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ようやく私がお母さんの無礼な態度に思い至ったとたんに、部下の人からついに怒られました。ですよねー、お母さん、失礼ですよね、さっきから。ありえないほど。
「失礼」
お父さんがぼそりと単語を挟み込みます。…気のせいでなければお父さんの方からひんやりした空気が流れてきてますが。えーと、比喩ではなく。
冷気が、と言い換えてもいいような冷たい空気がこう、重っ苦しくね。流れてくるんですけど。
「私は多少、急いでおります。アンタたちの所業に端を発したとはいえ、私の嫁のしたことです。責任は五分でしょうが…先に言わせてください」
まっすぐにそれぞれのおじさんたちをにらみつけるお父さんに、物理的な冷気とはまた違う意味でちょっとだけひやりとしました。だって、言ってることのうち基本が敬語なのに、アンタとか語尾が問いかけじゃないとか嫁のしたことって断言してることとか、突っ込みどころが私でさえいっぱいありすぎるんですもん。
「立ち位置を確認するのはオスの本能。その上で、無駄だと忠告します。私とこの子たちにとって彼女が一番上であり、あなた方に払う敬意はない。彼女にとってランク、ああ、格付けのための芝居は必要がなく、普段通りの喋り方で結構。ついでに言うと、私たちの実力は間違わずに把握してるんでしょうね?もし失敗していれば、後悔するのはアンタたちですよ?」
「…失礼じゃない?私はいつだってあなたを立ててる、で、しょう?何かするときにはきちんといつかは意思を確認するじゃないか」
「……で、忠告は別として、先に要求しましょうか。言わせていただきますが。まず一つ目、彼女はアンタたちと対等です。依存も信頼もこの時点で貰えるとは思わない方がいいでしょう。もちろん、嫁がアンタたちを認めれば、見定める機会くらいは発生しますが。
次に、衣食住の確保。ちょっと気に入りませんけど、俺の方でアテがつくまでの間、アンタたちが責任をもってこの子たちと嫁の面倒を見てください。あ、推測ですが、私たちはこの世界の上流貴族並みに非生産的であり体力もなく、下層階級よりも常識を知らず身分制度を知りません」
「っ、?!少々、待ってもらえないか?!」
驚いたように突っ込みを入れてきた部下に掌を向けたお父さんが淡々と続けます。んでもってお母さんが時々、お父さんの話してる内容にびくりと片眉を上げてるんですけど。
お父さん、もう少し慎重に言葉を選んで話を進めてほしいです。なぁ、マジで。
「私たちが来たのはこことは常識のあり方から違う、異世界なのです。確かに現在はすべてにおいて無知ですが、それについて侮るならば、報復があるでしょう。…嫁は容赦のない人間ですから」
「いやだ、あきらさんてば。私は、温厚な、人間ですよ?」
「………ともかく、三番目が最後です。対等、衣食住の確保ときたら安全面の確認、ですかね。この辺りは後で詰めましょう。…さて、確認しますよ?
アンタたちが信用できないとしたらその時点で私なりに手を打ちますが、ここは一度、機会を差し上げます。…嫁と子供たちを、アンタたちで保護しますか?」
最後はにぃっと笑ったお父さんが、おじさんたち一人一人と目を合わせて聞きました。途中、何度か入ったお母さんの茶々へのスルーっぷりが見事です。私もいつか、お父さんみたいにスルースキルが欲しいです。
で、それはともかくとしてお父さんの要求ですね。ふむ。
まったく、私には意味が分かりません。
ああん?考えろ間抜け!っていう意味でしょう、お母さんによる横目での視線の突込みが入ったので考えます。…ええと、前提として、お父さんはもうすぐこの場からいなくなる。その時には私たちに絶対に必要になるだろう、食べ物と服とかの手配と家の世話をこのおじさんたちに、……うん?お願いした、の?あの言い方って。
…え?私たちは、お母さんからこっちに呼ばれたっぽい、のに?
ん、んーんん?そもそも、どうして私たちがこの世界に呼ばれた(とお母さんたちが言ってるので信じます。とりあえず)、のかな?あれ?
「今は、そこじゃないわねぇ、ゆきちゃん」
首をかしげたところで隣のお母さんから、ひそやかな声で、私の脳内の疑問を諭されました。…いやいや、お母さん、笑顔で私の脳内議論に外から突っ込まないでください。的確すぎて、実際に聞こえてんのかと思うじゃん。怖いよ?
それはともかくとして、お父さんたちがおじさんたちに要求したときのあまりにも微妙な言い方とそのあんまりな内容に、戦士と魔法使いが硬直し、上司がため息を大きくつきました。
「芝居が不要、いつも通りの態度、か。…なるほど、………なるほど」
「納得しているところをせかして申し訳ないが、主人は急いでるらしい。返答は?」
「…彼女は、つまり、ご主人の前でも普段からこの態度なんですかね?」
顔をひきつらせて魔法使いがお父さんに聞きました。戦士が肩を揺らして、上司の後ろから服を引っ張ったようですが、魔法使いはその手を振り払ってこっちに身を乗り出してきます。
「女性の身であるならば後ろに控えた方が、ねぇ。と。私なんぞは上の立場の人間に向かって敬語も使えないほうが、気になりますが」
……もしかしてこの人が言ってるのって、お母さんは女の人だから大事な場面では黙ってろっていう意味だったんでしょうか。敬語がどうしたこうしたっていうのは納得できる指摘ですけど、お母さんは普段はこんなしゃべり方をしないし。うーん、後ろに控えろって、それって。時々お母さんに教えられたとおり、男尊女卑っていう考え方はこっちのほうにもあるんでしょうか。
…椅子に座ってから、弟たちが静かなのは寝てるからですが、今ほどそれを感謝したこともありませんでした。
ぶわりと一瞬だけ、お母さんの周りの空気が揺れて、すぐに収まりました。お父さんが見るからにとろりとした笑みを浮かべてお母さんに顔を向けます。
…ああ。それじゃなくても怒ってるお父さんの前でお母さんを挑発するとか。この人、確かに短い時間だけどそれでも、お母さんに対する観察が足りなさすぎる人なんじゃないの?
