第1話 薬売り
「あーら、ロカちゃん。石像みたいな顔になってるよ。商売の基本は笑顔。笑顔アンド笑顔そして笑顔をトッピングだよ、もっと愛想良くしなくっちゃ」
「うへぇ、無茶言わないでよ。これでも120%の営業スマイルなんだぜ。もう朝からずっとこの調子だから顔の筋肉が引きつりそうで、つれぇぇ」
ロカと呼ばれた少年。歳は17歳。背は高いがひょろりとした痩せ型で、どことなく覇気がなく頼りなさそうに見える。
その少年は村の中心である広場に続く道の一つで小さな露店を構えていた。店といっても木箱に布を掛けただけの粗末な台に、陶器の瓶がいくつか並べられているだけ。この通りでは少年だけでなく、大人たちも各々のやり方で露店を開き、客を捕まえていた。今日はブラム村の十日市の日。その名のとおり十日に一度開かれるから十日市。周辺の離村から人々が集まり、ものを売り買いする。この日は村の人口はざっと3倍になる地域の人々にとって重要な催しだ。十日市は、この『西の辺境』に暮らす人々が生活の糧を得る貴重な機会だった。ロカだって例外ではない。人一人がまともに10日過ごすには銀貨10枚がいる。蓄えとしてその倍くらいは持って帰りたいところだった。
このときロカに声を掛けたのは、村一番の美人と評判のアリア。大工の棟梁のところに嫁いだばかりの人妻だが、そうはいっても彼女に話しかけられて喜ばない男はいない。長話が嫌いなロカでも、彼女との会話を打ち切るようなことはしない。
「ロカちゃんの薬は、よく効くって評判なのよ」
アリアは台に並んだ瓶をを見渡しながら優しく語りかけてきた。お世辞ではないだろうけど彼女は他人を悪く言わない性格で誰でも誉めて回るのが常だから、真に受けて気を良くするほどのものではないと少年は理解していた。
「でも、この村の連中は怪我してもツバをつけて置けば直るって思ってるからね。実際、それで治っちまうんだから、売れるものも売れないさ」
ロカには軽い冗談のつもりだったけれどアリアは顔を曇らせる。彼女はこういう軽口はあまり好きではない。おそらく彼女の旦那も日頃からそんなことを言っているのだろう。
「ま、怪我も病気も無い方がいいに決まっているわな。そう考えると薬屋なんてのは因果な仕事だ」
「あら、そんなことはない立派なお仕事よ。そうそうロカちゃんは、お爺様の跡を継ぐつもりはないの?私、応援するわよ。村のみんなだって同じ気持ちだと思うわ」
「ははは。都会に出ればもう帰ってこないかもだぜ」
ロカはそれだけ言って答えをはぐらかした。ロカに話しかける他人は誰も、なぜか彼の亡くなった祖父の話をしたがるのだ。実に困ったものである。
「そんなことより姉さんにだけ、とっておきがあったんだ」
とっさに話題を変えたのは、これ以上祖父の話題が不快だったからではない。今日はしっかりと銀貨を稼いで帰るつもりだからだ。ロカは見せつける様に、綺麗なガラスの瓶につめたきらきらと光る液体を取り出した。
「これはね、帝都で昔、大流行した化粧品なんだ。50年も前のことなんだけど……いや、ソレは関係ない。効果は今だって変わらない。それは保証するよ。寝る前にささっと塗るだけで肌がピチピチなんだ」
ところでピチピチってなんだ?ろくに女性の肌に触れたこともないロカには実のところよく分からない。
「こいつの主成分は魔女の森の奥にある湖に生える水草で、そこに3種の薬草といくつかの獣性の素材。蛇の皮だとか蟲の死骸なんだけど、おっとこれは言わないことにしてるんだった。ここには海がないから、いくつかの素材は代用品を使ってはいるんだけど、俺の考えではむしろこの地域の住人の体質を考えると……」
そこまで話してハッと気付く。薬の話を始めると熱を帯びて止まらなくなるのが悪い癖。
「ま……まぁ、なんだ。こんな田舎じゃこいつを使うほどの価値がある美人は、そうはいないと思うけど、アリア姉さんなら……」
そこまで聞くとアリアはロカの両の頬を掴むと無理矢理に口角を上げるのだった。
「笑顔を忘れてるよ」
そう言って彼女が見せた笑顔は爽やかで、見ているだけで清々しい気分になる。そして、ロカは自分の作る笑顔がいつだって偽物だと思い知らされるのだ。
「それと、ロカちゃんは女の子が苦手なところを早く治さないとね」
なんでそうなるんだと口を尖らせる。アリアとの会話の最後はいつもお説教になるのだ。
