14話
「アルマフィアって、一体何者なの……?」
自ら身を投げた彼女の行動に理解が追いつかないナルヴィアは業火を見つめながらそう呟く。
「俺も神域で大した面識があるわけじゃなかったが、アストラーデと仲が良いという噂は聞いていた。だから、地獄に隠されているというアストラーデの心を取り戻そうとしているんだろう。ふざけやがって」
「でも、天使が苦しむことでこの世界は続いているなんて、そんなの……」
「だったらてめえはこの世界が終わってもいいってのかよ!?」
「違う! ただ、もっといい方法があるはずでしょ……」
「んなことはわかってる! 俺たちだってこの方法が正しいとは思ってねえ。だが、これが神造知能の導き出した最高効率の世界存続方法であることも事実だ。やつを倒し、代替案を思いつくまで。そして、その方法に完全移行するまではこの方法は継続しなけりゃならない。何十年かかるか、何百年かかるかはわからないがな」
「そっち側の天使たちはみんなちゃんとそのことを知っていて、受け入れているの……? 受け入れたうえで、あなたたちのために命を懸けて戦っているの……?」
「全てはこの世界を存続させるためだ、わかるか」
それは否定を意味している言葉だと、明言されずとも理解できた。だが、そんなことあまりにも残酷ではないか。世界のために神に祈る。それは確かに天使たちの全員が望むことであり、使命だろう。だが、それがこんな形で。死んだ方がましではないかとさえ思えるような方法で行われなければならないというのか。効率的に祈りを発生させるため、それがどんな方法かも教えてもらえずに心の準備もできないまま。オルウェクローレルに入隊していなければ、私もおそらくはそうなる運命だったと考えると、ひどく身近なことのように感じてしまう。
「元々は神であったアルマフィアがこの方法の否定に執着しているのにはそれ相応の理由ってものがないわけじゃねえ。先程あいつは言っていたな、絶望から生まれる祈りが世界を回すのに一番効率的だということをアストラーデは「過去の実験」で知っていたと」
「え……?」
「やつはその身に受けているんだよ。アストラーデが行った効率的に祈りを発生させる実験の全てをな」
「どうして、そんなことをされて生きていられるのよ……」
「やつはメギドライトを保有していたからだ」
「メギド、ライト……?」
「簡単に言えば、世界に与えられた何度でも生き返ることのできる力だ。それを神造知能となったアストラーデに知られ、目を付けられちまったんだろう。死なない体っていうのは実験をするには効率的だからな。結果、やつの犠牲のおかげでこの世界は存続しているといっても過言ではない。みんな多かれ少なかれ、やつには畏敬の念を抱いていた部分はあるだろう。それなのに、目先の感情に囚われて、世界の存続を放棄するとはな。全く、失望甚だしい」
「ちょっと待ってよ。じゃあ、彼女はあの業火を抜け出す方法を知っているということ……? だってほら、地上に出てきていたし」
「アストラーデの心を取り戻そうとしているのをみるにそれでは根本的な解決にはならないんだろうよ」
言い終わると彼は舌打ちをして頭を振る。
「話し過ぎた。今の話は全て忘れろ、俺としたことがこんなことをペラペラと話してしまうほど動揺していたらしいな」
「全くその通りです、一介の天使に喋りすぎですよ。これでは神々の情報を天使たちの記憶から消去した意味がなくなってしまいます」
その声が聞こえてきた背後をレグナートは睨みつける。
「アインツァーレ……!」
そこにいたのは天使族長アインツァーレだった。ナルヴィアは彼の姿を見たことは2、3回程度しかなかったが、それでもその神秘的な紫色の髪は強く印象に残っていた。神との橋渡しをしていたアインツァーレは最高位の天使であり、彼からしてみたら、ナルヴィアは確かに一介の天使だ。二人の地位は天と地ほどにも離れており、言葉を交わそうとすることはおこがましいことだと体がはっきりと覚えている。それは、彼女が仲間を殺してしまった今でさえも。
「どうしてお前がここにいる」
「アルマフィア様に会うつもりだったのですが、少し遅かったようですね。彼女は心を取り戻しに行かれたのですか?」
「……アストラーデについてはすまなかった」
「私はあなたたちのことを恨んでなどいませんよ。今も敬意を払うべき対象であることに変わりはありませんから。それは立場が違えども、です」
「やつに脅されているのか」
「それを言ってどうなりますか? 事態は好転するのですか?」
「……」
「いずれにせよ、私は私の役割を演じるしかもう道は残されていないのです」
「ここで俺たちを殺す気か」
