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ところでつがいって、ちょっと人に対する言葉としては聞いたことのないのですが、意味としてはケモノに対するそれと同義ということでいいんでしょうか。口に出したのがケモノ耳だし、そういうことなの?
長椅子に座ったことによって少しは緩和された、ピリピリとした空気が倍というか何倍かになって戻ってきました。
こんにちは、異世界から母によって召喚され、父にはいつの間にか角が生え、そして私にはなんだかよくわからない要求がなされているようです、御園ゆきです。
端的に言うとカオスすぎです、この状況。
「……ふぅん」
ひぃぃぃぃ。お母さん、お母さん。その甘ったるい声で、にっこり笑って、鼻にかかった発音って、めったに見せない殲滅モードですよね?!
「キミはアレか、初対面の人の前で、何時間もたたないうちに、年端もいってない人様の娘に向かって、つがい、とか、呼ばわるわけか?」
さっきお父さんが魔法使いの頭上で破裂音を鳴らしたときは、ただ音だけでした。ですが現在、ケモノ耳の斜め上からひっきりなしに後ろへ向かって、目に見える形で小さな小さな雷が発生してます。…ああ、静電気の、すっごい派手なバージョンって言えばいのかな?あたったら、痛そうどころじゃなさそうだけど。ケモノ耳だってパシュッッって音がするたびに耳が動いてるじゃん。怖くないの?
その光景を気にも留めずに、すぅ、と息を吸ったお母さんが口を開きかけて一拍、ふと首をかしげました。
「…その前に、確認しておこうか。この世界では、つがいという言葉はどのような意味を持つ?」
……おおおう、冷静ですねお母さん。逃げ道はすべて叩き潰してから追及するつもりとか、殲滅モードは伊達じゃないですね?!
真正面から真顔に戻ったお母さんの視線をもろに浴びた戦士と部下があからさまに肩を揺らしました。
「い、異世界には、つがいに対応する単語は、…その」
「人に対しては、ないな。だから確認したい。愛玩動物や奴隷に…いや」
「ど、どれい?!ママ、あっちにも奴隷なんかいないよ?本の中の話のこと?」
思わず突っ込んでしまって、しまった!と体を縮めます。ううう、大人の話に口をはさむと、その場か後で、すっごい怒られるんですよね。
「……」
「……」
「…声も、かわいらしい」
っっっ、はいっ、アウトォォ!ぼそっと加減がなんかこう、そう突っ込みたくなる単語じゃなかったですか、ケモノ耳?!
ていうか、大人たちが一斉に黙って、せわしなく目だけで語ってるじゃないですか!そっちもそっちで、私が半端じゃない失言したっぽくて、すごい怖いんですけど!
「つ、がいとは、こちらでは、ごく一般的な言葉だ。主に、このジャッドのような獣人が使うな。意味としては、そうだな、先ほどから私たちが使っている、ご主人とか奥様よりもう少し敬意を払われる。愛情よりも運命というか、本能が決める相手だから、本人の意志よりも優先されることが多い。身分や性別も獣人の種族によっては不問になる」
ぐ、と息だけを飲み込んだような音を出した後で戦士が説明を始めてくれます。た、助かりました。正直、失言後の雰囲気っていたたまれないですよね。まったくのところ。
「ジャッドさんとやらの種族的には」
「死別を含めて生涯唯一、自分の生命よりも剣の主人よりも、この世での第一優先だから、相手に対して強制もできない。竜よりは、まだ、寿命の点で救われるかも知れないが」
「つまり、つがいの存在は、彼の死亡原因たり得る、と」
「…まぁな。正直に言えば、私などは彼の場合、むしろ天災の類だと思う」
「「「「「……」」」」」
つらつらと交わされる頭の上の会話でしたが…あはははは、天災だとか生涯唯一だとか私には理解できない単語のオンパレードです。
ただ一つ言えることはアレですね。
なんというか雰囲気的にこの沈黙がイヤです。目を閉じてからのだんまりとか、やめていただきたい。切実に。心から。
ふぅ、と息を吐いて顔を揺らしたお父さんが唐突に立ち上がりました。ちらりとお母さんとうなずき合って、ひらひらと手を振ります。
「時間切れ。後で連絡する」
「血反吐ってもー?」
つがいの言葉を聞いてから少しずつ顔が引きつってきたお母さんが反動なのか明るい声でひどいことを聞きます。血反吐って。なんですかそのブラッディーな感じは。
「当然」
んでもってお父さんも、さも当たり前、みたいなドヤ顔しないでください。っ!あ、私の頭、ぽんぽんしましたね?うーわ、かわいそうにって、そういうレベルなの?お父さん的には、私が?!
「失礼」
?!うぉぃっっ!
