10話
花畑に降りてきたのはレグナートとその手を引くミトログラフだった。彼女はグィアンツェたちとの戦闘を終えた後、地上へ行ってレグナートを探し出し、有無を言わさず地獄へとやってきたのだった。当のレグナートはというと、自身に地獄の神との回路が繋がれていることをヴィディゼアポロからは伝えられていなかったため、当然ながら事情が飲み込めていなかった。どうしてミトログラフが突然自分を目当てにしてきたのか。どうしてこのような場所に連れて来られたのか。そして、ミトログラフも彼のことを地獄に来るための道具程度にしか考えていなかったため、特段教えるようなことはなかった。
「ナルヴィア」
「離しやがれ!」
追い求めていた妹を前に、目を見開く彼女の手をレグナートは振りほどく。そして、彼女から素早く距離を取りながら前を向き直ると、そこにいた人物を見て苦虫を噛み潰したような顔をした。
「アルマフィア……!」
その名前を聞いて、ミトログラフの視線がナルヴィアの隣りにいるアルマフィアに向けられる。この者が光輪を発生させて世界を存続の危機に陥れている、そして、ナルヴィアを連れ去って仲間を殺させた憎き相手。
ナルヴィアと並ぶその姿はまるで姉妹のようであり、それはつまり、自分とも顔が似ているということにもなる。その事実がさらにミトログラフの苛立ちを掻き立てた。二人の区別は表情。そして何より、分かち合った耳飾り。
「貴様がアルマフィアか!!」
叫ぶと同時に斬りかかった彼女にアルマフィアはどこから取り出したのか、西洋風の剣で応戦する。激しい剣戟が繰り広げられた後、やがて鍔迫り合いが始まった。
「野蛮だなあ、話し合いを放棄していきなり斬りかかるなんて。知的生命体の欠片も感じないよ。それでもあなた私の────」
言い終わることなく、腕力で負けたアルは空中に舞う。無防備な姿を曝け出したが、すんでのところで追撃の一閃を躱すと、瞬時に身を翻して距離を取る。
「その子とナルヴィアを交換しない? 私は回路が繋がっている者であれば誰でもいいんだ。魅力的な取り引きだと思うけど」
「そのうえで天使たちの光輪を解除しろ」
「ごめんね。そのお願いは聞けそうにないわ」
「待っていろ、今すぐ聞けるようにしてやる」
「へえ、メギドライトを持っている私に?」
「あれほど大規模な力の展開だ。一度殺して解除をさせたら、光輪を対象全員に再度発現させるには時間がかかるとみた。ならば、そんな力に気を割けぬように、そして今後割く気が起きなくなるほどに、延々と貴様を殺し続けてやる」
「私は戦いが得意じゃないんだよね。────だからストラ、あとは頼んだよ」
次にはドバンと、音というよりもはや衝撃波に近いそれがナルヴィアの鼓膜を劈く。くらくらとする頭を抑えながら顔を上げると、半ば覆いかぶさるような形で新たな人物がミトログラフと鍔迫り合いをしていた。澄んだ金色の髪の中には所々黒髪が混じっている。神秘的な紫色の瞳。背中に生えている羽の片方は黒に染まっていた。そして、身に纏う黒いローブ。その姿にナルヴィアは見覚えがあった。
奇襲の一撃を自分の剣を十字に重ねて防いだミトログラフは、涼しい顔を相手に向けていた。
「その黒いローブ。お前が先遣隊を全滅させた天使か」
しかし、直接顔を見ても、ミトログラフには思い当たる天使はいない。
「お前がアルマフィアと一緒にいるということはやつも堕天使の一員ということなのか。それとも、お前が堕天使を裏切ってやつの側に付いたのか」
「……」
「どうした、会話は苦手か?」
ミトログラフの剣は徐々に自分の顔へと近付いていき、足は地に沈み始める。だが、依然として彼女が焦ることはなかった。
「そら、傾くぞ」
「──!」
その言葉とともに状況は一変する。優勢であったはずのストラと呼ばれた天使は腕力で押し切られ、先のアルマフィアと同じように空中に打ち上げられる。体勢を崩したストラ目掛けてミトログラフが剣を振るうと、光の波濤が襲いかかり、直撃した轟音が空気を揺るがす。だが、煙が晴れて出てきたのは宙に浮かび、左手をこちらに伸ばす無傷のストラだった。
「(……あれを素手で受け止めるか)」
「ストラスヘレナ。どうしてお前が、ここにいる……? あの状態で生きていられるわけが……」
ストラの姿を見て困惑していたレグナートだったが、一つの可能性が頭をよぎる。そして、アルマフィアに視線を移し、忌々しげに歯を食いしばった。
