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2メギドライトの創傷  作者: 深山 観月
16/27

15話

 雨は私の救いだった。


 依然として浴びせられる言葉は私を責め立てるものであるし、日毎にその数を増していく体の痣に不快感を抱く一方であったが、窓から見えるその景色を眺め、音に耳を澄ましていれば幾分と気は紛れた。


 それでも、私の中で「どうして」と疑問が浮かぶことはなかったのは、その環境が私にとっての全てであり、世界であったからだ。故にどれほど痛めつけられようとも、どれほど不快な気持ちを抱こうとも、この環境から抜け出すという発想そのものがなかった。


 私の世界はこのベッドの置かれた窓のある部屋と、地下深くにある牢獄のような部屋、そしてその二つを繋ぐ階段だけだった。


 彼らが私にぶつけてくる「それら」を全て受け入れることが世界が私に与えた役割であり、その役割を演じ続けることが自分の存在理由であると信じ込んでいた。


 たとえ、それらの言葉に思い当たる節がなかろうとも。


 たとえ、それらの行動が憎しみに彩られていようとも。


 私は否定せず、彼の気が済むまで全てを受け入れて、笑っていた。


 自分としては、敵意がないことをひたすらに示していただけだったが、その対応に更に逆上する者もいた。そうして最大限膨れ上がった感情を私で発散させるのも自分に課せられた使命なのだと、そう思っていた。実際に浴びせられるその言葉が真実かどうかは問題ではなかった。溜め込んだ感情を発散するのを目的とした手段として最も効率的なものが、私を「神々を殺した天使」として仕立て上げるものなのだろうとぼんやりと考えていた。


 事が終われば私は目隠しをされ、厳重に管理された地下の部屋に連れて行かれる。束の間の休息のように思えたが、ここでも肉体的な苦痛は止むことがなかった。体の内側から広がるそれは、確実に、着実に私を私たらしめている何かを溶かし崩していくような実感を与えた。


 ああ、このまま私はこの世界はこにわで朽ちていく運命なのだろう。だが、恐れや不安は浮かんでこなかった。後悔も執着もなかった。この身が潰えるまで自分の使命を全うできるのであれば、それはそれで幸せな生き方だと思っていたからだ。けれども、時間が経つにつれてこの身に積もりゆく不快と切り離されたその「幸せ」は、一体誰から見た幸せを想定していたものだったのだろうか。


 その日も雨だった。


 荒い吐息、軋む音。掴まれてベッドに強く押し付けられる私の腕。何度目になるだろうか。じわじわと体を蝕み続けるあの苦痛でもう感覚があまりない私は、いつしかそれらを不快とさえ思えなくなっていた。


 彼は他の者たちとは少し違っていた。他の者たちは私に対して明確な敵意のみを持っていたが、彼から向けられるそれには敵意以外の感情も含まれていたような印象を受けた。


「どうしてお前だけ!」


 これが決まって彼の第一声だった。


「俺はアストラーデによって神から降格させられ、ただの人間に成り下がった! 食べ物を食わなければ生きていけねえ! それなのに! お前は! 未だに神の力を持ち続けていて! 肉体を持っているのに、俺と違って生命維持活動を行わずとも生きていける! どうしてお前だけ! どうしてだ! 俺たちは同じ半神であったはずなのになぁ!?」


 アストラーデとは誰のことだろう。神の力とは何のことだろう。それを理解してあげられれば、あなたの鬱屈したその感情をより吐き出させる手伝いをしてあげることができるのに。


「他の神々から共に憐れまれ! 蔑まれ! 侮られ! なのにどうしてお前は憎まずにいられた!? どうして怒らずにいられた!? どうして今もこうして笑っていられんだよ!?」


 今回もそういう「役」か。


「殺してきた神々からの呪いで記憶を失くしたくせに! 今だってこうしてただの人間である俺に組み伏せられているくせに!」


 言葉の途切れで、体が揺れる。


「体に染み付いた経験は消えず! 武器を持てばお前は一瞬であのときのお前に戻る! お前はそのときのことを覚えていないだろうがな! 記憶を失くしても戦えるお前は死ぬまでこちら側の都合のいい兵器にせざるを得ない! わかるか!? だから憎まれているお前は今もこうして生きていられる! 生かされてんだよ!」


 そうして、彼は決まって最後に私の胸に顔を埋めて泣いた。


「……レグナート様」

「どうしてお前は、どうして……。お前はいつになったら救われんだよ。なあ、ストラスヘレナ……」


 反応に困った私は彼をただ眺めていることしかできなかった。果たしてこの場合はどのように対応してあげるのが最良なのか。相変わらず思い付かない私はやはり救いを求めて雨が降っている窓に目を向ける。ガラスを伝う水滴を目で追い、一度瞬きをしてから、奥へと視線を移す。途切れなく地を濡らしていくそれらの中で誰かがこちらを見ていた。肩ほどの銀髪に宝石のような煌めきを携え、同時に海のように深い青色の瞳。身に纏う白いローブに純白の羽。一枚の絵画のようなその佇まいに私は目を離せなくなっていた。


 その少女の口元が動く。だが、耳を澄ましても、雨音に遮られて聞こえはしない。たとえ雨が降っていなかったとしても、ガラスを隔ててのそれは聞こえて来なかったかもしれない。だが、どういうわけかその口元の動きだけで、何を言っているのかが理解できた。音がなくとも、言葉が脳に染み込んできた。やがて、言い終えた少女は私に微笑みかけてくる。



 ────あなたの心はどこにあるの?



