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2-1 弟から売られました

 

 …ふつう目が覚めて、最初に思うことってなんでしょうね。

 トイレに行きたい、喉が渇いた、目覚まし鳴ってないけど時間的にまだ大丈夫?

 私に限ってはもう一点、増えます。


 ………この寝相、何とかならないもんだろうか。




 こんにちは、御園ゆきです。見たこともない天井よりも先に、妹からのものであろう覚えのありすぎる蹴りが何発か顎に入ったおかげで目が覚めました。ちなみにみぞおちには弟の膝が載ってます。

 いらっときて、私も寝ぼけたふりで妹に蹴りを入れ返しておきます。弟の膝は音を立てて向こう側に押しやりました。なにやら痛そうに呻いてますが自業自得ですよね。

「もう少し寝てていいのに…でもそうね、ゆきちゃんたちは一回目が覚めたら二度寝しないものね」

 フンと軽く鼻を鳴らしたところで、柔らかい、こういう時は絶対に聞こえないはずのお母さんの声に驚いてそっちのほうを見ます。

「…ママ、起きてたの?!」

 普段なら絶対に、いいですか、ゼッタイにですよ、私たちよりも早く起きてこないお母さんが朝からキッチリ目を開いてて、さらには柔らかく笑ってるって。


 この一点だけで、異常事態と第一級厳戒態勢が続いてるんだって理解させられました。


 うっかり大きくため息をこぼすとぎゅっと引き寄せられて、柔らかい敷物の上でお母さんのあぐらの中に座らされます。お母さんは女の人なのにこういう体勢をとることでは躊躇がなくて、人前だろうとなんだろうといつでも、私たちがさびしくなったときは体をくっつけてきて、子供たちが好きだよって、守るよって全身で教えてくれるんです。でも。

「そろそろ、状況の説明が欲しいんだけど。ママにわかる範囲で、いいから」

 甘えたい気持ちを前面に出してお母さんの胸に顔を突っ込んだままで、そう要求しました。

 知らないことがあるのはやっぱり、嫌なものです。自分にかかわってきそうなことがあるなら、なおさら。

 あったかいお母さんの匂いに包まれてる今なら、厳しい言葉でも少しはましだと思いますし。

「……キミは、ママの予想より早く、大人になりつつある。ママの子供がいなくなるのは、さびしいな」

 寝癖が付きまくってるであろう髪を丁寧に手櫛で梳いてくれながらほっぺたとおでこにチューが落ちてきます。最大限での愛してるのサインに、私の顔がちょびっとだけ引きつりました。…ねぇ、昨日のお父さんといい、そのレベルで私が不憫なの?お母さんたちの認識の中で。

 きゅうっと力なく私の頭が抱き込まれました。顔を横向きにしてくれるのは嫌味でしょうか思いやりでしょうか。乳で窒息しかけましたからね、過去に何回か。

「そうね、起きてるのなら月もはなも聞きなさい。ここはどうやら、ママたちがいた地球ではない。それは前提」

 穏やかにそう言われてさっきまでくるまっていた毛布を見ると、弟と妹も起きてました。膝からさりげなく降りた私と代わるようにキスとハグを十分にしてもらって、にこにこしてます。…キスとハグがこの子たちにも降ってるってことは、私が特別に不憫なんじゃないんだ。よかった。

 立ち上がって昨日、というか昨夜に用意してもらった椅子に座りました。お母さんは子供たちのトイレに付き合ってから、不思議なことにまだ温かいままのお湯で顔を洗うように言ってきました。同じようにまだ温かい軽食とお茶もカップに注いでもらい、長椅子の上に座りなおします。

「最初にママが召喚、ええーとね、こっちの世界に呼ばれたのね。これでちょっと困ったことになったから、ママがこっち側にお試しでアンタたちを呼んで、アンタたちの意志を聞いた後でこっちの世界に定着させたの」

「「「なんで?!」」」

「ん?そりゃ、こっちに呼ばれたときに、ママがもうこっちの世界に定着されたって、わかったからだよ。だけどこっちにママが一人でいた場合、取り残されちゃったパパがはっ、いや、ものすごく悲しむだろうし、それからアンタたちを虐待し始めたりするかもだし、アンタたちも悲しいし、ママも悲しいからさぁ。だから、ママがあっちに戻れないならアンタたちを呼んで、聞こうと思って」

 ……突っ込みどころはどこからでしょうか。っていうか、今お母さん、はっ、って言いかけて切りましたけど…発狂って続く予定だったの?うん?

 …お母さんに会えなくなるだけで?