「メギドライトか……! おいミトログラフ! 神の力を持たない天使たちに光輪を発現させて世界を終わらせようとしている元凶はあのアルマフィアだ! あいつを先にどうにかしなければ、天界側と地上側はお互い争っているうちに世界は終わっちまって本末転倒になる!」
拳を痛いほどに握りしめた彼は力の限り声を上げる。
「ストラスヘレナ! お前はどうしてアルマフィア側に付いている!? 何が目的だ!」
問いかけはその返答を得ないまま、虚空へと霧散していく。
ストラスヘレナ。ミトログラフは記憶を辿るが、やはりオルウェクローレル内で思い当たる天使はいない。そして、気になるのはレグナートが口にした内容だ。彼の言葉が正しいのなら、このストラスヘレナは堕天使の戦力であったが、何かのきっかけで瀕死の状態になった。そんなときにアルマフィアがメギドライトを与えて、ストラスヘレナは彼女の側に寝返ったといったところだろう。
つまり、メギドライトを与えたアルマフィアは複数保有していないのであれば、今殺すことができるということになる。
「気を付けろ。オルウェクローレルは天使を殺す天使だが、ストラスヘレナは神を殺す天使だ。数多の神を屠ってきたやつにお前が敵う道理はない。それがメギドライトを保有したとなればなおさらだ。攻撃をいなしつつ、隙を見てアルマフィアを狙え。それだけを考えろ」
「(神々を殺しただと……? どういうことだ。ただの天使にそんな力があるはずが……)」
だが、その先を考える時間は与えられなかった。翼を力強くはためかせたと思えば、ストラは彼女目掛けて急降下を始めた。
ミトログラフの能力は、天秤を傾ける能力だ。その発動条件とは彼女が相手と自分が触れ合っており、なおかつその状況を彼女が認識していること。触れ合うとは、相手と自分が持っているもの同士、つまりは間接的でも構わない。例えば、先程彼女とストラの武器が触れ合った後、ストラが腕力で押し負けて空中に打ち上げられたのは、触れていた武器同士の力を自分が有利になるように傾けたからに他ならない。
だが、彼女には2つの誤算があった。
1つ目は、能力を行使する際の負荷についてだ。彼女が天秤を傾けると、それ相応の負荷が彼女にかかる。彼女はこれを肉体への負荷だと認識しており、メギドライトを保有している現在であれば、肉体への負荷があっても世界が修復してくれる。そのため、無制限に能力を行使できるのではと考えた。
しかし、実際にはこの負荷は消えなかった。すなわち、これは魂そのものへの負荷だったのだ。
そして、2つ目は彼女が思っていたよりもストラが強すぎたことだ。先程の一度のみの能力の行使ではあったが、彼我の実力の差があまりにもかけ離れていたため、弾き飛ばすことが限界だった。さらに、それのみであったのに、想像以上の負荷がかかっているのを実感する。
浅く息を吐き、今一度剣を強く握りしめて身構える。
だが、ストラは最初の一撃のように剣を急降下で勢いを付けながらも剣を振り下ろしはせず、彼女のすぐ後ろに着地をする。
「なっ……!」
レグナートの前に立ち塞がるストラ。目を見開く彼であったが、対照的に目を伏せたストラとは視線が交差することはなかった。ぞくりと、神経の一本一本が、冷たい指で弾かれていくような錯覚。冷徹に命の灯を消される予感を彼は感じた。
「(くそ、しまった! やつの狙いは私ではなく──!?)」
急いで背後を振り返るミトログラフであったが、それと全く同時にストラも振り返り、剣を振り上げる。すると、大量の土や花とともに宙を舞う黒い影。ミトログラフは振り上げた隙を見て、剣を持つ右手を振るう。刹那、ストラが再度下ろした剣と衝突するが、彼女が能力を行使したことでストラは真横に弾き飛ばされる。
左肩を押さえ、痛みに耐えるミトログラフ。後には土とちぎれた花が雨のように降り注ぎ、ぼとと重く落ちる音。傷口から溢れ出す血液が失くしたそれを追うように伸びていく。
「(先程の行動は私の動揺を誘うためのものだったのか。くそ。アインツァーレは私が不適格だから、死なない程度の傷は再生しないと言っていた。ヴィディゼアポロからの話と照合するに、おそらくは世界の担い手である神ではない私は、メギドライトの力を100%発揮できないのだろう。だから、死なない程度と見なされたこの切られた腕は再生しない。だが、それは同じ神ではなく、天使であるやつも同じなはずだ)」
ミトログラフは能力の更なる行使でかかる負荷によって揺らぐ視界の中で、身を低くかがめながら吹き飛ばされる速度を軽減していくストラをなんとか目で捉える。そして、ある程度軽減されたところで、彼女は翼を振り回す遠心力で完全に相殺し、再びミトログラフに襲いかかる。それに対し、ミトログラフは能力を行使して、弾き飛ばす。
