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苦手な方はご注意ください。

☆書籍化やコミカライズ☆

【電子書籍化】さようなら、私の冷遇生活~パーティーで声をかけてきたのがヤバい男だった件~

☆5月24日コミックシーモアより先行配信☆

他サイトは6/20~です。

ブレナン視点・2人のその後を約4万字加筆の上、電子書籍で配信です。シーモア限定SSもあります。

6月には「尊い5歳児たちが私に結婚相手を斡旋してきます」も同じくリブラノベル様から加筆の上で配信。ぜひセットでよろしくお願いいたします!


挿絵(By みてみん)


 明らかに流行遅れのドレスを着た私めがけて一直線に貴公子然とした男性が歩み寄って来る。彼は壁のシミ状態の私の前で立ち止まると、手を差し出した。


 彼の友人たちがニヤニヤとこちらに視線を向けているから勘違いなどしない。賭けで目の前の彼が負けたか、それともこれからのレティシャの行動に何かを賭けているのか。こんなことをさっさと頭の中で計算してしまうほど嫌なことを見てきてしまったものだ。


「踊っていただけますか?」

「えぇ、喜んで」


 喜んでの部分は棒読みを心がける。そして、ダンスくらいは踊れますから。

 後ろの令息集団の表情を確認するが、レティシャがダンスをするかどうかに賭けていたわけではないらしい。ということは休憩室に引きずり込めるか口説けるかというところか。


 男というのは本当にしょうもない。自分の父親を筆頭に。

 せっかく金があって容姿も素晴らしく良い教育を受けているのだから下半身以外をもっと使えばいいのに。そうね、世界平和とかに。


「ブレナン・マクベスです」

「マクベス様は大変有名ですから私でも存じております。私は」

「あなたも有名だ。レティシャ・へリング嬢」

「それはどういった方向に有名なのか聞きたくはございませんね」

「ここで言うのは少し、ね」

「聞きたくないのでおっしゃらずとも」


 軽薄な雰囲気を醸し出す彼は軽く片目を瞑る。その動作により隣で踊っていたカップルの令嬢が顔を赤らめた。美形はたったそれだけでものすごい攻撃力だ。


 マクベス侯爵家の三男、遊び人で有名なブレナン・マクベス。成人しているにも関わらず彼にはまだ婚約者も結婚相手もいない。


「それで、何を賭けていらっしゃるのかしら?」

「何のお話ですか?」

「あそこでコソコソやっておられる男性方と何か賭けていらっしゃるんでしょう? まさかジュース一杯なんて御冗談はよしてくださいな。で? 貴公子マクベス様が私をチョロくオトせるに賭けた金額はおいくらかしら?」


 軽く驚いているようだ。彼の手にわずかに手に力がこもった。ここまで当てこすりをされると思っていなかったのだろうか。箱入り娘ならもちろんこんな発想しないだろうが、絶賛父親と愛人と義妹から冷遇中の伯爵令嬢を舐めてもらっては困る。こちとら病気の母親と離れに住まわされていますから。


「200ギーニです」

「あらまぁ、なかなかいい線ですわ。裕福な平民の月収ですわね。良かった、私の価値はまだそれくらいはあるのですね。10ギーニでしたらショックで足元が狂ってマクベス様を巻き込んで倒れてついでにヒールで踏んでいたかもしれません」


 あら、彼の顔が引きつった。

 そうよね、このご尊顔を目の前にしてここまで辛らつなことを言うご令嬢なんていないわよね。みんな先ほどの令嬢のように顔を赤らめるか、目がハートになってしまうのでしょう。


 見れば見るほど綺麗な顔だ。飾って置いておきたいくらい。彼の金色の髪はシャンデリアの光に当たって完璧なほど輝き、グリーンの目はどんなに頭が悪くても女遊びが激しくとも彼を理知的に見せている。


 うちで採れるエメラルドによく似た色だ。もうそろそろ何も採掘されなくなりそうな鉱山だから彼に失礼か。


「ちなみに、先ほどからマクベス様に大変熱い視線を送っているのは私の義妹です。良ければこの後ダンスに誘ってくださいませ。彼女で賭けをするなら簡単に200ギーニ手に入ります。あら、でも私よりも彼女の方が価値があるかもしれませんわね」

「私はあなたがなびかない方に賭けた」

「あら、それでは全力で惚れたフリでもしましょうか。えっと……申し訳ないわ。やはり好きでもない方にあんな表情はできません」


 あんな、と示したのは隣で踊っている先ほどとは別のカップルのご令嬢。ダンスパートナーよりもマクベス様を見ている。


「手厳しいな。でも200ギーニは手に入りそうだ」

「それは良かったですねぇ」

「棒読みだね」

「あなたの下半身を蹴飛ばしたくてたまりませんからね。煩悩と戦っていて忙しいのです」


 彼が驚いて足を止めるタイミングで曲が終わった。ちゃんと計算している、そのくらい。


「それでは」

「君はダンスがとても上手だ。口は悪いが」

「そんな当たり前のことを口にされても困ります。だってウワサ通りでしょう? へリング伯爵家の長女は気難しくて偉そうで趣味が悪くて男好き」

「あなたは意志が強そうだし、とても賢そうだ。それを人は偉そうだというのかもしれない」


 彼の言葉を無視してさっさと壁のシミに戻る。

 さて、離れの食事はお母さまに合わせて病人食しか出ないからここでしっかり甘いものを食べておかないと。


 まさかブレナン・マクベスが釣れるとは思っていなかった。こんな流行遅れのドレスに酷い化粧をした私を笑う人は多くても、声をかけてくる猛者は少ない。彼は釣っただけで逃がしてしまっただろうが……仕方がない。ああいう女で賭けをするタイプの男はダメだ。今日帰ってから小指を家具にでもぶつけたらいい。


