13話
目から輝きを失っていくメルスレムを目の端に一瞬捉えながらも彼はミトログラフへと近付く。
一歩。
銃創が完全に癒える。
一歩。
目が正気を取り戻す。
一歩。
目の前の惨状を把握し始める。
「これは……私がやったのか……」
「自分を取り戻せたかな? 今しがた僕が撃ったのはメギドライト保有者が失った記憶を取り戻すための特殊な薬剤が練り込まれた銃弾だ」
ただの天使には到底発することのできない雰囲気に気付いた彼女は顔を上げる。
「初めましてだね、ミトログラフ。僕の名前はベルゼナーグ。この地獄を作った者と言えば君にはわかりやすいだろうか」
「地獄の神……!?」
「それよりも、だ。この状況を見ても、君はあまり動揺しないんだね」
「……ここまでするつもりはなかったと今更言い訳する気もありません」
「うん?」
「私を裁きに来たのですよね。ですが、私の体はもう死ぬことさえできません」
「なら、メギドライトを放棄すればいい」
「……!」
それまでと全く変わらない語調でさらりと彼は言い放つ。その言葉にミトログラフは口をつぐんだ。
「知らないと思って侮ったね? さて、返答を聞かせてもらおうか」
「……できません、少なくとも今は」
「なぜ?」
「ストラスヘレナを退け、アルマフィアからナルヴィアを取り返すために、私にはこの力が必要なのです」
「なら、君はどうやってこれを償うつもりだい?」
「ナルヴィアを救ったその暁には私はメギドライトをあなたに捧げるうえ、全ての断罪を受け入れる所存です。ですが、ナルヴィアを救うそのときまでは留保していただけないでしょうか? 都合の良い発言だとは承知しています。ですが、私のみの力ではストラスヘレナが自身の呪いで苦しみ出すまで耐えきることができないのです」
ぎりと歯を食いしばる彼女を見て、ベルゼナーグは吹き出した。突拍子もないその行動に唖然とする彼女に対して、彼は手を振る。
「いや、ごめんごめん。あまりにも真剣なものだったからついね。別に僕は君を断罪するためにここに来たわけではないんだ。君は君の目的を果たすのに必死だったから仕方がない。この状況はその結果だ、責めるつもりはないよ」
「では、何のために……」
「世界を終わらせようとしているアルマフィアを止めるためさ。彼女をどうにかしなければならない。その目的で僕たちは共通している」
そう言うと、ミトログラフに手を差し伸べる。
「僕と一緒に戦ってくれないかな? とはいえ、全てが終わったその時には組織を裏切り、仲間を殺した君たち姉妹に何かしらの処分は下さないといけないけどね。まあ、その処遇については僕が善処するよ。後でどうにでもなる話さ」
「私のことが憎くないのですか……?」
その提案が嘘ではないのなら、ミトログラフにとっては願ってもないことだ。だが、同時に違和感も覚える。天界の幹部らを殺した相手と手を組むなど。それも、「必死だったから仕方がない」その一言で片付けた。いくらなんでも軽薄すぎはしないか。
「思うところがないといえば嘘にはなるけどね。でも、僕は始めからこの先を見つめている。その前では全て些末なことさ」
「この先……?」
「ミトログラフ、君はメギドライトについてどこまで知っている?」
「世界が世界の担い手に与える力で、現在は5つに分割されている。その力の保有者は世界の一部となり、死ぬことがなくなる。しかし、それは副次的な効果で、主な力は世界に直接干渉できることだとそう聞いています」
「そうだ。付け加えるなら、全てのメギドライトを保有した者は「世界の器」と呼ばれている。分割前のメギドライトについて、世界はその担い手である神に何も無作為に与えるわけではなく、ある条件のもと、該当する者一人に与えるんだ。条件とは、その者が「世界のあらゆる共同体から疎外されている」こと。おそらく、そういった者の方が世界を俯瞰的に見ることができるからだろう。そうして、分割前のメギドライトを与えられた者はめでたく世界を改変することができる力を手に入れ、その者はこのように世界を改変した。祈りの力で運営されるこの世界に」
「どうして、そのような世界を望んだのでしょうか?」
