24.おやすみ。わたし。
「人が……! 必死で! 死ぬ気で! 告白したのに! 笑う人が! いますか……?!」
「悪かった悪かった……。そんなに思い詰めてるとは思ってなかったんだよ……」
シャレム・エストリンド、改め天羽優陽は怒髪天を衝かんばかり。烈火のごとく怒っている。
原因は目の前の眼帯男がいつまで経ってもヘラヘラと笑っているからだ。天羽優陽は実に、誠に、怒っている。
少女の体は感情のコントロールが間に合わず顔を真っ赤にして地団太を踏んだ。
「フツー絶対に怒られると思うじゃないですか! 騙してたのかー! って思うじゃないですか!」
「まあ、思ってはいるんだが……」
クリードは視線をそらす。
「俺の知るシャレム・エストリンドにしては、品がなかったからな……。納得感の方が強いというか……」
「憎むべきか、私から溢れ出る庶民の親しみやすさっ……!」
「何よりシャレム・エストリンドはお前ほど図太い女でもなかった」
「ポジティヴって言ってくだざい!!」
天羽優陽は思わず叫んだ。喉が掠れて大した声は出ない。代わりに感情だけは込めた。
ひとしきり笑って落ち着いたのかラーストーが腰へ手をあてる。
「クリードの旦那の言う通り。お嬢さんがシャレム・エストリンド嬢を演じるには、ちょっと難しかったなぁ」
「そりゃそうでしょうよ! 中身実年齢20過ぎてるパンピーですよ?! 美少女を名乗るのだって心苦しいんですからね?!」
「おー。おー。旦那と歳変わらねぇのか。今度いっしょに酒でも飲むか?」
「どう考えてもその感想はおかしいと思いますけど?! あと体が成人してないのでご遠慮します!」
「落ち着け。お前を今すぐどうこうするつもりはない」
一番混乱しているのは何故か秘密を告白した当人である。
今度はクリードに優陽がなだめられて椅子へ座る番だった。
ぐずぐずと再び椅子に座る優陽を囲み、2人の男は各々、首を傾げて思案する。
「お前の言いたいことは分かる。5年前『シャレム・エストリンド』に成り代わり、俺を騙していたことを怒っていないか? そう言いたいのだろう?」
「…………」
鼻水をすすり、優陽は頷いた。またラーストーが布切れを渡してきたので今度は遠慮なく鼻をかんだ。
クリードは息をつき、彼女の前へ膝をついた。
「では何故、お前はあの時。俺の婚姻を受け入れなかった」
「へ……?」
目を瞬く優陽へ、クリードは「まったく……」と頭を振った。
「お前が『シャレム・エストリンド』に成り代わる気があったなら、適当に話しを合わせて俺の妻になるはずだ。明日の生活を心配しながら、得体の知れない男と物置小屋で暮らす必要もない。ただ座って侍女に命令すれば、大概の物はお前の元へ届くようになる。でも、お前は俺の誘いを断った」
「だって、それは……」
「ただの罪悪感だと、お前は言いたいのだろう。だが、ただの罪悪感だったとしても、お前は『シャレム・エストリンド』の立場や俺を利用しようとはしなかった」
「いや、でも……お家に住まわせていただいたのは……」
「……お互い様と言うヤツだ。そも『シャレム・エストリンド』は俺に興味がなかった。違うか?」
「あー……それはぁー……そのー…………」
クリードは息をつく。優陽は思わず言葉を濁す。弁明はできない。まぎれもない事実だ。この少女は幼い彼の気持ちに露ほどの興味もなかった。
視線を泳がせる優陽に対し、彼は小さく笑う。諦観した、どこか乾いた笑みはすぐに消える。
「彼女の気まぐれだと、知っていた。それでも彼女は俺に次の機会をくれた。少なくとも、あの時の俺はそれで救われたのだ。本当に次があるとは思っていなかった」
「…………」
クリードは流れる銀色の髪へ触れた。幼い彼の記憶にある彼女の髪と比べれば、埃と泥がこびりついた髪は目も当てられない有様だろう。
それでも彼の指先は優しく絡まった髪をすいていった。
「お前が『シャレム・エストリンド』を騙って民を困窮させるような輩なら、斬って捨てたろうがな。お前にはすでに俺の家臣を救われた貸しがある。それで無しとしてやろう」
「……元、家臣ですけど」
「ヤツが勝手に出て行ったのだ。俺はヤツに出て行けとは一言も言っていない」
横目で寝ているスロースを見るも、クリードは鼻であしらった。
「慰めになるかは分からんが……。お前が思っているほど『シャレム・エストリンド』と言う女は、奥ゆかしいご令嬢ではなかったぞ」
「まあ、その〜……ちょっと変わってる子だなぁとは……」
優陽は喉まで出かかった言葉を飲み込みながら、さらに言葉を濁した。
誤魔化そうとする彼女へラーストーは肩を竦める。
「ま、基本的に両親と憧れの王子様以外は飼ってる犬猫とそこまで大差なかっただろうからな」
「それもご存じで……」
ラーストーは「ああ」と、彼自身も大して興味がなさそうに続けた。
「言ったろう。お嬢は情けなんてかけねぇよ。猫を撫でたり、高いところから落としたり。尻尾を掴んだり、飽きたら他の奴に押し付ける。それは情じゃなくてただの気まぐれだ。お嬢にとっちゃ相手が人間だろうと変わらねぇ」
呟いて、視線をこちらへ戻した男は口角を持ち上げた。
「その点。アンタはあかの他人のために命を投げ出しちまうからなぁ。俺はアンタの方が断然ヤバい女だと思ってるが?」
「必死で生き延びようとしてる人間を狂人扱いしないでもらえますか……」
「まあ、心配すんな。俺はアンタがシャレム・エストリンドだろうがそうでなかろうが、別にそこまで問題じゃねーのさ」
「いや……めちゃくちゃ問題あるでしょ……」
クリードがせっかく直してくれた髪をラーストーの手がわしゃわしゃと乱す。
肩を落とす優陽の肩を叩き、クリードは立ち上がった。
「腹に物を入れれば少し落ち着くだろう。続きは夕餉を取りながらでも話せる」
「そうですね……。何事も、ご飯を食べなければ……」
「それで? 俺はお前を何と呼べばいい?」
「え……?」
ふらふらと後に続いた優陽は目を瞬いた。
ラーストーが隻眼の目じりを下げる。
「ややこしいからな。人の目がある時は控えねぇとならねぇが」
「お前は別の世界から来たと言っていたが……。『あまばゆーひ』とはどこまでが家名だ。それとも『あまばゆーひ』でひとつの名か?」
「優陽が名前、です……」
「そうか」
クリードは優陽に向き直り、右手を差し出す。
「今の俺もフロスト家の人間ではない。ただのクリードだ。改めてよろしく頼むぞ。アマバ・ユーヒ」
「なら、ついでに俺の顔と名前も覚えといてくれ。アンタとは付き合いが長くなりそうだからな。よろしく頼むぜ、ご主人サマ」
「よろしく、おねがいします……」
優陽も自身の右手を持ち上げる。自身よりもずっと大きなふたつの手は、寒さに冷えた手には熱く感じた。
「おい。どうした」
ぎょっとした様子のクリードの声が遠く聞こえた。
視界がどんどんぼやけていく。握るために持ち上げた手で目元を拭うとさらに目から熱がこぼれてくる。
体も限界だったのだろう。押し寄せてきた疲労に呑まれて彼女はその場に倒れた。