「女の子は誰だって綺麗でいたいと思ってるんだから、そういうみんなの役に立つものを作らなくっちゃね」
そう言いながら、ガラス瓶を見つめるアリアが真珠色に輝くその中身にすっかり引き付けられているようだった。ロカは少しだけ自分の『商売』に自信を取り戻していた。
「それは本当に特別なんだ。一度使ってみて感想を聞かせてくれよ」
治療薬が全く売れないので、一念発起、新商品を開発することにした。そこで目を付けたのが化粧品だ。もちろん田舎で化粧品などに金を使う人間は限られる。だが、逆に大きな利益も期待できるのだ。ちょうどいい顧客さえを見つければ。例えば大工の棟梁などは1日でロカの1月分以上の稼ぎを得るらしく、さらには最近、鉱山開発に絡んでかなり儲けを積み上げているそうだ。
「一つ頂こうかしら。おいくら?」
「ぎ……銀貨10枚」
「あら、安いのね。まだあるの?」
たった2本売るだけでノルマ達成だと……こんなことが許されるのか。奇蹟の瞬間が訪れた。一気に頭に血が上る。
「あ、ああ。もう一本あるぜ」
意気揚々と背負い袋の中を漁るロカ。しかし、幸運の女神がこの場に留まる時間はあまりに短かった。
最初に、不穏な空気を感じ取ったのはアリアだった。
「……あっ今日は一つだけ頂いておくわ。新商品楽しみにしてるわね」
そう言って彼女は台の上に金貨1枚を置いて立ち去ってしまった。逃げるようにしてその場を去る彼女の後ろ姿を怪訝な様子で見つめるロカ。
「よう。相変らず冴えねぇ顔してるなぁ。ちょっと付き合えよ」
聞き覚えのある声にを耳にして、ようやくロカは事態を把握した。できる限りの無表情を作り、声のする方を振り向く。
広場からやってきたのは、派手な、そして物騒な格好をした4人の男たちだった。革の鎧に身を包み、腰には剣をぶら下げている。どう見てもまっとうな人間ではない。
『冒険者』。かつてそう呼ばれた者たちのまがい物だ。200年も前、帝国による大陸の統一以前は、人々が住む山郷にも多くの魔物が潜み、ときおり姿を現したという。無関心な領主たちに代わって魔物を狩り、村々の平和を守っていたのが冒険者たちだった。しかし、帝国による統治が続く中で、人間の脅威となる存在はことごとく駆逐されていった。、おおよそ人に害をなすものといえば、同じ人間だけだといわれるようになった時代。
正規の兵隊でもない彼らの仕事といえば、もっぱら権力者たちの用心棒である。
そして、裏社会の住人とみなされる『冒険者』の中でも、目の前にいる男たちは特に性質の悪い部類だ。派手な色に染め上げた毛皮やら動物の骨で作ったアクセサリを身にまとい、鎧には先の尖った金属の鋲やら、鎖などが打ち付けられている。何の意味があるかと聞けば「格好いいだろう」と答えるような連中だ。まともな仕事に就こうとしない田舎の若者たちが行き着く先である。
「弟の方か。1年ぶりくらいか」
ロカは、男たちの先頭に立つ、リーダーらしき背の小さな男に声をかけた。
「『の方』で悪かったな。だが、兄者はお前なんか相手にしねぇ。お前の相手をしてやるのは俺くらいだ。光栄だな、讃えろよ」
ロカはこのチンピラのリーダーを知っていた。歳は2つ上だが、背は頭一つ分低い。弟の方と呼んだのは単に名前を知らなかったからだ。誰もが彼を弟と呼んだ。傭兵ゲイナー兄弟を知らない者は『西の辺境』にはいない。彼らのボスが誰であるかもだ。この先も名乗る機会もなさそうなので、明かしておくとギィ・ゲイナー。それが男の名だった。
「へへへ。そろそろ例の話を進めたいところだけどよ、今はボスがお呼びだ。ついてこい」
気が付けば通りから嘘のように人がいなくなっていた。その場に残ったわずかな男たちもこちらを見ようともしない。
ギイの後ろではお仲間たちが愉快そうに笑っている。
顔も頭も性格も悪いこいつらだが、官憲に捕まるような悪さをするわけではない。『本物の』傭兵であるゲイナー兄弟を除けばまともな実戦の経験もないことだろう。
人の良いアリアでさえも彼らのことを嫌ってはいるが、何も怖がるほどの連中じゃない。
「分かった。すぐ行こう。お前んとこのボスは気が短いからな」
ロカはアリアが置いて行った金貨を握りしめると、さっと荷物をまとめその場を発った。
このチンピラたちが怖いわけではない。ゲイナ―弟とはただの腐れ縁だ。だが、こいつらのボスにだけは逆らってはならない。
「くそう。金貨もう一枚だったんだぜ。本当に恨むからな」