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3.咲楽

 

 

 

 西には海、東には山のそびえる小さな田舎町。

 小高い丘の上には古びた神社があり、町の様子を見下ろしている。古くから在る神社には町を守る鴉天狗の伝説があり、「お鴉さん」の愛称で親しまれていた。


 荻野愛実(おぎのつぐみ)の家は、そんな町のはずれにある。

 白い壁に青い屋根の乗った小さな家。

 海が見渡せる丘の上に位置しており、海鳥の鳴き声と潮の香りが風に乗ってやってくる。


「あの……」


 丘の家に向かう咲楽(さくら)に、愛実は思わず声をかけた。

 清楚な印象のセーラー服がひるがえる。膝下丈のプリーツスカートの下から覗く足が細くて瑞々しい。絹束のような白髪が神秘的な空気を醸しているが、何故か馴染んで見えた。

 薄暗い常夜ではなく、太陽の下で見る咲楽は天使のように綺麗な人だった。


「どうしましたか? 私の顔に、なにかついていますか?」

「ううん、とっても……きれいだから、つい」

「ありがとう。毎日洗濯して、アイロンがけを行っておりますので」


 染みひとつついていないセーラー服を示しながら、咲楽はシャキッと胸を張って言った。

 そっちの意味じゃないんだけどなぁ。微妙なズレを感じて、愛実は愛想笑いした。


「ねえ、本当に……お母さんは……」


 気持ちが()いてしまって、上手く言い出せない。

 そんな愛実の心情を今度は正確に汲んだのか、咲楽は微妙に表情を緩ませた。どうやら、微笑んでくれているらしい。


「少し、私の話をしましょうか」


 咲楽は丘への一本道を進みながら、愛実に手を差し出した。

 彼女の母がそうしてくれたのと、同じように。


「私は常夜に住んでいますが、生きたヒトなのですよ。あなたと同じです……魔者の血が入っていない分、私の方が異物でしょうね」

「え? 咲楽さんは、人間なの?」


 どうして、あんなところにいるの? 常夜の國は死んだ人が行くんでしょ?

 しかし、咲楽は口ぶりから、ずっとあそこに住んでいる。


「言ったでしょう。私はあの薬屋の商品(・・)ですから」


 咲楽は感情の読めない顔で愛実を見下ろす。


「私はヒトです。でも、ヒトの世には住めない忌子(いみご)なのです」

「いみご?」


 知らない言葉だった。


「呪われているんですよ。私は……本当は退魔師なんです」

「退魔師?」

「魔者を祓い、人を守る仕事です。私の先祖は代々その才能を受け継いできました」

「はらう?」

「退治する、ということですよ」


 そんな職業があるんだ。

 すごい。と、愛実は素直に感嘆した。

 けれども、一拍置いて不安が過ぎる。


 愛実の母はキツネの血を引いている。

 咲楽は母にキツネの姿になった愛実を見せるのではなく、別の薬を処方したいと言った。

 でも、彼女は魔者を追い払う退魔師で……。


「もしかして、お母さんのこと退治しちゃうの?」


 不安が生まれると、それは大きくなっていく。胸の奥がズンと重くなった気がして、愛実の表情がみるみる崩れていった。


「だめ!」


 愛実は大声で叫ぶと、咲楽の手を振り払った。


「――愛実!」


 咲楽の肩に黒い大きな影が落ちる。

 翼を広げたカラスが肩にとまったのだ。まるで黒い翼の天使のようで、身震いする。


「待って!」


 慌てているのか。咲楽が叫びながら愛実を追った。

 あの綺麗な顔で、彼女は母を退治しようとしている。そう考えると本当に恐ろしかった。走るのに合わせて心臓がバクバク高鳴って、息が切れる。

 速く走らなきゃ。

 もっと速く、走らなきゃ。

 もっと、速く!


「へえ?」


 のんきな声が聞こえてきた。

 鴉の声だ。

 いつの間にか、大きくて真っ黒い鴉が愛実の横を飛んでいた。


「なんだ、できるじゃないか。ツグミちゃんは才能があったんだね」


 え?

