前
前半だけなら童話風かもしれない
見にくいアヒルの子 前
ある百姓の家の裏庭近くに牛蒡がわんさと生えてさながら小さな森のようになっている場所がありまして、そこを丁度良い住処にしているアヒルの一家がありました。
そこの母さんアヒルは毎日気を揉みながら卵を温めていました。なんたってもう生まれてくる約束の日にちは過ぎているのです。母さんアヒルだって退屈なのでした。
けれどもまだ残っている卵の一つのなんて大きな事でしょう。カッコウの託卵がそうして成功するように、鳥なんてものは卵は大きいほど良いと思うもので、きっと立派な子が生まれてくるに違いないと母さんアヒルはあくびを噛み殺しながらじっと待っていました。
ただ、その大きな卵に期待をかけすぎてその隣の小さな卵にはこれっぽちも気付かず、他の子やその大きな卵のように毎日声をかけてやるのをすっかり忘れていたのでした。でも、それがどんな事を引き起こすのかなんてその時はこれっぽちもわかりませんでした。
その後、おばさんアヒルに大きな卵は七面鳥の卵に違いないと言われましたが母さんアヒルは「ちょっとばかり違う卵だってかまいやしないよ。これだけ温めたんだもの、あと少しくらいかまわないさ」と言って温めるのでした。
しかし、生まれてきたアヒルの子がピィピィ鳴く段になってちょっとばかり母さんアヒルは不安になりました。なんて言ったって、そのアヒルの子は醜いんですもの。大きくてずんぐりした身体は何とも言えない灰色で、嵐の空だってこんなにどんよりした色なんかしていないでしょうからね。
誰もがその強烈な印象を与える醜いアヒルの子に驚くあまり、最後の小さい卵が孵化するのに全く気づきません。そのせいで小さな卵のアヒルの子は母さんアヒルに「グワッ、グワッ」と鳴く事を教えてもらえず、いつまでも「ピィピィ」鳴くのでした。それに気付いた醜いアヒルの子は母さんアヒルに「この子はピィピィ言っているよ」と声をかけましたが、考え事に夢中でするりと流してしまいました。
それでも噂の七面鳥の雛のように泳げなかったらどうしようかと言う不安は杞憂に終わりました。醜いアヒルの子はどの子より上手にスイスイと泳ぐのですから。見た目とは正反対に綺麗に泳ぐ姿にしきりに感心していた母さんアヒルは、その横を一生懸命泳ぐ小さな子はちっとも目に入りません。
そんな醜いアヒルの子の近所のお披露目はさんざんに終わりましたが、母さんアヒルは「男だからね、この子も器量じゃないさね。今に強くなってしまえばいいのだよ」とさっぱり考えただけで、あとはすっかり他の子どもの綺麗で立派な見た目に満足していました。もちろん例の小さな子は小さいのによっく見てもらおうとして足下に近寄り過ぎたのとで全く気付いてもらえませんでした。
それはそうとして、見た目にこそ不自由したものの能力は高い醜いアヒルの子がその後どうなったかと言うお話なのですがね。
彼は最初の期待もどこへやら。母さんアヒルにさえ疎まれるほどみんなに嫌われてしまったのでした。醜いアヒルの子は他のアヒルだけでなく、百姓に放し飼いにされている他の鳥達にもからかわれ、噛みつかれ、突き飛ばされたりするのでした。日増しに酷くなっていくいじめは酷い有様で「本当にみっともない!お前なんか猫にでもさらわれた方がナンボかましだぜ」と実の兄弟にも罵られ、裏庭の鳥達に餌を持ってくる娘さえ彼を邪魔にして蹴り飛ばしました。
醜いアヒルの子が受けた仕打ちは全て見た目のせいでしたから、当の彼ももうどうしていいかわかりません。醜いアヒルの子はある夜しくしくと泣き出してしまい、嗚咽と一緒に弱音を吐いてしまったというのも仕方のないことでしょう。
