エピローグ 2/2
「なっ!?」
「母親の情報について、お前はどのように聞いている?」
「主神の妻の一柱であり、その地位は低かった。そのうえ、病弱であったため、ベルランダを産んですぐに死んだと……」
「そう、つまりお前は母親の顔を見たことがない。だが、それはお前だけではない。知らないんだよ、私もヴィディゼアポロも」
「誰も、その存在を知らない神。そんなことが……」
「いや、ほぼ確実に知っている神はいる。アルマフィアだ」
「どうして、アルマフィアが……?」
「世界に溶けたことのある彼女はそこで失った自分の心を取り戻したと言った。だが、膨大な世界の情報の中から、自分の心を探し出して取り戻せるわけがない。おそらく、彼女が協力したのだろう。だから、アルマフィアが世界に溶けたときに接触しているはずだ。そして、その際絶望しないように神々の憎しみを取り憑かせ、心を燃やさせたのも彼女だろうな」
「ちょっと待ってください。先生、今あなた自分が何を言ったかわかっているのですか!?」
「ああ、わかっているとも。何度でも言ってやろうか。お前の母親は死んでいない。お前の母親は今、世界に溶けている。世界の意思とは、お前の母親のことだ」
「そんなことを信じられるわけがない……」
「そう考えると、世界がお前に死んでもらいたくなかった理由に合点がいく。逆に言うと、それ以外でお前を生き延びさせる理由はない」
「なら……それが本当なら! 僕たちの母は一体何者だというのですか!? まさか、この世界が神の形を取って、僕たちを産んだと!? 冗談じゃない!」
「そう興奮するな、感情先行はお前の悪い癖だとさっき言ったばかりだろう。私は一度もお前の母親はこの世界だなどとは言っていないぞ。お前の母親は世界に溶けていると言ったんだ」
「なら、その正体は一体何だというのですか。ただの神にそんなことができるわけがない」
彼女はすうと人差し指を上げる。
「次の世界の器。そう考えるのが妥当だろう」
「次の世界の器……? いや、次の世界の器はアルマフィアではないのですか!?」
「確かにそうだ。お前の言う通り、次の世界の器はアルマフィアだ。だが、正確に言うと、彼女は純粋なる世界の意思で次の世界の器に選ばれたわけではない。次の世界の器である、お前の母親に直接その資格とメギドライトを渡されたんだ」
「そんな、それじゃあ僕たちの母親は彼女と同じようにこの世界から、次の世界の器をして選定されていたけど、それを放棄して彼女に渡したということか……?」
「だが、わざわざ放棄してからも自分の存在をひた隠し、かつ、自分の意思を世界に介在させるほどの理由があるのかについて疑問が残る。もっと自然な可能性があるぞ。全てが1つに繋がる可能性が」
「それは一体……?」
「『次の世界からこの世界にやって来た世界の器』の可能性だ」
「いや、そんな馬鹿げた話があるわけ……」
「そうであれば、それほど次の世界は逼迫している状況だということがうかがえるだろう? そのままいればメギドライトを吐き出してしまうため、過去に来てしまうほどの絶望的な状況というのはどうだろうか。だから、彼女はアルマフィアを利用し、次の世界の器とした。世界の終わりは変えられない。何をしても歴史は同じ結末に収束する。苦しい、辛い。それは今、私たちも実感しているものだ。だが、彼女はそこでその役割を誰かに押し付けてしまえば、自分は楽になれると考えた。もう1つ言えば、彼女は完全にその苦しみ、辛さから逃れられるわけではない。おそらく、この世界で最後まで生き残っている過去に世界の器の資格を得た者全員は次の世界の担い手である人類の一員となるはずだ」
「僕は危うく次の世界に行く羽目になっていたということですか……?」
「いや、お前が次の世界に行くことはお前の母親が許さなかっただろう。お前が死ぬこともな。その理由は何だと思う? 親心? 違う。違うぞ、ベルゼナーグ。彼女はな、お前たちのことを単なる保身のための道具としか考えていなかったんだよ」
「どういう、意味ですか……?」
「この世界にやって来た彼女は当然この世界から切り離された存在であったため、そのままでは存在の拠り所がなく、消えてしまう可能性があった。そこで彼女はこの世界にその存在を根差すため、子を成した。その相手が主神とは、ははは。まこと恐れ入る。よほど盤石に存在を固めたかったのだろうね。主神もそんな得体のしれない存在と子を成すのは拒否してほしいものだけどさ。それができなかったのは、彼女がよほど魅力的だったか、彼女に洗脳されていたか。まあ、十中八九後者だろうね。そうして、彼女は二人の子を成した。二人なのはどちらか一方が死んでも問題ないようにするための保険だろうね。その後、自身は世界に溶けてフェードアウトし、主神を影から操って自分の存在が明るみに出ないように情報操作をさせた。ヴィディゼアポロが世界を改変して分割されたメギドライトの振り分けを操作して、二人の子に与えた」
