22話
「今更出てきたところで何も変えられはしませんよ、先生」
吐き出した煙を纏いながら悠然と現れたのはウルブラータだった。中性的な声質。特徴的な赤髪。くつと余裕を持った笑み。その全てが嫌になるほど記憶に染み付いている。思い返させるのは妹を実験した憎しみと自身もそこに加わり、理解し始めた彼女の才能に対する少しばかりの憧憬。噛み合わせた歯へ徐々に力が入りつつあることに気付いた彼は、再度自分を落ち着かせるため、彼女に気付かれない程度に口を開き、浅く息を吐いていく。
「確かにな。だが、その言葉には不足がある。正確には何も変えられはしないのはお前もだ。バカ弟子よ」
「見苦しいですね。そうやって吸入器で精神を安定させなければ、主神に命令されて行った過去の非道な実験の数々による罪悪感に押し潰され、まともに会話すらできない臆病者のあなたがこうして表に姿を見せるとは。この期に及んで恥に恥を重ねる始末ですか」
「そうだな。確かに、そうだ」
否定せず、薄ら笑いを浮かべながら自嘲するその姿に神経が逆撫でされる。
「お前が思っていることを当ててやろうか。どうしてここまでしているのにアルマフィアはメギドライトを吐き出さない? まあいい。ミトログラフからメギドライトを回収すれば、いずれにせよ彼女は殺せる。だが、その疑問から目を逸らした時点で、お前の負けだ。まあ、そもそも勝ちの目など始めからなかったと言われればそれまでだが」
「なら、何だと言うのですか」
苛立ちを隠せないベルゼナーグの語気に力が入る。
「アルマフィアは絶望をしていない。まだわからないのか。絶望とは希望がなければできないことだ。つまり、アルマフィアにとって、アストラーデに心を取り戻してもらうことは、希望ではないということだよ。何をしても、この世界は終わることが確定しているからな」
「……どうやら、度重なる精神安定剤の吸入で妄想に取り憑かれてしまったようですね」
高まる緊迫感の中、両者の間に風が吹き抜ける。ウルブラータが目を細めながら視線を下ろすと、血塗れのミルがナルヴィアを抱えていた。
「先生、先生。ナルヴィア、連れてきたよ……。でもね、先生。ごめんなさい、もう体が動かないの」
体は大きく切り裂かれており、素人目から見ても助かりそうにないことは一目瞭然の状態であった。
「ああ、よくやったミル」
「でも、他のみんなは殺されちゃった……」
「そうか。だが、お前がいたことで、この目的は達成することができた。やはり、お前に頼んで正解だった。ありがとう、本当によくやってくれた」
「……先生。嬉しいなあ、嬉しいなあ……」
そう呟くと、彼女は目を閉じて動かなくなり、やがて光輪は消え失せた。
それを見て、さらに怒りが湧き上がるのを感じたのはベルゼナーグだった。ミルの見た目はあまりにも子どもの頃のメルスレムに似すぎていたからだ。ウルブラータによる意図的な何かを感じずにはいられなかった。
そこへ、さらなる影が舞い降りる。目を向けると、ナルヴィアを追いかけてきたであろうミトログラフが両翼をはためかせながら地に足を付ける。生気を感じられない虚ろな目にはかつての厳格な雰囲気の面影は残されていなかった。
「ナルヴィア……」
目的は自分を助けるため。それは十分に理解している。そのため、彼女は他の全てを犠牲にした。かつての仲間も、自身の何もかも。
だが、その姿を見て、ナルヴィアは怯えていた。恐怖していた。
それは姉に対してというところもあろうが、一番は自分に対してだ。
変わり果ててしまったミトログラフ。有り体に言えば、狂ってしまったその姿。こんな姿にしてしまったのは自分のせい。そこまでしてもらう価値が一体自分のどこにあるというのか。のしかかる重圧。その両肩には姉が犠牲にしてきた命や地位。その全てが重く。
「これで役者は揃った」
ウルブラータはそう宣言する。
「ミトログラフ、ストラスヘレナを殺せ。君の手で終わらせろ。そのために、君はメギドライトを得たんだろう?」
その宣言を半ばかき消す形で、ウルブラータはそう投げかけた。かき消したのは妄言を聞く価値がないからか。万が一の可能性を考えたくなかったからか。
その言葉にミトログラフの視線がストラへと向けられる。
「今、助けてやる……」
囚われているストラのもとに一瞬で距離を詰めると、まだ血濡れている剣を振りかざす。だが、その場にいる誰もその状況に口出しはせず、行動も取らなかった。ただ、一人を除いて。
