28.もしかしなくてもヤバいかもしれない
『シャレム・エストリンド』にとって、リュシオン王国という国は愛しの王子様が待っている場所。それくらいのかなり漠然とした、彼女の中で美化され、偏ったイメージが天羽優陽には与えられていた。
自身が恋した完璧なケテル・ミトロンの治める王国に、欠点などあるはずなかったのだろう。
「っぐしゅっ……!!」
盛大に口からとび出たクシャミは両手で抑えていても辺りに響いた。
人の気配もなく辺りに障害物もないおかげか、隣で歩くクリードの靴音もやけに大きく聞こえる。
「風邪ひいたなぁ、お嬢」
「あのような薄着で歩きまわっていれば当然だ」
「でょうね……」
くしゃみで済んでいるのが不思議なくらいだ。
優陽は鼻をすする。
クリードとラーストーからストールやマフラーをぐるぐるに巻かれたおかげで、今は寒さもだいぶマシになった。
「ところでどこへ向かっているんです……?」
「ここまでくればフロストロン領とリュシオン王国との緩衝地帯だ。正確には百年ほど前、リュシオンに首都を占拠され、地図から消えた国だ。今はもう名前を呼ぶ者もいない」
「百年前……」
優陽は足を止めて辺りを見回した。
建物は廃れてしまい、基礎が残っているのが精々。人が生活している様子はない。かろうじて道だけは最近も補修された形跡がある。
「この国はリュシオンへ早々に恭順を示した。おかげで戦死者はほぼいなかったろうが、見ての通りだ」
「どうして?」
「リュシオンを囲う城壁は、王国に従う竜の一族と、リュシオンに吸収された国々から連れてこられた労働力によって築き上げられていく」
振り返ったクリードの視線を追いかけると、遠くには石の壁がそびえていた。スロースと共に下をくぐり抜けてきたあの壁は、体感でも5階建て以上はある。ほとんどの建築物が平屋のこの世界では充分に高い。それが何重かに張り巡らされているようだ。
ラーストーが担いだ槍で肩を叩く。
「ま。一言で言えば奴隷だ。下手すりゃそれ以下かもな。噂じゃ衣食住も確約はされてないらしい」
「……それでも、従わなきゃいけない?」
「国主や領主がリュシオンに降伏するってのはそういうコトさ。他国に身内がいるか、懐が暖かいような特別な事情でもない限り、土地をさ迷っている内に、魔獣に食われて死ぬ」
「まじゅう……? 魔獣……? ただの獣ではない……?」
いやいや。聞いてないそんな話し。
優陽は思わず辺りを見回した。ラーストーが首を傾げる。
「あー……。お嬢は屋敷からほとんど出たことねぇからアンタも知らねぇか。真っ昼間じゃ、まず出くわすことねぇから安心しな。前回の『黒い月』ももう数年前で、最近はだいぶ落ち着いたもんだ」
「エストリンド家の教育はどうなっている……。その上、貴様の故郷には魔獣がいないのか……」
クリードが息をつきながらも快晴の空を指した。
「リュシオンでは『黒い月』と呼ばれるものが夜に昇ることがある。いつ現れるかも分からない、厄介な代物だ。『黒い月』からは魔獣が現れ、家畜や人間を食らう。他にも月の影響で、奇形の獣や魚が生まれたりな。貴様の狗も以前、狩ってきたろう」
「あ……。あれ、普通の動物じゃないんだ……」
優陽は以前アイギスが食料として捕って来た獣の数々を思い出した。その中には天羽優陽もおなじみの獣がほとんどではあったが、時おり異常な個体がいた。やけに大きかったり、角が四本あったり。こちらの世界ではアレがスタンダードだと思っていたが違ったらしい。
「ここ数年。『黒い月』は昇っていないが、またいつか昇るだろう。リュシオンに労働力として男手を奪われた国は必然的に魔獣を防ぐ術が乏しい。それが国の滅亡に拍車をかける要因のひとつでもある」
「それはリュシオンにだけ現れるものなんですか?」
「今のところはな。しかし、月から現れた魔獣はエストロランド領やフロストロン領、周辺の国々へと流れてくる。当のリュシオンは城壁と神の加護とやらによって城壁内に被害が及ぶことはない。こちらとしてはいい迷惑だ」
「でも、城壁の外の人たちは……」
「自力でどうにかするしかねぇな」
さらりと、ラーストーは相槌をうつ。
優陽は崩れ落ちた家屋を眺めて口を閉ざした。
「話しを戻すぞ。リュシオンの神官たちや貴族たちは、リュシオンの神を信じない者たちを竜の一族と同様に扱う。竜の一族と同じ務めをただの人間が果たすのは、簡単なことではない」
クリードは再び歩き出す。優陽もその後をついて行く。
竜の血が流れる者は人間として扱われないと、ラーストーから聞いている。クリードの言葉がさすのはつまり、例え竜の血が流れていようがいまいが、リュシオンの神を信仰しない者は人間扱いされないという意味になる。
優陽はまた寒気を覚えて腕を擦った。
「連れてこられた他国の民は過酷な労働に耐えきれず倒れていく。使い物にならなくなれば入れ替える。それを繰り返し、リュシオンが大きくなるたび、城壁も築かれる。このままでは城壁も、その人柱も、際限なく増えていく」