 意味がわからなかった。わからないまま足が勝手に動く。

 地面を軽やかに蹴ると、勢いで自然と身体が前のめりになった。両手を地面についても痛くない。それどころか、そのまま草の生えた地面を蹴って飛び出していた。


「愛実、いけません!」


 咲楽が叫んでいたけれど、もう遠くなって聞こえない。

 物凄い勢いで風が唸っていたけれど、それさえ裂いて走るのは気持ち良くも感じた。もうすぐ家に着く。お母さんの待つ家に着く。ただいま! 何故か声は出なかったけれど、愛実はそう叫んだ。


 青い屋根の家。

 お母さんと、お父さんと三人で暮らす家。


「――――」


 一階の窓際には、母のベッドがある。

 愛実は真っ先に、母の元を目指した。気づいてもらえるように手を振ろうとしたけれど、銀色の前足は風のように地面を蹴り続ける。

 あれ。

 あたしの身体……?


「…………!」


 窓の外を見た母が、愛実の方へ視線を移していた。

 痩せこけてやつれた顔には驚きの色が浮かんでおり、細い手足を使って窓の方へ身を乗り出している。


「愛実……?」


 名前を呼んでくれた。

 それが嬉しくて、愛実は足を止めることができなかった。


「愛実、それ以上は駄目です」


 ピタンッ。

 背後の声と同時に動きが一瞬で止まった。まるで足を氷漬けにされたように、愛実はその場に立ち止まってしまう。


「それ以上は、戻れなくなります」


 全ての時間が静止していた。

 窓から身を乗り出した母も、薙ぐように流れていた風も、空を舞う海鳥も、全てが止まっている。


「あなたはヒトです。獣の血に呑まれれば、取り込まれてしまいますよ」


 優しい手が愛実の背中を撫でた。

 優しくて、温かい。けれども、怖がるようにぎこちなくて不器用な手つき。それなのに、心底落ち着ける気がした。


「私は退魔師です。でも、おちこぼれなんですよ」


 フワッと、身体が軽くなる気がした。

 実際に浮いているわけではないけれど、身体の中が確かに軽くなる気がする。


「私は忌子です。おちこぼれの退魔師です……魔者を祓うはずの存在なのに、私には」


 前足が伸びて、くっきりと指の形に分かれていく。

 愛実の身体を覆っていた銀の体毛はみるみるうちに抜けていき、白く滑らかな肌色へと変わっていった。


「私には、魔を祓う力がないのです――あるのは魔を癒す力」


 それが、彼女が自らを「おちこぼれ」と称する理由なのだと、愛実には理解できた。

 同時に、彼女が薬屋の商品(・・)である所以だと理解できる。


 魔を祓えない退魔師。

 自分のことを忌子と呼ぶ彼女は、どんな想いなのか表情から読み取ることはできなかった。ただただ人形のように美しく、崩れることのない顔は仮面のようにも見える。


「愛実のお母さんを蝕むのはヒトとしての生命力を喰い尽くそうとする狐の呪詛です。それを取り除けば、元通りになります」


 静止した世界で、咲楽は母親へと視線を移した。


「お母さんのために、狐になりたいと言った愛実のことを、私は少し羨ましく思います」

「?」


 咲楽は笑っているのだろうか、悲しんでいるのだろうか。

 ほんの少し緩んだ口角から、読み取ることは難しい。

 でも、愛実にはどちらともなのではないかと思った。


「私には、そんな風に思える親などいないから」


 通りゃんせ 通りゃんせ


 鈴の音が聞こえてきた。

 常夜への門を開いたときと同じ音色に、愛実は辺りを見回す。


 咲楽の背後に木の門が現れた。

 暗い夜の世界へと続く門。ゆらゆらと揺れる光の粒が迎え入れるように、咲楽を包んでいた。


「咲楽!」


 走ると風が舞い、行く手を阻まれる。まるで、目の前に壁でもできたかのようだった。

