後
筆者の疲労と技量不足により、これから超展開です。
足が出ましたが多分次回で最終回です。
見にくいアヒルの子 後
醜いアヒルの子と見にくいアヒルの子は名前を交換してからというもの、前よりも一層仲が良くなりました。
今まで会うのは作戦会議をする夜だけでしたが、徐々に昼間も話をするようになったのです。仲が良い友達とお互いに思ってはいても、ヒンメルとしてはソルに迷惑を掛けるかと思うと忍びなく思いましたし、ソルとしてはヒンメルばかりが注目されていれば嫉妬するのを抑えられないと思っていましたから。それが名前を交換してからもう一度じっくり語ると二羽とも大したことではないと思うようになっていたのでした。
それもそのはずでしょう。ヒンメルはたった一人だけ優しくしてくれたソルの為を思って会うのを控えていただけで、彼女がいいと言うのなら大変喜ばしいことです。ソルは所詮誰かに構って貰えるなら猫に食われてもいいと思うような子ですので、大好きなヒンメルと一緒にいるだけで他の鳥から注目されるなら大歓迎です。最初から二羽が昼に会ってはならない理由などありはしなかったのです。
こうして二羽の生活は変わりましたが、周囲の対応は驚くほどに変わりませんでした。ソルが居ようと居まいとヒンメルはいじめられましたし、ソルが何をしようと彼女は無視され続けるばかりです。もっとも二羽の状況は変わらずとも、本気で腹を割って話し合うことができるようになった彼らの絆は強くなっていきました。
その頃には二羽ともお互いの未来には相手も当然いることと思っていたのですが、ある日、小さな変化の兆しが現れたのです。
それは二羽が生まれてから丁度一月ほど経ち、ソルの柔らかな黄色い羽毛の下に真白な羽の気配が見え始めたころでした。
「なぁんかよ、最近おかしくねえか」
真夏になり、熱い日差しから逃れる為に二羽は木陰にやって来て一休みしていました。そんな憩いの時には不釣り合いなソルの怪訝な声にヒンメルはびっくりして聞き返します。
「おかしい、ってどうかした?」
ヒンメルが尋ねると、本人もわかっていなかったようで「んー」だの「あー」だの意味の無い呻きを零して考えつつソルは答えました。
「うー、なんてか、自意識過剰なんだろうけど、この頃視線を感じるんだよ」
その、どこか期待を孕んだ言葉を聞いたヒンメルはギクリと身を固くしながらも反論しました。
「そ、そうかな……あんまり変わんないと思うけど。僕をいじめに来るやつらだってソルには何も言わないし」
そう言いつつも声が固くなるのはヒンメルもそのことを感じているからでした。これまでソルは母さんアヒルも含めて他の生き物たちからは殆ど空気のような扱い、いえ、本当に空気のように見えないという状態でありました。それは目が合わないという程度ではなく、触れていてもその存在を感じ取れないのではないかというほどでした。
ところが、このところヒンメルをいじめに来た鳥が帰り際などにキョロキョロあたりを見回して首を傾げたり、遠くから投げかけられる嘲笑に純粋な疑問のような色が混じるようになってきていたのです。
「そうだけどさ、この頃はいじめに来てた連中も遠巻きにこっちを見てるだけの事もあるし、なんかおかしくねえか?」
いじめられた結果視線に疎くなっているヒンメルでさえ気付いているのですから、関心を求め続けたソルがわからないはずがありません。
「……僕の反応に飽きてきたんじゃないの」
ソルは今でも表情の変化や嘘には疎く、ヒンメルが様子を窺うように言葉を選んでいることには全く気が付かないようでした。
「そういうことなのか?」
確かにそうだと思ったんだけど、と続けようとするソルにヒンメルは被せて言いました。
「そうじゃなきゃいじめがソルに飛び火しないのおかしいよ。ソルに気が付いていたらいじめは過熱するはずでしょ?」
それ以外の答えはないと言わんばかりのヒンメルに少し目をぱちくりさせながらもソルは頷いて見せました。
「なるほど……ヒンメルが言うならそうなんだろうな。はぁ、期待しちまって損した気分だぜ。って、お前どうしたんだ?変な顔してるぞ」
