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歴史とDNA

続巨石文明について

作者: とびうお君

 最新のもので前の考えを否定しても、途中までの話でこうだと決めつけて結論付けてしまう読者もいると思う。過去巨石文明とイースター島について触れたと思うけど。これ関係あるか?分からない。無いとは言わないが、私が出したものは否定されるべきだと思う。マヤアステカのものは?多分関係ないだろうな。


 南米は一部アボリジニ系のDNAに近いものが入ってる。ただこれ一番近いの日本の縄文人らしい。可能性は2つ縄文人が直接南米に行った。もう1つは、大陸で半島から南下したグループが北上していってしまった例。これについても半島と沿海州に縄文人のDNAが今でもごくわずか残ってて、過去の時代にはもっと割合が高い。


 ただ現代でも残ってる父系ハプロは半島では日本の子孫系統になる。もちろん植民地時代のモノだろ?と言われてるが、どうもこれ過去縄文人がいた南部に偏ってて、植民地として考えるなら偏ってる。そしてこの系統大体日本の子孫系統になる。ちなみに日本と半島で共通のO1B2と言う系統は、きちんと過去半島大陸で2分岐して別れたというのが分かるようになってる。


 分岐年代が古い。この点もっと突っ込んでほしいが、残念ながらそこまで突っ込んでなくて、縄文人と近いDNAが半島南部と沿海州に3国自体までは今より多量に存在したというのがある。その父系は不明だ。


 ただ縄文人のルートが良く分かってなくて、海から沖縄ルートできたのか?ならこの点ややこしくて、古い沖縄で見つかったDNAは現代の沖縄人とあまり繋がってない。全くではないが薄い。それより九州の下位系統ばかりが沖縄人の祖先につながる。海ルートは否定はできない。


 沖縄から北上して、その後再度南下した縄文人が沖縄人の大半の祖先になったというのも考えられるから。ただまどろっこしい話になる。どちらも系統が似てるので同じところから海から北上したのは少数で、多数派半島から南下した可能性が高いと見てる。とんかく縄文人の移動ルートは不明。


 それと縄文人は系統の違う2つが交じり合ったグループで、この点も良く分かってない。大陸で混ざってから北上したのか?日本到着後に混ざったのか?ただ大陸で縄文人に近いグループが新旧アジア人として混血してるグループがある。私は混ざってから混血したのじゃないか?とは考えている。


 その理由として何度も言われるが縄文人は妙に均一な集団だと言われる。もちろんばらつきがある。ただ地域的なものじゃない。一応あるのだが、それはまた第3の要素の可能性がある。石器などの関係から北海道から南下したグループの可能性が言われるから。ただ日本の主流はじゃない。


 大した差じゃないのだが、現代人に南北の勾配があり、これは縄文人の主流集団では説明がつかない。理由は簡単で、縄文人の主流派なら沖縄と東北が近くはなるはずなのに、むしろ一番遠い。これは南下した縄文人のグループが小さく永久を与えている可能性がある。小さいというのは、東北と沖縄は別の視点からは近いDNAなのが分かるからになる。


 弥生後じゃないのは、沖縄と東北の南北勾配の説明ができないからになる。弥生後弥生付近で大陸から北方ルートで移住があったか?ならないとは言えないが、この場合別のDNAを調べると日本海側だけにその傾向が見えて南北勾配と関係が無い。


 日本におけるルートが分かってないのが、南米のアボリジニ系のDNAの正体が良く分からない理由になる。ちなみに日本に巨石文明っぽいのはある。これに関してはどうか?なら南米のモノとは全く関係が無い。何故ならインドの巨石文明系の文化は新石器時代のモノなので新しすぎる。


 日本に伝播していたとしても、それが南米に向かったのはありえない。では南米にいつ入ってきたのか特定できるのか?なら特定できないが、石器時代に東南アジア系の石器がアメリカで見つかっていておそらく氷河期の近い時代に他のアメリカ先住民と同様に入ってきたと思われる。


 結論から言えばマヤアステカは独自の文明が高い。ただ殷と南米の新しく見つかった文化に近いものがあるという話があり、DNAも所謂弥生大陸系が出たというのがある。ただこれも眉唾物の話なので置いておきたい。青銅が無いのは何故?って大きな問題もあるので殷の文化がアメリカに移ったは?はとても怪しい。


 都合よく、殷と似た青銅器のデザインが石に掘られている。これが奇妙だ。偶然の一致だと今は見てる。


 再度戻るが、本筋としては、東南アジアとインドの巨石文明の関係は多分全くの勘違いだと思う。どこから来たのか?は分からないが、東南アジアのインドのDNAはほぼ起源後のインドからの移住だと見て良い。前はもっと後の時代だと思っていたが、仏教誕生のすぐ後からすでに東南アジアにインド人の移住の後が見られるそうだ。


 そしてその遺伝子も確認されてる。新石器時代に拡散したインドの巨石文明と言うのはかなり強引な話になる。普通に見れば仏教文化や様々な文化の伝播で入ってきたインドのDNAだと見た方が分かりやすい。もっと後お時代だと思っていたが、実際は東南アジアで国らしいものが出来た起源はインド起源と見て良いとの話がある。


 インドの移住と東南アジアの国の勃興はほぼ同時なので、インドの移住がもたらした影響の大きさが分かるだろう。


 しかも、巨石文明に共通する父系ハプロG以外も多量に東南アジアに存在してる点。ここからG系だけが東南アジアで広がったと見るのは無理がある。そしてこの時期伝播したのならイースター島とは全く関係が無い。他にも、そもそもインドネシアにある巨石文明のような石人形の遺跡は新石器時代にさかのぼれる。


 インドからの影響ではなくて、マレー系の海洋民族が独自に培った文化が太平洋に広がってイースター島まで広がったと見るべきかと思う。ただこの文化他の太平洋地域では見つかってない。そのためいすーとー島は独自発達した可能性もとても高い。


 欧州のものはほぼ間違いなく中東が起源で、しかも独自に追加発展してるというのが分かってる。ストーンエッジがそれらのものになるが、あの文化は元になった中東の農耕文化が地元民がさらに独自発展させたもので、どちらかと言えば父系DNAも入れ替わってクロマニオンのI系に変化してる。


 同じ系統なのは母系に繋がりがあるのと、共通の部分の発展前の中東と似たものが奥州にも残っているから。


 東南アジアのものは時期が明らかにずれてる。将来これが覆されるなら、新石器時代にインドのG系のDNAがすでに拡散していた証拠が必要となる。東南アジアの農業は、中国の雑穀農業と中国南部の稲作農業が南下したものになる。しかもインディカのルーツも中国東南アジアにある。インドから広がった農業と言うのが全くピンとこない。


 東南アジア独特のタロイモなどの文化はパプアなどで独自に発展したものと言われてる。インドネシアでも豚の家畜化が独自に発展してて、中国の門とは違うDNAの系統が違うものがのこっているらしい。新石器時代にインドから拡散した証拠は全くない。


 巨石文明はつながりがあるものもあるが、東やアメリカのものは独自に発達したものと考える方が妥当だと、過去とは違い今の私は考えている。


 ちなみにアメリカからの拡散も太平洋のごく一部の島に限っていて、イースター島と南米のつながりは大航海時代後の移住によってと分かっている。


 まあロマンの無い話だが、現実こんなものだよなって事で、このお話はこれでおしまいと。


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