 成人すればどこかのブタ親父にでも嫁がされるんだから早く何とかしたいんだけど。私の婚約者も義妹にべったりなのだ。あれは明らかに私と婚約解消して義妹と婚約するわね。それで義妹は伯爵家を継ぐ。父だって義妹の方を溺愛しているのだからさっさとしてくれたらいいのに。何をもったいぶっているのか。


 この国は女神教の教えにより、成人前に婚約はあっても結婚は許されていない。もちろん妊娠も。特に貴族は厳しくて、花嫁修業などと称して令嬢が婚約者の家に留まるのも大変な醜聞になる。

 だから私は冷遇されていてもまだブタ親父に嫁がされていないのだ。ブタ親父は今のところ存在しないけれど、あの愛人と義妹ならどこかから見つけてきて私が成人した途端に婚約解消してドナドナで嫁がされそうだ。


 なぜ私が逃げ出さないのか。

 それは病気で臥せっている母がいるからだ。今はいない未来のブタ親父が母も一緒に引き取ってくれるのならいいのだが。

 嫁いでも母を置いて行かなくてはいけないのなら、母は本妻なのにこの伯爵家で見殺しにされるだろう。あるいは何か盛られて死んでしまうか。


 本当にモルトン子爵の件が悔やまれる。

 モルトン子爵はパーティーで出会った五十代の方で私の境遇に同情してくれて、成人してブタ親父に嫁がされそうだったらうちに母親ともどもおいでと言ってくれたのに! まさか一カ月前にポックリ逝かれてしまうなんて…。私もモルトン子爵以外の方を探さずに胡坐をかいてしまったのも良くなかった。


 私の成人まで猶予は半年もない。婚約者のいる令息はダメだし……。老人の介護をしてもいいから母と一緒にあの屋敷を出れないだろうか。


 お、ブレナン・マクベスが義妹をダンスに誘って踊っている。

 良かった、あれでしばらく義妹の機嫌は良いはず。ついでに彼が私の悪口でも言ってくれればさらに義妹の機嫌は良い。

 でも数々の令嬢と遊んでいる彼があんな意地の悪い義妹に惚れたらそれはそれでなんだかショックだ。そんなのがいいんかいってやつね。


 そんなことを考えつつ、甘いものをむさぼりつつ、夜会は情報の宝庫なので壁のシミとして情報を集める。ちょうどいい初老の貴族などいないだろうか。後妻でも第五夫人でも何でもいいから母と一緒に持参金なしで引き取ってくれる人。

 私は義妹と婚約者に変なウワサを流されているから普通の令息は難しい。

 義妹の引き立て役で参加した夜会では初老の男性を中心にガン見していたから、男好きなのは否定しない。


 なぜパーティーに参加できているのか。

 義妹と愛人は平民出身だから。お作法をまだよく分かっていない。愛人は父の隣にいればいいが、義妹はウロチョロするから。あと、私が嗤われてみじめな姿を見るのが好きなのだ。


 ドレスを一人で着れないから夜会に行けませんし、義妹のお目付け役もできませんと言ったら夜会の前になると侍女は寄越してくれるようになった。ドレスとアクセサリーは良いものはすべて奪われたので、母のお古を着るしかない。


 私のドレスがどれだけ流行遅れだろうと、他の貴族たちは他家の台所事情だから何が起きているか薄々分かっていても積極的に口出しなどしない。悪口やウワサはするけれど。



 翌日、離れの部屋の扉がけたたましく叩かれ開いた。


「何かしら」

「お姉さま、羨ましいでしょう!」

「えぇ、そうね」


 義妹は自慢したいだけなので、まず肯定しないといけない。


「マクベス様からデートのお誘いが来たのよ」

「あらまぁ。それは……」


 本気のあらまぁである。

 マクベス侯爵家の三男ブレナン・マクベスは義妹で遊ぶことにしたのか、それとも義妹に惚れたのか。性格はおいといて顔は可愛らしいものね。


「やっぱり、お姉さまよりも私がいいわよね」


 驚いて何も言えないでいると、ショックを受けていると勘違いした義妹は満足したらしく本邸に帰って行った。私と比べるよりもあれの歴代の女性遍歴と比べた方がいい。妖精のような伯爵令嬢から薔薇にたとえられるほど美しい侯爵令嬢からいろいろ遊んでいたはず。


 義妹が傷つこうが振られようがどうでもいいのだが、こちらに八つ当たりがくるのでマクベス様には綺麗になんとかして欲しい。あれだけ遊んで刀傷沙汰になっていないから綺麗に遊んでいるみたいだが……せっかく私は義妹と愛人と父の前では大人しくしているのだから。


 ちなみに愛人は離れにはやってこない。古参の使用人の話では、父の不在の間に馴染みの商人を引き込んでゴニョゴニョしているようだ。元気である。伯爵夫人としての仕事はしたくないが、お金をたくさん使いたいタイプだ。義妹はマウントとってくるタイプ。



 それからしばらく経ったある日、私は母を車いすに乗せて庭を散歩していた。

 いつもこの時間は母の散歩の時間だ。それを分かっていてか義妹がやって来た。なんとマクベス様を連れて。


「やだぁ、お姉さまったら使用人みたいよ」


 マクベス様もこちらにやって来たので頭を下げる。


「わ、本当に使用人みたいだわ。みっともない。ねぇ? ブレナン様」


 義妹の優越感の滲んだ声がする。頭を下げているのでマクベス様のお顔は見えない。義妹はもう名前で呼ぶ許可をもらったのか。義妹が失礼なことをしているだけなのか。マクベス様の視線をつむじに感じるが、彼は特に何も話しかけてこなかった。


