2-21 写真機
竜暦6557年10月6日
「よくきたね」
「進捗はどうですか?」
ロージュ工房を訪れた俺はカウンターの椅子に腰掛け、対面にいる発明家ファバキに質問した。
「うむ、携帯型便器については順調に進んでるね」
「よかった」
「実をいうと今の便器の派生から独立した商品が出せそうだということで職人連中がこぞって熱心に取り組んでるのさ」
「独立した商品?」
「手持ち式の清浄送風機は、排泄後のお尻の汚れを落とすだけでなく、服についた汚れや武器の血糊などの除去にも使えそうだという話題が出てね」
「それって冒険者からすると重宝しそうです」
「ああ、そのとおり」
「分解壷についても家庭から出る生ゴミの処理にも使えるんじゃないかという話が出ているね」
ファバキがニコニコしながら説明した。
俺は説明をきいて転生前の世界の似たような商品が脳裏に浮かぶ。
「なるほど」
「『必要は発明の母』という言葉があるが、君が必要だと思って提案してきた内容が新しい発明品につながったのさ。こちらとしても有難いかぎりだよ」
そういってファバキが頭を下げた。
「頭を上げてください、そこまでのことではありませんし、それに今の話だといずれどなたかが気付いて開発したと思いますよ」
「うむ」
「馬車とコートの方はどうでしょうか?」
「温度を維持する術式のテストは完了したので、目処が立ったところだね」
「さすがロージュ工房ですね」
褒められたことでファバキは上機嫌になった。
その表情をみてから要望を伝える。
「相談なんですが雨具は数も多くすぐに使うものではないので、馬車の方を優先させることは出来ないでしょうか?」
「なにか理由があるのかな」
「実は近々旅行にいくことになりそうなんです」
「なるほどね」
ファバキが手を組んで少し思案したあと、口を開く。
「では雨具の開発を遅らせて、馬車の改造を優先する段取りを組もう。」
「ありがとうございます。どの程度で完成しそうでしょうか?」
「板バネを用いた足回りの検証を後回しにするなら、2週間程度かな」
「ならば予定している旅行で、足回りの耐久性や快適性の実地検証をしましょうか?」
「未完成の品をつかわせるのは、しのびないな…」
「いえ、無理を言ってるのは承知してますし、それでも特注馬車があるだけで旅が快適になりますので、どうでしょうか」
「そこまで言ってもらえるなら発注主の意向だし検証をお願いいたしましょう」
「本当にありがとうございます」
俺はファバキに申し訳無さそうに深々と頭を下げた。
その後、軽い世間話をしたあと、俺は本日訪れた大本命の話題を口にする。
「ところで、全く新しい道具についてのアイデアがあるのですがロージュ工房で買っていただけないでしょうか」
「新しい道具?!」
身を乗り出してファバキがくいついてきた。
「まず説明したいのですが、この工房にとりあえず真っ暗に出来る部屋はありませんか?」
そういうと薬品を貯蔵する為の窓のない部屋に案内してくれた。
「ここなら平気かな」
「大丈夫ですね。すこしドアの加工をしてもいいですか」
「壊さなければ問題ないよ」
俺はドアの隙間をもっていた粘土でふさぎ完全な暗室を作った後に、ピックでドアに小さな穴を開けた。
すると暗室の壁に外の景色が逆さまになってうつった。
「どうですか?」
「…!」
暗室でファバキの表情は見えないが、唾を飲む音から驚いていることが分かった。
「こ、これはどういうことかな」
「まずココを出ましょうか」
そういってドアの隙間を塞いでいた粘土を外し、穴を開けた部分を埋めて、工房のカウンターにある椅子に戻った俺は話し始める。
「さきほどの現象については工房で再現実験していただければと思います」
「う、うむ」
「で、あの現象を応用するのが買い取ってもらいたいアイデアです」
「話にもよるが、いくらほどを想定しているのかな?」
「いま発注している金額の足しになる程度と考えております」
「なるほど…」
真剣な顔のファバキが見つめてくる。
「アイデアの件だけど他人には話を…」
「ファバキさんが初めてです」
「ここで初めて話をするということは、私なら確実に買い取ってもらえると君は考えてるんだね」
「はい」
「聞いたら後戻りできないか……よし、金額は相談になるがいいだろう」
決心したようなので、アイデアを口にする。
「さきほど壁に投影された景色ですが、腐食を用いる薬品を塗った金属製の板で写し取るというものです」
「え、な、なんと……」
ファバキが絶句した。
「投影された景色はドアの小さな穴から入ってきた光によるものです」
「…ふむ」
「光に反応して腐食を促進させる魔石を利用した薬品を開発できれば、先ほどの景色を再現できるということです」
「……」
ピンホールによる現象と光による化学変化、この2点の情報を天才発明家に与えたことで事態が動き出す。
「…ちなみに、このアイデアはどうやって思いついたのか聞いていいかな」
「子供のころ暗い部屋で遊んでるときに景色がうつることに気付いたんです」
「…」
「腐食によって記録するのは、活版印刷の説明が掛かれた本を読んでて最近思いつきました」
「…」
さすがに転生前の知識だというのは言えないので、無難な理由を告げた。
「どうでしょうか」
「君の発想は面白いなと思っていたけど、ここまで凄かったとは驚きだよ」
「でも俺の場合、発想だけで実現できる技術はありません。そこまで評価されるほどではありませんよ」
「確かにそうではあるが…」
「実際に光で腐食を促進させる薬品などの開発は、専門家に任せるしかありませんしね」
「うむ、ちょっと待っていてくれ」
ファバキの姿が奥の工房に消え、なにやら書類を持って戻ってきた。
「買い取るアイデアの金額の件だが、この書類に目を通してくれないかな」
「はい」
その書類は共同開発の締結書であった。
「商品が完成し売れた場合、開発や製造にかかるコストを差し引いた利益の50%を君が受け取る条件でどうだろうか?」
「開発に失敗するかもしれませんよ」
「その可能性もあるがね、失敗した場合はそれまでの開発費はこちらで負担するよ」
「なるほど」
「あまりのアイデアなので買取の値段を付けることが出来ないし、それならいっそ利益を折半するほうがお互いにいいと思ってね」
破格の提案である、慎重に何度も書類に目を通しサインすることにした。
「実現までは時間がかかりそうだが、商品化できるように頑張るよ」
「はい」
「しかし惜しい人材だ、本当にこの工房に就職してもらいたいよ…」
「また面白いことを思いついたらアイデアをもってきますよ」
「是非ともそうしてくれ」
そういって固い握手を交わす。
この日の出来事により、この世界に写真機が誕生することが決定したのであった。




