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2メギドライトの創傷  作者: 深山 観月
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8話

 ミトログラフ様との戦闘を撤退し、本部に戻ってきた私たちは誰もが口を固く結んだまま、黙り込んでいた。バックガムは元々自身が有していた驚異的な治癒力で斬り裂かれた傷はもう治っていたけれど、心に負った傷まで癒やすことはできないようだ。


「ミトログラフ様、一体私たちはどうすればいいのですか……?」


 ぽつりと呟いた私のその一言で二人の表情がより一層曇る。


「もう、あの裏切り者には縋るな……」


 口を開いたのはバックガムだった。


「私にはミトログラフ様が私たちを裏切るとは到底思えない。きっと、そう振る舞わないといけない理由があるんだよ。私たちに敵だと思わせないといけない、そんな理由が」

「妹のナルヴィアがこちら側を殺している状況でどうやってそれを信じろと?」

「ナルヴィアは敵だって殺していたんでしょ? きっと何か予想外のことが起きたんだ。その後、彼女自身の反応だって消失しているし。そうだよ。だって、そうじゃなきゃおかしい。そもそも、ナルヴィアにそんな大量に殺せる力なんてないはずでしょ?」

「希望的観測なんてどうでもいい、事実だけに目を向けろ。ナルヴィアは味方を殺した。この時点でナルヴィアは敵だ。ミトログラフについては明確に上から裏切り者だとお達しが来ている」

「じゃあ、きっとその情報が間違っているんだよ。仲間からも、上からの情報も」

「やめろ」

「天界が混乱しているのに、我らが主はその姿すら見せてくれない。そうしてくれれば少しは私たちも安心するのに。もしかして、我らが主は実はもう──」

「アスタリア!!」


 胸元の襟を掴まれる。


「だったら何だ。俺たちのやることは何も変わらないだろうが」

「わかんないよ。もう何もわかんないんだよ……」


 バックガムは舌打ちをした後、乱暴に私から手を離して背を向ける。


「少し席を外す。アスタリア、お前は少し頭を冷やせ。冷やしてもすべきことがわからないというのなら、もうお前がこの組織にいる意味はないし、殺す価値すらない。どこか見えない場所で野垂れ死ぬのがお似合いだ」



 堕天使が地上に出現してから10年が経過した。それ以前、精神体の天使であった私たちは意識をすれば物体を持つことくらいはできるけど、相手の体に触れることはできなかった。けれども、堕天使を裁くために私たちには肉体が与えられた。肉体は寿命が付き物だし、不便なことはたくさんある。でも、肉体を持つ者としての宿命である子孫の繁栄。そういった湧き出てくる本能というのは元々肉体を持っていなかった私たちにとってはとても新鮮なことだった。もちろん、堕天使を裁くという使命を背負った私たちが子孫を残すことは許されないなんてことは知っている。そんな暇があったら、一刻も早く堕天使を裁けという話だから。きっとこの使命が終わったら、この肉体は私たちには必要がなくなってしまうのだろう。でも、この手に残る他者との温かみはこれからも忘れたくないとそう思ったのを覚えている。


 肉体を持っていないのなら、どうしてミトログラフ様とナルヴィアは姉妹なのかって? それは2人の顔が似ていたから。いつから呼ばれ始めたのかは私は知らない。だって、どちらも私が生まれる前からいる天使だったし。


 それで、二人は美人で私も思わず嫉妬を忘れて見惚れてしまうほど。宝石のようにきれいで対照的な赤と青の瞳。さらさらの銀髪。私は癖っ毛だからそんな髪質が羨ましかったっけ。まあ、ナルヴィアはおっちょこちょいなところがあって、それがまた可愛かったんだけどね。


 ミトログラフ様とナルヴィア、私とグィアンツェ、オルミーネにバックガム。私たちはオルウェクローレルに入る前から親交があって同じ仕事をしていた。その時は人間界での情報収集が主な仕事だった。普段は真面目に、時には少しふざけたりしながら楽しく仕事をしていたんだ。それに姉妹の仲はとても良くて、見てるこっちが微笑ましくなったよ。だから、地上に堕天使が出現して、それを裁くためにオルウェクローレルという組織が設立され、ミトログラフ様がその総司令官として抜擢されたときは酷く驚いた。でも、その仕事すらもそつなくこなして、やっぱり彼女はすごいなと思った。確か、彼女の名前を呼ぶときに「様」を付けるようになったのはその時からだったと思う。