「そんなことよりも君の話がもっと聞きたいな。中でお茶でも飲まないかい?」

「まぁ、そうですわね!」


 足音が去っていくのを聞いてから頭を上げる。


「お母さま、ごめんなさいね。嫌なところを見せて」


 母は緩く首を振る。


「私が早く元気にならないからあなたまで軽んじられているのよ。ゲホッ」

「冷えてきた? もう戻りましょうか」

「そうね。ゲホッ。私が実家から見捨てられていなければせめて扱いは違ったのに」


 母の実家の子爵家は母の兄が継いでいるが、母は兄と折り合いが悪く助けを求める手紙を出しても無視されている。つまり母の実家には頼れない。


 母をまだ殺さないのは私の成人までに母が死んで不審死と診断がついたら、持参金を母の実家に返さなければいけないからだろう。そんなギャンブルをあの小心者の父ができるはずがない。

 エメラルドがたくさん採れて、母が父の浮気により気鬱の病になったので調子に乗って愛人たちを迎え入れた父。しかし、すぐ翌年から採掘量は目に見えて減った。だから持参金でさえ返したくないのだ。


 これまでずっと従順な振りをしてきた。逃げようともしなかったから父たちは油断している。

 最終的にここから逃げ出すためにずっと待っていただけ。一度でも失敗したら監視がきつくなるから。

 それに母が病気になって愛人たちがやって来たのは私が八歳の時だった。あの時は年齢も知識も知恵も身長も力も何もかも足りなかったから、黙ってすべて奪われて離れに追いやられるしかなかった。


 嫁ぎ先が見つからなければ成人前日の夜にここから母を連れて教会に保護を求めて逃げ込むしかない。その時は古参の使用人たちが協力してくれることになっている。モルトン子爵が生きていても結局は逃げ出さなければいけなかったのだし。


 私と母の環境改善を伯爵に訴えた使用人たちが解雇されてから、私たちに関して口出ししないように古参の使用人たちに言い含めてずっと従順な振りをしてきたのだから。



 義妹は何の奇跡かマクベス様とデートが続いている。律儀に自慢しに来るのだ。可哀想である、他に自慢する相手がいないのだろうか。

 何度かへリング伯爵家にも彼は来ているらしくあれから二度ほど遭遇した。


 そもそも義妹は伯爵の娘、つまり私の妹として届けが出されているが釣書が届かない時点で何か察しないのだろうか。高位貴族から彼女宛にお茶会や夜会の誘いがないことも。へリング伯爵家が高位貴族からどう見られているか、普通はそれで分かるだろうに。マクベス様だって義妹で遊んでいるに違いない。


「あの……エドワードはどうするの?」


 ある日離れに押しかけてきて、この前行った観劇の話を延々する義妹に恐る恐るといった体で聞いた。


「エドワード? あれはお姉さまの婚約者じゃない」


 えぇ、八歳の時から私に会いに来たこともない婚約者よ。すぐ義妹になびいちゃって。最近ではパーティーで義妹の隣にいるのを見るだけよ。義妹が跡取りになりそうだと彼の家も予想しているのよね。


「でも、エドワードはあなたといる方が楽しそうよ」

「そりゃあそうでしょう。でも、ブレナン様となら比べるまでもないわ」


 まぁ、確かに。うっかり頷かないようにしながら従順で気の弱いレティシャ・へリングを演じる。


「マクベス様は……嫡男ではないけれどどうされるのかしら?」

「侯爵様が持ってる子爵位をもらうって言っていたわよ」

「じゃあ……伯爵よりも下になってしまうわ」

「何言ってんの。お姉さまじゃなくて私が結婚するのよ。ブレナン様くらい顔が良かったら子爵でもいいかな~」


 いつ結婚の話になった? デート数回しただけよね? 結婚話なんて出てないのでは? 義妹の中では五回デートしたら即結婚なのだろうか。


「マクベス様からもう結婚の申し込みがあったの?」

「まだだけど、いずれあるわよ。私とだけ最近はデートしてるんだから!」

「羨ましいわ……」


 私が諦めたように頬に手を当てて「羨ましい」と言えば義妹は優越感を抱くらしい。羨ましくないが羨ましいと言うために頑張って頬の内側を噛んで痛くて悲し気な顔を作っている。


「お姉さまはあの冴えないエドワードと結婚したらいいのよ。お姉さまは地味だし不細工だから引きこもって伯爵家の仕事だってずっとできるじゃない」

「まぁ……そうね。でも私は勉強も要領よくできないし……エドワードはあなたのことが好きだし……」

「お姉さまは愛されていないのだから、私がブレナン様と結婚して子供ができたら一人くらい養子にあげるわよ」


 一体、マクベス様とどういう会話をしているのか。

 義妹はこんなことまで頭が回らないはずだ。パーティーに出まくって変な知恵でもついたのだろうか。これまでは私たちを蔑んで下に見て満足していたはずだけど。こんな具体的なことを言うなんて。警戒した方がいいかもしれない。



 庭でこれ見よがしに母の車いす姿を見せていたが、母はちゃんと自力で歩ける。目撃されるかもしれない日中は車いすだが、夜になると自分の足で歩いている。これは父たちを油断させるための計画の一つだ。


