中
見にくいアヒルの子 中
さて、銀の満月の晩にたくさん話し合いをした醜いアヒルの子と見にくいアヒルの子がどうなったかと言いますと、二人は協力をすることになったのですね。
なんと言っても二羽が頼れる相手などお互いしか居ませんでしたから、どちらもみんなに認めてもらえるよう頑張ることにしたのです。ただ、醜いアヒルの子の近くにいると見にくいアヒルの子が余計に見えにくくなるというので、会うのは決まって夜のことでした。
幾晩も幾晩も二羽は語り合い、命懸けで努力を重ねました。
ある日は醜いアヒルの子の見目を良くしようと遠くの地主の家に忍び込んで小麦粉をまぶして白粉にしました。二羽は灰色さえ隠せばだいぶましになると勇んで出かけたのですが、猫や梟に醜いアヒルの子だけが狙われて命からがら逃げおおせたものの毛を毟られたせいで前よりみすぼらしい有様になってしまいました。
またある日は見にくいアヒルの子がみんなの注目を浴びるために、醜いアヒルの子の真似をして灰色になってみようと百姓の家の竈に入って灰を纏ってみました。醜いアヒルの子としてはいつもお日様のように黄色くてふわふわの見にくいアヒルの子が自分と同じ灰色なのはどうにも変で仕方なく、落ち着かないものだったのですが誰も気に留めるものはありませんでした。
他にも二羽は思いつくことならみんな試してみたのですが、一向に成功する気配がありません。本人らは気づいていませんでしたが、色々試したつもりでほとんど毎回粉もの系になっていたのも原因の一つでしょう。悲しきは鳥の性、鳥頭。
それでもめげずに文句も言わせず暴走気味に頑張っていた見にくいアヒルの子がポツリと弱音を漏らしたのは今にも月が消えてしまいそうな新月の前の晩でした。
「なあ、お前、もう付き合わなくていいぞ」
その日は醜いアヒルの子がずんぐりむっくりなのがいけないと、少しでも細くするんだと見にくいアヒルの子はりきっていました。それで彼女が思いついた方法と言うのが石と石の間に彼を押し込めることだったのです。
それから、しばらくして身動きがとれない時に上から若い胡桃の実が落ちてきて頭に大きな怪我をしてしまったのでした。その衝撃で倒れてしまった醜いアヒルの子が目を覚ました途端にかけられたのが先の言葉だったのです。
「どうして急にそんなこと言うのさ、今まで変なことして猫の前に引っ張り出すのはやめてと言ってもやめてくれなかったのに」
今までそんな殊勝なこと言わなかったのに何を今更、とよくわからない苛立ちのままに見にくいアヒルの子を睨んでしまった醜いアヒルの子は大いに後悔しました。
「ごめ……ん…さい」
いつも何をしたって謝らない、謝るのだとしても笑って誤魔化すようにしている強気な彼女はいなかったのです。太陽の下では眩しいほど鮮やかに見える黄色は月の殆どない夕闇に呑まれて薄青く、存在感を出すんだと息巻いてわざわざ膨らませている羽毛はぺしゃりとしていて消えてしまいそうなほど小さくなっていました。
そんな見にくいアヒルの子の目にうっすらと涙の膜が張っているのに気が付いてしまった醜いアヒルの子は胡桃よりもっと大きなものが頭にガツンとぶつかったような気持ちになりました。これまで、自分は何度も泣いていたし涙なんて見慣れていると思っていましたが、他の誰かが流す涙なんて一度も見た事はなかったのです。もちろん、それ以上のなにかがあるような気がしましたが、醜いアヒルの子にはその正体がわかりませんでした。
「あ、謝らなくて、いいよ!今日のは、ほら、胡桃が落ちてきただけで、君のせいじゃないし」
しどろもどろになりながら、慰めようとしても火に油なようで見にくいアヒルの子の顔はさらに悲愴に歪みました。
「ええええ、えと、えっと、いつものことだし……」
「そうだよ、いつものことだ!!!」
醜いアヒルの子がなんとか言葉を紡ごうとしていると、見にくいアヒルの子が被せるように半ば悲鳴のような叫び声を上げました。
「いつも、いつもオレのせいで、死にかけてるからって……そこまでっ!」
「ちょ、そこまでってどこまで?!落ち着こうよ!!」
前向き過ぎるほど前向きなはずの彼女とは思えない後ろ向きな荒れ方に流石に醜いアヒルの子も危機感が募ってきました。何かしら余計なことを口走れば自分にも見にくいアヒルの子が見えなくなってしまいそうなほど痛々しく掠れた声なのです。
「ねえ、急にどうしたのさ」
首やら背中やらが痛くてたまりませんでしたが、優しくゆっくりとした口調で醜いアヒルの子は語りかけました。けれど、見にくいアヒルの子は答えません。黙りこくって目線を逸らすばかりです。
「ねえってば、どうしたの?!」
いつも二羽の間には静寂などはありませんで、いつも何かしらのしていたので静けさは身に痛いほどでした。なので醜いアヒルの子の声に焦りが滲むのも仕方のないことではありましたが、その焦りを苛立ちと取った見にくいアヒルの子は後退ってしまいました。
