7話
──大聖堂教会内 大広間
「して、何用ですかミトログラフ。まだナルヴィアを取り返せてはいないようですが」
紫色の瞳から発せられる冷たい視線。
「これを見ろ!」
「──メギドライト。ヴィディゼアポロ様、ですね」
ミトログラフの掌にあるメギドライトを見せられても、アインツァーレはさもその結果が当然であるかのように冷静だった。
「私以外の保有者についての情報を教えろ。アルマフィアについては特に詳細にな」
その名を口にした瞬間、アインツァーレの表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
「ナルヴィアが味方を殺すはずがない。おそらく、接触したはずのそのアルマフィアとやらに洗脳されているのだろう。そいつの目的は一体何だ」
「メギドライトを手にした天使はもはや天使とは呼べない。つまり、今のあなたは天使を裁く天使であるオルウェクローレルの一員とは言い難い。そのような者に与える情報などありません。彼女についての情報が欲しければ保有を放棄して天使に戻りなさい、ミトログラフ。それはあなた如きが持っていて良い代物ではありません」
「放棄したメギドライトはどうするつもりだ」
「神によって適切に管理されるに決まっているでしょう」
「アストラーデ、か?」
「……」
「ヴィディゼアポロにこの世界についての情報はあらかた聞いた。現在世界を統べている神が一柱であることとその経緯について。それ以外の神々は殺されたり、天使に降格されてしまったこと。そして、堕天使には天使に降格した元神が含まれていること。だが、これらの情報はどこまで正しい? 答えろ、アインツァーレ」
「敵側の情報に踊らされるなど愚の骨頂ですよ、ミトログラフ。総司令官である身としてはあってはならないことです」
「ということは、これらの情報は全て嘘だと、そういうことでいいんだな?」
「ええ、その通りです」
「なら、今すぐ私を神域に連れていき、神々に会わせろ」
「私の言葉が信用できないというのですか?」
「敵側にはメギドライトを保有して、死なない者がいた。それなのに、その情報と対策を教えていなかったお前の信用はすでに落ちている」
「会わせない、と言ったら?」
「力ずくで会うまでだ」
アインツァーレが真横に左腕を伸ばすと、徐々に光が手に集まっていき、やがて大きな弓が姿を表し始める。光の矢を番え、こちらを見据えるその姿は獲物を見る確かな狩人の目へと変貌していた。
「ならば、あなたは今から天界の敵です」
「きな臭いなぁ! アインツァーレ!」
放たれた光の矢を目で見切り、剣で弾きながら近付く。アインツァーレは確かに最上位の天使であるが、実際に戦闘している姿をミトログラフは見たことがない。そのため、実力は全くの未知数だ。だが、こちらは堕天使を断罪するために訓練を積み、鍛えられてきた。普段から鍛えておらず、実戦経験が少ないはずの彼にその実力が大きく劣るとは考え辛かった。事実、矢の速度は速いものの、意識を集中すれば避けられないものではなかった。彼が用いている弓は近距離戦に弱い。つまり、懐にさえ潜り込んでしまえば、戦況は極めてこちらに有利となり得る。
「(────もらった!)」
身を低く屈め、剣を振り抜く動作へと移行する。だが、アインツァーレの右手の中で何か光るものを視認した彼女は咄嗟に身を翻して距離を取った。
刹那、辺り一帯が炎に包まれる。轟々と燃え盛るそれを見て、自分の判断は正しかったと理解すると同時に、傲りがあったことを自覚した。明らかにこちらの命を絶つに足る火力。それどころか、直撃していれば骨も残らないと容易に悟ることのできるほどのものであった。メギドライト。保有者は体が世界の一部となり、傷を負っても世界が無かったことにする。その様子は実際に目にした。だが、それはどの程度の傷まで問題がないのか。跡形もないほどに燃やし尽くされたら、あるいは。