 ある日、義妹が出かけている時にマクベス様が急に訪ねて来た。離れの窓をコンコンと叩かれて飛び上がるくらいに驚いた。


「何でしょうか」

「君の妹に会いに来たんだけど、留守みたいだ」

「おかしいですね、約束はされましたか」


 彼の後ろで使用人が首を振っている。アポイントなしの訪問のようだ。


「妹がどこに出かけたか知りませんので良ければ本邸でお待ちください」


 マクベス様は後ろを振り返ると、一人で大丈夫だからと使用人に下がるように言った。彼は人好きのする笑みを浮かべると私の耳元に口を寄せた。


「どちらが君の本当の姿なんだ?」

「どちらも私ですが、人を二重人格者のように仰るなんてどうされたんですか」


 その話、耳元でする必要ないですね。


「最初にパーティーで出会った君は明け透けにものを言った。でも次にここで会った時の君は妹にバカにされても何も言わなかった」


 あぁ、そういうこと。グリーンの目は探るように私を見ている。


「君は相手によってころころと態度を変えるのか」

「それの何が問題なのでしょう。マクベス様は国王陛下の前でも普段通りの態度なのですか」

「そういう話じゃないし、陛下の前でこんな態度じゃない。女は俺の前では媚びてくるが、陰では男の品定めをしている。態度を変える奴なんて信用なんかできない」


 一人称が俺になっている。


「だって貴族の女性はどのような男性と結婚するかで将来が決まりますもの。より良い嫁ぎ先を選ぶために品定めするのは当たり前です。暴力男のもとには嫁ぎたくないですし、浮気男で苦労したくないでしょう? それに男性だって女で賭けもしますし品定めもしているでしょう」


 200ギーニなんて女に価値をつけているではありませんかと続ければ、賭けをしていた心当たりがありすぎるせいかマクベス様は顔を顰めた。美形が顔を顰めると迫力がある。


「品定めが好きな方もいらっしゃいますが、ほとんどは生き延びるためです。私が態度を変えるのも生き延びるため、というか上手に生きていくため。誰だって平和に生きたいはずですから。さぁ、行ってください。これ以上は私の生活に支障が出ます」


 あれほど女性と遊んでいて実は女嫌いなのだろうか。帰るのか本邸に行くのか分からないマクベス様の背中を見ながら首を傾げる。

 初恋の人に裏切られて女遊びをしまくっているのだろうか。ひとまず、彼がうまく義妹で遊んでくれているうちは安泰だ。よろしくとばかりに彼の背中に手を合わせた。

 


 条件の合う嫁ぎ先は見つからず、見つかりかけても最後の最後でお断りされてしまい、選択肢が逃走一択になった頃に母が骨折した。

 離れにやって来た義妹が虫に驚いた拍子に母を巻き込んでこけたのだ。最悪である。成人まであと一週間のことだった。


「レティシャ。万が一の時は私を置いてあなただけ逃げるのよ」

「お母さまを背負ってでも逃げるから大丈夫よ」

「ダメよ。あなたが幸せになってくれるのが私の願いよ」

「それでも何とかするわ。お母さま、諦めないで」


 母を背負う練習もしておかないといけない。


 成人になる二日前。

 父である伯爵から成人のお祝いをしようと本邸に呼ばれた。怪しい。これまで仕事の手伝いの時くらいしか本邸に呼ばれなかったのに。とりあえず何かあった時のために使用人に協力を仰いでおかないと。そして、成人の祝いなら成人する日にせめてしてくれ。

 愛人が来てから雇われた使用人が伝えに来たのでそんなことは言えなかった。


 平然と浮気して愛人とその子供を連れ込んだ父親への情なんてひとかけらも残っていないと思っていたけれど、なぜかショックを受けた。

 まだまだ私は甘い。成人前日に逃げなくていいようにならないかな、なんて考えてしまうのだから。

 道は自分で切り開かないといけないのに、モルトン子爵みたいな人が助けてくれないかななどとふとした瞬間に考えてしまう。


 父と愛人と義妹の座る食卓で、飲み物は口をほんの少しつけただけで飲んでいない。

 スープも飲まなかったし、ソースのかかった肉もよけて食べたのになぜだか途中で気を失っていたようだ。

 気付くと見知らぬ部屋に寝かされていて、扉を開けようとしても鍵がかかっていて窓もない。


「やられた」


 睡眠薬を盛られたのだ。従順な振りをしていたけどしっかり閉じ込められた。


 ここに閉じ込められたということは、成人したらすぐにブタ親父にドナドナで嫁がされるのだろう。義妹は最近、マクベス様とのデートの頻度が少なくなっていたようだからエドワードをキープしておくことにしたのか。「忙しくて会えないですって!」と義妹が癇癪を起していた。


 服のポケットを探ると紙が入っていた。協力者である使用人からの手紙だ。成人前日になんとか解放するからそれまで辛抱してくれと書かれている。一人で戦っているわけではないと肩の力を少し抜いた。



 成人前日、つまり私の誕生日の前日はあいにくの土砂降りだった。


「お嬢様、旦那様たちはお酒を召し上がっておられるので大丈夫です。物音は誤魔化しますから」


 夜になると古参の使用人の一人がこっそり扉を開けてくれる。昼と夜の食事に睡眠薬が入っていては困るので朝から何も食べておらず空腹で死にそうだ。使用人が持ってきてくれたクッキーを食べながら、彼女の後に続いて本邸を出て離れに向かう。


「お嬢様を嫁がせてくれれば大金をくれる貴族が見つかったというお話を最近されていました。愛人の方が持って来た話のようで。すでにお嬢様とエドワード様の婚約は解消されています」


 やっぱりブタ親父が見つかったようだ。自分の親に対して吐き気がする。

 母も離れで準備をして待っていた。抱き合ってから時間がないとばかりに車いすを押して離れを出る。


 酷い雨で地面がぬかるんで車いすが思うように進まない。こんな時に天気まで味方してくれないなんて私が一体何をしたというのだろうか。腹が立つ。ずっと従順な振りをして機会をうかがっていただけなのに、何もしなかったように天は見ているというのだろうか。