 きっと、向こうは愛実がいるべき場所ではないから。

 愛実の居場所は、こちら側にあるから。


 咲楽は愛実を振り返ろうともせず、常夜の門の向こうへと歩いて行く。


「ありがとう!」


 渾身の力を振り絞って叫んだ。正面から吹く風が壁のように立ちはだかるけれど、必死で叫ぶ。聞こえていないかもしれないけれど、それでも叫んだ。


「また遊びに行くね! 咲楽のごはん、とっても美味しかったよ!」


 何度も。


「――――」


 咲楽がゆっくりと振り返る。

 愛実の声が届いたのだろうか。されど、咲楽の声は愛実には届かなかった。


 でも、なんとなく。


 ――ありがとう。


 そう言っているような気はした。

 

 

 


◆終.おちこぼれ退魔師◆

 

 

 

 常夜ノ國に朝はない。

 日が昇らず、常に薄暗い夜の闇に包まれている。

 月も太陽もない世界の灯は、常夜蛍と呼ばれる(むし)だった。その発生源を知る者はいないけれど、一説によると、ヒトの退魔師によって祓われた魔者の魂であると言われている。


 ヒトの世で学生服と呼ばれる装束を纏った女がひとり。

 常夜の道を歩く。

 絹束の白髪をなびかせ、常に無表情。無機質なアメジストのような瞳は常夜蛍の光を受けて複雑に輝くが、そこに彼女の感情を写すことはない。


 かつては退魔の家に生まれ祝福された子。

 されど退魔の力を持たず、忌子として迫害された子。

 おちこぼれた退魔師の行きつく先はヒトの世に在らず。


「珍しく怒っているねぇ?」


 のんびりと、のんきな口調。

 廃墟のような薬屋の中で待っていた鴉が、コーヒーをストローで啜っていた。咲楽がヒトの世から持ち込んで以来、すっかり愛飲している。


「怒っていますか? 私が?」


 表情を変えないまま、咲楽は手にしていたビニール袋をテーブルの上に置いた。

 常夜のものではない。ヒトの世に降りて買って帰った食材だった。ヒトである咲楽は常夜の食事を食べられないので用意しているが、鴉も一緒に食べるので二人分だ。


「何年一緒にいると思ってるの? サクラが怒っているときは、いつもわかるよ。顔に出ないだけさ」

「そうですか。自分ではよくわからないので……では、何故、私を怒らせたと思うのか聞かせてください」


 無表情のまま、感情に乏しい声で問う。そのくせ、手はいつものように食材を袋から取り出している。


「まず、サクラは勘違いをしている。(ぼく)はツグミちゃんになんの薬も与えていない」

「そうだったのですか。当初、あの子の妖力は皆無でしたので、てっきり鴉がなにか食べさせたのかと」

「濡れ衣だよ。サクラだって言ってたじゃない。彼女には才能があったんだ」

「そうですね。それは間違いなさそうでした」


 淡々と会話しながら、咲楽は魚の切り身を眺めた。

 今日は白身魚のムニエルにしようか。夕食の時間まで一時間四十五分二十三秒しかないので、早めに家事を終わらせて取り掛からなければ。


「自分が怒っているのか、よくわからないので聞きますが、それなら、私が鴉に怒る(・・)べき事項は一つですね。何故、最初から私を処方されなかったのでしょう?」


 咲楽にとって、それは鴉の言うところの怒る(・・)というよりも、純粋な疑問のようなものだった。


 咲楽はこの薬屋の商品。

 自分には魔者を癒す力があり、それを生業にしている。

 愛実(つぐみ)の母親が衰弱した原因は、半妖であるため自身に流れる狐の呪詛に蝕まれた結果だ。狐の血が濃ければ呪詛を纏っていても問題ないし、それが妖力の根源となる。だが、ヒトの血が濃い彼らには毒だ。いずれ、娘の愛実も早くに亡くなっていただろう。