「だからさ、いつも君が言ってるでしょう、言わなきゃわからないって!一緒に頑張っていこうっていったじゃないか、どうして今更もういいとか言うの、まだ目標も達成してないし……どうして、君まで僕から離れるの」
醜いアヒルの子には他に話すものもいませんし、蔑みを除いて目をしっかりと見てくれるのも、話を聞いてくれるのも、一緒に何かをしてくれるものもいません。そんな彼のたった一つの例外で唯一の友達が見にくいアヒルの子なのです。
作戦が成功する兆しすらありませんでしたので、醜いアヒルの子は見にくいアヒルの子と離れることなど考えたこともありませんでした。見にくいアヒルの子の突然の拒絶は醜いアヒルの子に冷たい事実として重くのしかかりました。
「僕には、君しかいないのに……」
最後の方には、あんまり悲しくて涙がにじんで視界は歪み声もすっかり小さくなってしまいました。
「……じゃあ、なんでオレが声かけた途端に『もう嫌だ、やめて、やめて』ってうなされ出すんだよ。毎回オレが変なこと考えて割に合わない目に遭うのお前で、夢に見るくらい嫌ならそういう態度とれよ!!」
どうやら気を失っている間に醜いアヒルの子はいつもの悪夢を見ていたようです。
醜いアヒルの子はさっきまで見ていた夢をぼんやりと思い出して「ああ、確かに今日も君のせいで死にかける夢見たわ」と思いました。基本的に醜いアヒルの子は滅法夢見が悪く、なんでも悪い夢になるのですが、最近は見にくいアヒルの子が原因でうなされることがよくあったのでした。
けれど、毛を膨らませて強がりながらも瞳一杯に涙を浮かべる彼女相手にとてもそんなことは言えそうもありません。
確かに彼女といるといつも大変な事ばかりで、苦しくて痛いことがたくさんあります。でも、醜いアヒルの子にとっては他者との関係に苦痛が伴わないことなどありませんでしたし、苦しいだけではない何かをくれるのは見にくいアヒルの子だけです。
その行動のお返しになにかしようと思わせてくれるのも、喜ぶ姿を見て自分が嬉しいと思うのも、見にくいアヒルの子だけでした。
「なんだ、そんなことかぁ……」
そして、そんな彼女には出来るだけ傷ついて欲しくないと思うので、醜いアヒルの子は初めて嘘をつきました。まるで見にくいアヒルの子が全く関係していなかったように安堵の息をついて、「そんなことじゃない!!」と叫ぶ声に被せて嘘の理由を言うのです。
「だって、君のせいじゃないもん。ほら、僕ってみんなに好かれてないでしょう?昼は嫌なことがたくさんあるからよく怖い夢を見ちゃうんだ……」
醜いアヒルの子の他と話すことがなく、どんな嘘もきいたことのない見にくいアヒルの子はすっかりその言葉を信じたようで「そうか、そうだったのか……勝手に怒ってごめん」と素直に謝りました。
醜いアヒルの子は初めての嘘で、普段自分がされているような悪意ある嘘とは違ってぎこちなくすぐにバレてしまっておかしくないとわかっていました。それでもすんなりと騙されてくれる見にくいアヒルの子が少し心配になるのと同時に歓喜のようなものが湧きあがるのを感じました。
謝ったのに黙りこくっている醜いアヒルの子におずおずと近寄ってきた見にくいアヒルの子はてっきり彼がまだ怒っているものだと思って、無理して明るい声で話しかけてきました。
「な、なあ、仲直りってなにするんだっけ?」
「もう怒ってないよな、仲直りするよな?」と言う心の声が聞こえてきそうな、普段の見にくいアヒルの子から全く想像できないようなうろたえる様子に妙にくすぐったいような気持ちを抱きつつ、醜いアヒルの子はどうしたものか考えました。
「うーん、飾り紐のおばさまは何か贈り物を貰っていた気がするけど」
なにせお互いが初めてでたった一つの友達で、今まで喧嘩らしい喧嘩などしたことがありませんでしたから、仲直りの方法など知る由もありません。醜いアヒルの子はこれで十分なんじゃ、と思っていましたが何故か輝く見にくいアヒルの子に押されて記憶の底を洗って思い出したことを言ってみました。
「交換するのか?」
「どうだろう、贈り物なんかしたことないからわからないや。でも今回は勘違いだったわけだし、別にいいんじゃないかな」
悩んでる様子なのでそこまで考えなくても良いと思って醜いアヒルの子が提案すると、見にくいアヒルの子は「良くない!!」と急に怒って橙色の小さな嘴でつついてきました。今泣いたカラスがもう笑う、とは言うけれど見にくいアヒルの子に限っては怒るに変えた方がいいと醜いアヒルの子は内心でひとりごちました。意味で言うならそのままでジャストフィットですよ。
「ええと、じゃあ、何か欲しいものは?それをお互い交換しようよ」
