引越し
「ふう」
朝一番に引越業者が運び入れたダンボールを見て柳 大輔はため息をついた。積み上げられたダンボールを開封して、整理するにはまだまだ時間が掛かりそうだ。もっとも大輔には十分時間がある。都会で商社に勤めて5年で退職した大輔は、人口20万ほどの地方都市I市に2DKのアパートを借りて引っ越してきた所だ。働かずに数年暮らせる程度の蓄えはある。
アパートは和室と洋室の2DKだが、家賃は格安だ。そもそも平成の大合併でI市になったとは言え元々は市域に含まれなかった田舎。最寄り駅は私鉄だが、都心に出るには車で30分ほど走って隣の県のF市まで行ってJRに乗る方が早い。この辺は車が無いと生活には不便な所だ。
布団を仕舞おうと大輔が4畳半の和室の押入れを開けると奇妙なものに気がついた。押入れの下の段にクリアホルダーに入ったノートが落ちている。
押入れの上段と下段を分ける中板の下側にクリアホルダーが両面テープで貼り付けてあったのだろう。年月が経って、粘着力が低下して落下したようだ。中板の方にテープの跡がある。おそらく以前の住人が押入れの中に隠したものだろう。
B5サイズのピンクの表紙のキャンパスノートだ。大学に入ってからずっとA4サイズのものを使っていた大輔には、ちょっとミニチュアっぽく感じられた。
前の住人の単なる置忘れではなく、明らかにここで生活していた時から隠していたものだ。多分日記の類だろう。表紙には何も書かれていない。
大輔はノートをとりあえず窓際に置かれたデスクの上において、布団を押入れにしまった。
コンビ二弁当で昼食を取り、少し休憩してからダンボールの開封作業を続ける。食器、衣類など直ぐ使うものの入ったダンボール箱を開封していく。午後3時には一応最低限生活出来るようになった。
一段落ついて椅子に座ると、デスクの上のノートが目に入った。
「これ、どうしようか」
大輔は独り言を言った。大学に入って以来ずっと1人暮らしをしていた大輔は独り言が癖になっている。
「中身見ないとどうしようもないよな」
大輔はそう言いながらノートのページをめくった。読んでみるとやはり日記のようだった。
かわいらしい文字が並んでいる。内容から見てどうも女子高生の日記のようだ。
立ったままペラペラとノートを捲ると空白のページが現れた。
「最後の日付は10年前か。」
最後の記載を見ていると、その後に黒い字が現れ始めた。
『私の日記を読まないでよ』と書かれている。
驚いた大輔は「何だ、これは」と大きな声を出してしまう。
次の文が現れた。
『勝手に人の部屋に入ってこないでよ』
次々現れる文字に大輔は驚きノートを落とした。
大輔はノートを拾い上げ良く観察してみたが、コンビ二でも売っているようなありふれたキャンパスノートで別段仕掛けがあるようには見えない。
大輔にはどうして文字が現れるのか原理や書き手は分からなかった。書かれてる文字は日本語だし、書き手は大輔の様子が分かるらしい。大輔は書き手とコミュニケーションをとってみようと思った。
ノートを机の上に戻して、さっきのページを開ける。
書き手に声は聞こえるだろうか? 大輔は声を出してみた。
「人の部屋って何だよ? このアパートは今日から俺の部屋だよ。 賃貸契約したから」
すると返事らしい文字がノートに現れた。
『何がどうなってるの? クローゼットも本棚も無いし、机も私のじゃないよ』
押入れが勝手に開いて大輔はぎょっとした。
「これはポルターガイスト現象か? ひょっとしてこれって幽霊が書いてるのか?」
『幽霊? そう言えば、救急車に乗った気がするよ。その後どうなったの?』
「おいおい、本当か?本当に幽霊? 心理的瑕疵物件?敷礼返せよ……って礼金は無かったか」
「一応言っておくが、俺にはあんたが見えてない。と言うか、このノートに勝手に字が現れるだけだ。後押し入れのふすまも勝手に開いたな。あんたが開けたのか?」
『押入れは開けたよ』
大輔は深呼吸をして少し気を落ち着かせた。
「分かった。とりあえずお互い自己紹介しよう。俺は柳 大輔、27歳、男性。職業はこの前会社を辞めたから無職だ。今日この部屋に引っ越してきた。」
『平宮 晶子、 17歳、 高2よ』
「ひらみや しょうこさんで良いのかな?」
『なるみや あきこよ』
「ところで今年は何年?」
『200X年』
「違う。今年は201X年。多分晶子ちゃんが死んでから10年になるね。」
『ちゃん呼ばわりはお断りよ』
「そうか」
大輔は実際に怪現象を経験するのは初めてだが、不思議と怖さを感じない。
「で救急車って?」
『夏休みに天文部の部活でペルセウス座流星群の観察をして帰りに』
「轢かれた?」
『よく分からないわ。直ぐ側で救急車のサイレンを聞いたのは覚えてる。車に乗ってるような感じだったから、救急車に載せられたと思ったのよ』
字が現れるのがどう言う原理か分からないけど、この晶子さんとやらと一応コミュニケーションが取れるようだと大輔は思った。しかし、大輔には幽霊と話したい事など無かった。
「大体分かった。もうこの日記は読まないから、その代わり俺がここに住むのを邪魔しないでくれるかな? 元々このアパート借りてただけなんだろ? 別にここに居るのは良いけど、扉とか勝手に開けないでくれ。 じゃあこれでおしまい」
『お願いがあるよ』
「何?」
『あの後私がどうなったか知りたいの。それと話したい人もいるのよ』
「そう言われてもな。」
『この日記帳を私の親友の所まで持って行ってくれない?』
「見知らぬ他人の所へ行って『幽霊がこのノートにメッセージを書くから読め』って言うのか? 勘弁して欲しいな」
『もしやってくれなかったら、夜中に騒ぐよ』
「引越しで今日は疲れたから、明日で良いならやってみる」
そう言うと大輔はノートを机の引き出しに仕舞った。