この一月で他のアヒルより大きくなったソルはそれでもずっと大きいヒンメルを見上げて心配そうな顔をします。彼女からそっと目を逸らしてから彼は言いました。
「は、はは……変な顔なのは元からじゃないか。それよりも、今はお昼寝するんでしょう?今日の夜も前みたいに眠れなくならないように僕が起こしてあげるから安心して寝なよ」
話を逸らそうとしているのが丸わかりなヒンメルの言葉もソルは気に留めず、純粋に昼寝が出来るのが嬉しいという笑みを浮かべました。
「やった!夜寝れらねえの嫌いなんだよな。特に近頃は作戦も尽きて来たし、夜にやることねえもンな」
ソルの何の気もない発言にヒンメルの身体が強張りますが、早くも寝る体勢に入った彼女が気付くわけもありません。
「はいはい、いいから寝なよ」
ヒンメルはソルが目を閉じていたことに安堵しながら眠りを促す声をかけました。
「おう、んじゃ寝るわ……おやすみ、ヒンメル」
木陰の中にある木の根と柔らかい草の間の落ち着くところに身体を滑り込ませつつ、半分寝たような気の抜けた声でソルは言います。
「ちゃんと起こしたら起きてね、おやすみ、ソル」
ヒンメルは言い切った途端に夢の世界へ旅立ってしまったソルにいつも通りに返しましたが、内心は穏やかではありませんでした。
仲良くなって友達になったとはいえ、ヒンメルは灰色で嘴も足も黒く、ずんぐりむっくりで醜いアヒルの子です。それに対して、ソルは見目麗しい兄弟達の中でも格別に器量が良くて健康で泳ぎも上手いのです。これ以上良いアヒルは飾り紐のおばさんアヒルの子にもいないでしょう。
今までそんな彼女がみんなに無視されていることが有り得なかったのです。そして、醜いアヒルの子なんかと友達になったのも異常な事態の中で発生した異常であって、本当なら有り得ないことでした。その事はいじめられたくなくてひたすら他の鳥を観察してきたヒンメルには嫌というほどわかっていました。
ですから、どうして今更になってソルが他の目に映るようになってしまったのかという疑念と他の話し相手が見つかってしまえば自分は捨てられてしまうのではないかという恐怖がグルグルと渦巻いて息が詰まってしまいそうになるのでした。
当然、その晩は眠れるはずもなく、気が付けばヒンメルは藍に沈んだ泉のところまでやってきていました。
その泉は隠れる所もないので鳥には概ね不評でしたが、水場を求める草食動物達には見晴らしが良いので人気がありました。それでも夜になれば殆どの動物は姿を消すのですが、たった一頭の年老いた盲目の牡鹿だけは近くの茂みに座り込んでいるのです。
その牡鹿はもう動くこともままなりませんでしたが、森のあらゆる動物と話ができる上博識でしたので森の相談役として大切にされていました。
ヒンメルが彼と出会ったのはソルと出会ってからしばらくしてのことで、傷に良く効く薬草を教えて貰った時でした。盲目ゆえに醜いヒンメルを差別することのない年老いた牡鹿は彼にとってソルの次に頼りになる存在でした。勿論、助言はくれるものの手助けなどの干渉は一切しない牡鹿とソルの間には超えられない壁がありますが、どれだけ差があろうと次は次、二番目は二番目なのです。
「お久しぶりです、鹿のおじいさま」
ヒンメルは静かに佇む牡鹿の顔を見上げて言いました。
「久しいのぅ、水鳥の子よ」
知恵の鳥以外の鳥、しかも水鳥で牡鹿を訪ねてくるのはヒンメルくらいでしたので、一羽と一頭はそう呼び習わしていました。
「あの、突然なのですが、前の見にくい子の話を覚えていますか?」
ヒンメルは過去に一度だけソルを連れてきてどうして他の生き物に見えないのか尋ねたことがあるのでした。その時もソルは牡鹿には存在がわからなかったようで、がっかりしたのを覚えていました。
「ああ、あの時はすまんかった……この目が見えぬようになったと言えど、儂に相談しに来たもの自体がわからんとは。その上、見えぬ理由も思い至らなんだ。して、またその事を話すとは何か変化でもあったのかえ」
