23.白状します。させてください。
砦の中は意外にも暖かい。シャレムは改めて屋根と壁のありがたさに涙をにじませた。
だからと言って和やかな空気、とまでは言いづらい。シャレムたちが通された医務室らしき空間にはすでに数人が簡易的なベッドに横たえられている。
「それで? 貴様はどれほどの隠し事が残っている?」
「…………」
ろうそくが頼りなく暗がりを照らしていた。一番奥のベッドへ運ばれたスロースは無言で視線をそらす。
オヤツを盗み食いして叱られた時の実家の犬みたいだ。
そう口にしかけながらもシャレムはスロースの体へ薄い布をかける。残念ながら暖かいお布団はここにもないらしい。
息をついたクリードは腕を組む。
「まあ、貴様の生い立ちが複雑なのは想像に易い。話したくないのであればそれでいい。が、死にそうな時くらいは何かにすがっても誰も責めはせんぞ」
「…………」
返ってくるのは沈黙だけだった。
仕方ない。今のスロースはケテル・ミトロンに雇われている。下手に口を開くのはまずいのだろう。
代わりにと、シャレムはクリードへ頭を下げた。
「恥ずかしがりやなスロース殿の代わりにお礼を申し上げます、クリード様」
「あなたは、ほんとうにっ……」
悪態をつきながらむせる元気があるなら大丈夫大丈夫。
シャレムも近くの椅子へ腰を下ろした。どっとのしかかってきた疲労に今にも押しつぶされそうだ。
「お嬢。お疲れでしょうが少しお話を聞かせてもらっても?」
「ありがとうございます。ラーストー。助かります……」
差し出されたマグにはぬるい水が入っていた。一息に飲み干して息をつく。
全身に染み渡る水のおかげで生きている実感が沸く。
いや、ほんと。我ながらよく生きていてるな。
シャレムの前へ手近な椅子を引き寄せ、クリードが腰を下ろす。体に染みついているのだろう。身なりはだいぶ親しみやすくなったが、所作には品が残っている。
「夕餉の準備をさせているその間だけでも構わん。何故、貴様らがレイ・ジールに追われていたか聞きたい」
「ご、ごはんまでいただけるんですか……?」
「あんまり期待しないで下さいよ。お嬢が屋敷で食べてたごちそうとは程遠い保存食だ」
「いただけるだけでありがたいです……」
寒さに震えて。炎に巻かれて。泥の中を這いずって。もうヘトヘトだ。
思わず半泣きになりながらシャレムは頷いた。
「だが、まず貴様が俺の前から姿を消した理由を話せ」
すごい優しいと思ったらめちゃくちゃ怒ってる。
鼻水をすするシャレムは冷ややかな視線を受けてやはり震えた。
「話すとちょっと……だいぶ長くなるんですけど…………」
「手短に話せ」
「ケテル・ミトロンに誘拐されました……」
「は……?」
「町へ出かけた先で、ケテル・ミトロンに誘拐されました」
「……は?」
クリードはシャレムの発した言葉を反芻している。
だって手短にって言うから。
ラーストーから布切れを渡されたのでシャレムはありがたく鼻水を拭った。
クリードはしばしその様子を眺めていた。かと思えば、椅子を倒す勢いで立ち上がる。それを予想していたのかラーストーが「どうどう」とその肩を押し戻す。
「あのキザ野郎! ナメやがって!!」
「落ち着けってクリードの旦那」
「貴様こそ自身の主人が拉致されていたのだぞ! 何も思わんのか!」
「思うところはあっても勢いだけで討ち入りにまでは行かねぇなぁ」
「病室なんですから静かにして下さいよ、クリード様」
「貴様が他人事なのはおかしいだろう!」
しばらく見ない内にますますお口が悪くなったようで。
シャレムも「ほらほら」とクリードへ着席を促す。彼は渋々と、乱暴に腰を下ろした。
ご立腹な彼の代わりにラーストーはシャレムを見下ろして首を傾げた。
「もしかしてお嬢はこの5年間、リュシオン王国に監禁されていた。ということで?」
「らしいです」
「らしいってのは?」
「丸々5年間、魔術で眠らされていたみたい、なので記憶がありません」
「はぁ……。そりゃあ、また難儀な……」
今にも飛び出していきそうなクリードの背をラーストーが叩く。まるで暴れ馬をなだめているようだ。
無精ひげのはえた顎を撫でラーストーは感慨深そうに視線を伏せた。
「道理で行方知れずな訳だ。さすがにリュシオン王国内に連れていかれたんじゃ、俺でも追えない」
「……で? どうやって脱出した? 腹立たしいがケテルが神童と呼ばれる程の魔術の腕前だとは承知している。貴様では自力で城から抜け出せまい」
「んー……。それは…………」
クリードがいら立ち気にぐしゃりと前髪をかきあげる。
シャレムは冷たい手をこすり合わせた。
