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その四 官兵衛参る

 * * *


 年が明け、取り敢えず治療に見切りを付けた官兵衛は長浜へ出向いた。秀吉に自分の不始末を詫びたが、秀吉は官兵衛の変貌ぶりに顔を顰めて頷き、労を労った。

「信長様はお主が裏切ったものと、松寿丸の処刑を命ぜられたのを大層お悔みでの。合わせる顔がないと某にこれを預けられた」そう言って秀吉は一振りの刀を差し出した。

「……これは……」

「これは圧切へしきりと言うての。かつて信長様に無礼を働いた茶坊主が、恐れ慄いて逃げ回り、隠れた膳棚ごと圧し切られた。それでもくもり一つ付かぬ切れ味に感嘆なさったと言う名刀よ。

 殿は官兵衛殿に失礼を働いた。その自分が持つに値せずと仰せで、官兵衛殿に遣わすそうじゃ」

「……この様には勿体無うござりまするが」

 官兵衛は長らく牢に押し込められ、日光・ビタミンDの不足からくる病を患い、脚が不具になっていた。余病の褥瘡や神経痛には湯治の甲斐もあったが、変形してしまった脚は治らなかった。

「そう申すな。殿のお詫びの品じゃ、有難く拝領するがいい」

「……は、忝うござります」

「もう聞いておろうが、松寿丸殿は知恵者半兵衛がワシにも内密に匿っておった。半兵衛の家臣から告げられるまでワシも知らんでの。此度ここまで来るようにと命じたが。またねねを煩わせるのは申し訳ない、岩手山にて待つとのことでの。その身体では難儀であろうが」

「いいえ滅相もない。信長様の命に背いて匿われた方々のご苦労を思えば。ほんの一日のこと」

 長浜と岩手山は三十キロ弱離れていた。病み上がりの身にはきつい道程ではあろうが。煎じ詰めれば父の不覚で、隠れておめおめと生き長らえていた身で登城するのは憚られるのかも知れなかった。



 官兵衛が岩手山城に辿り着くと、門まで半兵衛の家臣らが出迎えた。

「長の道中、お疲れで御座りましょう。まずは座敷でお寛ぎになられませ」

「いや忝うござる。息子の世話ばかりか某までとは面目ない」

 まずはと座敷へ通されて茶で一服したところで、最前出迎えてくれた喜多村がやって来た。

「まずは親子で積もる話もござりましょう」そう言った喜多村の背後で、子供が正座して頭を下げていた。

「父上、ご無事のお戻り、何よりにございます」

「……松寿丸か、大きゅうなったな。ワシは脚を悪うした。ここへ」

「は」更に深くお辞儀してから、ゆっくりと進んできた。喜多村は障子を閉めて退った。


「大禍なかったか、よう無事であった。顔を上げろ」

 言われた通り上げられた顔を、官兵衛は見つめた。一瞬合った瞳は逸らされてキョロキョロと動いた。

「……松寿丸、こは信長様より拝領した名刀圧切である。持ってみよ」

「……畏れ多ござります」

 まだ数え十三(満十一)の子供には長い刀を、両手で受けた。その様を官兵衛はジッと見ていた。

「どうじゃ、重いか」

「はい」

 官兵衛は頷くとすぐ刀を受け取った。

「時に松寿丸、その手の痣は何とした?」

「これは、庭で剣術をしていた時に転んで作りました」

 答えに澱みはなかったが、訊かれた瞬間に肩が上がったのを官兵衛は見逃さなかった。

「そうか。茶を飲んで厠に行きとうなった」

「案内いたします」

「いい、待っておれ」

 官兵衛が障子を開けて左右を見ると、廊下の角に小姓が控えており、直ぐ様寄ってきた。

「厠をお借りしたく」

「こちらへ」


 官兵衛が用を足して廊下へ出ると、最前の小姓が待っていた。案内不要と歩き出したが、小姓は律儀に付いて来た。

「小寺様、実は某、申し上げたき議が」

「それには及ばず」

「重治様は、主は確かにこちらに松寿丸様をお連れになられ、」

「その議に及ばず」官兵衛は振り向いて片手を突き出して押し止めた。

「拙者は確かに松寿丸をお返し頂き申した。方々にはお礼の言葉も御座らん」

「……烈火の如くお怒りに……あんなお声は聞いたためしがござりませぬ……」

「……それだけで充分でござる。竹中殿のご恩、生涯忘れませぬ」

「…………」


 官兵衛は弥一之助らも居れば呼んで欲しいと言付けて座敷へ戻った。中ではさっきのまま座って待つ松寿丸がいた。

 ふと気が逸れて官兵衛が転び掛けると、松寿丸が慌てて寄ってきて、ああいいととどめて座り直した。

 やがて弥一之助と九兵衛がやって来た。二人は入って来る時こそ最前の松寿丸の如く神妙にしていたが、胡坐を崩す官兵衛とその頭に視線を走らせ、互いに顔を見合わせてはまた見つめた。その辺りの無遠慮さは如何にもまだ子供だった。

