陛下、それは今更というものです。
相談事、ですか。私で良ければお聞きしますが。
――はあ。王妃陛下との仲、ですか。婚姻を結んで十年、二人の王子に一人の姫をおつくりになられたのですから十分では?え、冷たい、ですか。
それはそうでしょう。陛下、あなたは相思相愛の、婚姻を三日後に控えていた王妃陛下と婚約者を王命で引き離し、強引に結婚した男なのですから。好いてもらえるだなど有り得ないと分かった上でそうなさったのでしょう?
――はは。ご冗談を。憎いと思っていて、殺意を持っていたとしても、貴族令嬢は子を為す義務から逃げられないと知っておるのですよ。故に王妃陛下は早々に子を為し、以降寝室を完全に分けておいででしょう?必要な子は産んだのだから義務は果たした。そういうことです。閨でも最低限しか触れられなかったのではないですか?…ああ、薬を。見届け人として侍女が常にいた、と。その時点でお分かりいただけたと思いますがね。
ああ、王妃陛下のお話で思い出しました。王妃陛下は来月に北部の離宮に居を移しますよ。陛下、書類にサインをいただいておりますからご存じですな?…結構です。
理由?書類にもありましたが心の病です。王妃陛下は嫁ぐ前から陛下に対する殺意を抑えられず、しかし耐えるために自傷しておられました。この度は首を吊ろうとなさった為、陛下と物理的に距離を離して治療に専念して頂くことになりました。
そうそう、そういえば。ここのところ「ある淑女の記憶」という書籍が流行だそうです。活字印刷を更に広げる一手となり何よりですな。
内容ですか?前編は微笑ましい内容ですよ、とある令嬢の少女時代を描いたものです。幼くから相思相愛の婚約者と絆を深めていく描写は貴族である私から見ても現実に即したもので、我が娘もこのように愛されて嫁いで欲しいと思ったものです。
後編、ですか。傲慢な王子によって愛する婚約者と引き裂かれた令嬢のその後の半生を描いたものです。前編とのあまりの落差に読み進めることが苦痛になる内容でしてね、かくいう私も半ばまでは読み進めましたがそれ以降はとてもとても。
特に初夜は吐き気を催すほどでしたな。婚約者にさえ許さなかった口づけを許すまいと必死で抵抗し、見かねた侍女が距離を開けさせ薬を用いて行為に及んだ際の絶望の心情は男の私でも胸に痛みを感じましたよ。好いた男に純潔を捧げたかったと世界を呪うシーンなど、娘を持つ父としては……娘にこのような思いをさせるものかと決意させるものでした。
陛下。顔色が悪うございますが。
はい?初夜の様子が一致する?はは。そういうこともありますでしょう。「つくりばなし」と、現実を一緒にしてはなりませんぞ。それは妄想の病に至りますからな。
禁書に?何を仰いますやら。どの書店でも山と積まれて半日と持たず売り切れては刷られてを繰り返しておる書籍です、今から禁書にしたところでどのようにして複製され取引されることやら。しかもたかが大衆娯楽の書籍を禁書にする理由がございますまい。
ああ、そうです。王妃陛下の婚約者殿なのですが、思い出しました。
王妃陛下が嫁いだその夜に自害なさったそうですよ。
某伯爵家の直系が絶えたという話がその頃ございましてね、最近になってようやく傍系に男児が生まれたので養子にしたと聞きました。現当主は息子の死から未だ立ち直れず、現状維持が精一杯とのことでしたので安心した記憶があります。
王妃陛下の生家は……ああ、隣国に亡命なさいましたな。法務を代々務める法の番人としての一族でしたが、惜しいものたちをなくしたものです。今も法務は業務が回りきっておらず、大変な有様だとか。
いえ?陛下を責めてはおりませんが。事実をお話ししていたまで。
それで、王妃陛下との関係修復の話でしたな。
現実的に考えますと、不可能であると結論付ける他ありますまい。
王妃陛下は心の奥底から、命を絶とうとするほど、陛下を拒んでおられます。陛下との間に生まれた子に名前さえ与えず、即座に乳母に押し付けておられたのを覚えておいでではない?その後も養育に一切関与せず、お子のお姿も視界に入れぬよう徹底しておいでです。
王妃陛下を愛しておられるのでしたら、何卒このまま陛下へ接触せず、北の離宮にお送りください。そして、陛下が儚くなられるまで変わらず接触せぬことです。
陛下、あなたは良き王ではありますが、王妃陛下になさったことだけはただただ愚かでありました。我々側近の忠言を下し、先代唯一の王子であったことを利用して両家を脅し、幸福の絶頂にあった一対の存在を破壊し尽くした。その点に関しましては我らももっと強くお止めすべきであったと今も後悔しております。
――ええ。既に何もかもが取り返しがつかぬのです。
陛下、インクを零した紙はもはや純白ではありません。しかし、二度インクを零さぬよう努力することは出来ます。次の紙を台無しにせぬよう気を付けることも出来ますでしょう。
陛下に出来ますのはそれだけです。
さて、私はこれで。
王妃陛下の出立日ですか?知ってどうなさいます?見送りなどされて、王妃陛下が心を乱されれば危ういのです。何卒、普段通り執務を。
どちらにせよ来月は丁度年の変わりで多忙となります。陛下は寝室とこちらの往復しか出来ますまい。…しない方がよろしいでしょう。