済まなそうに白く濁って来た目を細めて謝る牡鹿にヒンメルはすっかり恐縮して答えました。
「はい。その、最近になって急に、少しだけ他のみんなにも見えるようになったみたいなんです」
戸惑いを隠さず話すと、年老いた牡鹿は深く息を吐いてから考える素振りを見せました。
「急に、のぅ……何か最近変わったことは他になかったかね」
ヒンメルはよく考えてからゆっくり口を開きました。
「えっと、特には……あ、でも、ちょっと前に話し合って昼間も一緒にお喋りするようになりました」
名前をつけ合ったことも思い浮かびましたが、何となく言い出す気にはなれずに関係ないと思いつつささやかな日常の変化を語りました。
「……ふむ」
前脚を組んで伏し、顎を乗せて半分目を閉じて牡鹿はゆっくりと考えているようでした。
「でも、他には本当に何も思いつきません」
この年老いた牡鹿にわからなければ誰にも理由はわからないと祈るような気持ちで待っていると、色が抜けかけている口周りの毛を呼気で揺らしながら口を開きました。
「なるほどの、存外、そのおかげかもしれんぞ」
正直、関係ないと思っていたことでしたのでヒンメルの口から「え?」という声が漏れてしまいました。
「まだ年若いお前さんは聞いたこともなかろうが、昔旅をする人間に飼われた犬が言うておった。なんでもその人間の話によると言葉には命が宿るらしいからの」
「……?」
ヒンメルは年老いた牡鹿の言うことがわからず、首を傾げてしまいました。その様子が見えていないながらに牡鹿はヒンメルがどのような顔をしているのか想像がついて優しく微笑み、しっかりと仮説を説明してくれました。
「もう一羽の水鳥の子はきっと生まれるまで親に言葉をかけ忘れられたのであろう。すっかり失念しておったが、生まれる前は話しかけ、生まれてからは一族の鳴き声にするのをやらんと子どもが消えてしまうと何度か聞いたこともある。数の多い鳥のではままにあることなのじゃ。その犬の話を思えば、生まれる時に親から言葉で命を与えられなかったものは見えなくなってしまうのかもしれんなぁ」
言葉には命が宿るなんて聞いたこともありませんし、そういうことがあるからといって正しいとも限りません。けれど、何故かヒンメルは生まれた時に随分小さい子が隣で生まれていたのに奇妙な出で立ちの自分に気を取られて母さんアヒルが全く気付かず、鳴き声も教えてあげていなかった事を思い出しました。なんでその時に自分だけが気付けたのかはわかりませんでしたが、最初に会った時にソルが「お前のせいだ!!」と叫んでいたのが脳裏に谺すようでした。
「……じゃあ、なんで僕だけあの子が見えるの?みんなに見えるようになったのは僕が話しかけるから?」
「あの子が見えないのは僕のせいなの?」という言葉を飲み込んで、声が揺れないようにヒンメルは言いました。
「かもしれんな。良かったのぅ、水鳥の子よ」
流石に賢い牡鹿も普段は話すこともない水鳥の心の機微はわからなかったようで、がくがくと震えるヒンメルには気付かず、暢気とも残酷とも言える答えを返しました。
「……うん、今日はありがとうね、鹿のおじいさま」
ヒンメルはわざと軽やかな足取りを意識して歩き出しましたが、心は底なしの沼に沈むようでした。
とてもそのままソルの元へ戻ることが出来そうもなかったヒンメルはいつもは近寄らない牛蒡林の中に蹲りました。夜明け前の一日で一番冷たい空気に薄く靄が浮かび青白く煙っています。
そこでヒンメルは濡れて重く濃くなった灰色の羽毛に顔を埋めてまんじりともせずに考えていました。
『こちらとら、お前の卵が無駄にデカかったせいでなあ、母上に忘れられとんのやぞ!!!その後もちょくちょく邪魔しおってからに……初めて泳いだ時だってなあ、お前が見た目に似合わん泳ぎをオレの隣でかましてくれよったせいで誰にも気付かれなかったんじゃ!』
先ほどから頭の中を駆け巡ったソルの言葉。聞いた時はとんだ濡れ衣だと叫んだものの、年老いた牡鹿の話を信じればあながちそうとも言えないような気がしてきます。生まれてくる前のことですからヒンメルの意思ではないと言えるでしょうが、実際にヒンメル自身が原因になったとも考えられます。
