ハンカチ。
にまにまとハンカチを眺めるフィリックスに、エルザは深いため息をついた。
「いつまで、そうしている気だ?」
「この刺繍、アニスがしてくれたんだ! 見てくれよ、黒獅子の模様だぞ!」
「……」
その台詞は何十回も聞いた。
なんなら、その回数と同じだけ刺繍のほどこされたハンカチも見せられた。
初めのうちは、エルザも「良かったな」、「見事な刺繍だな」と言っていたのだが、次第に相手をするのも面倒になり今では呆れて無視している。
だが、フィリックスはその事には気づいておらず、いや、例え気づいていたとしても何度も同じ事を繰り返していた。
被害者はエルザだけにとどまらず、騎士団の者達や近隣の村などから連絡を伝えに来ただけの者まで、フィリックスに見つかれば黒獅子の刺繍がほどこされたハンカチを見せられ、可愛らしい妻が自分のために作ってくれたのだという話を延々と聞かされるはめに陥っていた。
「なぁ、エルザ」
先程までとは違った口調に、書類に目を通していたエルザは顔を上げた。
「こんな物をわざわざ作ってくれたという事は、アニスは、その、少しくらい俺の事を、あの、好いていて、くれる……と思いたいんだが、どうだろう……?」
身体の大きな男がハンカチを手にしながら、もじもじと顔を赤らめている。
「まぁ、どちらかといえば好まれてはいるんじゃないか」
正直な話、幼い頃から騎士の真似事をして遊んでいたエルザに、貴族令嬢の心理が理解できるとは言い難い。
だが、頼まれたわけでもないのに自主的に作っているなら、贈った相手をやはり好ましいと思っているのではないだろうか。
おまけに、刺繍の模様はフィリックスを象徴するような黒獅子である。
「そうか……」
エルザの返答を聞き、フィリックスはハンカチを眺めながらへらへらと笑っている。
だが、すぐに顔を引き締めた。
「だったら、デ、デートくらい誘ってもいいよな!?」
「……うん、まぁ、いいんじゃないか」
しかし、いくら遠征で多忙だったとはいえ、妻となった人をデートに誘った事もないとは。
この先が思いやられる、とエルザは再び深いため息をついた。