 塗り潰していくように降りしきる雨の中、真意を測りかねるその問いが掻き消されぬまま私の元へと届いてくる。その回答に困った私は一瞬彼女から目を逸らすが、次に戻したときには彼女の姿はもう見えなくなっていた。


 私は彼女の頬を伝う雨粒を思い出しながら、腕の中で子どものように泣きじゃくっている彼を見つめて、ゆっくりと目を閉じた。


 私の心? そんなもの私の中にあるに決まっている。一体そこ以外のどこにあるというのか。そもそも、彼女は誰なのか。どうして私の前に現れたのか。なぜ私にその問いを投げかけてきたのか。


 それからの毎日はそれまでと何一つとして変わらないものであったが、彼女の存在がまるで呪いのように日に日に私の中で大きくなっていた。どうしてこんなにも彼女のことが気になってしまうのだろうか。


 私に時間の流れを把握することはできないが、彼女と再会をしたのはそれからそう遠くなかったような気がした。


 気が付けば、私は地面に伏せ、降りしきる雨粒に打たれてこの身を濡らしていた。いつの間にか、私は私の世界から放り出されていたのだ。外の匂い、土とそこから生える草の感触、周りを囲む木々、冷たい雨。それら全てに浸れるようなはっきりとした意識をそのときの私はすでに持ち合わせてはいなかった。


 ここに来るまでの記憶がぷつりと途切れていた。最後に思い出せるのは、いつものように地下の部屋の冷たい床で微睡んでいたときのこと。次の瞬間にはこの場所だ。何の冗談かと思う。これは夢の中なのだろうかとも思ったが、体を蝕むその苦痛はこれが現実だと執拗に訴えかけてくる。いつの間にか私は黒いローブを身に纏い、放り出された右手の指先には剣が触れていた。意識を取り戻す直前まで私が持っていたものなのだろうか。


 何のために?


 だが、私はもう私の世界に戻れないことだけは理解できた。ここが死に場所になるという確信を抱いていた。体はとうに動かない。誰かが私に近付いてくる音が聞こえてくる。これが死が歩み寄ってくる音なのかと思いながら目を閉じた。途端に弱まる意識が触覚へと割かれていく。一粒一粒の雨が私に落ちてくる度に体が軽くなる。不思議と気分が楽になっていく。今まで私に降り注いでいた負の感情を洗い流してくれているような気がした。


 ああ、やっぱり雨は私を救ってくれると自然に口元が緩んだ。足音が止む。まさかこのような場所で終わりを迎えるとは思いもしなかった。いよいよだと覚悟を決めた私だったが、目の前に立っている死はこの期に及んで生への執着を尋ねてきた。


「このまま死にたい?」

「死にたくないと言ったら、私は生かしてもらえるのですか」


 これが最期だと思ったら、随分と肩の力を抜いて喋ることができた。


「その割にはあまり生に執着していないように見えるけどね」


 どこかで聞いたことがあるような声のような気がした。記憶を辿ると、案外と答えはすぐに見つかった。ああ、あのときの彼女かと目を開く。彼女は私の死そのものだったらしい。


 だが、今となっては不思議だ。声など聞いたことがないはずなのに、どうして私はあのときの彼女だとわかったのだろうか。



「……あの質問の意図を教えてもらえないでしょうか」

「答えは見つかった?」

「私の心なら、当然私の中にあるはずです」

「違うわ。私が聞いているのは『ストラスヘレナ』、あなたに対してよ」

「どういう、意味でしょうか」


 そう言うと、彼女はどこからともなく剣を取り出し、その先をこちらに突き付けてくる。ストラスヘレナ。レグナート様は決まってその名で私のことを呼んでいた。間違いなく彼は私のことをその名で呼んでいた。そして、目の前の彼女も明らかに私に対してその名で呼びかけている。なのに、「違う」とはどういうことだ。彼女は誰に対してその名で呼んでいる? これではまるで、私の中に他の誰かがいるみたいではないか。


「何、を……」

「さあ出ておいで、ストラ」


 訳が分からなかったが、剣を振りかぶった彼女を見て私は観念したようにもう一度目を閉じた。


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