「レティシャ、あなただけで行きなさい」

「大丈夫よ、お母さま。でもここからは私の背中に乗って」


 車いすがぬかるみにはまったので母を背負う。

 通いの使用人が使う裏の出入り口を開けてくれているのだ。そこから出て、少しばかり歩かないといけないが教会に向かう。さすがに馬車までは用意できなかった。乗馬もできないので馬だけ盗んで乗ることもできない。

 

 母を背負ってぬかるんだ地面に足を取られながらもなんとか前に進む。母は予想よりも軽かった。この八年ですっかり痩せた。その事実がまた私を悲しくさせる。

 雨が容赦なく叩きつけて、目にも入ってくる。涙なのか雨なのか分からない。服も軽装なのに雨を吸ってぴったり肌にはりつき、ぐっしょりと重く足を引っ張る。


 息を乱しながら出入り口を出たところに、なぜか馬車が止まっていた。そしてその後ろには騎士たちがずらりと並んでいる。おかしな光景に急いでいるが立ち止まるしかない。


 立派な馬車の扉が開いて背の高い誰かが下りてきた。


「レティシャ・へリング。助けて欲しいか?」


 なぜ、こいつがこんな時間にここにいるのか。こんな天気の中こんな夜に。


「これからへリング伯爵家には捜査が入る」

「こんな時間に?」


 母を背負い直して、なぜか目の前にいるブレナン・マクベスを見上げた。横領だろうか、それとも父は違法賭博でもやっていたのか。


「俺の一声があればこの騎士たちは君を見逃してあげるけど」


 最初に会った時のように彼は軽薄そうな笑みを浮かべていた。


「母も見逃してくれますか。そして使用人も」

「それなら、跪いて俺にそう乞うんだ」


 母を背負ったままだったから一瞬悩んだ。すると後ろの騎士が母をそっと受け取ってくれる。騎士が身に着けている紋章は間違いなく王家のものだった。迷う必要などない。なぜ侯爵家の三男が騎士に命令しているのか知らないが、すぐさま雨で濡れた地面に土下座して頼んだ。


「教会に向かうのでこのまま私と母と古くから仕える使用人たちだけは見逃してください」

「教会に向かってどうする」

「保護を求めます。さっきまで私は監禁されていましたし、このままですと成人した瞬間に私はどこぞのブタ親父に嫁がされるので」


 後ろでブタ親父という言葉に騎士たちが反応する気配がある。


「ブタ親父が嫌なのか」

「母も一緒に引き取ってくれるならどこぞのブタ親父でも狸ジジイでもキツネでもヘビでもクマでも何でもいいです。介護でも愛人でも何でもやります。見逃してください」

「教会に逃げた後の生活は?」

「私が死ぬ気で働きます。元使用人の伝手を頼るので」


 泥だらけの手と膝を見つめ、頭を下げたままマクベス様の問いに答える。邪魔にならないように束ねた髪が緩くなって顔の側に落ちてくる。


「腹が立つよ」


 お願いだから早く答えて欲しい。空腹と寒さと緊張で限界だ。

 ずっと八年間、この時を待っていた。自分なりにあがいて。基本的に貴族なんて誰も助けてくれない。見るからに伯爵家の長女が冷遇されていても。それは仕方がないけれど、今は一刻も早くここから逃げたい。


 彼は何か指示したらしい。騎士たちが大勢ガシャガシャと動いて屋敷の方に向かって行く気配がする。


「母を濡らしたままではかわいそうなので、どうか母だけは馬車の中へ入れてくださいませんか」


 返事はなく、手が伸びてきてぐいっと顎を掴まれた。

 マクベス様のグリーンの目が私を見据えている。


「本当に腹が立つ。君はびしょ濡れで泥だらけで跪いているにも関わらず、綺麗だ」


 こいつは何を言っているのか。人が命懸けで土下座して頼んでいるのに。顎から手が離れたと思ったら抱き上げられた。彼の纏う明らかに高価な衣服に泥が跳ねる。

 母が騎士によって馬車に乗せられ、私もマクベス様に抱えられたまま続く。


「また後で」


 マクベス様はそう言って下りていくと、馬車は動き出した。全くもって意味が分からない。こんな上等な馬車に乗せられて柔らかなタオルにまでくるまれて。教会まで連れて行ってくれるのだろうか。


 そのままマクベス侯爵邸に連れて行かれ、雨に激しく打たれたせいで三日間熱を出した。

 ようやく起き上がれるようになると、マクベス様がやって来た。パーティーと伯爵家で会った時はもっとチャラチャラした雰囲気だったのに、今日は軽薄な笑みもなく真面目そうだ。


 また跪いた方がいいかと体勢を変えていると、舌打ちされた。

 ねぇこの人、性格変わってない? この人こそ二重人格じゃない?


「別に跪かなくていい」

「そういうご趣味なのかと」

「違う」

「左様でございますか」

「君の妹は伯爵と血がつながっていなかった。平民が貴族家の乗っ取りをしようとしていたから愛人と妹は捕まえた。そして伯爵も事情聴取を受けている。分かってやったのであれば出てこれないだろうな」

「え?」


 熱がまだあるんじゃないか。幻聴か。

 思わず額に手をやるとため息をつかれた。


「長女を不当に扱っている件に関しては家の事情なので王家は静観を決め込んでいたが、家の乗っ取りとなれば話は別だ」

「そうですね、国としては税金おさめてくれれば何でも誰でもいいですもの」

「乗っ取りは重罪だ」

「あ、はい」


 真面目な顔で言われて頷く。


「もっと時間をかけるつもりだったが、君の成人の日が近づいていた」

「どうして妹が父の子供ではないと分かったのですか」

「君の妹が早々に喋った。ただ、子供の戯言だけでは証拠として弱い。愛人は元娼婦だったから娼館に行ってオーナーを脅して客の名簿と来た日にちを出させて」


 話はこうである。愛人が屋敷に引き込んでいた馴染みの商人が父親だと彼は見当をつけた。娼館時代からずっと続いていたようだ。一途なのか何なのか。

 しかし、わが国には血縁を調べる方法はない。そこで登場するのがつい最近他国で開発された魔道具である。血液一滴で血縁かどうかわかる優れもの。これを試験的に使用する許可をもぎ取って義妹と父で試したのだ。

