博士、買い物いきたくないです ①
■ロボ子■
その部屋は見渡す限り巨大な本の山ができあがっており、他にあるものといえばノートパソコンに本棚、床に敷き詰められたマットとちゃぶ台ぐらいである。
そんな本に囲まれた部屋の中でロボ子は静かにちゃぶ台の前に座り、本を真剣に読んでいる。ちなみに今は起動した時のように肌は晒しておらず、博士の古着となっているブカブカのカッターシャツと裾を上げたジーンズを着ていた。
鉄の指ではあるがよく見れば指紋のような少し細かい凹みがある為ページをつまむには支障がなく、人と同じようにパラパラとページをめくる。
ガチャリ。
ドアノブを回す音が聞こえ、ロボ娘が本から顔を上げ振り向くとドアが開き中から自身を制作したフランシュ博士が立っていた。
■博士■
「ふむ、大体は読み終えたか」
部屋を見渡しながら博士はずかずかとロボ子の部屋に入る。
「はい、後ここにある本はだいたい読み終わりました」
「なるほど、それは良かった」
言いながらポンポンとロボ子の頭を撫でる。だが、博士が予想したいつもの嬉しそうな顔ではなく、何故か非常に言いにくそうな顔で言った。
「あの……博士。昨日も言ったのですけど、できればノックぐらいしてもらえないです?」
「おお、そうだったな。すまんな」
「まるで反省しているように見えないですけど……」
「気のせいだ」
言いながら、いつもの代わり映えない白衣姿の博士はロボ子と向かい合うようにあぐらをかく。
「博士、疑問があるのですが」
「何かな」
周囲を、どうやら山積みされた本たちを見渡しながらロボ子は訊ねた。
「起動してから一週間。どうして、博士はずっと私に少女漫画や恋愛小説を読ませたのですか」
そういえば教えていなかったなと博士は思い出した。
「しかし、そういうことを疑問に思うように成長してきているということか」
小声でブツブツと呟いた後、フフフフフと自信を込めた笑い声を漏らす。
「簡単なことだ。君に女心を知ってもらうためだ。キミの精神年齢に合わせた女性たちが主人公なので彼女たちの心理描写がわかるのではないのか」
「心理描写ですか」
「そうだ。君の感情機関に付けられている学習装置がその心理描写を読み取り、君の女心をさらに磨き上げると考えたからだよ」
「そこまで考えていたとは、さすが博士!」
目からウロコでも落ちたかのように羨望のロボ子の眼差しに、博士は腕を組みながら嬉しそうに言う。
「ふふふ、そうだろう。そうだろう」
「じゃあ、私にパソコンでチャットをさせたのも」
「そこに気がつくのは流石だなロボ子。そうだこれも君に学習をさせるためだ」
言いながら博士は指を部屋の隅に置かれているノートパソコンを指す。
「基本的な会話術のソフトはインストールしたのだが、人というのは様々な口調でものをいい、感情を含ませる。中には誤魔化し隠す器用な人もいるがね」
「なるほど。人との会話は難しいのですか」
「まぁ、私の意見としてはそういうことだ。まして君はまだ私以外と会話していない出来立てほやほやの生後一週間だ。いきなり他人とあって正直きちんとしたコミュニケーションを取れるとは思わないのだ」
「そのための修行みたいなものだったのですね。さすが博士!」
「ははは、いいぞ。もっと褒めても」
一見、茶番のような出来事だが特に気にすることもなく博士は嬉しそうに笑い、ロボ子はしばらく両手で拍手喝采。
「けど、博士。それでは私がこの先誰か他人とコミュニケーションをとることが前提に話をしているようですけど」
「そうだぞ」
「一応私がこうすることの理由を聞いてもいいですか」
「言ってどうなる」
そーですねー。と少し考えるような仕草をロボ子はすると、カリカリと彼女の脳内は音を鳴らす。その音は感情回路が普段以上に稼働している際の合図であった。
音が鳴り止み、言いにくそうにロボ子はおずおずと口を開く。
「私の感情が疑問と不快が出てくるからです、かね」
不快かと博士は内心で眉をひそめた。疑問は不思議に思ったからだろう。というのは博士はすぐに理解できた。だが、不快の理由は理解できなかった。
「まぁ、いい。不快に思っているなら疑問と一緒に晴らしてあげればいいだけでだな」
下を向き、ブツブツと呟きながら博士は思考を巡らせた後博士はロボ子に向かい振り向く。
「そうか、なら話そう。君には女心を理解して欲しいのだよ」
「オンナゴコロ?」
不思議そうに復唱するロボ子に博士は説明を始める。
博士にとって誰かに何かを教えるという行為は自身の脳の復習にもなるので嫌いではなく、むしろ好ましいものであるため、博士は大仰に語り始めた。
「そう、女心だ。思春期を過ぎた女性特有の習性、思考パターンといったほうがいいか。君を女性型で作ったのもそのためだ。君には感情回路を用いて女心の解析を努めてもらいたいのだよ」
「なぜですか。記憶では博士の専門はロボット工学だと聞いているのですが」
「全ては私の野望のためだよ」
「野望?」
不思議そうに子首をひねりながらロボ子に聞き返され、博士は自信満々に答えた。
「そう、全ては私の婚活のためだ」
「えー、ナニソレー」
何故か拍手はなかった。
「いきなり重い話をするのは申し訳ないが、人はいつか死ぬ。しかし、種として子供を残すことができるそれは大変素晴らしい事だ。何故なら自分の意思を子供に受け継ぐことができるからだ。
