02.目が覚めたら体が美少女になっていた⁈
冬が過ぎて、春がきた。
春が過ぎて、夏がきた。
夏が過ぎて、秋がきた。
秋が過ぎて、冬が戻ってきた。
「さすがに現実を受け止めなければならない」
天羽優陽、改めシャレム・エストリンドは枯れた木々に降り積もる雪を遠い目で眺めていた。
もはや自分は天羽優陽ではない。なぜって、あれから一年経ってしまった。精神が錯乱しただとか最悪の状況も考えたが、だとすれば世界観がやけにしっかりしている。
この『シャレム・エストリンド』と言う体の持ち主の記憶もさることながら、四季の移り変わりも絶賛体感中。周囲が『天羽優陽』の知らない言語を使っているので『シャレム・エストリンド』の記憶から引っ張りだして自力で読解が必要だったりする。これが錯乱した自分の想像した世界なのだとしたら、感心を通り越して恐怖を覚える。
ならば何故、こんな事態になっているのか。もちろん必死に思い出そうとはしている。休日、起床して買い物をするため、家を出た。……ところまでは覚えている。それより先が一向に思い出せず、燃えさかる屋敷で目覚めるまでの『天羽優陽』の記憶はない。
おかしすぎる。何もかもが。
焚火に折った小枝を投げ入れ、シャレムは情けない声を漏らした。
「私の、残りの大学生活が……」
両親に頼み込み、苦手科目に絶望を覚えながらも都内の大学受験をした。合格発表の日に緊張が解け、熱を出したのがはるか昔にさえ思えた。
ちょっと歩けばコンビニがある。配送を待たずともグッズが店頭で直接買える。オフイベにも無理なく行ける。
もちろん大変なこともあったが、新天地は毎日が輝いていたと言えよう。それが何故。ネット環境どころか電気すら通っていない世界でひもじい生活を送らねばならない。
「いくら美少女に生まれ変わったところでぇ……。生きていくだけで精一杯じゃ楽しむ余裕なんてないんですよぉ……」
今でも生きているのが不思議でしかたない。
それもこれも。屋敷で助けた無口な彼のおかげだ。彼は意識を失ったシャレムを屋敷から連れ出した後。この山奥へ逃れてきた。
どうしたものかと野宿の経験もなく頭を抱えていたシャレムだったが、彼には大した問題ではなかったらしい。
パチパチと焚火が爆ぜる音に混じって足音が近づいてきた。何かを引きずっているようだ。
シャレムが顔を上げると、焚火の横に巨大な獣の死がいが横たわる。
「し、シカ……?」
たじろぐシャレムの前には鹿。らしきもの。
鹿の角は4本だったろうか。角というよりこれは木の芽が生えている気がするのだが気のせいだろうか。
獣を担いできた彼はぶっきらぼうに答えた。
「保存食にする。角も売れる」
「保存食……? アイギスが作ってくれるの……?」
「お前、さばけないだろ」
おっしゃる通りで。
長い前髪の隙間から、灰色の瞳がじっとこちらを見つめている。
シャレムは縄で縛られた鹿の死がいに両手を合わせた。
「ありがたくただきます……」
「火を消せ。もどるぞ」
「はーい」
小さな焚火に雪を被せ、シャレムは雄鹿を引きずるアイギスの隣を歩く。
隣に並ぶとシャレムの頭は彼の肩にも届かない。出会った当初に負っていた腕の深い傷は痕が残ってしまったものの、生活に支障はないらしい。そんな大ケガをしてたのにここまで自分を運んできたのだから驚きである。その上、彼はくたびれた布を継ぎ合わせた上下一式を、季節に関係なくずっと着回していた。雪が降り積もった真冬で、シャツ1枚程度でうろうろしていて風邪どころかクシャミすら聞いたことがない。実に不思議だ。魔法でも使えるんだろうか。
雪道の上を雄鹿を引きずって難なく進む青年の顔を覗き込み、シャレムは首を傾げた。