 しかも目の前の男、私が熱を出して寝込んでいる間に私の血液を勝手に採って魔道具にかけていた。残念ながら私は父の娘だったようだ。その事実でなぜか泣きたい。マイナスの意味だ。


「えぇと、耳が腐った気がします」

「大丈夫だ、まだ腐り落ちていない」


 大真面目な顔でそんなことを言われたものだから、思わず笑った。私が笑ったせいか彼の纏う空気もやや柔らかくなる。


「マクベス様はなぜ騎士団を率いてあの場にいらっしゃったのですか」

「うちの長兄は王太子の側近だ。次兄は騎士。俺がちゃらんぽらんな女好きの遊び人だとでも?」

「はい。そう思ってました」

「そういう演技をして令嬢たちに近付いて各家の情報を探っていた。俺はそういう仕事を殿下から任されている」

「まぁ、そうでしたか」

「以前、君にどちらが本物の君かを俺は聞いた」

「そのようなこともございましたね」

「君はどう思う。遊び人で甘やかされた頭の悪そうな俺と今の俺はどちらが本物だと思う」


 頭が大して良くない遊び人は演技だったのか。今は喋り方まで違う。お上手でしたね、俳優になるのはいかがですかとでも言えばいいだろうか。

 言える雰囲気ではなかった。今の彼は猛禽類のような目で私を見据えている。こっちが素なのか。


「別にどちらがマクベス様でも私はどうでもいいと言いますか」

「その答えは妙に腹が立つ」


 遊び人じゃなくて俺様だったのか?


「マクベス様とは一曲踊っただけですし、よく存じ上げませんが。どちらもマクベス様ということでよろしいのではないでしょうか。私は自分の発言に責任を持つタイプです」


 彼は長い脚を組んでから頷いた。俺様サディスティックが確定。

 しかし、彼がいなければ教会までたどり着けていたか分からない。


「母と私を助けていただいてありがとうございました」

「君はこれで晴れて女伯爵だ」

「今更要らないですが、父はこの件で領地に幽閉でしょうから領民のために何とかしないといけません」

「あぁ、ついでに君の婚約者も今回の件の重要参考人だから婚約をやめたかったら簡単になかったことにできる」

「それはありがたいですが、私は男好きで気難しくて趣味が悪いそうなので新しく婚約してくれる方がいますでしょうか。あぁ、でも後継ぎでしたらやはり婿入りということで他家も反応が変わるでしょうか」

「舐めた態度の男が『君と結婚してやってもいい』とパーティーで寄って来るだろうな。下位貴族の次男や三男が」

「最低ですね」

「そういうものだ。少しでも君に瑕疵があれば上に立って伯爵家を牛耳れると思うだろう」

「母に良くしてくれて散財しない方がいいですね。浮気はまぁいいでしょう」


 しまった。私には酷いウワサもあって婚約者も一応いたので、婚約者のいない普通の令息をまったくリサーチしていなかった。初老の貴族情報なら頭に叩き込んであるのだけど。頭を抱える。


「目の前に超優良な男がいるのになぜ考え込む必要があるんだ」

「どちらに?」

「君の目の前に」

「超優良とご自分で仰るのはどうかと思います」

「では、俺が超優良ではないところを挙げてくれ」

「好意を装って女性を欺くところです」


 彼は苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「君を試したのは初回だけだ。君の妹は散々利用したが、好きだとは一言も言っていない」

「私は怒っていないので大丈夫です。そんなご自分が嫌いだから、私にどちらが本当の私か、なんて聞いたのでしょう。本命には絶対にやってはいけません」

「では、君にはもう絶対にやらない」

「いえ、本命にやらなければいいのです。私ではなく」

「俺の本命は君だ」

「私、まだ熱があるようなので横になってもよろしいですか。先ほどから幻聴が酷いのですけれども」

「母親を背負って泥だらけでびしょ濡れで走って来た君に惚れない方が難しい」

「趣味が悪いと思います。惚れた割には跪かせましたよね?」

「あれは申し訳なかった。いつもの癖で疑った」


 マクベス様がイスからベッドに移動してきて、ギシリと音がした。急に距離を詰められたのでお尻を後ろにモゾモゾ動かして後退する。


「でも、俺は君のためにかなり骨を折った」

「お仕事でしょう」

「それもあるが、最悪君が逃げた後やブタ親父に嫁がされた後に踏み込んでも良かった。乗っ取りさえ阻止すればいいのだから。こうやって母親ともども救い出して侯爵家で面倒を見て熱にうなされる君の額のタオルを替える必要はなかった。これは仕事ではない」