しゅるり、という音とともに前触れもなくお父さんがいきなり消えて、驚きのあまり叫ぶところでした。
……いきなり消えるとか、ああもうダメだ、お父さんきっと、人間じゃなくなったんだ。
魔法使いに、なっちゃったんだ。
「顔を上げなさい、ゆき」
うわぁぁん、と心の中だけで泣く真似をしている私の顎をお母さんが言葉だけで持ち上げます。もうずっと、意味の分からないことばかり聞かされて、自分のことなのに決定権がなくて、現実逃避したくて。
『お父さんが魔法使いになっちゃってショックだから泣く真似』をしたいのに。まだ顔を上げ続けろとか、お母さんの要求レベルは高すぎるよ。
「さて、敬称は陛下、でよろしいでしょうか。残念ながら私はごくごく下級層の生まれなので言葉もうまくありません。不敬な言葉遣いにつきましてもどうかお許しください。…ええ、今日はここまでとします。このまま、この部屋で仮眠をとっても構いませんでしょうか?…はい、今夜はジャッドさんの推薦してくださった場所には行きません。毛布があれば、それで」
「!で、ですが、女性と子供にこのような場所で眠らせるわけには!」
お母さんの言葉と態度に他のおじさんたちがあからさまにほっとした顔をしている中、ジャッドさんが食い下がってきました。というか、その必死な形相が意外です。どうしてこのケモノ耳がそんなに必死になってるんでしょうか。
「…申し訳ありませんが、私には『睡眠不足の時に話をすると相手に対して居丈高になりすぎる』という悪癖がありまして。ええ、それでも構わないのであればお話の続きをしたいと思いますが…。そうですか、では、私がある程度の睡眠をとってからその辺りの詳細を詰めましょう。……以降、話がしたいときにはどなたを呼べばいいのでしょうか」
もはや会話ではなく、上司とか戦士が頷くのを相槌にして、お母さんが淡々と話を進めていってくれます。
よかった、これ以上の難しい話は今日はもう、無理だよ。
「ではせめて、肌触りのいい敷物を運ばせます。飲み物の替えと、簡単な食事と、温かい手水鉢を、四半時もかからずお持ちします。どうか」
「…了承いたしました。言われたものを受け取りました後、この部屋は開閉不可になる予定です。トイレ…ええと、厠のある場所と使い方をお教え願いませんでしょうか。あと、何か不測の事態が起きました時にどなたかを呼ぶ鈴なりなんなりも、お願いいたします」
うるさい、黙れって、態度でガツガツ要求するお母さんに対して何か言ってくるのはもう、ジャッドさんだけになってますね。なんだろうこの人、私たちの衣食住の担当になったのかな?さっきもそれっぽいこと言ってたし。
そんな必死な顔のジャッドさんに対してお母さんは華麗にスルーの巻ですよ。うーん、ここまで食い下がってくる男の人をあっさりかわすなんて、実は結構なスルースキルを持ってるんでしょうか、お母さん。よくもまぁ、半泣きになってるようなケモノ耳を淡々と扱えますね。
うん、扉が開閉不可になるとか、その辺にはおじさんたちは誰も突っ込みませんよ。あの人たちのスルースキルも大概です。
「では、必要なものを持ってくるであろう侍女に厠の件を説明させましょう。また、明日にお会いできるのが楽しみです」
「そうですね、できればその時は子供たちを同席させたくありません。子守の人選をお願いいたします」
「…人選、ですか。善処しましょう。…それにしても、ご主人がいなくなられてから急に変わった言葉遣いといい、丁寧に何度もお願いいたしますと言われますと、皮肉のようですな」
「そうですか?」
かたりと軽い音と一緒に立ちあがって部屋から出ていこうとした、王さまって呼ばれた上司がお母さんのすぐ隣で立ち止まりました。手を差し出して…って、この仕草はテレビで見たことがあります。握手です。
なのにお母さんは、意外、という顔をして王様を見上げたままです。立ち上がりもせず、差し出された手を取りもしません。
「あなたに皮肉が感じ取れるとは思いませんでした。この分では明日の話し合いではもう少し、建設的なところを期待できそうですね」
……おぉぉぉぅ。お母さん、まだ殲滅モードで攻撃中でしたか。
部屋から出て行こうとしたおじさんたちがぴたりと足を止めました。黙ったままお母さんの顔を見て、小首を傾げて笑ってるのにつられたのか何人かがへらりと表情を崩します。
「では、またのちほど」
コンコンコン、と軽い音が扉からしました。ケモノ耳がドアを開け、荷物を部屋に運び入れます。それと入れ違いに出ていくおじさんたちにお母さんが頭を下げて、そして。
……長かった、異世界一日目がようやく、終わったようです。