疑い
大輔が職質を受けた翌日、更なる訪問が待っていた。午前10時ジャストにアパートの扉のチャイムが鳴った。出てみるとグレイのスーツを着た細身で細面、背の高い40歳位の男性と、紺のスーツを着たがっしりとした体格の大輔と同年代の男性の二人が立っていた。
さっと警察手帳を示すと、年配の男性が話し始めた。
「おはようございます。I署の交通捜査課のものです。実はそこの国道の交差点で、以前県立I高校の女子生徒さんがひき逃げされる事件があって、その生徒さん亡くなられたんです。もう9年半経ちます。時効は10年ですから、もう半年で時効になってしまうのですよ。私どもとしても、ひき逃げ死亡事故を時効にするわけにはいかないんです。そこで近くにお住まいの方々に何とか関係のありそうな事を思い出していただこうとこうしてお伺いしてるんです。何でも良いのでお気づきの事がありましたら教えてください。」
こういうと、男性は事件の概要が書かれたA4サイズのチラシを大輔に手渡した。大輔は職質を受けた翌日に、職質で答えた住所を私服警官が訪問したので、何か疑いを持たれたかと警戒した。
「そう言われましても。申し訳ないのですが、私はつい先日こちらに越してきたばかりで、お役に立つような事は何も存じません」
「そうですか? ご存知ないのですか?」
「ええ」
「私はこの事故が発生した直後から担当しておりますが、こちらの部屋も何度がお伺いした事があるのですよ。何せ、被害に会われた女子生徒のお宅でしたので。ご存じないですか? この方」
と言って男性はチラシの真ん中に印刷された写真を指差した。
「初めて拝見するお顔ですよ。平宮 晶子さんですか? このお顔の方は存じません」
「おや、不思議ですね。9年半この事故を担当しているのですが、平宮 晶子さんをご存じないとは初めて聞きました」
「これまで平宮 晶子さんとお読みの方は必ずご存知じでしたよ。ご存知ない方は普通、平宮 晶子さんと読まれます。本当にご存じないのですか?平宮 晶子さん」
大輔は警官があえて引っ掛けるような質問をした事から、彼らが何かを疑っている事を確信した。
「事故の記事をネットで検索したので読み方は知ってましたが、記事に書かれている以上の事は存じません」
「そうですか。ネットで検索されたので、事件の事をご存知でしたか。検索と言われるとあれですか? エゴサーチとか言う。ここの住所を検索されたのですか?」
また引っ掛けだ。匿名掲示板なら兎も角、マスコミの書く記事に被害者の住所が載ることはない。大輔はもうすっかり被疑者扱いされてる事に気がついた。だが何故?
「そこの交差点に事故現場によく立ててある情報提供を呼びかける看板があるじゃないですか?だから気になって交差点の名前で事故を検索してみたんですよ。」
「それは昨日現場に来られてから後の事ですか?」
大輔は職質の事をほのめかして揺さぶりを掛けて来る私服警官の振る舞いを疑問に思った。彼が疑惑を抱いているのは単に事故が発生した時刻に事故現場にいたからではないだろう。あえて被害者の元の住居に引っ越したと思ってるに違いない。
しかし、何故だ? ひき逃げでは通常被害者と加害者に事故以外の接点は無い。ひき逃げ犯は被害者の住所など知らないのが普通だ。仮に何かの機会に知ったとしても、被害者の家はもっとも近づきたくない場所のはずだ。事故現場ならまだしも被害者の元住居に住みたいと思うひき逃げ犯などいるわけがない。ではこの執拗さは何なんだ。
「いいえ。スーパーに買い物に行った際たまたま見かけたんですよ。あの看板、事故の日時なんかがすっかり消えてしまってるじゃないですか。だからいつ頃の事故かと思ってネットで調べたんです。それで事故の記事を見つけたんですけど、事故の際の車の速度が推定40キロって書いてあるじゃないですか。あそこの制限時速は50キロでしょう。深夜だったら道もすいてるしとばしてもおかしくないのが40キロでしょう。そのくせひき逃げで、死亡事故でしょう。疑問に思ったんですよ。この辺の道は夜間そんなにゆっくり走ってるのかと」
年配の私服警官は少し驚いたような顔をした。
「その通りです。我々もあの事故については色々疑問に思ってます。」
「まあ、そう言うわけで事故が発生した深夜にどれ位の速度で走行しているものかなと思って見に行ったんですよ。やっぱり夜の方が速い気がしますね。」
「夜間は距離感も変わりますから、目で見るだけで速度を推定するのは難しいですよ。まあ、今日のところは帰ります。何かあったらその下のところに書いてある所轄署に連絡してください。」
「そう言えばお名前お聞きしてませんでしたが、もう一度警察手帳を見せていただけませんか?」
大輔は示された警察手帳に見入る。
「あなたのお名前も読むのが難しいですね。」
「七五三田 雄三と言います。ではまた。」
そう言うと二人の警官は立ち去った。
警官が帰ると、大輔はノートを開いてみたが文字は現れなかった。どうしたんだろうと思ったが、これが普通なんだと思い直した。とりあえず食器を洗ったり、引っ越しの時出たゴミを片付けたり、洗濯したりと家事をやって午前中の残りを過ごした。
昼食を食べてると直ぐ横でいきなり大きなラップ音がした。無視して食事を終えて、食器を片付けてからおもむろにノートを開いた。
『遅い』
「そんな事言っても、食事が終ってからじゃないとノートが汚れるだろ。そんな事より何処か行ってたのか?」
『あの何とかと言う警官の後をついて行ったのよ。あいつ近所回ってるみたいな事言ってたけど、嘘。警察署に直行したのよ』
「まあ、予想はついてた。おおかた、昨日の職質の情報で俺が怪しいと思ったんだろう」
『まあ、そうなんだけどね。そんな事より、私殺されたかもしれないって』
「どう言うこと? どんな話をしてた?」
『あの何とかって言う刑事となんか課長さんが口論してたよ。刑事がホワイトボードに図を書いて、事故じゃなく故意にぶつけてるって』
「どんな図」
『こんなの』
大輔は少し考えてから答えた。
「確かにこれは故意だな。殺人だよ」