 血液採取だけでなく、そんなことまでしていたのか。


「左様でございますね。マクベス様の余りあるご厚意に感謝を」

「だから、君の婚約者候補のトップは俺でなくては」

「意外と謙虚でいらっしゃるのね。婚約者は俺でなくては、ではないのですか?」

「決めるのは君だから。俺は決めたけど」


 思わず口角が上がってしまった。


「それにしても、君の化粧をした顔は酷かった」

「仕方がないのです。侍女は義妹から似合わない化粧を姉にしろと指示を受けていたので逆らわないように言いました」

「屋敷で会った時にあまりに違うから驚いた」


 なぜかマクベス様がさらに近づいてくるのでまたお尻をうまく使って後退するが、ヘッドボードに背が当たった。


「むかつくな。あのアホな偽妹が君を貶めたかったのはよく分かる」

「加虐趣味がおありで?」

「君は勇敢で気高い。逃げようと決めたら逃げきるわけだ。泥だらけでもびしょ濡れでも、部屋着ですっぴんでも。だから跪かせたくなる。絶対にできないのに」

「マクベス様は頭か心に異常をお持ちではないでしょうか」

「そんな男でも君なら飼いならしてくれそうだ」

「あの、それって口説いているのですか? ペットとして飼えと言っているのですか」

「どちらでも」


 後退した時にはらりと落ちた私の髪をマクベス様は手を伸ばして耳にかけてくれる。全くありがたくはないが。


「最初に会った時、こういう女性なら俺が変な方向に行こうとしても引っぱたいてでも止めてくれるんだろうなと思った、下半身も蹴られそうだが」

「それは愛がないと無理ですね。ぜひお母さまにやってもらってください」


 耳にかけ終わったのに、彼の指は耳の形を確かめるようになぞってそのまま私の唇におりてくる。今こそ彼を引っぱたくべきだろうか。病み上がりパンチで。


「男女なんてこういう始まり方でもいいだろう。難しく考えずに」

「そういうものですか」

「俺は君の母親も助けたし、新しい医者もすでに手配した。散財なんてせずとも稼ぎはある」

「条件は満たしていますね」

「だから俺ほど優良な男はいない。超優良な男は」


 言い直した、この人。俺様。


「欺く人はちょっと信用できません」

「仕事上仕方がなかった。もう俺のやっていることが周囲にバレかけているからこの仕事は他の者に引き継ぐことになった」

「なるほど、それで伯爵家の婿におさまろうと」

「父から子爵位をもらう予定だったから爵位狙いじゃない」

「ふむ」


 しばらく頭の中で情報を吟味する。その間にマクベス様は水をコップに注いで差し出してくれた。

 教会に逃げ出そうと思ったのに。初老の貴族と結婚してもいいと思っていたのに。こんな若いピチピチ(死語)な令息と結婚するとなると妙に落ち着かない。今から新しい人を疑いながら探すよりも目の前の自称超優良物件は確かに良い。


「では、よろしくお願いします」

「良かった。断られたら君が侯爵家に一週間いたとウワサを流すつもりだった。成人したからもう許されるが、令息しかいない我が家に一週間もいれば完全に婚約者扱いだな」

「それって酷くないですか」


 断らせる気はなかったということではないか。呆れて半眼で彼を見てしまう。


「全然酷くない。まさか、君はモルトン子爵のところに行けると思っていたのか? あの男、少女たちを他国に売っていたんだぞ。もしあいつのところに行っていたら、今頃母親は殺されて君は海の上だ」

「え? でもモルトン子爵はポックリ……」

「人身売買の摘発の時に逃げようとして階段から落ちて絶命した」

「どうしてそんな恐ろしいことが公表されていないんですか」

「実はやんごとなき方が人身売買に関与していてまだそちらの処罰が決まっていない」

「聞かなかったことにします」

「賢明だ。モルトン子爵を調べていて君を引き取るつもりだったことが分かり、あのパーティーで君にも声をかけた」


 モルトン子爵はそんな人だったのか……いいおじさんだなとしか思っていなかった自分が恥ずかしい。今更、恐怖で体が震え始めた。マクベス様が手を伸ばしてきて勝手に私を抱きしめる。


「か、賭けをしていたのではないのですか?」

「つるんでいた令息たちはそういう奴らだ。バカだよな。あの令息たちを誘導して君と踊るチャンスを掴んだわけだ。そうしたらハッキリ物を言う女だから驚いた」

「驚きは演技ではなかったのですか」

「あぁ。それで次は妹で、あれは酷かった。君と母親は殺されていなかったから別に捜査しなくても良かったんだが、あの妹に付き合っているうちにどうもきな臭くなってきて今に至るという訳だ」


 彼の胸を押し返したが、離してくれない。

 こういう異性との身体接触に私は慣れていないのだ。妙に鍛えている胸板を前から、そして大きな手のひらを背中に感じるからやめてほしい。無性に甘えて縋りつきたくなるから。まだ跪く方がいい。自分が自分だと思っているものが崩れて弱くなってしまうのが嫌だ。


「大体、君はバカなのか? モルトン子爵の後もヤバい貴族に声をかけて……全部潰したが」

「まさか第三夫人の話が潰れたのはマクベス様のせいですか!?」

「そうだ。あれこそ加虐趣味のある貴族だ。君のためにかなりの話を潰した。派手に動いたからこの仕事から引退が早まった」

「それはすみませんでした」

「いや、俺はもう頭が弱くて女好きのチャラチャラした男の演技に嫌気がさしていたから。丁度よかった」


 ようやく震えが止まった。マクベス様はそれを確認してゆっくり私から離れる。ホッとすると同時に彼が離れて急に体が冷える感覚になる。


「母親を背負って飛び出すほど勇敢なくせになぜこうも危なっかしいのか。ヘビでもクマでもブタ親父でもいいなら俺にしておけ」

「人格変わってませんか」

「元はこうだ。そして退屈が嫌いだ」

「俺様」

「嫌なら引っぱたいてくれ」


 腰に手を回されてキスされそうになったのでもちろん引っぱたいた。病み上がりのヘナチョコビンタである。マクベス様は心底不思議そうな顔をした。


「このムードなら引っぱたくのはナシだろ」

「ビンタした方があなたは退屈しないと思って」


 私のセリフに彼はニッと笑う。頼むから病み上がりを労わってくれ。


 こうして私はブタ親父に嫁ぐことも教会に逃げ込むこともなく、おそらく一番ヤバい男に捕まった。しかし、彼は私が釣り上げて捕まえたのだと言う。



 平民が乗っ取りを企んだということで愛人と義妹の本当の父親、義妹は処刑された。義妹は計画を知っていたことが良くなかったようだ。知らなければ情状酌量の余地があったのに。