クリードは自身の手のひらを固く握りしめた。
「フロストロンの民をそんな馬鹿げた理由で奪われてなるものか。少なくとも、俺の国でそのような所業は許さん」
「…………」
優陽は頷くことしかできないでいた。
炎上する屋敷で目覚めるまで、飢えも、暴力も。フィクションの中でだけでしか知らない。ましてや常に生命の危機を実感し続けるような極限状態など、自分がいくら想像したところで現実には到底及ばない。
言葉を失う彼女の様子にラーストーが笑みをこぼした。
「どうやら、アンタの故郷は随分とのどかな場所だったようだな」
「その、すいません……。実際に、何かに襲われるとか、戦争とか、ここに来るまで経験したことがなくて……。うまく話しを呑み込めないと言うか……」
「戦のない国……。それこそ、俺たちからすれば想像がつかん。さぞ有能な国主であられることだろう」
「うーん……。そもそも私が住んでいた場所とは根本的に何かが違う気がするので、比べるのは違う気が……」
「ほぉ?」
優陽の言葉にクリードは興味深そうに相槌をうつ。
恐らく、彼らの言う「有能な国主」とは、圧倒的な力やカリスマ性で他者を従える人物のことだろう。それにこの世界と違い、魔法もないし、魔獣も竜もいない。
どう説明したら良いものか。
優陽は首をひねる。
クリードは歩幅を狭め、優陽のペースに合わせて隣を歩く。
「ならばお前の国ではどのように政を行っていた」
「えーっと……ざっくり言うなら……。国民が全員で紙に政治を任せたい人の名前を書いて、名前を書かれた数の多かったその人が、また他の人の意見を聞きながら色んなことを決めていきます」
「なんだ、そりゃ?」
ラーストーが声を上げて笑う。
「数をチョロまかす奴がいたら永遠に決まらねぇだろ」
「だからちゃんと、そういう水増しとか悪いことをしないか見張る人たちを別に組織するんですよ」
「組織したところでそいつらが抱き込まれたら意味ねぇだろう?」
「そういう人たちが現れないように法を作って、違反した人たちには罰則を設けるんです〜」
優陽は口を尖らせた。
山籠もりをしていた時は家を襲いに来たかわいそうな山賊をアイギスがフルボッコにして町でお金と交換してきた。最低限の倫理観や線引きはある、はずだ。
一抹の不安を覚えた優陽は、茶化すラーストーを無視してクリードを見上げた。彼は足を進めてはいるものの、地面を見つめブツブツと小声で彼女の言葉を反芻しているようだ。
「合議制、ということか……? しかし、民の全てが……? つまり民が皆、読み書きができるということになる……。一体どのような施策を行えば……?」
「…………」
前々から感じてはいたが、根が真面目だ。
ラーストーの態度に少しばかり腹を立てていた優陽は思わず真顔に戻った。
授業中にゲームやってたとか、テスト勉強一夜漬け上等とか、今さら言えない。
対するラーストーは顎の無精髭を撫で口角を持ち上げる。
「でもまぁ、そんなんで国の大将が決まるってんなら。そりゃ戦も起こらんだろうよ」
「国によっては、派閥争い……? みたいなことで、暴力的な行為も起こりますけど……。私の国では基本的に選挙を……。あー……。みんなで意見を議論して、最後は投票をして決めます」
「俺みたいなのは飯が食っていけねぇなァ」
「軍人さんや、警備のお仕事をしてる人は私の国にもいますよ」
「俺はちょ~っとそういうのとは違うのさ」
「そうなんです?」
優陽はラーストーが背負う、身の丈ほどの槍を見上げる。『シャレム・エストリンド』の記憶にある限りでは彼の業務は優陽の知るところの軍人のような業務のはずだが、この少女は彼にそれほどの興味があった訳ではない。彼女が知らないだけで、父親に命じられて別の仕事を請け負っていた可能性は充分にある。
クリードは何故か一人で頷いていた。
「軍が組織されているということは、外敵の侵略が全くないという訳ではなさそうだな」
「でも、戦争はあくまで最後の手段ですし、そうならないようにその前で手を尽くすのがフツー、なのでは……?」
「俺からしてみれば、民に国に対する責任をおわせる時点で狂気の沙汰だぜ?」
「逆だろう。責任が生じるからこそ人間は動く。国主に全ての責任を背負わせるのでなく、民自身にも国に対する責任を負わせれば、出自に関係なく政策への関心を高めるきっかけにもなる……。ただ、やはりそこへ至るまでの道筋は考えるだけで気が遠くなるな……」
「そんなお利巧なヤツばかりなら誰も苦労しねぇって」
鼻で笑い、ラーストーは肩を竦める。
『シャレム・エストリンド』は屋敷の外の世界にほとんど関心がなかった。あるとすればケテル・ミトロンや自身の好きな綺麗な服飾品や花々くらいで、父や母の仕事には見向きもしない。おかげでこの世界の一般的な倫理観の度合いを今この時に知るハメとなった。おおよそ5年前にクリードの元で呑気にスローライフを楽しんでいる場合ではなかったろう。
優陽はクリードの質問攻めが止むのを切実に願った。