 さらに驚いたのは、彼女は組織の幹部にナルヴィアを除く私たちを彼女直属の戦闘部隊の隊長として選任したこと。一番信用できる私たちを手元に置いておきたかったていうのは理解できる。でも、いきなり堕天使と戦う隊長になれと言われても困ってしまう。他のみんなはまだしも、私にそんな才能があるとは思えなかったし。


 それに、残されたナルヴィアの気持ちをもっと考えるべきだった。一番大切なのはわかるけど、みんなと一緒に戦わせてもらえず、自分だけ仲間外れ。才能のある彼女にはその気持ちに気付くことはできなかったのかな。


 案の定、ナルヴィアはオルウェクローレルに入隊してしまった。今までみたいにみんなと一緒にいたい、一緒に戦いたい。でも、私以上に戦う才能なんてないナルヴィア。相当悔しい思いをしただろう。どこに行っても比べられるのは才能のある自分の姉。お互いが思う気持ちだけでは埋まらないその間。それでも、ナルヴィアはこれまで食らいついてきた。


 だが、現実はあまりにも無情であり、成長していることをみんなに見せつけるはずのその初陣で彼女は敵側に囚われてしまった。きっと、その情報は堕天使には筒抜けであったのかもしれない。さらに、問題はそれだけじゃない。光輪の発生と黒い天使の出現、天界で発生した原因不明の火災。先の見えない不安。交錯する情報網。何もかもが上手く行かない。


「…………あはっ」

「……」

「あはははは!」


 その場に乾いた笑いが響きわたる。


「アスタリア……」


 それまで黙って私たちの会話を聞いていたグィアンツェは不安そうに私の名前を呟く。


「私たちが何をしたっていうのよ……!」


 溢れ出る涙が視界を塗りつぶした時、響き渡る足音が近づいてきた。



「あらあら、とっても楽しそうね。ぜひ私もご一緒させていただけないかしら?」



 深い緑色のローブに胸元で揺れる金色の十字架。振りまく笑顔は明らかにこの場に似つかわしいものではなかった。グィアンツェの表情が途端に引き締まる。


「残念ながらこれは我々の問題です、メルスレム様。ログリペドラスが介入できる余地はありません。速やかにお引取り願いたいのですが」

「随分な挨拶だこと。私は今後の関係作りのために新しい総司令官様と仲良くなりにきただけなのに」

「護衛も付けずにあなたお一人でですか? 舐められたものですね」

「みんな忙しいのよ、色々とね」


 人差し指をくるくると回し、白い歯を見せる。


「この組織は乗っ取らせませんよ」


 元々天界には他にも複数の組織が存在していた。けど、ログリペドラスの総司令官にメルスレム様が就任してから、オルウェクローレルを除く全ての組織はログリペドラスに合併されてしまった。そして、なおその組織のトップに君臨し続ける彼女のことをオルウェクローレルのみんなは信用していなかった。事実、今のログリペドラスの組織構造、構成員の所在などの情報は全て彼女の手によって秘匿されていた。


 そのような掴みどころのない彼女にオルウェクローレルの実権を握らせてしまうことがあってはいけない。そう考えて信用を置かず、グィアンツェもその考えに則って(個人的に気に入らないという私情もあったとかなんとか)幾度もミトログラフ様に進言をしてきた。


 でも、ミトログラフ様はメルスレム様と友好的な関係を築いてきた。それは、堕天使という敵の出現を前に水面下での小競り合いをしている場合じゃなくなったということもあるだろうけど、単にそれだけじゃない気がしてならない。


