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16.三度目の冬

 シャレムは思わずうめいた。

 冬の寒空を馬が足早に進む。

 寒い。鼻水とまらない。冷たい。おしり痛い。寒い。寒すぎ。死んじゃう。


「あなたは少し黙っていられないんですか?」

「いくら何でも、こんな薄着で真冬に、馬乗ったら誰だってこうなりません……?」


 真上からスロースの悪態が聞こえてきたがそれどころじゃない。

 がちがちと歯を鳴らして、シャレムはできる限り布を体に巻き付ける。北風がローブと室内着を貫通して、脂肪のない体にダイレクトアタック。

 馬へ乗る前に履かされたブーツの間からすきま風が入ってきて指先とかもう感覚がない。せめて靴下はかせて欲しかった。

 鼻水をすするシャレムの体を片腕で引き寄せ、スロースは手綱を操る。

 辺りは見たこともない景色だった。道は全て石畳で舗装され、両脇に屋敷が立ち並んでいる。すでに日も暮れ始めているのに、人の往来が絶えない。その中央にそびえる巨大な城は煌々と照らされていた。この距離でも分かるほど、夢の国のお城もびっくりの大きさである。

 『シャレム・エストリンド』が生まれたエストロランド領とは大違いだ。もちろん、天羽優陽(あまばゆうひ)もフィクションでしか見たことがない。


「あそこにいたら、あなたはとっくに死んでますよ」

「わかってまずけど……」


 馬は徐々に遠ざかっているはずだが、城の大きさはなかなか変わらない。人を避け、通りの脇を進む馬の息は白い。

 同じく白い息を吐いてシャレムは縮こまる。


「私、何から逃げてるんですか……」

「女王様がついに得体の知れないあなたの存在にお気づきになられたようです」

「それって……」

「ケテル・ミトロンの母親。リュシオン王国の女王。王国の行く末を決める預言者。そして王国の繁栄に影を落とすあなたを追いかける死神ですよ」


 死神。実にわかりやすい表現だ。捕まったら二度目の人生も終わりを迎える。

 すれ違いざまに視線を感じて顔を伏せた。スロースはともかく、シーツのオバケのような自分はあからさまに怪しいのではないだろうか。


「……ところで王国の繁栄に影を落とす私、とか言うお話し聞いてないです」

「預言者から見た『シャレム・エストリンド』は異物以外の何物でもない。排除に動くのは当然です。もっとも、まだあなたが『アマバ・ユーヒ』であることは知られてはいないようです」


 聞き流すには無理がある言い様にシャレムは真顔になった。

 次期国王様と女王様からは『救済者』と呼ばれ、一方の現女王様からは全く真逆の存在とされている。どういうことだ。

 スロースは声を潜める。


「ケテル・ミトロンは滅びの運命を定められた国を救うために動いている。そしてよりもよって、その救世主があなただと言う」

「らしいですね。私、殺されましたけど」

「では、そもそも『最初のあなた』はどのように死んだのか。そこからどのようにこの国が滅びへ向かうのか」

「……そういえば聞いてませんでした」


 これ以上、自分が死ぬ話なんて聞きたくもないYO!

 しかし耳を塞ぐ訳にもいかず、シャレムは雑踏と蹄の音に混じるスロースの声に耳を澄ませた。

 スロースは前を見据えたまま淡々と続ける。

 

「今や王国を脅かす可能性があるのは、フロスト家とエストリンド家。そのフロスト家の当主は病で亡くなり、間を置かず、エストリンド家は怒りに燃える民によって裁かれた。都合が良すぎるとは思いませんか」

「でも、お父様の行いはああなっても仕方ないものだったでしょう?」

「それはあなたの主観でしょう? アマバ・ユーヒ殿」


 馬の足が少し早くなる。

 スロースは軽く鼻で笑った。

 

「私個人はエストロランド公を評価していました。特に奥方との婚姻は領内に交易による富をもたらした。百点満点とは言い難いですがリュシオンが一強となりつつあった中で、対抗し得るだけの国力を伸ばした功績は大きい」

「その割りには山奥におっかない人たちいっぱいいましたけども……」

「そうでしょうとも。エストリンド家が滅びたということは、エストリンド家が優遇していた商家や農家の収入源が断たれるということ。収入が断たれるということは、人を養う余裕がなくなるということ」

「ん……?」

「エストリンド家は贅を尽くしていた。しかしそれが等しく、民が困窮すことに繋がるとは限りません。貧富の差はあれど、平野が広がっていたエストロランド領へ村や畑が急激に増えたのは明らかにここ最近のこと。加えて、エストロランドの税率はこの辺りではマシな方です。あなたが山奥でその日暮らしをしている間にフロスト家が税率を上げて、領民の反発を受けたくらいですよ」

「そうだったの?」

「それでもエストロランドの民は、フロスト家を受け入れました。リュシオンの侵攻を受けて、住処を奪われるよりはよほどマシですからね」


 なんかそうなると、話し変わってくるよね?