それは何度続いただろうか。衝突を繰り返したことで、二人の周囲は大きく円状に土が抉れだし、その中央でいつしかミトログラフは自身の剣を下に突き刺し、杖のように体を支えながら肩で息を切らしていた。
「(抵抗できなくなるまで着実にこちらの力を削ってきている。つまりそれはこちらが弾き飛ばすことしかできないこととその消耗が激しいことが完全に読まれているということ。能力はもう使えそうにない。ここから先は己の身一つで対処しなければならないか)」
その様子を見てストラももう彼女が能力を行使できないのを悟ったのか、大きく上空に飛び立ち、まだ残っている相手のもう片方の腕に照準を合わせ、急降下を始める。
「(さて、どうする……!)」
風に吹かれた蝋燭のように左右に揺れながら残された右手で剣を構え、覚悟を決めるミトログラフ。迫るストラ。
だが、振り翳されたその切っ先は当初の狙いを大きく外し、空を切る。そのまま勢い付いたストラの体は彼女の横を通過し、地面を削りながら転がり、やがてうつ伏せのまま止まる。かと思えば、体を小さく丸め、くぐもった声でうめき声を上げだした。
「何が、起きている……?」
事情を飲み込めないミトログラフにレグナートが声をかける。
「やつはアストラーデの指示で、数多くの神々を葬ってきた天使だ。だが、神々もただ無抵抗で殺されていたわけじゃねえ。死ぬ直前に最後の力を振り絞ってやつに呪いをかけた。そうして、殺してきた数々の神々からの呪いが蓄積されて体を蝕まれ続けているやつはやがて限界を迎え、瀕死の状態で地上に落ちてきた。記憶を失くしていたから俺たちの戦力として利用してみたが、それも一度が限度だった。地上に落ちてきた時点で、元々長続きする命じゃなかったんだよ」
「それがお前たちがナルヴィアを囚えたあの戦いか……」
「だが、これを見るに重く深く積み重ねられた神々の呪いはどうやらメギドライトをもってしても消すことはできないらしい」
あの戦いといい今の戦いといい、やつはすでに大幅に弱体化している状態だと? ならば、弱体化していない状態での強さは一体どれほどのものだったのか。膂力のみで戦っているのはその呪いが原因だったのか。
いや、そんなことはどうでもいい。問題はそこではない。
これならば、いっそその時に死んでいた方が楽だったはずだ。保有している限り死ぬことはできないため、今もこうして呪いで苦しみ続けている。そんな残酷な状況をどうしてやつは甘んじて受け入れている? そんな状況に陥らせたアルマフィアのためにどうして戦うことができる?
荒く息を吐きながらまだ立ち上がろうとするその姿を見て、ミトログラフは得体のしれない恐怖を覚えた。
「嘘……そんな、どうして……」
震えが止まらない体。ガチガチと音を立て続ける歯。収まらない荒い呼吸。
ナルヴィアの頭に浮かんだ光景。噴き上げられる鮮血。広がる鉄の臭い。つい先程まで話していたのに、あんなにも必死の形相で声を荒らげていたのに、その次には物言わぬ肉塊と成り果てて地面に落ちていく仲間たち。
肌で感じる乱れた空気に気圧されて、自分が何をすれば良いかも考えられなくなったあの瞬間。
「なんでみんなを殺したあいつがこんなところに……!」
それでも、自分のことを身を挺して守ってくれた彼ら。それなのに、自分は彼らが目の前で殺されていくのを目で追いかけることしかできなくて。
そして、その恐怖の象徴が、今まさに自分の最愛の姉を。優秀で、憧れで、希望の象徴だった姉を劣勢に追い込んで。
なのに、どうしてこの体は今も前へと踏み出せない……?
膝を突き、悔しさに地面に指を突き立てて握りしめる彼女の隣にアルマフィアが立つ。
「よく頑張ったね、ストラ。こっちはもう準備ができたよ」
握りしめた土、そしてそこに紛れた花を見たナルヴィアはどこか違和感を覚えた。
「(あれ? この土、何か変。というか、この花は偽物だ。造花? いや、でもそれにしては作りが露骨すぎる気がする。これは一体……)」
ナルヴィアが見つめるその花をアルマフィアは摘み上げる。すると、数秒後にはその指先から火が発生し、茎を伝って根の方へと延焼していく。そして、離された指先から落ちるその花は地面へと。
ナルヴィアの視線は縫い付けられたようにその動作から目を離せなくなっていた。
「これはまさか、導火線……? なら、この土は──」
「目を逸らさないで、ナルヴィア。私たちの地獄はまだ始まったばかりでしょう?」
次には視界が溢れんばかりの光で包まれた。




