その三 試練の日々
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三吉――改め松寿丸は、半兵衛の嫡男・吉助と共に手習いし、弥一之助らを相手に剣の稽古に励んだ。
九兵衛は読み書きに優れ、弥一之助は剣に優れていた。これも父の官兵衛が配慮して付けたからかなとふと思った。
字を覚えて書物が読めるようになったのは面白くなくもなかったが、飯を食う時すら一々何が違うと指図される日々は苦痛だった。だが逃げれば一家揃って、でなければ村中皆殺しにすると喜多村らから脅されていたので、逃げたくても逃げられない。
まさかあの日を最後にもう母親に会えなくなるとは思わなかった。
十日ばかり経った頃だった。松寿丸は稽古に身が入らずに大きな擦り傷を作ってしまった。下女に手当てされる内、粗末な小屋に住む母親のことを思い出し、里心が付いてしまった。
「松寿丸様、今日はこれから孫子を読みましょう。手習いも傷に障りましょうから」戸を開けた九兵衛がそう言うと、松寿丸は慌てて背中を向けて目許を拭った。弥一之助なら怒るか笑うかすると思った。
「松寿丸様、薬が沁みたのでござりますか?」半兵衛から若君として扱えと言われているので、二人とも本物の松寿丸に対するのと変わりない敬語を遣っていた。
「……大事ない」
「里心がお付きでござりますか。直に慣れまする」
「お主に何がわかる!」
「某も親と離れて暮らしております故」
「え?」
「我が井口家は武勇の誉れ高き家系にて。兄三人が小寺に仕えて討死致しましてござります。某も兄に倣ってお仕えしとうございましたが、武士を捨てて百姓となった父がならんと申しました。殿は兄の分まで報いてやろうと仰せ故、某は家を出て姫山の片隅でお世話になっておりまする」
「……家に帰りたくはならんのか?」
「始めの内だけにござります。住めば都と申します。松寿丸様は某より三つ下で。末息子の某に弟ができたのが嬉しゅうござりました」
「松寿丸様を鍛えるには自分が強くならねばと、弥一は稽古に励んで。又兵衛の無茶な打ち込みにも泣き言一つ漏らさず」
「又兵衛?」と松寿丸が訊いた。
「又兵衛は、若君の、松寿丸様の兄面して威張りくさる、よからぬ奴でござりまする」
後藤又兵衛は松寿丸が生まれる前後に官兵衛の許に引き取られたのを鼻に掛け、嫡男の如き横柄な振る舞いをする。剣の腕が立つのが自慢で、若殿の屁っ放り腰では役に立たぬと小馬鹿にしていた――随分と気の荒い男らしい。
「又兵衛は確かに剣の腕が立ちまするが。五つ下の某は固より、八つ下の松寿丸様にまで無茶な稽古をして」
「あれでは強うなる前に死んでしまいまする」
「長浜に上がる前は、又兵衛はもう元服して初陣も果たしておりました故、稽古が減って助かっておった次第でござりまする」
「長浜にも虎之助殿や市松殿という強い方がありましたが、又兵衛と違うて加減をしてくださりました」
そんなに何人も弥一之助より強い者があるのかと、松寿丸は驚いた。
「なら、殿様はもっと強いのか?」
「殿は……」
「我が殿は、武勇より知略に優れた方でござります。十倍の敵を倒すような策を思い付かれる、天才にござります」
「じゅうばい……」
「一人で十人倒せる方でござります」
「……強うないのに?」
「頭が剣の何倍も強い方でおられまする」
村の子相手に、そんなの勝てる訳がない。松寿丸の父はすごく頭のいい人なんだとビックリした。
松寿丸は弥一之助に親近感を覚えると同時に、一年前から城に預けられていたという九兵衛も結局自分と同じなのだと気付いた。
なら二人にやれて自分にだけやれないことはない――そう思って気合を入れ直した。
これが、後藤又兵衛、母里友信と並んで黒田の問題児と言われた後の村田吉次との友誼の始まりだった。
やがて、どうやら官兵衛が荒木村重の城で囚われの身となって生きているという報せが届いた。
弥一之助の母方の伯母が有岡城に奉公しており、牢番に頼み込んで世話を任せてもらい、何とか善助たちと情報の遣り取りができるようになった結果だが。善助らは隠密裏に動いていたので、そこまでの情報は竹中家には来なかった。
殿がご無事ならばと、弥一之助らは安堵すると同時により張り切って松寿丸を扱いた。官兵衛の頭の良さや剣豪は沢山いると知った松寿丸も、何とか喰らい付いていった。
「御着に仕える後藤の親族ばかりか、藤岡殿まで殿を裏切るとはな」
「さすがはあの又兵衛の伯父御よ」
「又兵衛とは、あの又兵衛か?」
「左様にござります。煎じ詰めれば、今こうなったのも又兵衛一族の仕業でござります」
「え?」