苦笑いしつつ醜いアヒルの子が言えば、しばらく考えた見にくいアヒルの子がいいことを思いついたとばかりに元気よく声を上げました。
「名前、名前を交換しよう!」
名前と言われて醜いアヒルの子は思わずキョトンとしてしまいました。普段の呼び名なら「醜いアヒルの子」と「見にくいアヒルの子」があり、話す上でも「君」「お前」で話は通じます。これ以上なんで名前なんかが欲しいというのかわからなかったのです。
ポカンとしている醜いアヒルの子に見にくいアヒルの子は嬉々として説明を始めました。
「あのな、名前があったら遠くからでもお互いに呼べるんだぜ?」
見にくいアヒルの子はドヤアアアっと言わんばかりの表情だが、醜いアヒルの子は首を傾げて言いました。
「夜しか会わないし、遠くから呼ぶなんて機会無いと思うけど……」
昼に会っても作戦実行中が殆どで口をきく機会など滅多にありません。
「……今の呼び名じゃどっちがどっちかわかんないだろ」
さっきとは一変してぶすっとした表情になってしまった見にくいアヒルの子に彼はなおも反論しました。
「自分のこと呼び名で呼ぶんじゃないし、問題ないと思うけど……」
特に意味があるわけではなく何となくの反論だったのですが、元から気が長くない見にくいアヒルの子はついに癇癪を起こしました。
「っだぁああああぁあぁああああ!!!お前はいっつもうるせえんだよ!お前のこと『醜いの』って言うのが嫌なだけだ、文句あんのかコルァ!!!」
羽と足を全力でジタバタさせて照れ隠しのように怒って見せる見にくいアヒルの子に醜いアヒルの子は呆然としてぼんやりと口を開きました。
「え、なんで君が嫌がるの?」
事実は事実でしょ、と言いたげな醜いアヒルの子の平然とした様子に見にくいアヒルの子は息を呑み、しばらくしてから溜息をつきました。
「あのなぁ、世界のどこにたった一人のダチを蔑称で呼びたい奴がいるんだよ」
見にくいアヒルの子が「蔑称って聞きかじった言葉だけど合ってるのか」と実はドキドキしているのを余所に醜いアヒルの子は独り言のように呟きました。
「そう、そういうものなの?」
確認するような呟きに見にくいアヒルの子も独り言のように「そうだよ」と返し、少しの間、二羽は黙っていました。
「……名前、どうしようか」
短い沈黙のあとにぽつりと醜いアヒルの子が言うと、見にくいアヒルの子は黒い瞳を輝かせて右の羽をピンと伸ばして案を挙げました。
「うんとな、灰色だから、灰かぶり!!!」
「うんやめようね、色々危ないらね。それに灰なら真っ白に燃え尽きる方がいいんだ」
即座に返した醜いアヒルの子に不満げにうなりました。
「なんでだよ」
「この世界では言えないかな……」
「急に遠い目して怖いこと言うのはやめてくれ」
どこを見ているのか全く掴めない目で吐息混じりに言った醜いアヒルの子に寒気を覚えながら、見にくいアヒルの子は何かしらの深淵を見た気持ちになりました。
「じゃ、他の探そうか」と、いつも笑顔に戻った醜いアヒルの子に安心してから二羽はたくさんの名前の候補を挙げて行きました。
「……もう、これ以上は思いつかねえや」
ぷはぁ、と息を吐いて降参というように案を出し切ったとばかりに寝そべる見にくいアヒルの子。
「僕も。それでさ、どれにしようか」
そんな彼女を見て醜いアヒルの子は微笑みながら言いました。こも名前は「贈り物」なので自分で決めては意味がありません。
「んー、じゃあ……空」
それは灰色のものを探して多くのものを挙げた中でも見にくいアヒルの子のお気に入りでした。晴れの日の空にかかったふわふわの雲の下が柔らかな灰色が見にくいアヒルの子は好きでしたし、近所のおばさんアヒルが話す「雪」という面白そうなものを降らす雲も灰色だと聞いたので空の灰色は楽しみなもので、醜いアヒルの子にぴったりだと思ったのです。
「ヒンメル、ヒンメルね……わかった。それにしよう」
見にくいアヒルの子が花が咲くような笑顔で言ったので、醜いアヒルの子……改め、ヒンメルは理由は聞かずに賛成しました。
「で、オレのはどうすンだ?」
ヒンメルにずいっと顔を寄せて、目に新月直前の満点の星を浮かべるようにして見にくいアヒルの子は訪ねました。その顔には「楽しみ!期待!」と書いてあるようで、ヒンメルは小さく笑って言いました。
「僕がヒンメルなら、黄色い君は太陽がいいな」
そうヒンメルが言うと見にくいアヒルの子も彼に習って「ソル、ソル」と何度か名前を繰り返してソルになりました。
「よっし、じゃ、これからよろしくなヒンメル!」
「うん、これからもよろしくねソル!」
そうして二羽は満面の笑みを浮かべて、ヒンメルとソルという友達になりました。
この時の二羽はこれから長い間離ればなれになることも、もっと後に名前で恥ずかしさに悶えることも知らずにただ友情と呼ぶには歪な絆を深めるのでした。