2話
通路を無言で歩いていく。窓から見える景色は緑一色。
どうやらここは山奥にある病院らしい。病室にいるはずの患者の気配が感じられないことから察するに、もう現在は使われていないようだ。廃病院に手を加え、本拠地にしているのか。
頭の靄は依然として消えない。あってはならないことだ、そうでなければ、自分が今まで信じてきたものは何だというのか。仲間たちが死んだ意味は何だというのか。
『あなたが、私たちの希望なの……!』
「悩んでるね! ナルヴィア、悩んでるね!」
「うるさい」
歩く私の背後から銃を突きつけながら、けらけらと笑う。だが、もう片方の手には抜かりなく先程の短刀が握られていた。銃を弾き飛ばしたところで、もう片方の短刀で刺されるのがオチだろう。
手枷をされ、背後には銃。これではまるで、囚人だ。それにこの手枷、神の力を封じるようにできている。
「これがお客様に対するお前たちの態度か」
「すまないね、もう少しの辛抱だ」
先を歩くウルブラータから、煙が漂う。
「……さっきの話が万に一つ、真実だとして」
「ん?」
「戦闘職ではない精神体の天使に無理矢理肉体を与えて戦わせ、自分に都合のいい心を植え付け、こいつの幸せはどこにあるの」
「おや、ミルのことを心配してくれているのかい」
「私は先生のために働けて幸せだよ? ねえ、幸せだよ?」
「彼女もこう言っている」
「言わせているの間違いでしょ。神であるならまだしも、なんでもないただの天使のお前が」
「そうだね。ただの天使である私がこんなことをするのは大変心苦しく思うよ」
「先生?」
微妙にその場の空気が変わったことを感じ取り、ナルヴィアは少し眉を顰めた。
ウルブラータが足を止め、壁に手を翳す。すると、一見何の変哲もない壁から厳重な扉が現れ、取り付けられたセンサーに彼女が目を近づけると、扉が開いた。幾重にも重ねられたその扉は近未来的な様相を呈しており、明らかに人間界の技術ではないことが伺えた。
その先へと私たちは足を進める。
「ナルヴィアを出せ! どこに隠した!」
「もうやめてレグ! 彼女は今意識不明なの!」
部屋の奥には言い争っている男女がいた。帽子を被った細身の女は背中から翼が生えているところから見るにおそらくは天使だろう。だが、男の背にはそれはなく、かといってそれ以上の存在であるとも感じられない。というか、この匂いは、
「(人間……?)」
「関係ない! 多少は痛い目を見てもらい、その映像を天界に送りつける! そうしてミトログラフとの直接交渉の場を設け、そこでやつを仕留めるんだよ! やつさえいなくなれば、他はどうにでもなるだろう。あとは本命のアストラーデのみだ」
「そんなことをしても新たな争いを生むだけ! 第一、ミトログラフを倒す戦力はどこにあるというの!? 無理に戦わせ続けたストラスヘレナはどうなった!?」
「そのストラスヘレナが大打撃を与えた今がチャンスだろうが!? あいつの強さは連中に嫌というほど叩き込んだ! たとえもういなくとも、そんなことをやつらは知らない! 妹可愛さのミトログラフ以外も、あいつがまた出てくるんじゃないかと不安に駆られてこちらの要求を無視するわけにはいかないところまで来ている! 相手を倒すのは何も単純な力だけじゃない。頭を使えばどうとでもなる! ナルヴィアにアストラーデの真実を伝えてミトログラフに説明させ、天界側に協力してもらう? そんな甘っちょろいことで終わる話かこれが! 他力本願にもほどがあるだろ! ナルヴィアの初陣までやつらの猛攻を耐えて耐えて耐え抜いて! それで死んでいったやつらにそんなんで顔向けができるかよ!」
「どうしてみんな、傷付く道を選ぼうとするの……」
「腑抜け野郎が! お前がいると指揮が乱れるんだよ。待ってろ、今死にたくなるほど殺してやる」
「はいはいはい。そこまでだ」
ぱんぱんと手を叩きながら、ウルブラータがその場に割り込む。
「何の用だウルブラータ。てめえは大人しく研究室に引きこもっていろ」
「そう冷たくしないでくれよ、レグナート。特別なお客様をお連れしてきたんだ」
「あ?」
「ほら、前に出たまえ」
軽く背中を押され、少しよろけながら前に出る。レグナート。そう呼ばれた男の口から白い歯が顔を覗かせた。
「おいおい、こいつは驚いた。件のナルヴィア様じゃないかよ」
「やっほー! レグナート様だ! あんなに威張っているのに人間のレグナート様だ!」
その言葉に再び敵意を剥き出しにする。
「おい、そのガキの口を今すぐ塞げ。殺すぞ」
「今のは彼女なりに私のことを庇ってくれたんだよ。とても優しくて健気な子だろう」
「抜かせ。くだらないやり取りをしている暇はない。さっさとそいつをよこせ」
「何事も急いては事を仕損じるぞ」
「ナルヴィア……! 意識が戻ったのね!」
黒い帽子を被った女はこちらに歩み寄る。その表情は明るく、敵意は感じられなかった。さっきまで私たちは殺し合いをしていたはずだろう。その態度に嫌悪感を覚えた。