 って言うか、もしかして居候中も分かっていて黙ってたんですか?

 言葉を詰まらせるシャレムにスロースは問いをかける。


「『シャレム・エストリンド』が領内の様子をじっくり見たことは?」

「……ほとんどないです」

「『シャレム・エストリンド』の父が暴君であると言い切れる証拠は?」

「……ない、です」

「では、エストリンド家を襲撃し、その血筋を根絶やしにしようとした人間が、エストロランドの領民であるという確証は?」

「……ないです」


 言われてみれば、確かに。

 シャレムは寒さも忘れて炎に包まれる屋敷での出来事を思い起こす。

 屋敷では人が死んでいた。両親と、使用人たち。警備の兵。死体はすべて『見覚えのある人間』だった。

 屋敷の中には抵抗の跡があった。でも、高値で売れそうな廊下の装飾品も、食器も、服も。荒らされた痕跡に覚えはない。全てが燃えていた。

 あそこにいたのは、使用人たちのおかげでどうにか生きながらえた自分と、倒れていたアイギス。そして彼と自分を殺しに来た、真っ黒な男。

 『シャレム・エストリンド』の記憶を見て。街で耳に挟んだ噂話を聞いて。『天羽優陽』の主観によって。それらの出来事は領民の怒りだと思い込んでいた。

 

「同様にエストリンド家を滅ぼされた『最初のあなた』も何らかの要因で気付いたのでしょう。エストリンド家の惨劇は仕組まれたものだと」


 スロースがメガネを直すために腕を離したので、シャレムは慌てて鞍に掴まった。かじかんだ指先は固い鞍の感触も分からない。


「フロスト家に落ち延びた『最初のあなた』はクリード様と婚姻を結ぶと、再び表舞台に立ち、エストロランド領を追われ各地をさまよっていた兵たちに檄をとばした。それは祖国を奪われた他国の兵たちにも伝わり、フロスト家の元には想定以上の戦力が集まる」

「ん……? 婚姻を、結ぶ……?」

「『シャレム・エストリンド』を妻に迎えたクリード・フロストはそれらの兵を率い、リュシオン王国を非常に苦しめる。国の衰退を招くほどの。この未来を阻止すべく女王はあなたの命を狙う。これらがこの先、起こりうる出来事。ケテル・ミトロンが出会った『最初のあなた』、だそうですよ」

「…………」


 ヨシ。まて。いったん落ち着こう。

 シャレムは膨大な情報量をまとめるために目を閉じた。

 シャレム・エストリンドである天羽優陽がこの先たどる人生は――。

 一、リュシオン王国に親を殺されたと気付く。

 二、クリード・フロストに嫁ぐ。

 三、エストリンド家に縁がある人間を集める。

 四、兵を率いたクリードが善戦し、リュシオン王国を苦しめる。

 五、それらを阻止するために王国の女王に追われる。


「……クリード様と、結婚するの?!」

「あなたの感性は恐ろしいですね」


 そんな冷めた目で見られても聞きたくもないネタバレ食らってこちらは頭がおかしくなりそうです。

 わなわなと寒さとは別の理由で震えるシャレムにスロースは嘆息した。


「ケテルの言葉を全て鵜呑みにする気はありません……。が、フロスト家を追い出され足跡を消していた私をわざわざお迎えに来られましたからね。クリード様すら知らない私の経歴も全てご存じです。ある程度は真実でしょう」

「でも私、クリード様と結婚したいと思ってもコレじゃあムリですよ?」

「問題はそこです」


 スロースは馬の腹を蹴った。蹄の音はさらに間隔が狭くなる。

 見上げたスロースはメガネの奥で眉を潜めていた。

 

「真にケテル・ミトロンが世間で噂通りの神童……。いえ、それ以上であったとして……。私がこれまでに聞いたケテルの話しは現状と辻褄が合わない。何より、ケテルがこの状況を見てきているのなら、あなたの命が危険に晒されているのはおかしい」