「なんだ」
「アイギスの顔、どこかで見た覚えがあって……」
「またその話しか」
「もう少しで思い出せそうな……。そうでもないような……」
「俺はお前を知らない」
「そっか~……」
確かに彼ほど体格の良い知り合いがいれば忘れることもないだろう。あの時は死にかけていて気にかける余裕もなかったが、よく見ると端正な顔立ちである。
せっかくなので伸び放題になっている髪を切ったらどうかと提案したら嫌がられた。
彼が素直に受け取ってくれたのは名前くらいだろう。名前を聞いたところ「何でもいい」との返答があったので、ただ無頓着なだけかもしれない。
屋敷を焼かれた理由が理由なもので、シャレムはヘタに町へも出られない。アイギスも怪我を負っていながら人のいる町でなく山奥を選んだということは、そういうことなのだと理解していた。
そんなこんなで捨てられた山小屋を2人でどうにかリフォームして細々と暮らしている。
シャレムは両手を擦り、体をアイギスへと寄せた。
「今年も寒いなぁ……」
「くっつくな」
「あったかいお家に住める日がくると良いね……」
チラリと町の様子を覗きに行ったこともある。ワンチャン、狩猟生活を脱する方法があるのではないかと。だが、そもそもこの世界がこれまで天羽優陽が生きてきた法治国家と同様のルールで治められているとは限らなかった。
ピタリとアイギスが足を止める。シャレムも足を止めた。
視線の先にはボロボロの我が家。昔は人が住んでいたらしいが、今は隙間風が絶えない。そんなボロ家を取り囲む治安の悪そうな集団。とうにガタがきている扉は今にも蹴破られようとしていた。
シャレムは遠い目をする。
こんな人気のない場所にある家は正にカモがネギだろう。これが初めてではない。
隣から舌打ちが聞こえてきた。縮こまるシャレムと死んだ鹿を置き、アイギスは腰に差していた錆びたナタを手にした。
「くわばらくわばら……」
シカの陰にうずくまり、シャレムは怒声と悲鳴が収まるのを待つ。
彼がいなかったら自分はとっくに死んでいたろう。何せこのお嬢様の記憶は綺麗なお屋敷で蝶よ花よと愛でられ、入れ替わった中身は中身で休日はゲーム画面の前で一喜一憂している引きこもりだ。
「ゴミを引き渡してくる。中で待っていろ」
「ありがとうございます……」
この世は諸行無常。弱肉強食。ぱわー・いず・じゃすてぃす。
アイギスは手を差し出す。立ち上がった彼女は代わりにくたびれた布切れを引っ張り出した。一年の間に端々はすっかりほつれ、刺繡の色は抜けている。そんな思い出の品と化した布切れで濡れた顔を拭うと、彼は決まって仏頂面になる。
「なんでいつもそんなイヤそうな顔するの?」
「……オレはガキじゃない」
「1人じゃ体も洗えないのに」
「洗える」
口を出されるまでやらないのでは「1人でできる」とは言いません。
狩猟用の罠を作ったり、家の板張りを直したり、色々と器用な彼だがその一点で困っているシャレムだった。
アイギスは鹿の死がいをしばっていた縄をほどき、賊の残党をまとめて拘束する。口々にうめく大きな荷物を引きずり、彼はひとり町へと向かった。
運が良ければ報奨金で調味料が買えるかもしれない。味のない食事にも慣れはしたが、しんどいことに変わりはない。
そんな淡い期待を抱いてシャレムは寒くて暗い我が家で薄い羽織りを体に巻き付け、彼の帰りを待つ。
電灯のない世界の夜空はいつも星がきれいだ。特にさえぎるものが少ない冬は。なんかやけに大きい星があるな、とか。明らかに鳥じゃない影が横切ったな、とかは置いといて。
時おり扉の隙間から彼の姿を待ちながら、彼女は夕暮れと夜の狭間を眺めていた。