「殿が捕まらねば若君はご無事でござった。殿を罠に嵌めた又兵衛が叔父らの所為で、今こうなっておるのでござりまする」
「我等の敵でござります、又兵衛とその一族は」
あれ以来母に会えなくなったのは――そう思うと、一度も会ったことがないにも関わらず又兵衛が憎く思えた。
翌年の夏、急に住まいを移ると言われ、松寿丸ら三人は喜多村の屋敷へ連れて来られた。
それまでいた半兵衛の岩手山城よりも随分と手狭でこじんまりしていて、どうしたことかと思っていたらあの半兵衛が陣没したと聞いて驚いた。半兵衛の嫡男・吉助はまだ幼く、家督は半兵衛の弟が継ぐので城にいる訳には行かないのだと。
「それでは我等は如何相なるのでござりますか?」連れて来てくれた、半兵衛の近習に訊いた。
「我が殿のお言い付けのままにて、しかと勉学に励まれよ。小寺殿がご無事な限り、松寿丸殿をお返しせねば殿の面目が立たぬ。恐らくこの戦、そう長くない。あと一歩という最中での御無念であった」
「三木攻めが終わったら、我等は姫山に、妻鹿に帰れるのでござりますか?」官兵衛が秀吉に姫山を明け渡して、挙げて元母里家の居城・南に一里余りの国府山城に移っていたのを思い出した。増位山を失って、大殿の弟の小寺休夢らも身を寄せている中での引越しで、国府山は人で溢れていた。ゴミゴミしていると嘆く者もあると父からの手紙にあったが、弥一之助らにとっては何だか賑やかで活気があって面白そうで、どんな風だろうと想像していた。
「肝心の有岡を落とさねばなりませぬ。しかし三木と有岡が落ちれば播磨は織田方のもの。恐らく人質も返されるに相違ないと存ずる」
弥一之助らは顔を見合わせて喜び合ったが。松寿丸にとっては新たな試練を意味していた。
「子はすぐ大きゅうなると申します。長浜に預けられてより丸二年、大きゅうなったと思われるに相違ありませぬ」
「だが親を騙せようか?」その返事が若君らしく、弥一之助らは扱いた甲斐があったと内心思った。
「若君は大層武士に馴染んでおられまする。ご案じなされまするな。その隙にも勉学に励みましょうぞ」
夏に半兵衛が亡くなったと聞いて、秋に官兵衛が無事助け出されたと聞いた。
「小寺殿は大層ご苦労されてお身体が思わしくなく。暫く有馬で湯治してから羽柴様にお目通りなさる由」
「とうじ?」
「温泉で病を治すのでござる。小寺殿は長く牢に押し込められていた由。信長様は松寿丸殿を処刑したことを大層悔やまれ、我が主の命にて匿ってござると申し上げたところ甚だお喜びであられた」
戻って来た喜多村は自分の手柄のようにとくとくと語った。
弥一之助らから、比叡山を焼き討ちにしたりする鬼のような方と聞いていた信長に報告されたとあっては――松寿丸はもう後戻りできなくなったと悟った。
官兵衛は有岡から有馬へ向かうと、なるべく親類縁者には赦免を願うようにと指示を出していた。その中には光姫の実家の櫛橋氏は固より、義兄弟の兵庫助らの母方の明石氏なども含まれていた。
松寿丸を処刑したのは見せしめる為だったから、当然それは有岡の官兵衛の許に伝わるよう公表され、国府山の小寺にも伝わった。
しかし官兵衛の牢を監督していた加藤重徳や密偵していた善助らは、現在の囚われの身の官兵衛に伝えるのは毒だと伏せていた。
官兵衛は「松寿丸は処刑されたとされていたが匿われて無事だった」という形で報告された。
「それはよかったが。国府山にも届いていたのであろう? 光はさぞ気落ちしたであろう」
「ご懸念には及びませぬ。大殿がお方様を宥めてくださりました」
「……宥めると言うても」
「松寿丸様が処刑されたという切りで、近習の弥一之助らのことが一向に伝わって参りませず。大殿はこれはおかしい、不要の近習など送り返すか引き取りに来いとあってもおかしゅうないと」
「……成る程」
「巻き添えか殉死したなら遺髪の一つも寄越そうもの。それすらないのは弥一之助らに生きて用がある、つまりは松寿丸様のお相手が必要な為に相違ないと。処刑を仰せ付かったのは竹中様と聞くに、おかしなことばかり。これは松寿丸様が匿われている証に相違ないと仰せで。
何度も言い聞かされる内にお方様もそれに違いないとご安堵なされ。これが信長様に伝われば松寿丸様が危ない、内密にとも仰せられたので、殿と松寿丸様のご無事を、日々姉君と祈っておいででございました」
「さすがの目配りじゃ。父上には感謝してもし切れぬ。九郎右衛門、父上によくよく伝えてくれ」
「畏まりましてございます」
今回の有岡からの救出劇で、職隆が重用していた九郎右衛門の才覚も判った。
職隆の人を見る目に間違いはない、官兵衛にそう確信できたのが唯一の収穫かも知れなかった。