「聞いての通り、地上側の勢力は現在2つに分かれている。アストラーデを倒すのにあたり、暴力を厭わない過激派と流す血は最小限にしたい穏健派だ。そこにいるレグナートとヴィディゼアポロはそれぞれの指導者でね。ちなみに瀕死の君を助けたのはヴィディゼアポロの方だよ」
急激に喉が渇いていく。
ここにいるのは堕天使側のトップ2人……! 僥倖だこれは。この情報を天界に持ち帰れば、大きな一助になるはず。それには、この状況からなんとか逃げ出す必要があるが、周囲を見渡しても、逃げ道は入ってきた扉のみで窓は1つもない。
「おい、余計なことを話すな」
「真実を知ることは今後、ことを運ぶ上で悪いことじゃない」
だが、どこか引っかかる。人間であるレグナートに過激派の指導者が務まるものなのか。
「ナルヴィア、随分と前置きが長くなってしまったね。これから話すのは一般兵である君たちでは到底知り得ることのない真実だ」
ごくりと生唾を飲み込んだ。
「先程、文明の発達により人間たちが祈りを捧げる機会が少なくなっていったため、神々はログリペドラスを組織して天使たちに祈らせることにした。そのおかげでこの世界は今も保たれている、そう話したね。確かに事実なんだが、実はそこまで至るには少し過程があってね。正確な表現としては『保たれるようにした』なんだ。結論から言おう。天使たちの祈りを合わせても、以前の天界を運営するには足りなかった」
「……え?」
『以前の』とはどういうことだ。
「神の力は祈りの力が変換されたものだ。そして、神が神として存在するにはその力を一定以上持っていなければならない。要するにね、神全員の力を賄うほどの祈りの量には届かなかったんだよ。とはいえ、その量に達するまで天使の数を増やすのにも多大なる時間がかかる。そこで何が起きたか。もう君にも想像がつくんじゃないかな?」
「まさか……」
「『神の選別』。問題はその選別を誰が行うか、ということだ。単体なのか複数なのか。当然誰もが選別する側になりたがる。だが、神といえど、心を持っている。心を持っていれば、選別の平等性が欠けてしまう事態が予想される。そこで、とある提案がなされた。一柱の神の自我を消失させ、祈りを発生させるのに効率的な方法を導き出せる、そうだね。いわば神造知能とでも言おうか。それを植え付けるというものだ。導き出した後も最高効率で祈りを発生させる方法をそのまま実行してもらうために、神々は神としての権能を放棄し、自分の存在を保てるその限界まで力を一旦その一柱に集約させる。こうすれば、今まで自由気ままに神の力を行使していた輩の無駄なエネルギーの消費を抑えることができるしね。後はこれまでと同じ量の祈りを継続的に得られるようになったら、神々に還元し、その一柱はお役御免。また来るかもしれないいつかのために封印をするというものだ。この提案は大いに反発を呼んだよ。誰もがなりたがった選別者になることを躊躇させる。自我の消失。世界のために自分の身を捧げる。それは神としては正しい在り方なのかもしれないけれど、そのために自分の今までを全て捨てられるかを問われると易々と首を縦に振れる者はそういない。だが、これに勝る代替案を出せる者は誰もいなかったため、この提案が採用されることになった。そして、ここで初めの問題が皮肉なことに当初とは全く逆の印象を抱かせる状態で再浮上してくる。『その選別を誰が行うのか』。ふんぞり返れるはずの権力者が、ただの犠牲者へと成り下がったんだ。けれども、その選別者は意外にもあっさり決まってね。それが、現在この世界を統べている」
「アストラーデ……!」
「そうだ。どういう経緯があったかまでは知らなくとも、神々は一安心した。誰もがこう思ったことだろう。ああ、自分が犠牲者にならなくてよかった、と」
懐かしむように語るウルブラータとは対照的に、後の2人は表情を曇らせ、下を俯いていた。
「こうして神造知能アストラーデが誕生し、世界を保てる最低限まで削れるところは全て削れる、はずだった。そう、事態はこれで収束しなかった。いやはや、欲望というものはとどまることを知らないね、神も人間も。いたんだよ、アストラーデに神の力を集約させない一部の愚かな神が。そこで、限られた神の力を無駄にしないため、アストラーデはある行動を起こした。力を彼女に集約させたさせないに関わらず、無差別に神々を殺害し、神の力を奪っていったんだ。そして、ある程度その数を削ったところで、残った神々にあることを提案した。それは、神の力を全てアストラーデに献上し、彼女の力で天使へと降格をすれば、命だけは見逃すというもの。自分以外の神の消失。つまり、彼女の中では自分以外の全ての神が信用できなくなってしまったんだ。神々の中には命令を聞かない者がいる。今命令を聞かない者を排除したとしても、今後も彼女の命令に従わない者が現れるかもしれない。そして、その潜在的な数はわからない。ただ、全員を殺害すると祈りの量が戻ったときに復活する神々がいなくなってしまうため、そういった提案をせざるを得なかった。こういう流れさ」