振り下ろした剣が捉えたのはストラではなく、その場に入り込んだナルヴィアだった。彼女はストラを庇ったのだ。
その場には鮮血が噴き上がる。
だが、それを意にも介さず、ミトログラフは再度剣を振りかざそうとする。今度は確実にストラを切るために。
その腕をナルヴィアは残る力の全霊を込めて、止めようとする。
「お姉様、これ以上私のために変わらないで……」
「……私は変わっていない。私は、ナルヴィアを守るために」
虚ろな目には元の色は戻らず。助ける対象を斬り裂いているその矛盾に気付く気配はない。それどころか、目を向けることすらせずにいる。
「変わってる! だって、お姉様は私がナルヴィアであることに気付いてない! 羽飾りがあるかどうかだけで私かアルマフィアかを判別してるじゃない!!」
その言葉にミトログラフの動きがぴたりと止まる。
掴んだ腕から下ろした手の中にあったのは確かにあの日交換した羽飾り。目の前の天使がナルヴィアだと証明するもの。
現実を受け止めきれない彼女のことをナルヴィアはゆっくりと抱きしめる。自分はここにいるのだと存在を強く相手に刻みつけるように。
「もう私、見たくない。お姉様が変わっていく姿も。誰かが死んでいく姿も。私たちは明確な悪があると信じ、それを打ち倒すために誇りを持って戦ってきた。でも、悪なんてどこにもいなかったんだよ。それぞれ、正義を抱えていて。みんなにとっての最悪な事態を防ぐために行動していて。私にはそれを否定する勇気はどうしても持てなかった。それで悩んでいたら、なんだか私疲れちゃった。もう苦しいのは嫌だよ。辛いのは嫌だよ。でも、それを終わらせてくれるのがお姉様なら、私は未練なく終わりを迎えられる。オルウェクローレルに入ったのも私の勝手。ここで殺してもらうのも私の勝手。最期まで自分勝手でごめんなさい。でも、私が死ねば、お姉様はお姉様に戻れるよね。それだけが、今の私の願いだよ。だから戻ってきて、お姉、さ……ま……」
ずるりと落ちていく体をしゃがみながら抱きかかえる。
「そんな」
起こした事態の重大さが彼女を正気へと戻していく。
ナルヴィアを殺した? 私がこの手で? ナルヴィアだと気付かずに? ストラスヘレナを守るのであれば、それはアルマフィアだと思っていた。事実、羽飾りをしていなかった。自分を殺したことで、正常な判断能力がなかったことは認めよう。それを利用することで自分はかつての味方を殺すことができたのだから。ナルヴィア以外の全てを捨てることができたのだから。だが、だからといって助けるべき対象の見分けがつかないだと。そんなことがありえて良いはずがない。
「あ、あぁ……」
ナルヴィア。
「ぁぁあぁあああああ!!!」
ミトログラフの慟哭と絶望した彼女の体からメギドライトが放たれたのはどちらが先であったか。
それらを皮切りにして始めに動いたのはストラだった。
残る力を振り絞って掴まれていた手を振りほどくと、その内の一人の鞘から剣を抜き取り、一瞬にして二人のシュタルクフェルヴェンを迷いの無く切り捨てる。そして、放たれたミトログラフのメギドライトへと向かった。
だが、残る一人がそれを許さない。
正面から腹部に突き刺された剣が彼女の動きを止める。そして、横に振るわれたことで裂かれた箇所と口からは多量の血液が溢れ出す。驚くべきはその色。
本来であれば赤いはずのそれは神の呪いで黒一色に染め上げられており、それは見る者に吐き気を催させる程だった。勢いを失い、よろめく彼女は雪崩れ込むようにして、最後のシュタルクフェルヴェンを押し倒す。
「なるほどね」
その光景を見て、ベルゼナーグは目を見開き、口元に手をやる。
ストラの傷口がすぐに塞がっていくのだ。時間が巻き戻されていくような特徴的なその塞がり方の原因など、思い当たる節は一つしかない。
「最後のメギドライトはストラスヘレナ。君が持っていたのか……!」
そのままストラは相手の首元に両手を添え、力任せに握り潰した。痙攣が完全に収まるのを確認してから。彼女はぷつりと糸が切れたように倒れ込む。
限界だった。元から神々の呪いの侵食は世界の修復速度を上回っていたから、そう遠くない未来に終わりが来ることは理解していた。さらに、その未来は彼女が戦闘を行うごと、加速度的に近付いていく。呪いは彼女が戦うことでその強さを増していったからだ。メギドライトを二つ保有すればあるいはと思い、最後の力を振り絞って賭けに出たが、この結果だ。
私が力添えできるのはどうやらここまでのようです。申し訳ありません、アルマフィア様……。