私も気が付けば三十歳となっていた。恋愛等というものには縁もなく、興味もなかった人生。ただロボットのことが学べればそれで満足だった。だが、老いが進むにつれ、この天才的頭脳を世に残せないのが悔いに残った。
つまり、自分の子供を残したいと思ったのだ。子供を残せる体の内に結婚し、子供を第二の天才に育てようと計画したのだ。
だが、道は険しかった。友人なども少なく、日々ラボに閉じこもりの自分には異性の知り合いが誰ひとりとしていない。婚活サイト等で「天才の子供が欲しい学歴の女性」と相談しても冷やかしはお断りしますという反応か華麗なスルーが返ってくるだけ……
まぁ、天才は孤独とはよく言ったのものである。
結果としてわかったことは私が異性の心を理解できていないという事実と数々の失敗。
そして、新たな問題として時間をかけていくにもそれでは年齢が子供を残せる適齢期を超えてしまうことが分かった。
これが人生の罠か。だが、私は諦めず考えたのだ。
私の長所を生かしたこの問題の解決方法。
私の長所。それは天才的ロボット工学の知識と技術。閃いた。女心がわからないのであれば、わかるものを作ればいい。
そして、たどり着いた結論というのが素早く目当ての女性と結婚できるように女性の内面を理解できるロボットを作り、私のアシストをしてもらえればいいのではないかということなのだよ!」
熱く、まるで演説のような長話を語り終えた博士の後に、ロボ子からの賛美などはなくただ静寂が続く。
間をおいてロボ子は恐る恐る聞き返した。
「結婚をするために私を……希に見る感情を持つロボットを作り上げたのですか」
「そうだ」
当たり前だとでもいうように博士は頷く。
「だから、君には将来的に女心が分かるロボットになってもらい私と私に見合うような女性が結婚し子供ができるようにサポートしてほしいのだよ」
カリカリ、ロボ子の頭が回転する。
「あの。その、ですね」
おずおずとロボ子は口を開く。
「なんと言っていいのかよく分からなくなりましたけど、あえてチャット内で使われた言語で言うなら『バカ乙』という結論が導き出されるのですが」
「なるほど。バカと天才は紙一重というからな。ゆえに私は天才なのか」
納得しうれしそうに言ったのだが、何故かロボ子は困ったように苦笑いを浮かべた。
(不思議な反応だな。もしかしてこの反応というのが女心ではないのか。後でレポートにまとめておこう。)
「さて、ではロボ子よ。行くとしよう」
言いながら博士はすっと立ち上がり、ロボ子は不思議そうに見上げた。
「行くって。どこにですか」
「服を買いにだ、理由は分かるか」
カリカリ、博士を見上げたままロボ子は思考し、少しの間微動だにしなかったが、ゆっくりと答える。
「いつまでも博士の使い古しのシャツとジーンズではなく、女性らしい服装をしたいと思うのが女性として普通だと思うからですか」
「大正解だ。やはり形から入らなければな」
さっさと行こうと部屋のドアを開けて振り返る、何故かロボ子は立とうとしていなかった。
「どうした。もしや足のパーツの故障か、それとも電力切れか」
「い、いえ。そういうわけではないのですが……感情が不安なのです」
最後のほうは小さな声になりながらロボ子は内情を吐露した。
「不安?」
「はい。何故か外に出るということに感情がためらうのですが」
「ふむ。もしかして、初めて外に出て、他人に会うからか。そんな未知という感覚が怖いのだろう」
「未知の感覚ですか」
「そうだ。たとえば、行ったこともない場所に行く。旅行等の冒険心ならばワクワクしたり、楽しみにするのだろう」
「いえ、私は旅行とかに行ったことは……」
しかし、博士はロボ子の反論に聞く耳を持たず語り続ける。
「だが、それは『何処かに行き、楽しい思い出があった』ということが条件であるのだよ、だから、ロボ子は生まれて一週間ほどで知識だけで外の空気も景色も見たことがないからだろう」
「はぁ、そうなのですか」
気のない返事でロボ子は頷いた。その反応に気にもとめず、だから、怖がっても当たり前なのだろうなと博士は一人納得した。
「博士、どうすれば」
しかし、かといってこのまま部屋から出さずにいたらただの引きこもりロボットになってしまう。それはいかんだろうと考えながら博士は右手のひらを白衣で拭い、汗を拭き取った。
「まぁ、慣れるしかないわな。ほれ」
手を伸ばす。きょとんと不思議そうな顔をロボ子はしたが、やがておずおずと差し出された手を握った。
人の体温と感触ではない、硬い鉄の腕。だが人のように握られる力に博士は特に気にすることなく握り返す。
「まぁ、一緒に行くからな。不安なら手を貸そう。立てなくなっても、こうすれば」
「え、わわわわ」
手に力を入れて身を起こしてあげる。通常の女性より少し重い鉄の体のロボ子の体重がずっしりと右腕にかかるが博士は一気にロボ子を引き上げるようにして立たせた。
そして、安心させるためにロボ子の頭をぽんぽんと元気付けてあげるようになでてあげる。
「な、簡単に立てるだろ」
「は、はい。あ、ああ、ありがとうございます」
恥ずかしがっているのか顔を少し朱色に染め、ロボ子はうつむきながら「が、がんばります!!」と意気込むのであった。