「初めからその提案をすればよかったんじゃ……? そうすれば、殺害する必要もなかったはず……」
「最初にその提案をするよりも、予め力を見せつけてからの方が従ってくれる総数は多いと判断したんじゃないかな。だが、心が欠落している彼女はその行動が心を持っている神々のさらなる反発を呼ぶことを導き出せなかった。無差別に殺されてしまった神々との関係性等から、殺す必要はなかったとの声が続々と上がりだす。いつしか、憐れな犠牲者であり、かつ、神々の救世主であるはずのアストラーデには数々の憎しみが向けられ始めた。自分たちで自らの力を献上したんだ。無駄だとわかっているのに、彼女に立ち向かう者は後を絶たなかった。それは愚かだといえば愚かだが、かといってその一言で片付けて良いものなのか、ね。まあとにかく、本当に数多くの神が殺されてしまったよ。殺されて、殺されて、殺されて。ここは地獄ではないかと錯覚してしまうほどには」
ウルブラータは吸入器を口に咥え、数秒の後、煙を吐き出す。
「反発する数のあまりの多さに、アストラーデは提案を強制とし、神々は天使へと降格させられた。逆らう気が起きないと天界に残る者もいた。中には、アストラーデの目的のために手段を選ばない様子を見過ごせず、賛同してくれる元からの天使たちとともに地上に降りて反旗を翻す機会を伺う者たちがいた。勘付いたアストラーデはオルウェクローレルを組織し、今まさに断罪の名のもとに彼らを排除しようとしている」
「そんな、御身はまさか………」
「それが君たちが堕天使と呼称し、断罪の名のもとに剣を振るわれる私たちというわけだ」
「でもねでもね! 元は人と神の混血だったレグナート様はね! 神の力を奪われたときに天使じゃなくて人間になっちゃったの! 仲間外れで可哀想だね! 可哀想だね!」
「……うるせぇ」
その声からはもう、先程の勢いは消え失せていた。
「地上で人間たちからの祈りを直接収集し、神の力へと変換してなんとか肉体を得られるようにはなったが、神に戻るには程遠い」
『言わせているの間違いでしょ。神であるならまだしも、なんでもないただの天使のお前が』
『そうだね。ただの天使である私がこんなことをするのは大変心苦しく思うよ』
「あ……あぁ……」
「まあ、私としては元から神の力はほとんど使っていなかったし、面白そうな方で研究ができればそれでいいから、肉体さえ得られればそのあたりはどうでもいいんだけれどね。もう一度尋ねようか。今の話を聞いてもなお、君は昨日と全く同じにその身を神に捧げることができるかい?」
言葉は出てこなかった。
「ウルブラータ! 今はそれ以上は……」
「さて!」
ぱんと区切りをつけるようにウルブラータは手を叩く。
「ドロドロの話はここまで! ここから話すのは、本当に戦うべき敵の話だ」
「本当に、戦うべき……?」
「そうだ。来たる日に備えて、天界側も地上側も着々と準備を進めてきたわけなんだけれど、ここで一つ、誰も想定していなかったイレギュラーな事件が起きた。それが君もご存知のとおり、神の力を持たない天使たちの頭上に光輪が出現し、心が消失した事件だ。当時は天界側によるものかと思われたが、襲撃してくるオルウェクローレルが心を返せと発言をしてくるところから見るに、どうやら違うようだ。君も含めてね。つまり、この事件の元凶は第三者ということになる。今のところ、理由も目的も不明だ。世界の維持は言わずもがな、戦闘職の天使には肉体が付与されていなければならないため、神の力が必要となる。だが、祈る天使の減少により、その数の維持も難しくなってきた頃だろう。こちらも、精神体の天使と言えど、限られた人員が更に限られてしまうのは相当な痛手だ。お互いの消耗を考えて一時休戦を行い、元凶の調査に精を出したいところではあるが、君たちは地上側のせいだと信じ込んでいるし、何より神に背いた者たちへの断罪という使命が最優先となってしまうだろう。レグナート率いる過激派はこの事件を好機とし、アストラーデを討ち取ってから事件の解明に臨もうとしている。我々が戦うことはその元凶にとって思う壺かもしれないというのにな」
どこから、どこまでが真実だ……?
「ナルヴィア大丈夫? 顔色悪いよ? 悪いよ?」
こちらを覗き込んでくるミルには目もくれず、ナルヴィアは出口に向けて走り出した。それを見て追いかけようとするミルをウラブラータは手で制す。
「必要な情報は与えた! この情報をもとにどう行動していくかは君次第だ!」
「お前のことだ。何か企んでいると思い黙っていたが、結局のこのこと帰しやがって。あいつが人質以上の役割を果たせなかったら、お前を殺すぞ」
ウラブラータは吸入器を咥え、煙を吐き出す。
「なに、下拵えはこれで済んだ。はてさて、天秤が傾くのはこちらか、あちらか。それとも、ね。ははは、楽しくなってきたじゃないか、レグナート」
「……」