どこまで話すべきか。今、ここで自分が『シャレム・エストリンド』ではなく『天羽優陽』であると告白すれば、寒空の下へ放り出される可能性が高い。放り出されるだけで済めばいいが。
シャレムの両腕はよく分からないジェスチャーで宙に何かを描く。
「スロース殿が……なんか、こう……すごい魔術を使ってました」
「スロースはフロスト家から追放されたはずだが……。今はどこに仕えている」
「わかりません。でも、スロース殿が私を助けてくれたので、先ほどの赤い騎士様に追いかけられました」
チラリとスロースを盗み見る。相変わらず知らん顔で眠っている。たぶん寝てはいない。『天羽優陽』がうっかり口を滑らせないように聞き耳は立てているはずだ。
彼から何もフォローしてこない、ということはこの路線でいけとの理解でいいのだろうか。
足を組んだクリードは隣のラーストーを見上げた。
「エストリンド家の者が王国内にいる可能性は?」
「無いとは言い切れないが……。可能性としてはゼロに近い。リュシオン王国内の奇跡を欺く魔術師なんて、ウチじゃあそれこそ旦那サマくらいだ」
「と、なれば……。そこの阿呆がまともに話せるようになるまで待つか」
「お嬢に聞くより、そっちが確実でしょうね」
クリードは横目でスロースを見て眉根をつり上げる。
対してラーストーは朗らかにシャレムへと手を差し出した。
「じゃあ、飯を食うか、お嬢。腹ペコなんだろ?」
「ありがたくいただきます~!」
ごはん! ごはん! ごはん!!
シャレムの頭の中は具のないスープと固い干し肉でいっぱいだった。
一番に思い出すのがアイギスと暮らしたひもじい山小屋での食事なのだから不思議なものだ。やはりひもじいほど食事のありがたみは増すのだろう。
ラーストーの手を取り、椅子から滑り落ちるように降りた。危うく倒れかけた彼女の体を支え、彼は「に、しても」疑問を口にする。
「ケテル・ミトロンは何だってお嬢をさらったんだ?」
「…………」
もっともな疑問である。
シャレムの脳裏に柔和な青年の笑みがよみがえった。
『また会おう、ユウヒ』
皮肉なことに、自分をこの世界へ連れてきたのはケテル・ミトロンであり、ケテル・ミトロンだけは唯一。この世界で『天羽優陽』を必要としている。
シャレムはラーストーから手を離した。小さな手は寒空に晒され指先まで赤くなっている。
立ち上がったクリードが鼻で笑った。
「貴様、エストリンドの家臣でありながら知らんのか。リュシオンは以前、エストロランドとフロストロンを取り込もうと婚姻関係を結ぼうとしていたのだ」
「悪いが、俺もエストリンドの家臣としては新参者でしてね……。お嬢が10になる前の話しはあまり知らんものでして」
「当時からリュシオンには、第一王子であるケテル・ミトロン以外に直系がいなかった」
「なるほど。継嗣にもしものことがあった時の保険がないってのは問題だ」
「それもふざけた話しだ。リュシオンでは国王の正妻は、預言者が定めた次期預言者、女王でなければならないと定められている」
「ああ。そう言えばそうだったな……。なら、どうなるんだ?」
「両家にはミトロン王家と姻戚関係にある家の者を差し出すと抜かしたのだ。あの無礼な魔女めが」
「そりゃあ、また……。旦那サマと奥サマが怒るワケだな」
憤慨するクリード。肩を竦めるラース。
シャレムは石の床を呆然と眺めていた。クリードの話しはなんとなく『シャレム・エストリンド』の中に存在していた。
父が怒りのあまり机を真っ二つにしたり、温和な母が珍しく届いた文を破り捨てるほどだった。
要は、それぞれの土地の主人である両家が大切に育ててきたかわいい愛娘と愛息子へ、リュシオン王家の者でなく、王家に仕える者の娘息子を嫁がせてやる。暗に、リュシオンは両家に従属しろと言ってきたのだろう。
「俺たち反乱軍がお前を含め、エストリンドの家臣で多く構成されていると知って、シャレムを担ぎ出す算段だったとすれば筋は通る。王国の神官とでも縁組されては、こちらの士気が落ちるのは必定だ」
「確かに、俺たちエストリンドの残党に対して、お嬢は有効だろうねぇ。城下の監視を強化しといて正解だったなぁ」
「フロスト家にも内々に手が回っている。近々、兄上とも話しをつけねばなるまい」
「フロスト家への干渉は必須だが、アンタの兄貴はどうにも保守的で困ったモンだ。……どうした、お嬢?」
ラーストーが目を瞬く。シャレムの視線は相変わらず床を見つめている。
話しはクリードのおかげできれいにまとまってくれた。シャレムがそれっぽいこじつけをする必要はなくなったろう。
自分は『シャレム・エストリンド』だ。ここに『天羽優陽』は必要ない。
では、ここにいる自分は、いったい『誰』だ?