「お望みとあらば、すぐにでも。ですが、私がわざわざ手を下すまでもなく、じきに終わりが始まります。そうでしょう、レグナート様。とはいえ、ここに地獄の神と視覚を共有している者が二人いる以上、この立場である私が何もしないというわけにはいきません。拘束して、地獄の神のもとへあなたたちをお連れいたします」
そう言って二人に手を伸ばした瞬間、両者の間へ割って入るようにして、一つの影が降りた。散った黒い羽が空中を舞い踊る。それを見たアインツァーレは眉を顰めた。
「──地獄の神と繋がっている者を守りに来ましたか」
「ストラスヘレナ……!?」
驚愕するレグナート。目を見開いたまま、身動きができなくなったナルヴィア。そんな二人を庇うような形で、ストラはアインツァーレの前に立ち塞がり、少し身を屈めた姿勢で手に持った抜き身の剣を彼に振るう。
刹那、彼が小さく口を動かすと、周囲が幾層もの光の壁で覆われる。だが、剣と接触した箇所は凄まじい音が発生した後、徐々に罅が入っていく。やがて、1枚2枚とその層は割れていき、全てが破壊されたとき、彼の体は衝撃で吹き飛ばされてしまう。
「(私たちを、守ってくれた……?)」
恐怖の象徴が眼前に現れたことで、声も出せないほどに硬直していたナルヴィアだったが、ストラがアインツァーレを攻撃した姿を見て更に脳内が掻き乱された。どうして自分たちを殺していた存在が、今になって自分を守ってくれているのか。その疑問から、ストラを見つめ続けていた彼女はやがてあることに疑問を抱き始める。
第一階層で見たときの姿よりも髪に混じる黒色の比率が多くなっているのは気のせいだろうか。両翼とも黒に染まっていなかったと思うのは気のせいだろうか。そして、
────この二人、顔と雰囲気が少し似ていると思うのは気のせいだろうか。
ストラからの攻撃で距離が開いたアインツァーレは逆にこの状況を利用し、神の力で発生させた光の弓での攻撃に移行する。流れるように矢を装填し、弦を引き絞る。卓越した技量と腕力から放たれた矢は目で追えぬほどの速度と威力を纏い、地面を捲りあげながらストラのもとへ前進する。ただ、相手を射止める。そのためだけの本気の矢であった。
だが、彼女は瞬き一つしないまま容易くその矢を素手で掴み、逆にアインツァーレのもとへ投擲する。矢は彼の肩へと刺さり、その勢いのまま、鏃は壁に縫い留められる。
目を疑いたくなるほどの、常軌を逸したその強さ。
「くっ……」
力を解除して突き刺さった光の矢を消すが、その間にストラは地面を蹴り、黒翼をはためかせて加速しながら接近してくる。その様子を見て攻撃を真正面から受け止めることにした彼は腰から剣を抜き、衝撃に備える。彼を見据えたまま剣を振り抜こうとした瞬間、ストラの体がぐらと傾いた。不安定な体勢になったことで速度を制御できなくなった体は地面を転がる。やがて、勢いを失った彼女はアインツァーレの目の前で体を折り曲げ、くぐもった声で苦しみ喘ぎだした。
「──難儀なものですね、神の呪いというものは。それにしても、アストラーデ様のためにその呪いを背負いつつも神々を殺してきたというのに、今になって歯向かうとはどういう心境の変化なのでしょうか。ぜひお聞かせ願いたいものですね」
「私はこの身を捧げると決めたのです……」
冷たい視線で見下ろしてくるアインツァーレを睨みつけていたストラは、ここに来て初めて口を開く。
「誰のために」
「……」
彼はぎりと奥歯を噛み締め、彼女の襟元を掴み上げると、その反動で首は力なくだらりと傾く。こちらを見るその目は困惑の色が滲み出していた。
「答えなさい。あなたの信じる神は誰ですか」
「アル、マフィア様……です……」
「まさか……」
焦燥を表情に浮かべた彼が彼女の胸の位置に手を翳すと、音もなく光線が胸を貫き風穴を開けた。しかし、本来であれば確実に死に至らせるはずのその傷は瞬く間に塞がっていき、やがては完全に元の状態へと戻る。それはまるで、映像の逆再生をしているかのような光景。そこで彼は確信した。
「ということは、アルマフィア様は今、メギドライトを保有していない……? 一体何を、お考えに……」
その時、彼の体にどすと衝撃が走る。下を見てみると、虚ろな目をした彼女の持っていた剣が腹部へと深く突き刺さっていた。後にはその口から多量の血が溢れ出す。
痛みに耐えながらも、アインツァーレは右手指の間に挟んだ4つの宝石を頭上に放り投げた。その宝石の色は全て異なる。赤、青、黄、紫。だが、ストラは突き刺した剣を一瞬で抜き取り、それら全てを両断する。その隙に彼は神の力を込めた左手で刺された傷を癒やしながら後ろへと飛んで距離を取り、後には半分になった宝石が地に落ちた。