「神々は人間を軽視しすぎているというのが理由だったらしい。祈りを捧げる人間がいないと世界を保てなくなったことで、神々は人間に目を向けざるを得なくなった。こちらからすればいい迷惑だよね。おかげで今こんな危機的状況に陥っているんだから。ともあれ、そうしてメギドライトは一度世界を改変すると、欠片となる仕様らしい。それが元々は1つだったものが5つに分割されている理由だ。世界の担い手内に飛び散ったメギドライトが再度1つに戻らない限りは世界を改変することはできない。さらに、世界の改変には非常に厄介な制限が設けられていてね。それは、一度世界の根幹を規定した改変は次回改変が可能な対象にならない。つまり、祈りの力で運営されている現在のこの世界の状況はもう変えることができないということなんだ。わかるかな、ミトログラフ。元が人間たちに目を向けるのが目的であった改変だが、結果的にはそれによって世界が存続に危機に瀕している。つまりは世界の改変をしたとしても、状況が好転するとは限らない。よかれと思って世界を改変をしたとしても、必ずどこかで歪みが出てしまう。それに、一度した改変は取り消せない。取り返しの付かないことになってしまうんだ。その過程で本来は幸せだった誰かが傷付き、悲しむ。なら、改変などしてはいけない。だから、僕はメギドライトを保有するのに相応しい者一人が絶対に世界を改変しないという固い意思で持っているべきだとこう考えているんだ。分割している状態でも改変そのものへの抑止にはなるが、各々の欲望で世界に干渉することができる。アルマフィアが良い例だ。彼女は光輪を発生させ、神の力を持たない天使たちの感情を失わせている。欠片と言えど、世界を危機に陥れることが可能というわけだ。それに分割されていれば、それを求めて各地で新たな争いが勃発するかもしれない。だから、一人だ」
世界の改変。世界への干渉。規模の大きすぎるその話を聞いて、ミトログラフは自分の身に宿るその力に恐れを抱いた。それと同時に溢れてくる相反する二つの感情。そのような力を天使の身である自分が持っていて良いはずがないという思い。だが、この力がなければ、あのストラスヘレナに対抗できず、ナルヴィアを救えないという思い。
「僕はね、君のことを認めているんだよ。責任感の強い君なら、メギドライト全てを保有するのに相応しい存在だとね。だが、懸念点があるとすれば、それはやはり君が天使の身であることだ。世界の担い手ではない君は能力が制限されて世界の改変も直接干渉する力も使うことができないだろうから、それはある意味で安心ではあるんだが、先ほどのように不具合が発生する場合が大いに想定できる。一つ方法があるとすれば、それは君を神に昇格させることだろう」
「それは、あまりにも畏れ多いことです……。裁かれる立場の私がそのような。そのような考えをお持ちのあなた自身が全て保有すれば解決する話では……?」
「まあね。だが、物事には想定外のことが付き物だから、万が一に備えて候補を考えておくのは好手だ。それに、僕が君に好意を抱いているのには一つの理由があるんだよ。極めて個人的なものになるけどね」
ミトログラフの手を取ったベルゼナーグは彼女を立たせる。そして、身振りで自分に付いてくるように促される。
「少し昔話をさせてくれるかい?」
「ええ」
「僕にも妹がいたんだ。彼女の名前はベルランダといって、とても素直な子だったよ」
「……」
なぜ過去形なのか。それを聞こうとするほど、ミトログラフは鈍くなかった。
「世界の器がこの世界を祈りの力によって成り立つ世界へと改変をしたことでメギドライトは5つの欠片へと分裂し、世界の器自身にその1つが、それ以外は世界の担い手である神々の中で無作為に振り分けられた。そして、その内の2つは僕とベルランダへの手へと渡ったんだよ。その力に気付いた彼女はよかれと思って、すぐに自分の力を公表したんだ。神々と言えど、不死ではない。そんな力を欲しがる者は山ほどいる。それなのに、何の考えもなしに公表すれば、自分がどういった結末を迎えるかはすぐにわかったはずだろうに。だが、それを一重に彼女が未熟だったと切り捨てるのはまた違う。彼女は彼女なりにいろいろと考えを巡らしていたのだろう。事実、彼女は僕が保有者だとは公表をしなかった。僕たちの父上は主神でね、神々の中では頂点の存在だ。主神たる彼は多くの妻を娶り、これまた多くの子を成した。だが、僕たちの母は神々の中では地位が低く、そのうえ病弱でね。ベルランダを産んですぐに死んでしまったから、正直僕もよく顔を覚えていないんだ。だけど、二人取り残された僕たちに父上は何の手も差し伸べてくれなかった。地位が低く、病弱な母から生まれた僕たちは端から眼中にはなかったというわけだ。彼は自分の子たちだからと満遍なく愛情を注ぐのではなく、地位の順に比例した愛を注いでいった。一番は当然正妻とその子に対してだ。