 きっと、ミトログラフ様はもっと先を見据えて、希望を持っていたんじゃないかな。まあ、もう今となってはそれを確かめる術はないけれど。


「んー。正直、ミトログラフのいないあなたたちに興味はないのよね。まあ、これからに期待ってところかしら?」

「ともかく、今の私たちにあなたと話している時間はないのです」

「早くしないと、────ミトログラフが追いかけて来るかもしれないから? それはないわ」


 私たち三人は同時に息を呑んだ。


「なぜ、それを……。いや、それはこの際どうでもいい。なぜそう言い切れるのですか」

「だって、彼女の目的はナルヴィアの救出でしょう? あなたたちに構っている暇なんて彼女にはないに決まっているじゃない」

「我々は彼女がアインツァーレ様に剣を向けたと聞いていますが、どういった経緯でそうなったのかについては知らない。ナルヴィアの救出という目的がどうしてアインツァーレ様に剣を向ける、ひいては天界を裏切る結果となったのでしょうか」


 その質問にメルスレム様はその赤い瞳を歪めた。


「それで、その事情に納得したらあなたたちも天界を裏切るの?」

「な、何を……」

「ナルヴィアを救出するために彼女は自身の責務を放棄し、あまつさえ主との橋渡し役をしているアインツァーレに剣を向けた。それは、我らが主に仕える立場の私たちの中では万死に値する行為。だから裁かなければならない。それ以外の情報が必要? むしろ、事情を知って変に同情をしたあなたたちも天界を裏切ったり、そこまで行かなくとも今以上に士気が削がれる可能性を考慮したら、そんなことする意味がないと思うのだけど」


 それはぐうの音も出ないほどの正論だった。その悔しさで歯を食いしばることしかできない私をちらりと見たグィアンツェが今度は口を開いた。


「なら、こちらに積極的に危害を加える気のない彼女への処罰は今のところは放っておけば良い。彼女も依然として堕天使が敵という認識は変わっておらず、こちらと一致している。それは敵側の戦力を削る上でもプラスになるはずだ。それに、我々が早急に対処しなければならない問題は他にある、そうだろう」


 彼が出した結論。それはつまり、裏切った彼女に対する私たちの意識を他に向けるという方法。私たちのことを気遣いつつも、極めて現実的な案だと思った。けれども、メルスレム様はそれを許してはくれなかった。


「それで、総司令官として部下に対するの示しはつくのかしら? ただでさえ、黒い天使の登場によって不安の波が押し寄せている組織内で、ミトログラフの裏切りという新たな不安の出現。膨張した不安はやがて過激な思想を生み、それを掲げる者が出てくる。そして、不安に駆られた者たちはそういった極端な思想に追随する。それが歴史の常でしょう? そうして増えた過激派とあなたたちで組織内は分裂し、あなたたちは堕天使の他に内部の権力争いにも見舞われる。そんな最悪な状況が起こる可能性を考慮して、不安の要素をここで潰しておくことはあなたたちの心を一つにするうえでもとても大きい。これは様々な天界の組織を合併した私のなりのアドバイスよ。まあ? その混乱に乗じて過激派に助力した第三の勢力が最終的には組織を乗っ取っちゃう? なあんてこともあるかもしれないわねえ?」

「俺は守ります、このオルウェクローレルを。俺を育ててくれたこの組織を。あいつをじゃない。この組織を、です」


 バックガム……。


「けれど、俺の刃が胸を貫いても、あいつは──」

「殺せなかった、でしょう? だからアインツァーレは封印していたのよ」

「そんな力はなかったはずだ……」

「そう。でも、あなたが目で確かめた通り、事実彼女は不死の力を手に入れている」

「……もう一度、彼女を封印しなければならないというのですか」


 グィアンツェは拳を握りしめる。


「別にあなたたちだけが、なんて言っていないわ。そのために私が来たんでしょう?」

「どういう意味ですか」

「彼女の不死問題を解決するにはいくつかの方法があるけれど、ただでさえ祈りが減少して、神の力を使える者は刻一刻と少なくなっているこの状況で、そこに力を割く余裕は今のあなたたちにはない。あなたたちだけ、ならね」


 そういうと、メルスレム様は私たちを先導するように背を向けて歩きだす。


「協力して、くださるのですか……? 何のために? 見返りは何を求めるつもりで?」

「そんなものはいらないわ」


 困惑してその背中をただ見つめることしかできない私たちの方を振り返って、メルスレム様は胸元の十字架を手に取り、口づけをする。



「全ては我らが主のため、でしょう?」


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