近接戦闘では圧倒的に不利のため距離を取った彼であったが、神の呪いがその身を蝕んでいることを加味してもメギドライトを保有している彼女に対して決定打を与える術は見つからなかった。一時的に戦闘不能にするために高火力の攻撃をしようにも、この場を崩してしまい自身が生き埋めになってしまう可能性を考慮すれば、そう易々と繰り出すわけにはいかない。それに、ミトログラフとは異なり、完全にメギドライトに適合している彼女は封印をしようにも自分の意思ですぐに解くことが可能だろう。逃げることがこの場での一番の得策ではあるが、全力で逃げようにもこの場所はあまりにも身動きが取りにくい。
その一方で、二人の戦闘を見ていることしかできなかったナルヴィア。
「今のうちだ。逃げるぞ」
その肩をレグナートが掴む。
「待ってよ、このままじゃアインツァーレ様が……」
「何言ってんだ! 逃げるのはそのアインツァーレからだろうが! 仲間を殺しているのに許されるわけがねえだろ! それに助けたところで、今のてめえに何ができんだよ!」
「……」
「……巻き込まれて死にてえなら好きにしろ」
「目当てのお姉様も地獄にいるじゃない。もう私に利用価値なんてないよ」
「んなことを言ってんじゃねえ。ただ、目の前にある救えるはずの命だったのにそれをしなかったせいで死なれたら俺の目覚めが悪いだけだ」
「どうして今になって急に。もとは天界側だった私のことが憎いはずでしょ」
「こっち側で戦っている天使たちのことは知らねえが、少なくとも元は神であった俺とウルブラータ、ヴィディゼアポロはお前たち天界の天使たちを憎んじゃいねえよ。お前たちはお前たちの使命を全うしていただけだ」
「でも、逃げるって言ったってどこに……。私にはもう居場所なんて」
「いいから逃げんだよ! ストラスヘレナがあいつの気を引いているうちに!」
ぐいと手を引かれる。彼の顔を見ると、悔しそうに唇を噛み締めていた。
その表情の理由はナルヴィアには分からなかったが、鬼気迫る何かを感じて、それ以上彼に対して何かを言う気は起きなかった。
「なに……あれ……」
振り返った彼女は言葉を失った。地面に額を付け、うめき声を上げるストラの髪の色が更に黒く染まっていくからだ。次には初めて見たときとは真逆に、一面の黒髪に前髪の一部だけ金色が混じっている状態になる。その様子はまるで、天使が悪魔へと変貌を遂げているかのようで。
やがて、その体からは黒雷が発せられ、ばちりばちりと火花を散らしながら、無差別に周囲へと襲いかかる。
「あいつは神の力を使えないんじゃなかったのか!?」
壁と天井を抉り取り、その場の崩落を招き出した様子を見てレグナートとナルヴィアは走り出すが、行く手も黒雷に阻まれてしまう。必死に退路を探す二人だったが、突如その体が宙に浮かぶ。黒雷は天井と壁だけではなく、床までも抉り取っていたのだった。崩れていく周囲を見て、レグナートは覚悟を決めたようにナルヴィアを抱きしめる。
「ちょっと、何!?」
「いいから頭を抱えてろ! 俺の力で多少は守ってやれるかもしれねえ!」
「そんなことしなくても飛べばいいでしょ!」
「馬鹿野郎、大人しくしてろ! 下手に飛べば崩落する岩にぶつかるぞ!」
二人が奈落の底へと落ちていく一方、黒雷の一つは目にも止まらぬ速度でアインツァーレの顔面の半分に直撃し、遅れて弾けるような衝撃音がその場に響き渡る。あまりの速さに反応ができなかった彼はその箇所を指で触れようとしてみるが空を切るばかりであり、そこで初めて彼は自分の顔面の半分が焦げたのではなく、無くなっていることに気が付いた。力を行使しようにも、傷口が塞がっていく様子もない。
「……神の力で癒せないということは、これは神の力の上位の力。つまりは、世界の力ということですか。それもこれは、「世界から消す力」。これでは、あなたが本当にメギドライトを保有していると認めざるを得ない」
徐々に黒雷が小さくなっていき、それに伴い崩壊も落ち着いてくる。結局、ストラが立ち上がることは叶わず、力を失ったままどさりと倒れ込んだ。やがて、彼女の髪は最後の一本まで黒く染め上げられてしまう。
そんな彼女に近付いたアインツァーレはしゃがみ込んで、その額に手を翳して目を閉じる。数秒の後、彼は徐ろに目を開けて困ったように微笑んだ。
「そうですか。これがあなたが初めて自分の意思で選んだ道なのですね」
親が子に童話を読み聞かせるように柔らかく穏やかな声色は、余韻をその場に残し、後には倒れる音だけが寂しげに虚空へと溶けていった。
残されたストラスヘレナの力なく半開きとなった虚ろな瞳はそれを意にも介さず、ここではないどこかをただぼんやりと見つめていた。だが、変わらずに紫色を保っていたその瞳も、瞼が閉じられて見えなくなってしまう。放り出された指の先が微かに動いた気がした。
「アルマフィア……さ、ま……」
消え入りそうなか細い声で呟くと、彼女は完全に動かなくなってしまう。




