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01.へるぷみー!

※この作品には暴力・流血描写が含まれます。

 喉が痛い。次から次へと吹き出す汗が気持ち悪い。まるで火に焼かれているようだ。

 寝ぼけて暖房でもつけたのだろうか。空調のリモコンを枕元に置いた記憶はないし、何やら不穏な音も聞こえてくる。

 うなされながら重い瞼を開くと、目の前で火花がはぜた。

 ……本当に焼かれてるんだが??

 それも声にはならない。精一杯のうめき声を漏らし、体を起こした。

 辺りを見回すとそこは火の海。立派な西洋建築が燃え崩れていく。

 天井に備えられた巨大な明かり取りの窓はすでに割れている。おかげで煙が充満せずにすんでいるらしかった。

 何が何だか分からないがとにかく火の手はそこまで迫っている。

 四つん這いで床を這っていくと、人が倒れていた。

 慌てて近寄り、その体をゆする。


「ねぇ……。返事をして……。おかあさま…………?」


 見開かれたままの女の目に生気はない。

 そう言えば、この屋敷は何者かに襲われたのだった。自分は使用人たちに抱えられ、難とかその場を逃げ出した。

 うんうんうん……。

 いやいやいや……?

 大きく頭を振った天羽優陽(あまばゆうひ)はこんな豪奢な屋敷とは無縁のパンピー。必死で勉学に励み、無事に大学から合格の二文字をいただき上京しそろそろ2年目。何故こんな命の危機に晒され、見知らぬ女性を母と認識したのか。母なら平屋の実家で父とよぼよぼの老犬とまったり暮らしているはず。『シャレム・エストリンド』なんて雅なお名前ではありませんことよ。

 しかし、目から涙が止まらない。訳が分からないがとりあえず目元を拭い、嗚咽を漏らしながら母らしいその人に別れを告げた。

 火の手は増すばかりで、じわりじわりと迫っている。姿勢をなるだけ低くして裏口へと向かった。一人で外には出るなと、最期に父らしき人が言っていた気がする。が、このままでは焼け死ぬか窒息する。

 不思議と見覚えのある建物内には、母以外にも人だったものがあった。みな、血の海にうつ伏せで倒れている。

 まずい。頭がくらくらする。吐きそう。しぬ。夢の中なのに?

 優陽はよろめき、つまづきながらもようやく勝手口へとたどり着いた。厨房らしき空間にまだ火は見えない。

 扉に駆け寄ろうとした彼女の耳へ、不意に自分以外のうめき声が届いた。

 気のせいかと思いたかったが、どうにも幻聴ではない。声のする方向、別の部屋へ繋がる扉に近寄り、優陽はおそるおそる隙間から室内を覗く。

 煙が迫る室内。床に倒れている青年が一人。遠目から見ても全身が血まみれ。生きているのが不思議でならない。


「だ、大丈夫ですか……?!」


 どう見ても大丈夫ではない。

 分かっていながらも慌てた優陽は彼へ駆け寄った。

 隣に膝をつき、何度も声をかける。青年からは浅い呼吸が辛うじて聞こえる。

 すぐそこに出口があるとは言え、自分に運び出せるだろうか。何故なら、青年の腕を肩にかけようとするも持ち上がらない。と、いうか。今さらだが。視点がやけに、低い気が……?

 それもそのはず。割れた窓を横切ると、そこには白銀の髪を三つ編みに結わいた美少女がいた。

 どなたでいらっしゃる??

 鏡の向こう側で美少女がこちらへ問いかける。答えは間違えようがなさそうだ。


「ふんぬぬぬっ……!!」


 天羽優陽、改めシャレム・エストリンドは歯を食い縛り、青年の体を燃え盛る屋敷の外へと引きずり出した。

 重い。すぐに息があがる。この美少女の記憶は10歳の誕生日を迎えたばかりらしい。長身の、体格の良い男性を箱入り娘が動かすのは一苦労であった。

 現在進行形で燃え盛る彼女の生家らしい屋敷は宮殿と呼ぶのがしっくりくる。勝手口から彼を引きずり出して、難とかたどり着いた先は広大な庭の隅に建てられた納屋。

 今はちょうど冬の植え替えの時季。花壇の花もまだ目を出しておらず、すぐに火の手が回ることはない。はずだ。


「さ、寒い……」

 

 そう。今は冬。熱風の中から脱出した汗だくの体を、北風が芯から冷やしていく。

 まずいまずいまずい。

 最悪の事態が脳裏をよぎり、シャレムは急いで納屋の扉を閉めた。辺りを見回し、重ねてあった干し草の上まで青年を引きずっていく。

 納屋は一軒家と言われても違和感ない広さだった。隙間風がちょっと気になる程度の。

 袖で汗を拭い、シャレムはふらふらと青年のかたわらに腰を抜かした。

 

「え? ゲームしながら寝落ちした……? ホラゲの実況みてたせい……?」


 こんな生々しい夢は生まれて始めてだ。せっかく美少女になった夢ならもっとこう、他の美少女とかわいいお洋服を着せ合ったりだとかしたかった。残念ながら、この悪夢にそんな暇はない。