では。また明日、書類をお持ち致します。
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久しぶりだねえ、王妃さん。出立日が決まったそうじゃないか。…うん?どうして知っているのかって、あたしゃ魔女だよ。使い魔があちこちにいるもんだからいくらでも知れるのさ。
それでアンタはどうだい?ようやっとお役御免だが、今後は決まってるのかい?お人形に代役をさせずにやっと表で活動出来るだろ?……人形はそのまんま代役させるって?そうかい。
そりゃあまあそうだよねえ。離宮で元気にやってるってなると、あの王のことだ、呼び戻して手元に置こうとするだろうしねえ。そうなるとアンタはまた人形を使わなきゃいけなくなって不自由だもんねえ。
で、どうだい?人形は役に立ったろう?アンタそっくりだし、アンタの想定した通りに動いて「生きて」くれたろう?子供だって産めたろう?アンタの父親に貰ったヒヒイロカネの代金だものねえ、あたしも大急ぎにゃなったがちゃあんと仕上げたんだ。あと一年くらいしか動かないが、十分だろ。あと一週間も制作にかけれりゃ普通の人間くらいの寿命には出来たが、急ごしらえだからねえ。
ああ、アンタの書いたモンはちゃあんと売れてるよ。外国にも売ったとも。おかげで今の王の非情っぷりが伝わって遠巻きにされてるねえ。王妃が実際に表に出ないもんだから現実味があるってんで、信ぴょう性が高いって評判さ。
心配そうな顔をしなさんな。何人も間に挟んで誰が書いたかも誰に金が入ってるかも分からんようにしてあるよ。売り上げもあたしが預かってやってるから心配しなさんな。
……まったく、アンタの旦那の偽装も手間だったよねえ。なんだって貴族は死人の顔を見えるようにして埋めるんだか。おかげで見えるとこだけは作らにゃならんかった。ただまあ、あんたのお人形よりは楽だったね。それだけは助かったよ。
しかしアンタも大変だったろう。人形が何もかも背負ってくれるとは言え、十年も変装しっぱなしで慣れない侍女なんかしてさ。
それで、どうするんだい?なんで聞くんだ、って。あたしもこれで女だからねえ。気になるじゃないか。
……うん。あんたの旦那は東の農耕都市で領主やってるよ。新興の男爵家をもらってね。…へえ?嫁になりにいくのかい。ああ、男爵家なら平民も嫁に出来るんだっけねえ。じゃあちょうどいいか。アンタなら程々にできた嫁としてやってけそうだ。
へえ!厨房も手伝ってたってのかい!そのつもりで料理を?へえー……ならさあ、アンタを連れてく手伝いはしてやるからさ、一回でいいから公爵家の姫君の手料理ってのを食わせてくれよ。旦那とアンタのおこぼれでいいからさ、興味あるんだよ。
うん?なんであの日あたしがアンタの家を訪ねたのかって?今更聞くのかい。いいけどねえ。
魔女は星を見るのさ。その星があたしにアンタを救えと伝えてきたからさ。もちろんそれだけじゃあない。アンタを救わねばこの国が荒れる未来もあったからねえ。あたしは放浪の身だけど、ちょっとした手伝いで国が潰えるのを防げるなら防いできてるんだ。そうじゃないとおちおち旅も出来ないじゃあないか?
星の欠片があったのは良かったねえ。タダ働きなんてごめんだったからね。ま、そういうのも導きってもんだ。アンタの親御さんが偶然手に入れた小汚い石――ヒヒイロカネの原石が娘のアンタを救う対価になる。そういう偶然ってのはあるもんさ。
さて、アンタは離宮までついてくのかい?…ああ、辞職って風にするのかい。それがいいね。
じゃああたしとは王都の下町ででも合流することにしようかね。ベルガモン食堂って店に行って、ターニャに用事があるって言えばすぐあたしを呼んでくれるはずさ。あそこの店にゃ縁があるからね。
あたしの名前がターニャなのかって?この国ではそうだよ。魔女には三百と一の名前がある。三百は知られてもいいが、一は決して名乗らない。そう決まってるのさあ。
しっかしアンタはいい女になった。初めて会った時も中々見ない綺麗なお嬢さんだったがね。アンタの夫もいい男に育ったから、類を見ない見目良い夫婦になるだろうねえ。
ま、国の端っこの小さい領だ。王は気付きもしないだろうよ。
気付いたところでどうしようもないさ。……気付く可能性があるのかって?「ある淑女の記憶」が守ってくれるさ。その後気の毒な淑女は城を飛び出して幸せに暮らしました、なんて奇跡があると思えば黙っててくれる。なんだい、そのつもりで書いたんじゃないのかい?
ま、いいさ。
じゃあ次会う時はアンタがただの女になった時だね。それまでは油断するんじゃあないよ。
あたしは良い魔女だからね。アフターケアまでばっちりやって、この国を出ていくことにするさ。後味のいい話が好きなもんでねえ。ふふ、他の魔女との雑談のネタをどうもありがとう。百年ばかりはアンタがたの話で盛り上がれそうだよ。
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補足:
魔女の「人形」はホムンクルスのようなものです。心も魂もないので命令された通りにしか動きません。