その問いかけは、彼女の頭を一瞬にして塗り潰した。
「違う、んです……」
「何がだ?」
言ったら終わりだと分かってはいる。
それでも、目をそらし続けてきたその事実は今になって重く彼女へとのしかかってきた。
この世界で、『天羽優陽』は必要とされていない。皆が望んでいるのは『シャレム・エストリンド』である。
天羽優陽は自身の死に際に焼き付いて離れないケテル・ミトロンの微笑みに唇を噛んだ。
今、彼らが手を差しのべてくれているのもまた『シャレム・エストリンド』であって『天羽優陽』ではない。
「シャレム・エストリンドじゃないんです……。ケテル・ミトロンは、シャレム・エストリンドを迎えにきたんじゃないんです……」
「……では、今しがたのお前の話しは何だったのだ?」
クリードの問いかけは穏やかで、それがまた怖かった。
心臓が口から出ても不思議ではない。少女の肌は先ほどまでの寒さを忘れて汗を流している。
降り注ぐ視線に天羽優陽は自分の愚かさを痛感しながらも、言わずにはいられない。
アイギスと暮らしていた時は、こんなことを気にしなくて良かった。彼は別に、自分がどこの誰だろうと構わなかったのだから。
しかしこれから先、彼らに助けてもらうとなれば、そうはいかない。
「私は『シャレム・エストリンド』じゃありません」
その一言を発した瞬間。胸につっかえていたものが濁流のように溢れ出す。
「ケテル・ミトロンのせいで、私は『シャレム・エストリンド』さんの体で生きています。シャレムさんの意識は、もうありません……」
唇から堰を切ったようにあふれる言葉は止まらなかった。
ここで言わなければ、次はきっとない。自分は『シャレム・エストリンド』として生を全うしなければならない。これから先もきっと誰かの何かを、騙し続けることになる。
死ぬまで嘘を貫く自信が、自分にはない。
「私はこの世界の人間じゃありません。ケテル・ミトロンに連れられてここへきた……。私は『シャレム・エストリンド』さんではないんです」
一息にまくし立てたシャレムは汗にまみれた両手を握りしめた。荒れた指先から血がにじむ。
「私は、天羽優陽といいます……!」
「ごめんなさい!」と。天羽優陽は深く体を折って頭を下げた。土下座でもするべきなのかもしれないが、いま地面に膝をついたら最後、立ち上がれなくなる。
絡まった銀色の髪が床に落ちる。
長い沈黙に冷や汗が次々と流れていった。
やはり首を落とされたりするんだろうか。初恋の相手が別人にすり替わっていたなんて誰だって怒る。主人として接していた少女がどこの誰とも分からない馬の骨だなんて知ったら、誰だって。
優陽は唇を噛みしめて、その時を待っていた。
しかし、どれだけ待っても。いつまで経っても。その時はやってこない。
よくよく耳をすませば、何やら疑わしい気配がする。
「……おい。本人は至って真面目だぞ。ラーストー」
「いや…………。絵面的におもしろいから、ついな……」
「…………」
「いてっ……。いや、わるい、お嬢……。でもよ……。わかった、わかったって…………」
口元を抑えてラーストーが肩を震わせる。
天羽優陽はいま出せるあらん限りの力で男の足を踏み続けた。




