげなのだろうか。
長い黒髪が目の前を通り過ぎ、固い靴音は遠ざかっていく。
取り残された優陽は汗に塗れた両手で裾を握りしめた。
「……疲れた」
いくら愚痴をこぼした所でどうにもならない。
固い靴音を追いかけ、優陽は日が暮れ始めた空の下に出た。寒さがまた骨に沁みてきて彼女はひとり、大きなくしゃみをした。 静寂に包まれた部屋で優陽は手汗を握りしめる。
クリードの言うことを、理解はできる。
『天羽優陽』としてこの世界で生きていくのは難しい。クリードにもラーストーにも、自分を助けている余裕はない。そもそも『天羽優陽』を助ける義理は彼らにはない。しかし『シャレム・エストリンド』となれば別だ。
リュシオンに対抗する数少ない手段である、フロスト家とエストリンド家の同盟を結び直すことができる。それを可能にするのはエストリンド家、唯一の生き残りである『シャレム・エストリンド』だけ。
『天羽優陽』が『シャレム・エストリンド』を演じるのであれば、彼らにも『天羽優陽』を助けるメリットがある。『天羽優陽』もこの乱世へ放り出されずに済む。むしろクリードの提案は利害関係だけで言えば理想であると言えよう。
分かってはいて優陽が口ごもるのは、脳裏を過る青年の微笑みのせいだった。
クリードの言う通りに彼の妻になる。それは以前スロースの口から聞かされた、シャレム・エストリンドの死の未来へ近づくことになるのではないか。
ケテル•ミトロンの話しを全て信じてはいけないとは言え、思えばラーストーがあの場に現れてから、クリードがここで申し出てくるまで。やけにトントン拍子ではある。
だからと言ってここで頷かなければ、クリードは戦力にもならない無力な自分を側に置いておきはしないだろう。
無言の視線に促される優陽は床を見つめて頭をフル回転させた。しかし悲しいかな。何も思いつくはずがない。ラーストーとクリードは分かっていて、自分をここへ連れてきた。『シャレム・エストリンド』として砦に迎えられた『天羽優陽』に、選択肢は残されていない。
「この場でその手札を切るのはいささか早計ですね、クリード様」
静寂を破ったその嫌味っぽい声音には、なんだかんだ助けられている気がした。
目を瞬く優陽の視線の先。自身の脚で歩くスロースの姿があった。
優陽を見下ろしていたクリードはため息をついてこちらへ背を向ける。
「俺の元へ戻って来たと思ったらまた小言か……?」
「忠言とおっしゃっていただきたいものです。誰の入れ知恵かは知りませんが、クリード様がお父上のお考えを引き継いだだけで解決できるようであれば私も苦労していません」
「辛辣なお言葉だねぇ」
ラーストーが口笛を吹いて怪訝そうなスロースを茶化した。
靴音を鳴らして室内に入ってきた彼は真新しいメガネを直して優陽の前で立ち止まった。
鮮やかな髪色が元に戻っている。着衣も全て元通りだ。この短時間であの大ケガが自然に治るはずもない。それはそれとして、ケガ人であったことに違いないのだから一言くらいあっても良いのではなかろうか。
口を引き結んでいる彼女を見下ろし、スロースは肩を竦めた。
「仮に、ここで『シャレム・エストリンド』と婚姻の手札を切ったとしましょう。対リュシオンの勢力の士気向上は確かです。散らばったフロスト家、エストリンド家の者を呼び戻す有効な手段であることには違いない。こちら側に最も足りないのは戦力です」
「むしろ、ここで両家の縁を結び直さずにリュシオンを下す手段があるなら、もったいぶらずに教えてもらいたいものだな」
「その考え方が甘いと言っています」
スロースの言葉にクリードの表情が険しくなる。向き直った彼は腕を組んで元部下を睨みつけた。
つい昨日まで死にかけていたのが嘘のように、スロースは相も変わらず皮肉な物言いだった。
「いくらリュシオンに敵対する者をかき集めたところで、今のリュシオンを完全に下すのは不可能です」
「その根拠は?」
「リュシオンとの国力差はクリード様もご承知のはず」
「リュシオンが戦闘に投入する戦力のほとんどは吸収された他国の捕虜か、竜が大半だ。前者は著しく士気が低く、後者は今のリュシオン領土の全てを守れるほどの数はない。ならば、まず首都から離れた領土を取り戻し、補給路を断ち、リュシオンへの物資の流れを止める」
「問題はその先。リュシオンと硬直状態に陥った後の城壁内部の攻略です」
「分かっている。だが、いくらリュシオンが強国であろうとあれだけ広く展開した城壁を、長く守り続けるのは難しい。食料の流れを断てば、蓄えの少ない民から声が上がるのは必定だ」
優陽とスロースの視線が交わる。暗に口を開くなと言われた気がして、優陽は大人しく彼らの話しへ耳を傾けた。
苛立ち気な声音に怯む様子もなく、スロースはクリードがテーブルへ広げた羊皮紙を無造作に掴んだ。
「竜人の頑丈さを舐めてると痛い目を見ますよ。極端な話し、私を含めて大半の竜は首を落とされるか、火の山に落とされでもしない限りなかなか死ねませんからね」
「つまり、不死身じゃあねぇだろう?」
