4-13 【履歴】
竜暦6561年5月26日
浅い眠りでうとうとしていると体を触られる感触がある。
『もう、はやく寝すぎよ』
『ん』
疲れて寝ている俺の胸をさすりながら、彼女はそんな俺を起こそうとしているようだった。
暗い部屋のベッドの中で彼女が浅く反応した俺に唇を重ねてくる。
とても甘い感触がまどろんでいる俺の頭の中をうねる。
俺の手に手を重ねて、指も絡ませる。
彼女の吐息が荒い。
興奮しているようだ。
いつもより彼女がとても積極的だ。
彼女の唇が徐々に俺の首から胸へを位置を変えながら動いていく。
官能的な唇の動きに俺は思わず声を出してしまう。
『起きた?』
耳元で彼女がささやいてきた。
『明日早いんだ、やめてくれよ』
俺はぼんやりとした頭で彼女に答える。
『なめてくれよ?』
『お願いだから、やめてくれ』
『なめてくれ?』
『やめて』
『なめて?』
『「な」じゃなくて、「や」だよ。やめてくれ』
『なめてくれ?』
そういって彼女が俺の胸を舐める。
官能的な舌の動きが俺を誘う。
どうしたんだろう。
彼女の様子がいつもと違う、おかしい。
『とにかく、やめてほしい』
『なめて欲しいのね』
『やめてください』
『なめてくださいね、わかったわ』
そういって俺のお腹に舌を這わせる。
お腹を這う舌がさらに下へ移動しようとしている。
俺は思わず反応してしまう。
しかし、体の反応とは別に心がざわざわする。
やっぱりおかしい。
頭の中の思考がうねる。
なにかが引っかかる。
いまの彼女とのやりとりを、以前あったような感覚が湧き上がる。
既視感?
デジャブ?
頭の中がはっきりしないがざわざわする。
考えようとすればするほど、頭の思考がぐちゃぐちゃして焦りが出てくる。
この状況から逃げたい。
ふとある女性の顔が俺の頭の中に浮かび、それとともにスパークするように思考がはじけた。
ベッドの中の会話の相手は離婚した妻の春菜だと確信した途端に、俺は青い空の下に立っている。
気持ちが悪い。
さっきまで暗い部屋のベッドの中にいたはずである。
目の前を見ると見覚えのある建物が建っている。
この世界に転生する前に最後にいったエジプトの博物館の前である。
周囲を見渡すと、黒い上下の服を着た一人の男性に目がとまる。
うつむきながらぶつぶつと何かを呟いて、人の多い博物館の入口のほうへと俺の脇を通って歩いていく。
俺は、通り過ぎたその男が気になり後ろを振り返る。
まるでスローモーションを見ているようだった。
男の持っていた鞄がゆっくりと膨らんで炎が吹き上がり大きな閃光を放っていく。
それと同時に俺の体が熱でゆっくりと焦がされていく。
焼かれているというのに感覚がない。
肉が弾け飛んでいるのに感覚がない。
目も損傷していて見えないはずなのに、なぜかバラバラになっていく自分の体が見える。
自分が死ぬ瞬間を目の当たりにしてしまった。
しかしあまりショックを受けていない。
かなりショッキングな出来事に感情がおいつかないのか、もしくは痛いとか苦しいとかの感覚がなかったためか、まるで感情のない機械の思考のような感じである。
しかし、なぜこの世界に転生することになったのかハッキリと理解した。
俺は間違いなく死んだのだ。
エジプトの博物館の前でテロに巻き込まれて死んだのだ。
それにしても、おかしい。
ベックとして小さい頃にエジプトの博物館の前の出来事を何度も思い出そうとしたが、あんな映像を思いだしたことすらない。
いつも突然真っ暗になったところまでだった。
さらにおかしいのはさっきの黒服の男の方を振り返った覚えは全くない。
俺の頭の中がおかしいのか?と疑った時に、目の前の景色が変わる。
眩暈がした。
青い空を見上げている。
前を向くと自分は石の中に埋まっていた。
近づいてくる親子がいる。
よく見ると若いときの親父とお袋だった。
何十年ぶりだろう懐かしい顔だ。
親父は相変わらず七三分けにした髪型をしてるな。
お袋は似合ってないパーマをかけているな。
思わず俺は微笑んだ。
親父とお袋が笑いながら子供に話しかけている。
話しかけられた子供が嬉しそうに周囲を眺めている。
ああ、あの子供は俺だ。
三人で旅行にいったのは数回しかないが、あの年頃でいったのは確かゴールデンウィークを利用して伊勢神宮へ行った時かな。
しかしなぜこんなにもハッキリとした映像が見えるんだろう。
思考はぼんやりとしていているのに、映像はハッキリとしているという不思議な光景だ。
子供の俺が寄ってきて、俺を持ち上げる。
変な感覚だ。
そういえば伊勢神宮に寄った時に綺麗な石を拾ったんだよな。
宝石のような石だったんでお守りにして大切にしてたんだっけ。
ああ、これはあの石の記憶なのか。
それから、ずっと石から見た視点での伊勢神宮を見てまわる景色が目の前に映されていく。
おかしい。
石をポケットに入れた映像が映るが、すぐにポケットの外の映像に切り替わった。
石から見た視点ではあるが、撮影視点の変更が可能なようだ。
しばらく伊勢神宮の映像を堪能していると、また目の前の景色が変わる。
吐き気がした。
目の前にパソコンのモニターが見える。
業務用ソフトを使ってツアーの手配をしている懐かしい景色がそこにあった。
ふと手を止めて、ブラウザを立ち上げ、某大手掲示板の旅行板を開いて書き込みを眺めてニヤニヤしている俺がいる。
上司の姿が見えたので、すぐにブラウザを閉じて慌てて業務に戻る。
