プロローグ 「怪異」とは何か
最近はハーメルンばかりで書いてましたが久しぶりにこちらでも投稿。
ジャンルをホラーにしてますが、どちらかというとアクションっぽい気がしないでもない。
導入なのでこの間話は語りのみ。人物が登場するのは次の話からになります。
古来より、人は自分達の理解を超えた自然現象や恐るべき超常現象に出くわした時に、しばしばそれに名前をつけて姿を与えた。俗に言うところの「妖怪」や「悪霊」、「精霊」や「怪物」、大別して「怪異」というものである。
例えば、海上に見える幻の楼閣は、真下の海中で大きな蛤が口から氣を吐き出していて、立ち上るその氣が楼閣の幻を見せるのだとして、その蛤のことを「蜃」と呼び、幻の方は「蜃」の吐く「氣」が見せる「楼」閣、すなわち「蜃気楼」という名で呼ぶようになったことなどが挙げられる。
では、なぜ人はこのように自然現象や超常現象に名前と姿を与えたのだろうか。
答えは簡単。それは「自分の中の恐怖を減じるため」である。
自分の理解が及ばないもの、訳のわからないものは人間誰だって恐ろしい。正体が分からないということは、自分の頭の中で無限に想像力が働いてしまい、結果としてそれらのものは際限なく醜悪に肥大化し続ける「恐怖」という「怪異」に変わる。
故に人間はそれらに名前と姿を与えた。そうすれば「あの現象にはこういう名前があるんだ」、「あの現象にはこういう存在が関わっているんだ」と自分を納得させることができる。たとえ、与えた姿がどんなに恐ろしかったとしても、一度姿を与えた時点でそれはその姿以上の恐怖を生むことはなくなる。
こうして、昔の人々は「未知なるもの」に「怪異」としての名前と姿を与えることで「恐怖」を克服していったのである。
しかし、時代が進み文明が発展した現代では、それらの「怪異」は最早過去の遺物となった。
地球上のありとあらゆる現象は科学によっておおよその説明がついてしまい、発展した装備の数々は人を人跡未踏の地へと誘い、土地に宿った神秘の数々も失われて久しい。
もちろん、文明の発展によってそれに応じた様々な「怪異」も生まれた。1970年代頃からは宇宙人やUMAの存在がまことしやかに囁かれ、1980年代頃には怪談や都市伝説、心霊写真ブームが起きた。
2000年代からはネットの掲示板で「洒落怖」と言われるジャンルの怪談などのブームが起きたり、「チェーンメール」のようなネットワークを介した新時代の「怪異」が生まれることもあった。
だが、それらも結局は一過性のもので、科学によって理論武装した多くの人々が、それらの「怪異」を子供だましの嘘偽りであると断じたとき、古来より続いてきた「怪異」の文化はその幕を下ろすことになったのである。
しかし。
しかしだ。
皆さんは知っているだろうか。
昔、ある場所である現象に「怪異」としての名前と姿が与えられた時に、程なくしてそこから遥か遠く離れた土地でまったく同じ姿の「怪異」が目撃されたことを。
テレビや雑誌で人面犬や口裂け女などの怪談が話題になった時に、全国各地でまったく同じ怪談を体験した者が老若男女を問わずに続々と現れたことを。
現在のようにまだネットワークが発達していなかった時代、科学では説明がつかないほどの速さで、世に生み出された「怪異」が世界に波及していたという事実を。
「怪異」は遍在する。
それは昔も今も変わらない。
たとえそれは、闇夜を人工の明かりが照らし真の闇が存在しなくなった現代社会であっても。
「怪異」はあなたのすぐそばで、再び人の世に現れるその時を待っているのだ。
というわけで導入でした。次からさくっと本編です。