「つまり。個体差があるとは言え、よほどの練度が高く、統率の取れた部隊であっても竜一匹を処理するのは困難。もちろん空腹にも耐性がある。兵糧攻めをされるのであれば通常よりも長い期間を想定せねばならない。念の為つけ加えますが、飢え死にする下民に分け与える慈悲などあの国にはありません」
鼻で笑うラーストーに対し、クリードは優陽と共にスロースの話しを静かに聞いていた。
スロースの手に触れた羊皮紙はみるみると変色していった。そして嫌なにおいと不気味な色をした炎を上げてじりじりと燃え尽きていく。
スロースは指についた灰を軽く払った。
「上手くリュシオンを囲えたとしましょう。兵糧の手を切れたとしましょう。ですがリュシオンが降伏することはない。国王や預言者へ与えられた神の加護を攻略する術を、こちらが持ち合わせていませんから。このふたつをどうにかしない限り、リュシオンは残った戦力で対抗してくる。加えて、対リュシオンの勢力も一枚岩ではない。長期戦になればなるほど、預言者に付け入る隙を作り、同盟の足並みを乱される可能性が増す。今のフロスト家が正に良い例だ」
「…………」
スロースの言葉にクリードは苦々しげに頷く。
ここまでの会話で薄々察してはいたがどうにもご実家が大変なようだ。
「そこで『シャレム・エストリンド』が必要になる」
「はい……?」
助け舟を出してくれたと思った私がバカだったぜ……。
優陽は思わず抗議の声をあげるも、視線すら合わなかった。
「リュシオンが得ている全ての神の加護を攻略をする唯一の術です。ここでクリード様と婚約されてはこの先、リュシオンに対して有利を取り続けるのは難しいでしょう。『シャレム・エストリンド』が婚約していては使えない」
「……結局はケテル・ミトロンの遣いか」
「残念ながら現状で最も真実に近いのはあの男です。そして、現状のあなた方が自力で真実にたどり着くのは困難だ」
「真実……?」
妙な物言いだ。勝利ではなく、真実に近いとは。
スロースの外套を引っ張って問うとするも、視界を物騒な物が横切ったので優陽はまた口をつぐむ。
ラーストーの槍の先端がスロースの首でぴたりと静止し、軽薄な笑みがこぼれた。
「おいおい。その提案を俺の前でするのはいただけねぇな。これでもエストリンドの残党をまとめてるのは俺なんだぜ?」
「『シャレム・エストリンド』が自らケテル・ミトロンとの婚姻を望めばあなたが何と言おうが関係ありません。むしろ、故郷を焦土と化すのを防ぐため、人柱として自らの意思で選んだとなれば、兵や民からは好感をもたれる可能性も高い」
「エストリンド家の血を引く人間が、リュシオンの王子に嫁入りしてお飾りのお人形さんになるだって? 笑えねぇなぁ。なんで俺たちがリュシオンへ下らずにいるか分かって言ってんのか?」
「やはりあなたの入れ知恵でしたか。こんな後先考えず動く子どもを担いで最後の一人になるまで戦をするとでも?」
「私の意思……! 私の意思は……?!」
優陽は地団太を踏む。
どうやらスロース・ディールはこちらの味方とは言い切れないようだ。あくまで彼はリュシオン王国、もといケテル・ミトロンと穏便に決着をつけろと言いたいらしい。
対して、ラーストーは『シャレム・エストリンド』を担いでリュシオンと徹底抗戦の構えだったのだろう。恐らくこの様子では初めにこの話しを持ち出したのはクリードではなくラーストーだ。ヘラヘラとした眼帯おじさんかと思いきや例外なくタチが悪い。
クリードが息をついてラーストーへ切っ先を下げるよう手で促した。
「あまり長居もできん……。そこの癇癪持ちが何かしでかす前に一度戻るぞ」
「誰のせいで癇癪もちになってるとお思いで……?!」
「悪かったって、お嬢。ほら、帰るぞ」
「誤魔化されないからなー! 私を人柱にしようとしてることゼッタイに忘れないからなー?!」
ラーストーは自身の槍とまとめた荷物を担いで早々に部屋を後にした。
未だ苦い顔をするクリードがスロースを横目で見ると、彼は肩を竦める。
「次になさるべきことは分かっていらっしゃるでしょう。急ぎ準備をなさって下さい」
「まったく、厄介な従者だな……」
「私からしてみればこっちで出会った人たちみんな厄介なんですけど……」
やれやれとぼやくクリードも部屋を後にする。彼に続いて出ていこうとした優陽は背後から首根っこを掴まれ、カエルが潰れたような声をあげた。
「ケテル・ミトロンは信用できませんが、それ以上にラーストーは信用なりません。信用する人間はよく選ぶように」
「……スロース殿も?」
振り返ると、スロースは彼女の問いを鼻で流した。
「お好きなように」
火傷の痕もすっかり消えているようだ。これも竜の血のおかげなのだろうか。
長い黒髪が目の前を通り過ぎ、固い靴音は遠ざかっていく。
取り残された優陽は汗に塗れた両手で裾を握りしめた。
「……疲れた」
いくら愚痴をこぼした所でどうにもならない。
固い靴音を追いかけ、優陽は日が暮れ始めた空の下に出た。寒さがまた骨に沁みてきて彼女はひとり、大きなくしゃみをした。




