22.馬鹿だって風邪はひく
ラーストーはエストロランド領のエストリンド家に仕えている騎士。なのだが、『シャレム・エストリンド』の記憶からしてもその振る舞いは騎士とはほど遠い。
彼は元々、彼女の父親が雇った傭兵だ。そしてその力量と性格を気に入った父は彼を直接雇用することにした。
彼の実力は強者であった父の折り紙つきと言うことになる。
「ご存命とは嬉しい限りだ、お嬢。将来有望な美貌がお母上と共に失われたのかと、涙を禁じ得ませんでしたよ……」
「忠臣とは?」
大げさに嘆息するラーストーへシャレムは首をひねる。
追っ手の気配もないため、彼は木陰でシャレムとスロースを下ろした。ラーストーが手近な太い枝を折って息を吹きかけると、雪で湿っているはずの生木に火がついた。そう言えばこの父のお気に入りは魔術が使えたはず。
生きた心地がしなかったシャレムはひとまず安堵のため息をつく。
どうやら味方と認識してもよさそうだ。
ガタイの良い隻眼の大男。長い髪は後ろでまとめられている。
ラーストーはこの軽口のおかげか比較的『シャレム・エストリンド』と親しくしていた。もっとも、箱入りお嬢様にとって彼は『下僕』以上でも以下でもない。距離感を間違えて不審に思われないよう気を付けねば。
松明の爆ぜる音にうめき声が混じる。我に返ったシャレムは横たえた男の顔をのぞき込む。
彼女からしてみれば、スロースは生きているのが不思議な状態だった。腕のやけどもひどいが、顔も赤くただれている。何やら髪の色まで見慣れた黒から鮮やかな紫色に変わっていた。まさかと思ったがやはりウィッグの類ではなさそうだ。彼は魔術を使えるらしいので、これも何かの魔術の影響なのだろうか。
疑問は尽きないがシャレムは背筋を伸ばしてお嬢様モードを再開する。
「ラーストー。あなたとの再会は私も喜ばしいこと。けれど、今はこの方を一刻もはやくお医者様に診ていただかねばならないのです」
「いくらお嬢が俺とは正反対なキラキラした優男が好みだからって、竜人を手籠めにするとはねぇ。旦那サマに似てきました?」
「おおよそ亡き主君の愛娘にかける言葉ではない……」
肩を竦めて見せる男の物言いに調子が狂う。この男は『シャレム・エストリンド』を助ける気があるのだろうか。
シャレムは頭を抱えた。
「私は真剣に話しているのです、ラーストー……」
「失敬、失敬。お嬢があかの他人にそこまで献身的になれるとは驚きで」
「…………」
にんまりと笑うラーストーは隻眼を細める。
それに関しては何も言うまい。彼の言う通り。『シャレム・エストリンド』であればこんなバカなことは決してしない。
……もしや中身が『シャレム・エストリンド』ではないとバレている?
シャレムが冷や汗を覚える一方、ラーストーは辺りを見回していた。
月が雲に隠れ、松明から少しでも離れれば一寸先も見えないだろう。身を隠すにも好都合だが、怪我人を運ぶのも難しい。
「心配はいらない、お嬢。ソイツはどう見ても竜の血を引いてる。レイ・ジールの火に巻かれたのにまだ生きてる理由なんてそのくらいだ」
「その……竜の血とは……?」
「やはりご存じでなかった? それでいてあんなムチャを? 奥サマが見てたら卒倒してるぜ」
「うぅっ…………」
ラーストーは笑いを押し殺すように屈みこんだ。
やはり状況的にはかなりヤバかったらしい。何せ神頼みどころかケテル・ミトロン頼みだ。
言い訳すら思いつかずごにょるシャレムへ彼は息をつく。
「ま。リュシオンの歴史なんてエストロランドじゃあ必要ないからな」
「大昔に、神様がわるい竜を人間と協力して滅ぼしたとはこの人……。スロース殿から聞いたけど……」
「その竜ってのは、どうやら一匹じゃなかったのさ。そしてリュシオンの神に協力した人間もいれば、竜に協力した人間もいる」
「それって……」
シャレムは苦虫を噛む。昔話は思っているより闇深いかもしれない。
膝に頬杖をつき、彼はうなされている男を横目に見た。
「見た目は俺たちと大差ない。が、竜の血を引く者はリュシオンでは人間としてでなく、総じて竜として扱われてる。リュシオン王国以外の人間からしてみりゃ、魔法が使える、むしろ貴重な人材なんですがね」
「スロース殿や先ほどの彼女は、私たちと何が違うのですか?」
「お嬢が見たまんまだぜ」