「暗い牢で生き長らえたらこうなってしもうた。ワシの不覚でお主らにも苦労を掛けたな。大儀であった」

「滅相も無うござりまする。ご無事のお戻り、何よりにござります」二人は揃って今一度頭を下げた。

「うむ。今日はお主らへの褒美に、ワシの昔語りを聞かせてやろう。

 知っておるか、ワシは小寺の生まれではない。黒田という、北の丹波との国境の家の出での。姫山とは二日掛かりの山奥じゃ。小寺も元は赤松の分家だが、黒田も別所も同じく赤松の分家での――」

 既に半兵衛から聞かされていた事を、当の官兵衛の口から聞かされた。

 官兵衛には兄がいた事も。そして小寺には官兵衛より年上の則隆なる嫡男がいて、官兵衛に後を継がせる為備後(広島)へ養子に出された事も。

「――父が死んだ後、大殿は律儀にワシに家督を譲って下された。そうして櫛橋の姫を娶って生まれたのが松寿丸じゃ。大殿には厄介者だったやも知れぬのに、実の孫のように可愛がってくだされた。

 それから三年ばかり後、黒田は丹波の赤井に攻め滅ぼされた。ワシは城も兄も母も失くした。もうワシを小寺に置いても何の得もない。兵庫助を養子にして隠居しろと言われてもおかしゅうなかった。だが大殿は何もなかったようにワシに任せてくれた」

 大人の世界の話に、子供三人は互いに顔を見合わせた。

「黒田を絶やした赤井は、ワシが有岡におる間に織田の明智殿に攻められ、城は焼け落ちて敗走した。ワシは黒田の為には何一つしてやれなかった。さればこそワシは大殿のご恩に報いる事こそ務めと決めた。お主らも大殿の為にワシを支えてくれ」

 三人は顔を見合わせてから、はい、と揃って返事をした。



 病み上がりの官兵衛に連日の長旅はきつかろうと気遣われ、翌日も竹中家へ泊まる事になった。

 息子が世話になった土地を見て回りたいと官兵衛が頼んで、小姓を案内役に散歩へ出た。

「案内してくださるか」官兵衛はそう言っただけだったが、小姓は合点したらしく歩き出した。杖を突く官兵衛に随う子供たち三人は、何処へ行くのかと思いながらゆっくりと進んで行った。


 森の前の、小さく開けたところに少し大きめな石があった。小姓が官兵衛を振り返って頷くと、官兵衛はその石の前に屈んで手を合わせた。

 これが――口に出さないまま、子供たちもそれが何か自然と悟っていた。これが松寿丸の墓なのだと。

 それと悟ると同時に官兵衛に全てが知れていると判り、子供たちは固まっていた。

「……竹中殿から、言われたのだ」

 赤松家は足利尊氏将軍擁立に貢献したのが始まりだが。百年余りで今度は赤松氏が六代将軍を弑逆して将軍家の権威が弱まり、世は戦乱へと突入した。それからもう百四十年、武士が殺し合い騙し合い、百姓も戦に駆り出される日々が続いている。

「――ならばこの戦乱を終わらせるのも赤松とその一族である我等の務めではないのか、そう言われて目が覚めた。信長様のような方が世を平らげてくだされば終わるのだ。同族が殺し合ったり、幼き命が散る事もなくなる……」

「…………」

「お主らの小さな胸には重荷であろうが。ワシは一日も早う戻って、信長様秀吉様の手足となって働く。お主らにも手伝って欲しい。

 どうじゃ、ワシを助けてくれるか?」

 この墓の事は内密に――そういう問い掛けだと皆悟った。官兵衛にはい、と答えた途端、目から涙が零れ出て、慌てて拭った。

「……いい友がいてよかったの、松寿丸」それは墓への言葉だと気付いて、松寿丸は開けた口をそのまま閉じた。




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