 風向きが変わり、いつここへ火の手が迫るかも分からないし、悠長にしているとおそらく彼は死ぬ。

 シャレムは心を痛めながら、刺繍の美しいドレスの裾を引っ張る。当然、華奢な指で引き裂けるわけもなく、四苦八苦した結果、壁にかかっていた剪定用のハサミらしき物にひっかけた。

 布切れに変貌してしまったドレスの裾で青年の額に浮かぶ汗を拭う。彼がうっすらと目を開いたので、シャレムは声をかけた。

 救急車を呼ぶ時の流れみたいなのをだいぶ前に習った気がする。もはや何年前だろうか。


「もしもし……? 聞こえていますか……? どこか痛い所はありますか……?」

「ぅ……」

「う……?」

「うるさい……」


 青年は返事をした。

 内容はともかく胸を撫で下ろし、シャレムは彼の汗と汚れを拭い取った。傷口へ触れる度に悪態が聞こえてくるので思ったより元気なのかもしれない。

 ぱっくり割かれた腕の傷痕を直視してしまい、堪らず目を背ける。


「うぅ……つら……」


 健康診断の採血ですらあさっての方向を見ているのに。けれどそうも言っていられない。

 三つ編みを結っていた手触りの良いリボンを解いて、ぐるぐると巻き付ける。少しきつめに結び目を作ると、滴る血の勢いは心なしか落ち着いた。気休め程度にしかならないだろうが、やらないよりかはマシのはず。

 青年の顔を覗き込むと、彼は怪訝そうにこちらを見上げていた。


「す、すいません……。きつく結び過ぎました……?」


 素人の応急処置では逆効果か。だからと言って通報する手段は無い。そもそもこの世界に救急車は存在しないと思われる。


「なぜ……?」

「え?」

「なぜここまで運んだ……?」

「あのままじゃ死んじゃってましたよ……?」

「ヘタをすればお前も死んでいた……。バカなのか……?」


 ばか? バカって言ったな?

 シャレムは咳払いをして喉元まで競り上がっていた言葉を呑み込んだ。


「いくら夢の中でも人に死なれたら寝覚めが悪いです。死なないで下さい」


 もう屋敷の人間は1人も生きてはいないだろうと。少女の記憶が告げていた。じわじわと涙が滲んでくる。困ったものだ。人生ハードモードはゲームの中だけで十分である。シャレムはヤケ気味に腕で涙をぬぐった。

 青年はますます納得がいかないようで、まるでこの世のものではないモノを見る様な目でこちらを見上げてくる。彼の言う通り命がけで助けたのにそれこそ何故だ。

 まばたきもせずにじっと、見つめる青年の目。

 気まずい。実に気まずい。こんなことをしている時間などないのでは?

 歩けるか問おうと口を開きかける。そこへ板張りが軋む鈍い音と木片が吹き飛んできて、シャレムの口角は引きつった。

 冷たい風がどっと押し寄せる。

 頭からつま先まで真っ黒な身なりをした男が1人。扉を蹴破って現れた。

 男は呆気に取られているシャレムの前にやって来たかと思うと、彼女の銀色の長い髪を掴んだ。我に返ったシャレムがもがくも、男の腕はびくともしない。


「まだ始末していなかったのか」

「?!」


 気付いた時には地面が間近に迫っていて、世界が歪んだ。頭蓋骨の中で脳みそが揺れている。

 男が何かしゃべっているのは聞こえたが、聞き取れはしない。

 今度は脇腹に鈍い衝撃がやってきて、物理的に中身が競り上がってきた。それでもまだ目覚めない。

 いい加減にしてほしい。そろそろ腹が立ってきた。

 ぼやけた天井と、革靴の底が見える。それはまっすぐにこちらへ下ろされようとしていた。シャレムは目を閉ざす。

 さすがに死んだら目も覚めるはず。はやくお布団の中に戻りたい。

 靴底が迫るのを待っていた。しかし目覚めるどころか、消えていた音が悲鳴と共に戻ってくる。

 獣が唸るような声。激しくもみ合う音。それもすぐに止んだ。

 顔にとんできた生温いものを重い腕で拭う。目を開けると、真っ黒な男の姿はない。まだ繋がっている首を横にやる。黒い男はそこへうつ伏せで倒れていた。血だまりがゆっくりとこちらに迫ってくる。

 男の代わりに立っていたのは、ここまで引きずってきた青年だった。荒い息を繰り返し、灰色の瞳はまたじっとこちらを見つめている。

 やはり思っていたより元気だったのではなかろうか。

 シャレムは大きく息をつく。

 これで後味の悪い目覚めは回避したし、もう限界だ。起きよう。天羽優陽はベッドの上で目を覚まして、いつも通りスマホを覗いて、きっと朝の貴重な時間を無駄にする。

 そんな彼女の予想とは裏腹、冷たい手が彼女の体を持ち上げた。痛みに声をもらす彼女の体を背中に担ぎ、寒空の下へと歩き出す。

 おかしい。一向に目覚める気配が無い。

 一歩一歩の足取りを背中越しに感じる中、意識が落ちてくる。これは眠気だ。夢の中でさらに眠気がくるとはどういうことだ。そこはかとなく不安になったが、すでにまぶたは自力で持ち上げることができない。

 彼女が最後に見たものは、炎に煌々と照らされる屋敷を囲う雪景色だった。


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