言葉が出なかった。
中途半端に主神を操るのをやめれば、その後齟齬が生じる可能性が十分に考えられる。それを防ぐため、彼女は父親が死ぬそのときまで、操ることを継続していたはずだ。今の話を聞いただけで、それほどの用心深さ感じた。
ならば、自分と妹のことを遠ざけていたのは、妹を実験したのは父親の意思ではなく、母親の意思だということになってしまう。加害者であるはずの父親。憎むべき父親が被害者ということになってしまう。前提が、崩れてしまう。
「まあ主神にお前たちを遠ざけさせたり、ベルランダを実験させたりしていたのが、彼女が立てたシナリオ通りなのか。成り行きでそうせざるを得なかったのかまではわからない。だが、この世界に来て、そんな状況を作り出さなければならないほどに彼女は必死だったことは確実だ。ということは、次の世界がそれほどまでに絶望的な状況だということが手に取るようにわかる。
────そうなると、おそらく一番幸せなのは次の世界に行かず、ここで終わりを迎える私たちになるのだろうな」
ぽつりと。最後の一言は彼女にとっては珍しく感情が乗っていたように感じた。
彼女自身それに気付いたのか、吸入器に口を付ける。
「さて、子であるお前も、次の世界に行くヴィディゼアポロもそろそろ気になる頃だろう?」
「何を、ですか?」
「彼女の名前だよ」
その言葉に、彼の心臓は跳ね上がった。
自分の母親の名前。
気になってはいた。けれども、心の奥底に封じ込めていた。聞いたところで何にもならないと、誰にも聞けずにいた。
名前を知ること。それだけのはずなのに、この緊張感は何だ。まるで、聞いてはいけない密談を盗み聞きしているかのような。
本当に良いのか。自分が聞いて許されるのか。そんな不安を奥歯に噛み締めて。
目線が呪いのようにぴたりと次の言葉を発する彼女の口元へと縛り付けられる。
「彼女の名前は────」
そこで、彼女の体が大きく揺れる。どうやら大きな衝撃を受けたようだ。ようやく口元から目線を外すことができたと思えば、彼女の胸元からは剣先がその顔を覗かせていた。
それを見て、彼女は嗤う。
「答えは正解だったようだ」
するりと抜かれる剣に呼応して多量の血液を吐き出し、どさりと倒れ込むウルブラータ。その背後には怯えた表情で、歯を震わせるミトログラフが立っていた。
「ウルブラータ!!」
すぐさま駆け寄ったのはヴィディゼアポロだった。
「私はなんでこんなことを……」
自分の行動を信じきれていない様子のミトログラフは呆然とその場に立ち尽くすのみ。からんと剣の落ちる音が一際大きく響き渡る。
どっちだ。今も操られているのか。もう、操られてはいないのか。
残る左腕で剣を構え、臨戦態勢を取る。
「待て」
ヴィディゼアポロの手を握り、言葉だけで制したのはウルブラータだった。口の端から血を垂れ流し、くつと口を歪めて空を眺める。
「安心しろ。もうミトログラフは操られてはいない」
その言葉を信じ、彼は無言で剣を下ろす。
「ですが、その分では命が尽きるのが先か、世界が終わるのが先かわかりませんね」
「彼女に温情の余地があると助かるんだがね」
「その余裕なら、どうやら大丈夫そうですね」
「格の違いがわかったか、バカ弟子め」
「はいはい」
見上げれば、空に走った罅は雷のように地へと走り、もはや罅自体が空となるほどの量だ。崩壊は間近。誰もがそう確信する。
ウルブラータはヴィディゼアポロへと目を向ける。それはベルゼナーグに対するものとは全く異なる、純粋な友愛のみを孕んだもの。
それに少しの嫉妬心を感じたことを自覚してしまった彼はこの期に及んでと自らを恥じ入り、彼女が持っている精神安定剤を含んだ吸入器に酷く羨ましさを覚えた。
「怖いか」
「ええ。不安で押し潰されてしまいそう」
「私が世界の器になれれば次の世界に一緒に行けるんだが、どうやらそれは彼女が許してくれそうにない」
「まだそんな冗談言って……。不安を解きほぐそうとしてくれているのね。ありがとう」
「いや、一番は自分の気を紛らわせるためなんだ」
そう言って、彼女に見せた吸入器にはもう緑色のインジケーターが点滅していなかった。
「あなたも精一杯戦い続けているのね。なら、なおさら私も頑張らないと。弱音なんて吐いていられないわ」
「最期くらいかっこいい姿のままで終わりたかったんだけどなぁ」
ふうと見えない煙を吐く仕草をした後、ははと乾いた笑いを出す。
そうして、今度は深く息を吸いながら、破片となって落ちてくる空の粒を見上げ、彼女はこう呟いた。
「────救いの手を差し伸べた神には、一体誰がその手を差し伸べる?」