 そして父。伯爵だった父はブレナンによって現在離れに幽閉されている。

 しばらく経ったら領地に送ろうと彼が言うのでそのままにしているが、ブレナンは離れによく訪ねて行き、父の悲鳴が聞こえるのでやはり彼はヤバい男だったと自分の左手にはまった指輪か手錠か分からないものを撫でながら思うのだった。



 ブレナンはすぐ飽きて退屈して私を捨てて出て行くだろうと思っていたのに、母とも仲良くして浮気もせず全く出て行く気配がない。着実に外堀を埋めている。


「俺もびしょ濡れで泥だらけで土下座した方がいいんだろうか」

「やめてください」

「その割に君は婚約したものの、俺との結婚には頷いてくれない。これだけ外から圧力をかけているのに」


 彼の情報網を駆使されたら勝てないのは当たり前だ。きっと彼からは逃げられないだろう。母と屋敷の使用人たちは完全に彼に掌握された。王太子殿下もこの前パーティーで「式には必ず行くから」なんて言ってきた。やめてくれ。なんでただの伯爵家の結婚式をしたら王太子が来るのだ。


 彼の長兄と次兄には会うたびに「弟を引き取ってくれてありがとう。あいつはまぁ……あれだから、うん。君ならきっと制御できる」と固く握手される。私は一体なにと婚約したのだ。これではクマかヘビの方がマシだったのではないか。


「一体どれがあなたなのか分かりません」

「それはお互い様だ。君だって生き延びるために演技していたんだろう? 俺とお似合いじゃないか」

「簡単に好きと言ってしまったら、あなたはすぐ飽きそうじゃないですか」


 ブレナンは私を見ながら首を傾げた。私も彼と同じように首を傾げる。

 きっと彼は簡単に好きにならない私が面白いだけだ。私は新しい相手を見つけるのが面倒なだけ。雨の中土下座まで見せた相手なのだから私としてはもういいか、という感じではあるが……おそらく「好き」や「愛している」と言った瞬間、彼は私に飽きるだろう。


「それは俺が好きだってこと? 告白?」

「黙秘します」

「やっぱり君は退屈しそうにない」

「最初に下半身を蹴っておけば良かったです」

「早く結婚しよう」

「早く飽きて出て行ってください」

「そんな心にもないことを」


 赤くなった顔を隠すために彼に背を向けると後ろからすぐさま抱き着かれた。


 本当は私だってチョロいのだ。必死に強がっているだけで。

 八歳から離れに押し込められて婚約者にもそっぽを向かれ続けて。それなのに「本命は君だ」とか、ドレスをプレゼントされ続けるとか、外堀を埋めまくって近付いてこられたら簡単に勘違いしそうになって怖いのだ。今は母も安全であるし、簡単に心を許しそうになってしまう。


「仕事があるので離してください」

「なら下半身を蹴らないと」


 むっとしながらヒールで彼のつま先を踏んだ。彼は気にせず私の耳を甘噛みする。思わず体がビクリと跳ねた。


「私は鳥とでも婚約したのでしょうか」

「羽根をプレゼントして求愛しようか」


 彼の目はたまに猛禽類のような鋭さだからやっぱり鳥と婚約したのかもしれない。

 彼の方を向かされて、近くの壁に押し付けられた。


「まだ俺のことを信用できない?」


 壁ドンである。耳元で言われて思わず俯くが、顎に指がかかって無理矢理上を向かされた。


「俺は君の勇敢さと気高さに惚れたけど、そろそろ限界だ」


 彼の指がゆっくり唇をなぞる。さっき退屈しそうにないと言った口で飽きたとでも言うのだろうか。

 ゆっくり私は瞬きした。まつ毛まで震えているのが自分でも分かる。怖い。私がまた何かを失うのが今なのか、それとも先の未来なのか。


 彼と婚約して伯爵位を継いで、私はやや臆病になっている。

 母を背負って雨の中を歩いた時の気分を思い出せ。

 あの時はなにもかもかなぐり捨てて前だけ見て歩いたではないか。母だけを守りたくて。では、今は? 今一番大事なのは? 伯爵位ではない。


「嫌ならビンタしてください」

「は?」


 彼が欲しい。捨てないで欲しいとかそんな可愛い感情ではない。

 私に飽きたなんて許さない。こんなに私に散々近付いてその気にさせて。彼を失いたくない。


 ブレナンの首の後ろに手を回して唇を押し付ける。予想していなかったようで彼は私の勢いにおされて数歩後ろによろめいたが、すぐに踏みとどまって私の腰を支えた。


 目をぎゅっと瞑っていたが、ビンタはやってこなかった。

 息を乱しながら彼から体を離すと、腰に回った手に力が入ってすぐにまた彼の顔が目の前に迫る。彼の目は猛禽類だ、やはり。


「腹が立ちます」


 いつかの彼のセリフを私は真似た。彼も気付いたようだが私がさらに何か言う前にキスされた。


「好意を装って欺かないでください」

「レティシャにはしてない」

「散々思わせぶりなことをして。私ってめんどくさいんです。好きにさせたなら責任取ってください、一生」


 もっとカッコよく強く言うつもりだったのに。彼の激しいキスのせいでぜぇぜぇ肩で息をしながら言う羽目になった。最悪だ。雨の中土下座の方がマシだ。


「それでいい」


 偉そうで腹が立つ。その言葉はその後仕事どころではなくなったので言えなかった。


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