 思わず目が点になりました。が、口に出しては違う単語を突っ込みます。

「ぎ、ぎゃくたい?」

「んーーー。現象としてはネグレクト、になるんじゃないかな?あと、月は確実に、無駄に怒鳴られ始めるね。…あのね」

 このお茶、おいしいね、の笑顔につられて私たちも笑い返します。…笑ってる場合なの?ここ。

「私は、家族から愛されてる。そして子供たちも私に愛されてる。なら、非常事態が起こった時に私が気に掛けることは、こんなふうに家族たちから離されてもそれぞれが平気なのか、私が心身ともに健康であることを、どのレベルでみんなが優先するのか、確かめることだと思ったのね」

 ……う、うん。ちょっとだけ意味がよくわからない理屈が入ってる気がしますけど。お母さんの考え方ですよね。

「あ、だから、ママといるか、パパといるか聞かれたの?」

 はなが合点がいったように口を開きます。が、お姉ちゃんとしてはその前に口の周りのパンくずを何とかしてから話してほしいです。…うん?パンくず?いつ食べたの?っていうか、そんな食べ物っぽいのがどこに…あ、お茶の傍に置いてあるや。私も食べよう。

 ああ、でも、あの時に聞かれたのってそういう意味だったのか。でも。

 …でも、それなら。


「こっちにいたくないって、断ることも、できたの?」


 気が付いたときには言葉がするりと出てしまってました。お母さんは私の言葉を待ってたのでしょうか、泣きそうな顔で笑います。

「できたよ。でもあの時は絶対にもう、アンタたちは一人としてママから離れないってわかってたけどね」

「…どうしたら、そんなふうに思えたの?」

 私の声はか細くて、お母さんと同じように泣きそうです。…月はいいんです。お母さんが好きで、お母さんと一緒じゃないとまだ眠れないって駄々をこねるくらいだから。

 はなもいい。だって小学一年生がお母さんと離れられるわけがないから。


 でも、私は?

 私はもう12歳で、家のことなんて確かに何もできないけど、その場合はおばあちゃんちに身を寄せるって手段も取れたはず。

 お母さんは、私のことまで本当に、必要だったの?

 私がもし、元の世界に戻せ、お母さんはいらない、っていう結論を出してたら。



 ………私も、きちんとこっち側にいなさいって、……引き止めてくれてた、の?



 ぐるぐると、世界が回るようです。いったい何がショックだったのか、どれに対してどう怒っていいのか泣いていいのか不安に思っていいのか、足元が崩れそう。

 涙で輪郭のにじんでる手の中のカップとお皿が、不意に消えました。誰にも泣き顔を見られたくない年ごろの私のために、お母さんがまた胸の中に頭を抱き込んでくれます。何でもないふりをして、お母さんの服で涙を拭いておきました。

「だって、私がアンタたちのママだからじゃないか。とっさに母親を振り払える子どもなんていやしない。…私は卑怯なことをした。そこの自覚はきちんとある。私はね、ゆきちゃん。どうしても子供たちと暮らしたかった。ゆきと月とはなに、たとえ、こっちに呼んだことでこの先ずっと罵られるとしても、私のそばにいて欲しかったのさ」

 柔らかくて、いっそ甘いような声が私の髪の中からやんわりと教えてきます。断定される心情はただの事実でしょう。ときどき、子供みたいにまっすぐになるお母さんの感情は日本人離れしてストレートです。

 きっと、複雑な理屈を後からならいくらでもつけてくれるかもしれません。私たちが大人になった時に改めて聞けば、もっといろいろな事情を教えてくれるかもしれません。

 でもきっと、一緒にいたかった、ていうのが、一番なんです。


 だって、口先だけの理屈なら、こんなにきつく、ぎゅうってする必要がないでしょう?


 不安がするすると溶けていきました。知りませんでしたけど、不安って本当に、漫画とか本で読んだみたいに心の中で黒く降り積もるんですね。そして、解消するときはなるほど、溶けるんです。

「ママ」

「ん」

 私たちの、大げさに言えば運命を力技で捻じ曲げたくせに。いっさい謝らないあたりがお母さんの潔さで優しさなんだと、自然に笑いがこみあげてきました。

 こんなにわかりにくい優しさなんて、それを読み取れる人が相手じゃないと与えるのももったいないのに。

 お母さんは不器用で、相手に合わせて手加減もできないままにいつだって、惜しみなくいろいろなものを与えてくれる人です。


「…ところで」

「「「「っわぁ!!!」」」」

 不意に、まったく予想してなかったときにお父さんの声を聞いて、思わず四人で飛び上がりました。振り向くと後ろには困ったようなお父さんの顔があって、

「えーと、あの、向こうをちょっと抜けてきたんだけど…」

 なんて言い訳に合わせて、驚かすなとにらみつけるお母さんの前で居心地悪そうに肩をすくめまてます。

 …お母さんが時々、あいつには足音を立てさせる訓練をするべきだって言ってた意味がようやく、私にも理解できたようです。



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