その俺の姿が滑稽で、つい笑ってしまった。
また目の前の景色が変わる。
春菜が目の前にいた。
俺は春菜の肩に手をのせてベンチに座って海をみていた。
久しぶりに見た春菜は白いワンピースにおしゃれなバッグを持っていた。
笑顔がまぶしい。
肩まである黒い髪を手で押さえている。
海のそばの公園のベンチだった。
ああ、付き合っていた頃に横浜の中華街に行って、そのまま海の見える公園に行ったよな。
たしかあそこでプロポーズしたんだっけ…
また目の前の景色が変わる。
何度も景色が変わるのにも慣れてきた。
今度はサリスに指輪をプレゼントしている俺だった。
2ヶ月ほどまえ、パラノスに旅行する前のパムでの出来事だ。
幼い頃にジャスチがイネスに贈った指輪のイメージが強かったのだろう。
俺はオパールの指輪を購入してサリスに結婚の記念としてプレゼントしたのだ。
嬉しそうにサリスが指輪を身につける。
お礼といって唇を重ねてきたサリス。
これからも大切にするよと俺はサリスに誓う。
あの晩、サリスと俺は結ばれた。
昔の体験した景色が、次から次へと順序がバラバラだが流されていく。
転生前の景色もあれば、転生後の景色もある。
ぼんやりとまどろんでいた俺の頭も徐々にはっきりしてきた。
目を開くと狭い部屋のベッドの中で寝ている俺がいる。
間違いなくここは、昨日泊まった熊人族の里であるルロートパ村の長老の家の客室である。
ベッドは一つしかなくサリスとアミもそれぞれ別の客室で寝ている。
どうやら現在のベックとして無事に覚醒できたようだ。
視界の端に浮かぶボタンが増えているのに気付く。
増えたボタンには
【履歴】
と書いてある。
俺は寝たまま天井に向けて腕を伸ばし自分を分析する。
(【分析】【情報】)
<<オーガント・ベック>>→人族男性:14歳:冒険者:観測者レベル12
Eランク※
HP 169/169
筋力 4
耐久 4
知性 4
精神 8
敏捷 4
器用 4
スキル【分析】【書式】【情報】【地図】【履歴】
観測者レベル12
(なるほど観測者レベルが上がったのか)
異常な体験の原因は観測者レベルに伴ってスキルが増えたのが原因のようだった。
自分が死ぬ場面や離婚の場面など嫌な場面もあったが、俺は亡くなっている親父やお袋などの懐かしい顔を鮮明に思い出すことが出来たこともあり、素直にレベルが上がったことを喜んだ。
俺は早速【履歴】に意識を集中してみた。
『観測者λ567913 動作履歴 【検索】』
(また奇妙な言葉が出てきたな…、しかも【検索】って項目まであるけど…)
【検索】に意識を集中したが、まったくなにも表示が変わらない。
どうやら制限があるような感じだ。
あとは『観測者λ567913』という単語が気にかかる。
さっきの異常な体験を思い出す。
俺の考えが間違っていなければ、『観測者λ567913』とは伊勢神宮で拾った綺麗な石である可能性が高い。
理由としては、あの拾った綺麗な石の視点である。
子供の俺が映像に映っていたからだ、間違いないだろう。
どういった理由かは不明だが、あのお守りにしていた綺麗な石に特別な力があった可能性は非常に高い。
俺がベックとして今使っているスキルは、その特別な力の一部だろう。
なぜベックとして生まれてきたのかという理由は判明した。
・俺がテロで死んだから。
スキルとはなんであるのかという理由も判明した。
・スキルは『観測者λ567913』の能力である。
なぜ転生時に転生前の鈴木良弘の記憶を持っていたのかという理由と、スキルを所持していたのかという理由は、おそらくだが推測できる。
・特別な力を持った『観測者λ567913』と俺が混ざった可能性が高い。
今までもやもやしていた、いくつかの謎は判明した。
しかし新たな謎も出てきた、『観測者λ567913』の存在である。
分析で観測者という単語は分かっていたが、これは『観測者λ567913』のことを指していたのであろう。
存在の名前を見る限り危険な雰囲気はしない。
そう、これがファンタジー小説に出てくるような感じで
『神様λ567913』
『勇者λ567913』
『魔王λ567913』
『聖剣λ567913』
『魔法使いλ567913』
とかいう名前であれば戸惑っただろう。
まあ今これ以上考えても答えは出なさそうなので、この件は保留しておこうと思う俺がいた。
いずれ【検索】が使えるようになれば進展があるかもしれないという期待もあったからだ。
新しいスキルの件から落ち着きを取り戻した俺は、天井をぼんやりと見つめて、奇妙な体験に出てきた転生前の世界で関わりのあった多くの人たちの顔を再度思い浮かべる。
七三分けの親父。
パーマの似合っていないお袋。
離婚した妻の春菜。
眼鏡をかけていた大学の恩師。
イヤミの多かった会社の上司。
愚痴をよく聞いてくれた同期入社の同僚。
にこにこ笑って話かけてくれた取引先の受付の女性。
イタズラを一緒にした小学校時代の悪友。
ミスが多かった会社の後輩。
住んでいたマンションの管理人。
よく弁当を買った近所のコンビニのバイトの若い女の子。
……
…
最近まで忘れていた顔も多かった。
言葉に出来ない感情で胸が熱くなる。
視界が歪む。
あふれてくる涙のせいだ。
俺は感情に身をまかせて、ベッドの中でひとり静かに嗚咽をもらしつづけた。
100話目以降は1日に最低1話公開予定です