「怖気づきましたか? そんなに不安がらなくとも、今のあなたなら死にはしませんよ」
その手からは、粉々に砕けた赤い宝石の欠片が霧散していく。なるほど、あれで力を増幅しているのか。
「抜かせ!」
ミトログラフは切っ先が地面に触れるように剣を振り上げる。すると、接触した箇所が線となり、やがて罅となって、アインツァーレの足元へと地を這う蛇のように伸びていきながら迫る。
その罅が足元へと到達した瞬間、床が爆発音とともに噴き上がる。爆発で奪われた視界の中を飛び込んできたミトログラフの剣が眼前へと迫ってくる。だが、紫色のその髪を掠めながらも、アインツァーレは顔を傾けてそれを難なく躱す。息がかかりそうなほどの至近距離で赤と紫の視線が交差する。
「弓も先程の派手な技も、ここまで接近されたら使えまい。チェックメイトだ」
「さて、それはどうでしょう」
次にアインツァーレが手に持っていたのは黄色の宝石。先程の宝石が赤。赤が炎なら、黄色は雷という予測が頭をよぎる。だが、この距離で使えば自身も巻き込んでしまうだろう。それなのに、彼は不敵に笑う。
左手で短刀を取り出して、振りかざす。狙うは首筋。
だが、アインツァーレが挑発するように人差し指をくいと自分の方へと揺らすと、ミトログラフの関節に複数の矢が突き刺さる。それは手首の関節へ、あるいは腕の関節へ、あるいは膝へ、足首へ。それが始めに避けた矢だと気付いたときにはもう手遅れだった。
「そう。保有するのに不適格なあなたは、死にはしないだけ。自殺でもして強制的に体を修復させない限りは死なない程度の傷を消すことはできない」
体を曲げることができずに前へと倒れ込む彼女とは対照的に、アインツァーレはたんと地面を蹴って後ろに距離を取る。そして、ぴんと親指で宝石を弾いた。
何本にも束ねられた雷光が彼女のもとへ降り注ぎ、大広間の上部が崩れ落ちてくる。天界中を引き裂くような雷鳴は音という次元を超えていた。弾かれた宝石は床に落ちることなくやはり砂状になって消えていく。
「く、そ……」
煙を上げて地面に伏しているミトログラフの火傷の跡が徐々に消えていく。完全に消えて立ち上がるまでの時間を見越して、慣れた様子で手早く宙に魔法陣を指で描くと、それと同じ模様が青白い光を上げてミトログラフを囲む。
「世界が終わるまで眠っていなさい。これが私なりのせめてもの優しさです」
「ぁぁぁあああぁっぁあああああああぁあああぁぁ!!!!!!!!!」
ミトログラフは力の限り叫ぶ。
「ナルヴィア! ナルヴィア! 私は絶対にお前を助け出す! 私は何も変わらない! 私は! 私はお前の味方であり続ける! どうだ! これで私も天界の敵だ! 一緒に罪を被ろう!! 私はお前と一緒なら……! なあ、ナルヴィア……」
──ぷつっと、彼女の意識はそこで途絶えた。
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「もう後戻りはできないな、オルミーネ」
そう呟くと、ミトログラフは動かないオルミーネの頬を指先で撫でた。鼻腔を突く生臭さは現実の重さを語ってくる。
おそらくは、アインツァーレが指示をしたのだろう。最上位の天使である彼からミトログラフが裏切ったという情報がすでに天界側で流されている以上、たとえ彼とのやり取りを1から10まで話したとしても、グィアンツェたちの理解を得られる可能性は限りなく低い。それに、こちらにあるのはあくまでもアインツァーレに対する疑惑のみであり、彼が天界を裏切っているという証拠は何一つない。それが提供できないのであれば、敵という認識を覆すことはできない。むしろ、下手に同情されて彼らもオルミーネのように天界側に敵とみなされてしまうのが一番避けなければならない事態だ。それならば、私はお前たちのためにお前たちの敵を演じよう。
「全く、つくづく上手くはめてくれたものだな」
立ち上がるミトログラフの口元は不敵に笑っていた。