 咲楽には二人に流れていた狐の呪詛を治めることができた。

 それは魔者を癒す力を持った彼女になら可能なことであり、あのときの最善であるように思われた。


 愛実は母親の最期に美しい狐を見せたいと言った。

 でも、もしも母親が助かる道を知っていたなら、彼女はそちらを選択したに違いない。咲楽はそう解釈していた。

 であるならば、最初から咲楽が狐の呪詛を治めるのがスマートだ。なんの問題もない。


「問題だらけだよ」


 単純明快に思われた咲楽の解に対して、鴉は呆れたように肩を竦めた。


「何故ですか?」

「君、自分の体質を忘れているの?」


 咲楽には魔者を癒す力がある。

 だが、一方で


「君は魔を癒すたびに、自分の中に瘴気を貯め込んでいく。商品(・・)を消耗せずに済む方法があったから、管理者として、そちらを勧めたかっただけだよ」


 春の陽射しのようなポカポカした声で、鴉は合理主義を説く。

 今にも居眠りでもはじめてしまいそうな口調なのに、言の葉には棘があるように思えた。それは彼と出会った頃と全く変わらない。これが鴉の本質だ。


「安売りされると困るんだよね。吾の薬はそんなにたくさん売れるものじゃないから、咲楽がいないと困る。美味しいご飯も食べられなくなるし」

「問題ありません。私の穢れは、全て鴉が食べるのですから。それが毎回の報酬でもあります」


 そう言いながら、咲楽は自らの首筋に触れた。

 瞬間、白く滑らかな柔肌に禍々しい黒い刻印が現れた。刻印は首筋から蝕むように肩から腕へと広がっていく。


「今回はこの程度ですし、想定内です」


 ドス黒い瘴気を帯びた刻印を撫でながら、咲楽は腕を鴉の方へと向けた。


「ああ、今回はこの程度だったけど……思いがけず、娘の方まで治す羽目にもなったんだ。やっぱり、リスクはあった」

「あの状況でも、問題ないと私は判断しました」

「わからず屋だねぇ。頑固者」


 魔を癒す力は、穢れた瘴気を自身の中へ移し込むということだ。

 瘴気が蓄積すれば、それは咲楽の身体を蝕み、死に至らしめるだろう。

 鴉は咲楽の中に蓄積された瘴気を喰うことができる――というよりも、瘴気が彼の()なのだ。

 元々は神社に祀られ、土地の瘴気を喰うことで霊気を高めていた。魔者の中には、瘴気を振り撒く者と取り込む者がおり、鴉は後者に当たる。


「吾が食べきれなかったら、どうするつもりなの?」

「そのときは、私は死んでしまいますね」

「一度、それで死にかけたヒトの言葉とは思えないねぇ」


 無表情で言ってのける咲楽の手を、鴉は自分の手に乗せた。

 ヒトがヒトにキスをするように、クチバシの先を咲楽の手の甲へと押し当てる。

 波打つ瘴気が吸い取られ、咲楽は自分の身体が軽くなるのを感じた。腕全体を蝕んでいた瘴気の刻印は、風が砂に溶けるかのように消えていった。

 咲楽の身体に蓄積した瘴気が鴉に喰われていく。


「ありがとうございます」

「ごちそうさま」


 一言ずつ言葉を交わす。

 その後は淡々とした動作でお互い離れ、それぞれの作業へ移った。

 鴉は乾燥した薬草を煎じ、咲楽は買ってきた食材を貯蔵庫へ移す。


「今日の夕ご飯はなに?」

「白身魚のムニエルにしようと思います。あと、椎茸のレモンバターソテーを添えて、ポテトサラダをつけようかと」

「うん。よくわからないけれど、楽しみだ。きっと、美味いんでしょう?」

「問題ない味にします」


 淡々と、坦々と。

 常夜のはずれで、日常が流れていく。

 

 

 

 終わりです。

 お読みいただきありがとうございました。

 長編にする予定だったものの、思っていたよりも舞台が現代ではなく異界寄りになってしまったので、書き直すことにしました。でも1万字あるし、まあまあキリもいいので短編として供養しようと思います。

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