「ああ、どうしてこんなにつらくて悲しい思いばっかりしなきゃならないんだろう。僕は何にも悪い行いなんかしていないし、泳ぐのだってグワッ、グワッと鳴くのだって一生懸命頑張っているのに……」
満月が煌々と照る明るい夜にひとりぼっちの醜いアヒルの子の悲しい言葉が吸い込まれていきました。そうしてしばらく泣いていると、突然凄い勢いで醜いアヒルの子にぶつかってくるものがありました。
「こンの、ド阿呆がぁあああああぁぁあああぁ!!!」
自分よりずっと綺麗な月夜に似合わない荒々しい声に目を点にして地面に転がったまま顔を上げると、そこには小さなアヒルの子がいました。
そのアヒルの子は小さくても見目麗しい兄弟連中でも一番綺麗で、変わった女の子でした。その小さなアヒルの子はとっても綺麗なのにいつも一人で女の子っぽくない言葉遣いをしていて、それに他のみんなと違って醜いアヒルの子に意地悪をしないのです。逆にわざとぶつかったふりをして、餌場から締め出されていつも腹を減らしている醜いアヒルの子に餌を分けてくれるのでした。
だから、その優しい小さなアヒルの子がどうして怒って自分に暴力振るったのかわからず、醜いアヒルの子は地面に伏したままガクガクと震えておりました。
「いつまで横になっとる気だ、シャキシャキ立てやゴルァ」
荒くれ者の雄鳥だって使わないようなおっかない口調に醜いアヒルの子がすっかり竦み上がっていると、小さいアヒルの子は嘴で乱暴に首元をつかんで立たせてしまいました。
「お前はふざけてんのか、オレに喧嘩売ってるのか。どうなんだよ、あァ?」
今まで他のみんなとは違って優しかった小さなアヒルの子の剣幕に震えながら醜いアヒルの子はか細い声を上げました。
「ひっ、ふざけて、ないし、け…喧嘩なんか、売らないよぅ」
その弱々しい声により眼光を鋭くして睨みつけた小さなアヒルの子に、彼女よりずっと大きく力も強いはずの醜いアヒルの子は完全に固まってしまいました。
「じゃあ、さっきのもっぺん言ってみろや」
銀色に光る満月を背負って爛々と目を輝かせる小さなアヒルの子は、真っ黄色でふわふわな可愛らしい見た目に似合わぬ迫力を持っていまして、醜いアヒルの子には逆らうことなんて全く思いつきませんでした。
「ああ、どうしてこんなにつらくて悲しい思いばっかりしなきゃならないんだろう。僕は何にも悪い行いなんかしていないし、泳ぐのだってグワッ、グワッと鳴くのだって一生懸命頑張っているのに……」
ぴるぴると膨らんだ羽を震わせて繰り返す醜いアヒルの子に向けられた視線は一層鋭さを増し、今では本当に醜いアヒルの子の身体に刺さってしまいそうなほどです。
「やっぱり喧嘩売ってンじゃねえかよ」
「うううう売ってない、売らないよ!!」
そんなに首を振ったらぽっきり折れてしまうのではないかと思うほどに即座に否定しました。
「売ってるだろうがよ。こっちがいつも、いッッッッッッつもやろうとして出来ないことをやっておいて自分は不幸ですみたいなツラしやがってよぉ…大体にして、努力の方法が間違ってんだろうがよ、この阿呆が」
頭を嘴で小突こうとして、身長差から醜いアヒルの子の喉元をつつきながら小さいアヒルの子はそう言います。
それを聞いた醜いアヒルの子はびっくりして震えが止まってしまいました。いつも一人で堂々していて、醜くてみんなからいじめられている様なのにわかりにくくても優しくしてくれる小さなアヒルの子が自分なんかを羨むだなんて想像もつきませんでした。
「いつもどこでも大勢に囲まれてチヤホヤされてるくせによく言うぜ、ホント」
ふい、と視線を逸らして不機嫌そうに言う小さなアヒルの子はどうやら本気でそう言っているようでした。
「Chiyahoya、CHIYAHOYA?!」