お母さんは自分を攻撃されると怒るけど、それよりお父さんを突つかれた方がもっと怒るのに。お父さんはそれを知ってて、自分のために大事な人が怒ってくれるのをうっとりしながら堪能するのが好きなのに。…ははは、自分で言っててなんですけど、我が親ながら変態くさいわー。
「私の態度が、何か変でしょうか?」
う、わっ、お母さんの顔がすまなさそうな表情になりましたよ?!やべぇ、目の奥だけが心持ち笑ってて、マジですよ、お怒りレベルが。
相手をキッチリ叩きのめす助走段階ですよ、これ。
「大事な場面だと思われるんで、奥さん、この場では黙ってた方が良くないですか?女のくせに、小賢しいって思われちゃいますよ?」
いかにも軽い調子で、そのくせ目だけが笑わない笑顔で釘を刺してくる魔法使いの頭上でいきなり、ぱんという音がしました。続いてもう一度、もう一度。
お母さんの方を見ると、あらあら、まあ、と口を動かして目を見開いてます。このわざとらしい表情と、素早くお母さんが手を伸ばしてお父さんの指を握りこんだことからすると、破裂音はお父さんですか。
…つっこみが、だんだん人間離れしていってます、お父さん。物理的な冷気を出しちゃうとか、その辺りから。
「…お言葉を返すようで申し訳ありませんが、その、普段から子供たちの世話は、私が、主に見ることになっております。代わりに責任と選択は私が負いますので、それを理由としてですね、この場での交渉権は私にあると」
「いやいや、奥さんにはちょっと難しい話だと思いますよ?なんでしたら別室にてご休憩されますか?お子様たちもお疲れのようですし」
おおおお。お母さんがこれだけはっきりと交渉は自分がするって言ってるのに。これがあれかぁ、お父さんが吐き捨てる、バカっていう人たちか。
「ディー。そこまでだ」
「王、ですが」
言いつのろうとする魔法使いの肩を持ったのは上司の人でした。お、おう?!王って言った?!
「小芝居は不要だと、最初に釘を刺されただろうに。この方達の実力を見誤るなどそのようなこと、この場に残ったものの中でするような間抜けがいるものか。今のはわざと、奥様が芝居に乗ってくださったのだよ。そして時間がないと申告してくださったご主人はそれに怒っておられる。だからこの場合、ご主人から出された提案に乗ることが先だ。…さて、まず、対等な扱いですが、実際には相当に難しいと思われます。奥様の立ち位置は、このディストーリア王国の救世主召喚における、……いわば、言葉が悪いのですが先行実験の結果。勿論、それは表向きにも裏向きも公表しておりませんが。つまり、ここにいる顔ぶれだけであれば対等の言葉づかいをいたしますが、外に出るならばそれ相応の扱いをさせていただきたい。よって、安全面ではそれに準じて配慮する形になりますな。……衣食住につきましては」
「…王、よろしいか」
つらつらとかけられる、流れるような言葉に入れられた情報の膨大さに、脳内の処理が追いつきません。は?よく、意味が…。ってやつです。
最悪のケースか。うん。って交わされるお母さんとお父さんの会話が端的過ぎて気持ち悪いです。なんですかアンタたち。今の速さの言葉の中身、理解できたんですか?
って、もう、そろそろ突っ込むのも飽きてきました。
わかりました、魔法使いのおじさんはとにかく、何らかの形でお母さんを試そうとしたんですね?意味が分かりませんが。
お母さんが黙って一口飲んだ後のコップを渡してくれたので、混乱しっぱなしの私もジュースをいただきました。おいしいです。どうしてだか冷たいです。氷も入ってないのに、もらってから時間もたってるのに。わかりませんが。
はいはい、あとは何ですかね。ぶっちゃけ、話し言葉が難しすぎておじさんたちの会話の意味も、よくわかりません。
「ジャッドが先ほどよりずぅっと目線にて訴えてきておりますので、こちらのご一家には近衛の寮の隣にある一軒家にてお過ごし願いたいのです。……事情は、その」
「異世界より来られた奥様とご主人に申し上げる。こちらの可憐なお嬢さんを、私のつがいとして迎え入れたいのです。どうか、お許しいただきたい」
戦士が何か言おうとしているのを待てないかのようにケモノ耳が私に一歩近づいて、お母さんとお父さんの方を見ながら…つまり私からようやく目を外して…手を胸にあて、もう片方の手を私に伸ばしながら懇願してきました。
初めてケモノ耳の声を聞きます。はっきりとした低めの声はよく通りますが……うん、なるほど、意味はこれもやっぱりわかりません。
……、はぁ。ああ。
大人たちが話しはじめてから、ちょっともう、許容能力は超えたと思う。
弟たちと一緒に、意識飛ばしていいかな、私も。