カミなき日々の終わりに
「あなたのソレはもう三年も持たないでしょう」
私を診断した老医師は、そう言ってカルテに目を落とした。あまりのことに二十七歳だった私は髪を振り乱して老医師にすがりついた。
どうにかならないのか?
副作用が強くたっていい、なんとか延命できないだろうか?
私がいくら尋ねても老医師は首を振るだけで、
「もし、どうにかできることなら私だって……」
と、禿げた頭かかえて悔しさを滲ませた。
私はこのとき初めて彼の抱える悲しみを知った。おそらく彼は私のような人間を幾人も見てきたに違いない。そして、そのいずれも救えなかったのだろう。診断はできても治療はできない。医師としてこれほどの屈辱はないに違いない。
それからの三年間は地獄だった。
病の影響で、日に日に細くなっていく私に周囲はあまりに冷淡だった。
「これまでの生活のツケが出たのだ」
「若い頃から遊びまわっていたのだから、もういいだろ」
確かに、私は真面目な人間ではなかった。大学に入る前あたりから髪を染め、盛り場に入り浸った。酒も女も狂うほどに嗜んだ。しかし、そんな爛れた生活も大学を卒業するのと同時に足を洗った。髪を黒く染め直し、酒も女も綺麗に止めた。ずるずると続けたものなどない。
職場でも新人を卒業してそろそろ中堅として責任ある仕事を任されようという時期だった。私は運命の残酷さを恨んだ。なぜ、私でなければならないのか。私よりももっと行いの悪い奴など掃いて捨てるほどいるだろうに。
こういった私の苛立ちを敏感に察知したのか、
「もう、なくなっちゃったんだね……。私、あなたのこと愛せる自信がないの。ごめんなさい」
と、結婚を誓い合った彼女にも振られた。
それが今からちょうど二年前のことだ。この頃には私の病は一層悪化しており、いたるところがボロボロになっており傍目から見ても私の余命が短いことは明らかだった。しかし、それでも彼女には私のそばにいて欲しかった。彼女さえいてくれれば私は満足していられたに違 いない。
そして一年前、私は知り合いづてに彼女が結婚したことを知った。見せてもらった写真には、幸せそうに笑う彼女の隣に軽薄そうな笑みを浮かべた長髪の男性 が写っていた。私は危うく怒りでその写真を破り捨てそうになった。よりにもこんなチャラそうな男と結婚するなんて、どうして私ではダメなのか。
失意の底で私は何もかもが嫌になった。会社を辞め、残り少ない時間をすべて放蕩に使うことを決めた。それからは、酒に女、暴食に奔る日々だった。放蕩に比例して病状は一気に悪化した。やせ衰えた私のそれはもはや二十代のものではなかった。
そんな私を見かねた父は、涙ながらに私を殴りつけた。
「負けるな。どんなことがあっても希望を捨てるな……」
「うるさい! 私がこんな身体になったのは全部お前のせいだ」
私は父を意味もなく罵倒した。
父は私の罵倒を黙って聞いてくれた。小一時間くらい喚き続けて私は押し黙った。私自身、父が悪いわけではないことなど分かっているのだ。ただ、それでもどこかにはけ口が欲しかったのだ。いつしか私はボロボロと涙を流していた。
私を父は優しく抱きしめてくれた。子供の頃、嫌いだった禿上がった父の小さな身体はいまだけは大きく感じられた。父に諭された私は、それから少しでも延命するために実家で養生することとなった。
そして今日、あの老医師から電話があった。
「いままで未承認だった新薬が承認された。臨床実験でも効果は上々だ。これなら君を病から救えるかもしれない」
私は狂喜した。
まさかこんな日が訪れるとは思わなかった。私は急いで老医師の下へ向かった。
「本当なんですか!? この病が治るんですか?」
「まぁ、落ち着きなさい」
老医師は白髪をかきあげながら、私に自制を求めた。
「今度の新薬は臨床実験で劇的とも言える効果を見せた。これが君の希望だと私は思う。早速、治療を始めてみるか?」
「はい、もちろんです!」
私は、喜んで老医師から薬を受け取った。薬は安いものではなかったが老医師の様子を見れば、この新薬の効果は明らかだ。治療が終われば、また私に栄光に満ちた人生が帰ってくる。そうすれば、迷惑をかけた父に恩返しをしよう。きっと喜んでくれるはずだ。
患者が出て行ったあと、老医師はズルリと、かつらを外した。
「ああ、蒸せてたまらん。まぁ、これで高価な新薬が売れるのだから良いか」
老医師は笑みを浮かべながら男性に渡した新薬の説明書を眺める。
毛生え薬。
効果には個人差があります。用法用量を守ってお使いください。