ですから、驚きのあまり醜いアヒルの子が片言になって繰り返してしまったのは仕方のないことでしょう。それにムッとした小さなアヒルの子は「なめとんのか」と思いっ切り醜いアヒルの子の足を踏みつけました。
「で、でも、なんで僕なんか……あれは、ただいじめられているだけだよ、知ってるでしょ……」
醜いアヒルの子が言っていて悲しくなり目を伏せると、自分を踏みつけていた小さいアヒルの子の足に入った力が弱くなりました。
「ンなん、知ってら……」
口調はそのままでも力の抜けた声にびっくりして慌てて小さなアヒルの子を見れば、覇気の無い様子で下を向いていました。けれど、「どうしたの?」と訊く前に小さなアヒルの子は顔を上げてキッと醜いアヒルの子を見返しました。
「お前、阿呆だろ。いじめられるって言ったってよ、誰かから見られてる、誰かに認識されてるってことじゃねえか」
他の誰かが言ったことなら自分のことを馬鹿にしていると思って耳を塞いだことでしょうが、たった一人だけ優しくしてくれた小さなアヒルの子が初めて声をかけてくれたのに話を途中切ろうとは思いませんでした。
「オレがどんなにみんなに見て貰いたくてもキレイに無視されるっていうのに、見た目がちんちくりんなだけで注目集めやがって……お前がオレの分まで存在感奪ってんだろ!!!」
「なにそれ、濡れ衣だよ!!!」
小さなアヒルの子としては真剣な話をしているようでしたが、理不尽ですっとぼけているような言いがかりに思わずツッコミを入れてしまったのは仕方のないことでしょう。
「どこが濡れ衣じゃあ!こちらとら、お前の卵が無駄にデカかったせいでなあ、母上に忘れられとんのやぞ!!その後もちょくちょく邪魔しおってからに……初めて泳いだ時だってなあ、お前が見た目に似合わん泳ぎをオレの隣でかましてくれよったせいで誰にも気付かれなかったんじゃ!他にも、斬新な格好しようとすれば先取りして珍妙は格好して注目掻っ攫うわ、みんなに見て貰おうと誰とも被らない口調に変えてみれば『あの灰色のしゃべり方なめてんのかって思わねえ?オドオドしててさあ、キモ』とかお前の方が注目受けるってどういう了見じゃ、今更口調なんぞ二度も変えられンわ!」
「まず生まれる前まで遡らないでよ、無茶ぶりだからね?!っていうか、珍妙な格好っていじめの産物だからね、痛みを代償に羽毛を失うっていう等価交換ガン無視した最悪の状況だから、あと普通に口調キモいって言われてたのショックだからね!そういうのがうれしいって、君、被虐趣味なの?!」
「うるせええええ!醜いアヒルの子とか言ってチヤホヤされとる間もこっちは無視され続けとんのじゃ!いっそ猫に食われて近所の話題になってやろうと、猫の前に飛び出したら猫にすら無視されてんの、わかるか!!こっち無視したのに、お前のことは追っかけていったんだぞ!お前が醜いアヒルの子なら、オレは見にくいアヒルの子じゃねえかよ!!!」
「こっちが死にかけてる間にとんでもないこと考えてるやつがいた!そして、見にくいアヒルの子と醜いアヒルの子で上手いこと言ったみたいな満ち足りた顔しないで、いたたまれないから!!」
「うっ、うるせえつってんだろ!いじめでいいから見て欲しいオレの気持ちなんかわからねえくせに!大体、見た目で馬鹿にされとんのなら見た目なおせや!」
「先天性の羽毛の色をどうしろと?!」
「……花粉塗れになる?」
「花粉症になるよそれ」
「っがあああああああああああああああ!!!あー言えばこう言う!もう黙れよ、拳で決着つけようぜ」
「拳ってどこの部位なの、って待って、待ってって!!無言で突かないで、蹴らないでああああああああああああああああああああああっ!!!」
その晩、まんまるな銀月に見守られて二羽の交流は夜遅くまで続いたのでした。