「?」
ラーストーはスロースを指さす。
首を傾げているシャレムに彼は続けた。
「アホみてぇに体が頑丈なのさ。その上、回復速度が尋常じゃねぇ。腹に穴が空いたらその場で塞がりだす」
「……スロース殿はそのおかげで生きている?」
「ああ。リュシオン王国の神、聖リュシオンから与えられた祝福、なんですと。特別な体に、特別な才能……。そのおかげでリュシオン王家に逆らえないって話しもあるけどな」
なるほど。怪我をした瞬間からすでに回復が始まっているから、これだけの火傷をおっても呼吸ができているのかもしれない。
にしたって、危険な状況に変わりはないだろう。
スロースの容態を眺めラーストーは顎をさする。
「それに、さっきも言った通り。竜の一族はリュシオンじゃ人間扱いされてない。そこらの医者に連れていっても門前払いだ」
「こんなに重症なのに……?」
「それがリュシオンじゃ普通なんだよ、お嬢。だから旦那サマはリュシオンと反りが合わなかった。どう考えたってこんな連中を使い捨てにしてるのはもったいないだろ?」
「よいせ」と。ラーストーは再び軽々とスロースの体を担いだ。
左手に松明を持ち、彼はシャレムを見下ろす。
「さてさて……。そういうこって、早いところ戻らねぇとコイツより先にお嬢が凍っちまう。もう少し頑張ってくれ」
「私はこれがあるので大丈夫です」
本当は休みたいところだが、そんなことを言っている余裕はない。スロースのローブを体に巻き付け、シャレムは足に力を入れた。素足でも歩けているのはやはりスロースのローブのおかげだろう。まじないは長く保たないと言われた。急がねばなるまい。
ラーストーは一歩先を歩き、その後ろをシャレムがなんとかついて行く。
雪をかき分けて進む足はすでに棒のようだ。今この場で横になったら起き上がれる自信はない。
夜の森は必死で足を前に進める彼女の耳元で不安をささやき続けた。
「見えてきたぜ、お嬢」
息を切らすシャレムの視界にぽつぽつと明かりの点が見えてきた。近づくとそれは砦だ。石造りのそれは見るからに古く、崩れている箇所も見受けられた。人影が火に照らし出されて壁に浮き上がる。
暗い森が不思議と明るくなった気がした。重かった足が急に軽くなる。
「ラーストーはお父様に言われて、ここでリュシオンの動きを見張っていたの?」
「実際はさっきお嬢を助けた辺りで拠点を構えていたんですけどねぇ。大将が不在じゃ、前線維持は難しいもんで……。緩衝地帯にいくつか拠点を設け直して監視が精々だった」
「5年も……?」
「エストロランドは実質フロストロンに吸収されちまった。俺と残ったヤツは意地でもそれを認めたくないか、リュシオン憎しで生きてる馬鹿だけさ」
にしたって、後ろ盾がなくなってなお、どうやって対抗していたのか。
シャレムは腕を組んで首を傾げる。
「じゃあ、さっきはどうして……」
「さっきはリュシオンの城下が騒がしいって聞いて、見回りに出たらたまたま居合わせたんだよ。不幸中の幸いってヤツ?」
「……申し訳ありません。苦労をかけました」
「お嬢が謝ることじゃない。俺たちが好きでやってたことだ」
思わず口をついたシャレムの謝罪をラーストーは笑って聞き流した。
「貯蓄も尽きて途方に暮れていたところに、救世主が現れまして。昨日の敵は今日の友、ってね」
ラーストーが見張り台に手振りで合図を送る。しばらくすると、目の前の小さな木戸が音を立てて開いた。
「遅いぞ、ラーストー! だから俺が行くと言ったのだ!」
「そー言わないで下さいよ。この通り、仕事はちゃんとしてきましたよ」
砦の中へ足を踏み入れたシャレムを迎えたのは、ラーストーを待ちかねていた人の壁だった。
その壁を割って現れた長身の人物は尊大な物言いで近づいてくる。
聞き覚えのある声に、シャレムは目を瞬く。
「誰かと思えば、相変わらずのじゃじゃ馬っぷりだな。シャレム・エストリンド嬢」
青みを帯びた髪が冷え込む冬の風に流れていく。
不遜な笑みを浮かべた男は呆気に取られるシャレムの前で腕を組んだ。
「やはり貴様は俺の妻となるべく定められているようだな。いい加減に観念したらどうだ」
「お、おぅ…………」
思わず素の声を漏らすシャレムの横で、スロースの苦々しいうめき声が聞こえてきたのは気のせいではなかったろう。




