15.死亡フラグが追ってくる
口を開けば皮肉を添えるスロースに対し、サヘルは献身的にシャレムの世話をしてくれる。
シャレムには時間の感覚がとっくにない。サヘルの様子からして、一日一回は着替えを持ってきているのではないかと推測するのがやっとだ。
この部屋で目覚めた時に比べ、サヘルから受け取る服はだいぶ厚手になってきている。
「外の情勢がお知りになりたいと?」
だいぶ伸びたシャレムの髪は、腰を過ぎて少し屈んだだけで床についてしまいそうだ。そんな長い銀色の髪をサヘルは毎日時間をかけて櫛で丁寧に梳いてくれた。
シャレムが鏡ごしにサヘルを見ると、彼女は少しためらった様子だったが再びその手を動かし始める。
「一言で申しますと、戦の一歩手前。と言った所でしょうか……」
「5年の間に?」
「5年前の時点では硬直状態だったのです。リュシオン王国は周囲の領地を戦で勝ち取り続けてきたために、もはや周辺は敵ばかり……。そしてリュシオン王国に敵対する諸侯をまとめていたのが、隣国エストロランド領のエストリンド家と、フロストロン領のフロスト家です」
フロスト家。以前、世話になったクリード・フロストは現当主の義弟だという。
そしてエストリンド家は言わずもがな。自身がその家名を受け継ぐ最後の1人であった。
サヘルの櫛と指が優しくシャレムの髪を撫でていく。
「シャレム様のお父上は特に、お母様たちを悩ませておいででした」
「未来が見えるのに?」
「見えると言っても、ずっと先の未来まで見ることはできません。お母様のお話しでは、シャレム様のお父上に勝る武勇、知略をもつ者はそういらっしゃらない、と。エストリンド家を下すのであれば、国王様のご出陣が必要となるとのことでした。ですが、国王様が国を出れば、そのような好機をフロスト家が見逃すはずありません。エストロランドとフロストロンの攻略が進まなかったのはそのためです」
「はぁ……。なるほど……」
シャレムの口は申し訳ない生返事を返していた。対してサヘルは憂いた表情でシャレムの髪先を見つめている。
「しかし、フロスト家の当主が病にて亡くなり、次いでエストリンド家もあのような惨事に……。フロスト家は順当に継嗣が当主を継ぎ、エストロランド領を吸収し大きくはなりましたが、リュシオン王国に勝るほどではありません」
「……もしかして結構マズい事態だった?」
「リュシオンが攻め入るまでもないかもしれません。フロスト家ご当主の判断次第、ですが……」
シャレムもぼんやりと周辺の国の大きさは覚えていたが、リュシオン王国に並ぶほどの大国はなかったろう。だからエストリンド家やフロスト家は周辺諸侯と手を組み対抗していた。それが瓦解してしまった今、この国の侵攻を止める術はない。
「スロース殿からお話は伺っております。フロスト家がご心配ですか?」
「クリード様のお世話になっていたことには違いないから……」
リボンでシャレムの髪をまとめ、サヘルは鏡越しにこちらを見た。礼を言って振り返ったシャレムはゆっくりと立ち上がる。
走れるほどの体力はないが、部屋を歩き回るくらいはできるようになった。鏡に映る自分の顔色もだいぶ人間味を取り戻している。
「アイギスもどっか行っちゃったみたいだし……」
スロースによれば、シャレムがケテルに連れ去られた後。彼はしばしシャレムと2人で借りていたあの小屋で過ごしていたらしい。が、ある日ぱったり姿を見なくなったそうだ。
シャレムがいなくなってはクリードの元に居続けるのは難しいと考えたのか。単純にこれ以上いる意味はないと思ったのか。どちらにせよ、彼はフロスト家の世話になる必要はないと判断したようだ。
自然とシャレムの肩は落ちる。
「アイギスなら一人でも全然生きていけるだろうからさ……。心配とかはあんまりしてないんだけど、やっぱりちょっと……。さみしいです……」
「ご友人と離ればなれになるのは、辛いことですね……」
「友だちって、思ってくれてたら嬉しいけどなぁ……」
言っててめちゃくちゃ悲しくなった。野良でマルチに入ったら自分以外がパーティだった時のあの何とも言えない感じに近い。
むしろ何故、彼はこんな右も左も分かっていない小娘の野宿生活に付き合ってくれていたのか不思議なくらいだ。9割方、世話になっていたのはこちらである。そもそも彼はたぶん――。
「サヘル様。よろしいですか」
戸がノックされてシャレムは顔を上げた。やや硬いスロースの声にサヘルはいそいそと扉に歩み寄る。
聞き耳を立ててみたがさすがに扉一枚挟んでいては聞こえない。
手持ちぶさたに前髪を整えていると、サヘルは長い裾を持ち上げてシャレムに駆け寄った。
なんとなく嫌な予感がする。
「申し訳ございません、ユーヒ様。急ぎここを発たねばなりません」
「ドウシテ……」
そんなことだろうとは思った。
サヘルの険しい表情を見上げ、シャレムは髪をいじる手を止めた。視線を足元にやると健康的とは言い難い素足が目に入る。
「まだうまく歩ける自信がないんですが……」
「スロース殿が抱えて下さいます。必要なものは後々、私がお持ち致しますので……」
「サヘルは一緒じゃないんだ……」
部屋をぐるぐる歩いてリハビリはしてきたが、走るのはまずムリだ。彼女と別れるとなれば着替えに困るし、何より同性の話し相手が出来て嬉しくないと言えば嘘になる。
渋るシャレムの前へやって来たスロースがため息をつく。目深にローブを被った彼はうさん臭いの一言につきた。
「残念ながら悠長にしてる時間はありませんよ。死にたくなかったら大人しく黙ってついてきて下さい」
「あ。私、また死にそうなんです?」
ハズレくじを引いたに違いない。フツーは転生した先でめちゃくちゃ無双したりとか、すごいイケメンに可愛がられたりするものではないのか。今だって問答無用でスロースに抱きあげられているが、現状を踏まえるとコレは介護である。
「そのようなお顔をされないで下さいませ。ケテルの言う通りならばすぐにお会いできるはずです」
「サヘルは優しいね……」
半泣きになっていたシャレムを見兼ね、サヘルが手を握ってくれた。そんな彼女も自分を殺した男の許嫁なのだから複雑な心境である。
視界が暗くなった。スロースに上から布をかけられたらしい。
サヘルの手が離れていき、後ろで扉が閉まる音がする。シャレムは目覚めてから初めてこの部屋を出た。
「いいですか。絶対に、変な気を起こさないで下さいよ」
「そんな言い方しなくても……」
「あなたが死んだら私も死ぬんです」
「何故に?」
厚地の布越しに見る部屋の外はほとんど様子が分からない。スロースの足音などからしても全体が石造りの建物だと思われた。固い靴音が狭い間隔で響いている。松明なのか、燭台なのか。明かりが彼女の頭上を横切っていく。
「ケテル・ミトロンがまともな人間でないことは、あなたが一番よくご存知のはずですが?」
「……死なないように頑張りますね」
悲しきかな。スロースは皮肉や冗談でなく至って真面目な話しをしていた。
足早に石の廊下を走るスロースの腕の中で、シャレムは大人しく身を小さくしていた。しばらくしてスロースが足を止めたかと思うと、そっと扉を開く気配がする。古い木戸は軋みながらゆっくりとシャレムの世界を明るくしていった。
骨まで伝う冷たい空気が布越しでもシャレムの素足を包む。指で少し頭を隠す布をずらすと、灰色の空から小さな白い結晶がゆっくりと彼女の元へ落ちてきた。