最下位の僕たちの不満など、彼は歯牙にもかけなかった。ベルランダはメギドライトを公表したことで今まで冷たかった父上に認めてもらいたかったのだろう。僕の前では気丈に振る舞ってはいたが、やはり親からの愛情に飢えていたんだろう。こうすることで、愛を与えてくれるんじゃないか。存在を父上に認めてもらえるんじゃないかとね。けれども、父上はそんな彼女の期待を全て裏切った。彼は彼女を尊重せず、周りに流されて自分には子どもがたくさんいるから構わないとすぐに彼女の解析と複製の実験を始めた。あまりにも残酷な実験だったよ。死なないことをいいことに好き放題だった。……君は彼女の選択を愚かだと一蹴するかい?」
「いえ……」
二人は明らかにこの場には似つかわしくない、近代的な白い建物に辿り着く。周囲一帯に生命の気配はない。ミトログラフは訝しげに周囲を見渡しながら、彼とともに中へと入った。螺旋階段を降りながら、話は続けられる。
「僕は父上を憎んださ。だが、その時点で僕は歯向かうわけにはいかなかった。当時の僕は彼の圧倒的な権力を前に何もできなかったからね。だから、耐えるしかなかった。必死に隠していた。いつか来るその日のために、権力を得なければならないと、必死で功績を積み上げた。そうして、その存在をある程度認めてもらえるまでにはなれた。だが、境遇を知り、彼女の兄である僕の憎しみによる反抗の可能性を考えた神々の目は次第に僕に向き始めた。そこで、僕は彼らを恨んでいないことを証明するためにこの地獄を作り上げ、この場所での彼女への実験をすることの利点を事細かに説明し、晴れて僕自身もそれに加わったんだ」
懐かしそうにそう語る彼の背中越しに目を向けると、そこには中央のガラスで手前と奥に仕切られた部屋があった。奥はいかにもといったような手術室であり、手前の部屋には壁一面にモニターが取り付けられていた。そこには、地獄の各所が映し出されている。彼は椅子に腰をかけ、それら全てに目を通しながら、なおも話を続ける。
「彼女がメギドライトを公表してから彼らの手により実験を受けている最中は彼女に会うことを許されなかったから、ここが僕らの久々の再会の場所となった。そこで、僕は彼女と二人きりになった際、こう尋ねたんだ。メギドライトを放棄しろ、そうすればこれ以上苦しむことはなくなると。だが、その救いの手を彼女は意外にも振り払った。これで世界がよりよく発展するなら、私は耐えると。だから僕はやむを得ず、彼女がメギドライトを放棄するまで痛めつけざるを得なかった。僕は自分で起こした「当時」の地獄の業火で彼女を燃やし続けた。メギドライトは肉体を元に戻すことはできても、心を元に戻すことはできない。そのことに僕はもっと早く気が付くべきだった。彼女の心はもう彼女の意思を離れてしまっていることを僕は冷静に見定めるべきだった。苦しみで徐々に擦り切れていった彼女の心はそうして、自分でも無意識のうちにメギドライトを放棄した。そして、彼女は自ら命を絶ったんだ」
「……」
「妹を救おうとしていた過去の自分をきっと僕は君に重ねているんだろう。君にはいい迷惑かもしれないけどね。だからこそ、僕は君にナルヴィアをなんとしても救ってもらいたいと思っている」
「妹様の復讐が目的というわけではないのですか……?」
「……父上に認められたいとメギドライトを積極的に公表したベルランダのその行動は仕方ない行動だったとは思う。だが、保有者としては失格だ。だから僕はこんな悲しいことが二度と起こらないためにも相応しい者が保有し、かつ、その者一人が頂点に君臨し、世界を担うべきだと考えている」
彼が手元のキーボードを操作すると、その内の一つのモニターの画面が拡大された。
「さて、いよいよ大詰めと言ったところかな」
「アルマフィア……!?」
そこに映し出されていたのは業火に落ちていくアルマフィアの姿だった。
「一体何をしている!? 彼女はストラスヘレナにメギドライトを譲渡したはず! どうしてこんな自殺行為を……?」
「アルマフィアがストラスヘレナにメギドライトを譲渡した? そんなはずはない。であれば、感情を失わせる例の光輪を維持しているのはストラスヘレナということになってしまう。神の呪いで苦しんでいる彼女がその力をずっと維持できるはずがないからね」
言われてみれば、確かにその通りだ。なら、レグナートはただの勘違いをしていたのだろうか。
席を立ったベルゼナーグは髪を掻き上げながらドアを開け、流し目で彼女を見つめる。
「さあ行こうか、答え合わせの終着点へ」




