その五 最初の関門
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翌日、岩手山城を発って、松寿丸らを伴って長浜城へ登城した。
ねねは死んだと聞かされた松寿丸に会えると興奮していた。
「おお官兵衛殿、殿よりお許しが出た。小寺政職の嫡男を職隆殿が引き取るとはと、大層驚きであったが」
「お手間をお掛けし、申し訳ござりませぬ。父の従弟故、元服前なればお目溢しをとたっての望みで」
「ほんに奇特な親子じゃの。父は謀反人の子を引き取るし、子は褒美を子に譲りたいと申すし」
一応畏まって聞いていた松寿丸が、きょとんとして秀吉と官兵衛に視線を往復させた。
「松寿丸殿は、元服の暁には黒田氏を名乗られるのでござりますよ。我が殿が官兵衛殿に姓を改めてはと勧めたのに、養子の身で厚かましいので辞退したいと申されて。息子への褒美になら賜ると」
「……勿体無う、ござりまする。某も小寺の名を継ぎとうござりまする」
「ワッハッハッ……! この父にしてこの子か。松寿丸、何も小寺が絶える訳ではない。職隆殿の兄弟もある、小寺の名は残る。お主は黒田城を守った黒田家の末裔なれば、誇ってよいぞ」
「……謹んでお受け致せ」
「は、光栄に存じまする。黒田の名に恥じぬよう精進致しまする」
「それでよい」
「殿は小難しいお話がおありでしょう。松寿丸殿、あちらで菓子を頂きましょう」
松寿丸は官兵衛の顔を窺ってから、有難う存じますと礼をしてからねねに随って退った。
「ワシはねねほどの付き合いもないが。子は一年で随分と変わるのう」
「実に。某は二年余り離れておりました故、猶の事驚きました」
「松寿丸はまだ子供で、ねねも喜んでおったが。官兵衛殿には一安心だが、長浜は寂しゅうなるな」
「はあ……他に子があれば、お頼みしたやも知れませぬが」
「それもよくない。暫くは養生に努めて、ついでに次郎を上げては如何か」
「こればかりは。それにこれ以上戦の勘が鈍ってはと気懸かりにござりまして。なるべく早う出陣しとうござります」
「はは、解っておるぞ。諸侯に手柄を取り尽くされてはと焦っておるのだろう。だが戦に焦りは禁物じゃ。お主の仇敵の赤井に、明智殿はいい様にあしらわれた。赤井直正が存命であったならまだ落とせなかったやも知れぬ」
「是非某も参戦して、逃す事無く焼き殺してやりとうございました。それが牢で囚われの身とは……全く合わせる顔がござりませぬ」
ある意味官兵衛の人生を狂わせた別所長治も、三木城で自害していた。官兵衛は己が人生の復讐を果たせなかった。
「おお、政職が子を赦してやる、お主の言葉とは思えぬの」
「元服前の子に罪はござりませぬ。それに父と信長様の度量に繋がること、得はあって損は少のうござります」
「成る程。信長様も寛恕くださることもある。それも職隆殿を頼れば助かるやも……早う降りる輩があるやも知れぬな」
「戦わずして勝てれば何より。それにはいい餌となりましょう。さりながら某が赤井を赦したところで、不孝の謗りを受けるだけにて。黒田の名を貶めて助ける相手ではござりませぬ」
「お主は算術に長けておるな。信長様も今少し釣り合いを考えられたらよいのだが。信長様の見通しに届かん家臣には我慢がならぬ。それでも他家に比べれば精鋭揃いであろうに」
「……天賦の才にも欠点はおありでしたか」
「はは、殿にそう申し上げよう。殿の短気は欠点じゃと官兵衛が申したとな。官兵衛からの諫言とあれば骨身に沁みよう」
「畏れ多い。何卒ご勘弁を」
「ははは……。それはそうと、三木も漸く落ちた。長らく姫山を借りて助かった」
「いえ、某は姫山は秀吉様に差し上げたものと」
「……しかし……」
「小寺の力及ばずに、小さな城でしかありませぬが。中国へは山勝ちな丹波より播磨、姫山こそが進軍に向いております。秀吉様の武勲の助けになれば何よりにござります」
「……そうか。相解った。信長様にその旨伝えて良きに計らう。国府山では余りに不憫じゃ」
「忝うござります」
ねねに随った松寿丸には、側に控えていた弥一之助らも付いて来ていた。三人一緒に扱われるのは以前からの習慣だった。
「信長様から頂いたこんふぇいとがござりますよ。岩手山では手に入らぬでしょう。たんと召し上がれ。みな頂いてようござりますよ」
松寿丸には初めて目にするこんふぇいとだったが。前夜は官兵衛のみならず弥一之助らと一つ部屋に寝て、一つ長浜での思い出話を聞かせてくれという官兵衛に二人が語るのを共に聞いていた。
「一番美味しゅうござったのは、こんふぇいとなるお菓子でござりました」
「こんふぇいととな。聞かぬ名じゃの」
「秀吉様の許には始終信長様から拝領した菓子が参りました。中でもこんふぇいとが一番でござりました」
弁が立つ九兵衛の答えに、ウン、と弥一之助も頷いた。
「角があるぼこぼこした、豆くらいの菓子で。これがもう……口に入れるとみな溶けてしまいまする」
「甘うて甘うて。あんなに甘い菓子は他にはござりませぬ」
干し柿より甘い物があるのかと、松寿丸はどんな味だろうと思いながら聞いていた。
左右の弥一之助らを窺うと、松寿丸が手を伸ばすのを待ってこんふぇいとを見つめている。ねねに会釈して、松寿丸は手を伸ばして一粒取った。口に入れると溶ける――果たしてその通りだった。口中に甘みと解らぬくらい甘い味が一杯に広がる。
「……うめえ!」思わず口走ってしまった。
「あらあら。松寿丸殿はあちらで村の子とでも遊ばれましたか」
「左様でござります。あちらには稽古を付けてくださる虎之助殿や市松殿がおられませず」
「村の子と相撲なぞして励みまして」九兵衛に続いて弥一之助が透かさずそう取り繕った。
「左様でしたか。虎之助や市松もすっかり大人になって。子は大きゅうなるのが早うてなりませぬ」
「某は早う初陣を飾りとうござります!」
「某もでござります!」
「ほほほ……ではこんふぇいとで力を付けねば。さあ」
「頂戴致します!」弥一之助と九兵衛が揃ってこんふぇいとの器に手を伸ばし、ねねは笑った。松寿丸も助かったと思いながら笑っていた。
「あら、松寿丸殿、その手の痣は何とされました?」
松寿丸は二粒めのこんふぇいとを口に放り込んだ手を見つめた。
「……あちらでの稽古で転んで作りましてございます。昨夜父にも訊かれましたが、父にはよかったと言われました」
「よかったとな?」
「掌の黒子は星を掴むと言うて吉兆なのだと。岩手山で命拾い致しましたし、星まで得て。努々《ゆめゆめ》竹中様へのご恩を忘れてならぬと」
昨夜、官兵衛は半兵衛と同じことを言った。だからきっと上手く行く、案ずるな――三人は姫山でも上手くやれると保証された気がして嬉しかった。
長浜を発った官兵衛は、安土には寄らなかった。少し南のルートを通り、長旅での疲れを癒しに、湯治していた有馬に寄った。
有馬を発つと、今度は三木城の近くに葬られたという半兵衛の墓参りに寄った。
「半兵衛殿がここで……因果なものじゃ……」
半兵衛が遠い三木に瞑り、そして――松寿丸がそういう意味だと悟ったのは夜眠りに落ちる時だった。