時の流れ
字が現れると事前に言われていても驚くのは仕方が無い。だが大輔にはその表情が単に驚いたと言うより何か後ろめたいもののように感じられた。
上月瑠璃は、テーブルの上に置かれたノートがまるで高熱を発しているかのよう手を引っ込める。
「字が現れるとさっき言ったと思うのですが。ここに書かれてる通り、当人、と言っていいですよね、は平宮 晶子さんだと言ってます。」
「そう言われても……あ、あきちゃん、平宮さんは10年前に亡くなりました。こ、交通事故で」
と上月さんは詰まりながら言う。
『その話を聞きたいのよ。私、救急車に乗った所までしか覚えてないの』
上月瑠璃は目を大きく見開いてノートに現れた文字を凝視した。
「本当にあきちゃんなの?」
『そうだよ』
上月瑠璃は少し黙った後、話始めた。
「私は事故の詳しい事は知らないんです。10年前の夏休み中に平宮さんは国道横断中にひき逃げされて亡くなったとの事です。どうも天文部で校舎の屋上で夜間天体観測した後だったらしいです。お葬式には同級生をはじめ、先生や他学年の生徒も多数でました。勿論私も」と訥々(とつとつ)と話す上月瑠璃。
「ひき逃げって犯人は捕まったんですか?」
「詳しい事は分かりませんが、捕ってないと思います」
「平宮さんのご家族はどうされたかご存知ですか?」
「平宮さんの家は母子家庭でしたし、あきちゃんが亡くなられた後お母様は引越しされたと思います。何処に移られたかは分かりません。」
『それで瑠璃ちゃん達は今までどうしてたの?』
「私は高校卒業してから都内の美容専門学校に行ったの。美容師の資格を取ってから都内の美容院で5年働いて。こちらに戻ってきて2年目。」
『そうか。どんどん前に進んでるんだね』
「あのね、あきちゃん。私、あきちゃんに言わなければいけない事があるの。あの頃あきちゃんが付き合ってた……」
『健二君?』
「彼ね、東京の大学に進学したの。同級生で他にも何人か東京に出たけど、向こうで元同級生で集まる機会が何回かあって……」
『付き合うようになった?』
「彼、大学卒業して向こうで就職したんだけど、うまく行かなくて。辞めてこっちに戻ってきて再就職して……私たちもう直ぐ結婚するの」
上月瑠璃のその言葉に部屋の中の全てが停止した。ただサイドボードの上にインテリアとして置かれたクラシックな置時計だけが動いていた。
『そう』
しばらくしてその二文字だけがノートに現れた。
大輔はノートを閉じた。
「このノートお預けするわけには……いかないですよね」
「ええ。申し訳ないですが」
「分かりました。今日はお時間を頂いてどうもありがとうございました」
そう言うと大輔はショルダーバッグにノートを戻して、席を立った。大輔は玄関で上月瑠璃に再度丁寧に挨拶をしてしてから上月邸から出た。
大輔が表の道路に出るやいなや、大輔の左手の直ぐ隣でバチッと大きなラップ音がした。大輔は慌てて左肩に掛けたからノートを取り出して開いてみた。
『何すんのよ、この馬鹿。まだ聞きたい事があったのに』
「おまいさん、生きてる間も空気読めなかったくち?」
そう言うと大輔は再びノートをショルダーバッグに仕舞うと、ヒステリックに横でバチバチ鳴っている音を無視して歩き始めた。
大輔は帰りに食料を買って帰ろうと最寄のスーパーに向った。朝冷蔵庫の電源を入れておいたのでもう冷えてるはずだ。大輔は大学時代から自炊していたので、自分で食べるぐらいの料理は出来る。夕食は久しぶりに自分で作るつもりだった。
少し歩いて到着したスーパーはロードサイドの店らしく店舗の大きさに対して駐車場は大きく、前の道路をスピードを出した車が行き来してる。
スーパーの前の道路が晶子が轢かれたと言う国道だった。片側2車線の直線道路で見通しも良い。道路の向かい側は田んぼが広がっている。それほど危険な感じはしないが、交通量が少ない夜間だともっと飛ばすだろうなと大輔は思った。
スーパーは東西に走る国道と南側の私鉄の駅に到る道とのT字路の西側にある。T字路には信号があり、正面の信号機の横に立て看板があった。立て看板はここで起こった事故の目撃情報を求めるものだったが、随分以前の物なのか、事故の発生日時等の表示が消えてしまっており全く役に立たない。それが晶子の事故に関するものなのかどうか判別はつかなかった。
スーパーで買い物をしている間もラップ音は鳴り続け、大輔はひやひやしたが、買い物客も、店員も特に気にしているようでもなかった。大輔はなんとか静かにさせる方法は無いものかと思ったがどうしようもなかった。
部屋に戻って買ってきた食品を冷蔵庫にしまうと、大輔はショルダーバッグからノートを取り出して机の上に広げた。
『人の事無視しないでよ』
「あのな、路上でノート広げて一人で喋ってたら頭おかしい奴って思われるだろ」
『1人じゃないでしょ』
「少なくとも俺にはあんたは見えない。そんな事はいいから言いたい事があったんじゃないのか」
『瑠璃ちゃん、あたしを轢いた犯人がまだ捕まってないって言ってたよ』
「捕まってないと思うって言ってたんだよ」
『同じ事だよ』
「捕まったのを彼女が覚えてないだけかもしれない」
『じゃあ、もし捕まってなかったらでいい。もし捕まってなかったら、犯人捕まえるのあんたも手伝ってよ』
「俺が? 何で?」
『もし轢かれなかったら、もし轢かれなかったら私にも瑠璃ちゃんみたいな未来があったんだよ。それを奪った犯人が捕まりもしないでのうのうと生きてるなんて、私死んでも死にきれない』
ノートにそう書かれた文字はにじんでいた。もう死んでるだろ、とは大輔は言えなかった。
『瑠璃ちゃんに頼めない以上あんたに頼むしかないのよ。ね、お願い』
「仕方が無い。まず犯人が捕まってないかどうか調べてやる」
大輔はそう言うとノートを閉じてため息をついた。