けれど、もっともヒンメルを悩ませるのはそのことではありません。
牡鹿と最後に話したこと、ソルが見えるようになった理由の方が彼を悩ませるのでした。
言葉の命というものが足りないせいでソルが見にくい状態にあったのなら、ヒンメルが話しかければ彼女は見えるようになります。それはソルの念願でありますが、協力を固く約束したヒンメルにとってもまた念願であるはずなのです。
なのに、ヒンメルの心には喜びなどちっともありませんでした。前に何度も考えたように、ソルが普通になってしまったら醜い自分から離れていってしまうのではないかという不安ばかりが浮かぶのです。今まではヒンメルもソルもお互いしかいませんでしたから見た目のことは棚上げしておくことができました。でも、ソルは見えるようにさえなればきっとだれも放ってはおきません。
器量がよくって、餌を自分で沢山とれて、泳ぎが上手で、元気いっぱいの、ソル。
これ以上いいアヒルがいるはずもありません。
彼女は見にくいアヒルの子だから一羽きりだっただけで、本来ならみんなに囲まれていておかしくないのです。それこそ、何をしても気味悪がられる醜いアヒルの子とは大違いなのです。
ヒンメルはソルのことを考えれば醜い自分といるよりも、見えるようになってみんなと仲良く楽しくやっていくのがいいだろうことはわかっていました。たくさん話しかけて見えるようにするのが独りぼっちだった自分を助けてくれたソルへの恩返しであり、おそらくは彼女を見にくいアヒルの子にしてしまった自分がやるべき贖罪のはずです。でも、そうなったらソルとは仲良くしていられるわけもないのは明らかでした。
ソルが離れて行ってしまうくらいならいっそ話しかけないで誰にも見えないままにしてしまえばいい、という考えが何度も何度もヒンメルの頭に浮かんできます。その度にヒンメルはこれでは心まで醜いじゃないか、と頭を振ってその考えを追い出そうとするのですがどうやっても抜け出せそうにありませんでした。
そんな自分が嫌でじっと蹲っていると、いつの間にか時間が大分過ぎていたようであたりはすっかり昼になってしまっていました。他の鳥の羽音や足音がそこかしこからしています。
ヒンメルは早くここを離れないとまた酷い目をみると急いで立ち去ろうとしました。
しかし、すぐ近くから聞こえてきた会話に身動きが取れなくなってしまいます。今見つかったらまた蹴られてしまうことでしょう。息を殺してじっとしていると彼らは立ち止まって話し込み始めました。
「なあ、この頃、おかしくないか」
「どーしたの」
「なんかよ、あの醜いのの近くになんかいないか?」
「んー、そう言われれば、いたかも?」
「だろ、いるよな」
「おまえら何の話してんの?」
「いや、最近醜いのの近くになんかいないかって話」
「ああ!それわかる!」
「おっ、おまえも?!」
「うん、あの子めちゃくちゃかわいいよな!」
「え、かわいいのか?」
「うそだー」
「おれもさ、あんな気持ち悪い奴のそばにかわいい子がいるわけないと思って何度も目をこすってみたんだけど、間違いないよ」
「えー、ほんとかなぁ」
「うそでもなんでもいいだろ、今度見に行こうぜ」
「じゃ、みんなで行くなら、その子を助けてやろう」
「かわいくなくてもー?」
「普通な時点で救出確定だろ」
「あんな気味の悪い公害みてえなやつといるなんてかわいそうしな」
「そっかー、たしかに」
「それじゃあ、探しにいってみようぜ」
「おう!確か醜いのは牛蒡林の外によくいるよな」
「いこー」
その会話を聞き終わらないうちにヒンメルは駆けだしていました。
息も忘れて走ったために目の前が真っ暗になりそうになり、幾度となく転びました。百姓の家の敷地を越える時に小鳥たちがばさばさ飛び立ちましたが、なにも考えられず、ただひたすらに足を動かします。
そしてヒンメルは一睡も出来ずに疲れ切った身体が動かなくなるまで走り、意識が途切れたことにも気付かずに泥のように眠ったのでした。