「それもそうですね」


 以前にも同じことがあったなら、とっとと別の場所へ移していたろう。でなければ非力な『シャレム・エストリンド』がまた死ぬ。

 険しいスロースの表情にシャレムは相槌をうつ。


「考えられる原因はいくつかあります。この状況が回避不可能な事象なのか。ケテルに何らかの思惑があるのか。もしくは……」

「もしくは?」


 蹄は軽やかに石畳を駆ける。周囲の人波がどよめき、慌てて道を譲った。

 スロースの腕が自分を強く引き寄せる。速度を上げ駆け出した馬が向かう先には黒い塊が道を塞いでいた。

 目を凝らすと、それは黒い装束をまとった人間の集団だった。シャレムには見覚えがある。

 何せ、以前も自分を殺そうとした男が同じ格好をしていた。

 思わず息を呑む。

 馬は止まらない。向こうも退く様子はない。

 むしろ、鋭利な槍や剣の切っ先をこちらに向けて待ち構えている。

 汗の浮かぶ手でスロースの腕に掴まった。

 凍えるような風が吹き抜け、巻き上げられた雪はシャレムの行く先を阻むように視界を白く染めた。

 これ、死ぬのでは?

 シャレムはやけに長く感じる時間の中でそう思った。このままでは馬ごと自分もスロースも串刺しだ。


「まったく……。割に合わない仕事ですね」


 そんな彼女の心配は呆気なく杞憂となった。

 スロースがどこからともなく細身のナイフを取り出し、それを待ち構える黒い集団へ向かって投げた。

 ナイフはシャレムが思っていたよりも手前に落ちて石畳の間へとつき刺さる。

 しがみつく彼女が首を傾げる間に、ナイフを起点として積もった白い雪の様子が変貌していく。

 冬の雪化粧は赤く赤く、みるみるとその色を変えた。

 シャレムはアイギスと冬の森へ狩りに行った時のことを思い出す。彼は錆びたナタやナイフで器用に獲物を仕留める。頭や首、胸部。彼が急所を切り裂くと、辺りはこんな感じだった。


「あなたは見なくて結構」

「うわぁっ……?!」


 スロースがローブでシャレムの目元を覆う。怖い。言ってることも怖いが、何も見えない中でも馬は速度を上げていく。

 我ながら間抜けな声をあげて戸惑う彼女の耳には阿鼻叫喚の様相が音声だけでお送りされていた。

 馬の速度は変わらずに走り続けている。対して悲鳴が爆速で遠ざかっているということは彼らがスロースに道を譲ったのだろう。何があったのかは知らないが。


「無駄に騒がれたので少し遠回りをします」

「もうムリ死んじゃう……! 寒いんです……! 凍え死にます……!!」


 窮地を脱したとは言い難い。目隠しがなくなると大通りを抜けていた。駆けるには狭いであろう路地を馬は速度を落としつつ縫っていく。

 必死の形相で訴えるシャレムに、彼はクソデカため息をついた。


「安心して下さい。追いつかれた以上、この先を馬で進めばいずれ捕まるのがオチです。壁をひとつ抜けましたし、目的地までは徒歩で向かいます」

「徒歩?! もう足の感覚ないのに?!」

「あなた充分に元気でしょう」


 それが歯を鳴らして鼻水垂らして震える病み上がりの美少女にかける言葉か!

 彼の馬は路地裏で足を止めた。スロースは馬から降りるとたてがみに積もった雪を軽く払う。


「あなたは戻って下さい。国境を越えた先で合流しましょう」


 馬は応えるように彼の手へ頭を擦りつける。シャレムがスロースに抱えられると、蹄はぱかぱかと明るい路地の出口へ向かい穏やかに遠ざかっていった。


「動物には優しいインテリヤクザ属性」

「あなたの世界の言葉は分かりませんが褒め言葉でないことは分かります」

「ほめてますほめてます」


 スロースが冷ややかにこちらを見下ろしたのでシャレムは顔をそらした。

 自身も深くローブを被り直し、スロースはシャレムを抱えて再び歩き出す。

 巨大な城はだいぶ小さくなっていた。辺りの家も最初に見た屋敷と比べ、一軒一軒がこじんまりとしている。景色が見えていなかった間に中心部からだいぶ離れたのかもしれない。


「少しは温かくなりますよ」


 そう言ってスロースは民家の間にひかれている水路におりた。幅はシャレムが両腕を広げたくらいだ。そんなに大きくはない。突き当りには鉄格子のはめ込まれた穴があり、そこからチョロチョロと水が流れてきている。

 彼は壁にはめ込まれた鉄格子を蹴る。1、2、3、と。格子は小気味よく外れた。


「……ここ入るんですか?」

「ええ。さすがに下水路まで見回る兵はいませんからね」

「下水……」

 

 つい単語を反復する。

 この世界がどんなインフラを備えているのか知らないが印象は良くない。

 シャレムは目の前の真っ暗な暗闇と、雪の止まない灰色の寒空を交互に見た。


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