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…室内は、かつてないほどの沈黙に満たされた。誰もが言葉を失い、彼の顔を覗き込む。頭だけでなく全身をぐったりと彼に預けたつぐみが「サイアクだ…」と呟いた後、動かなくなった。
「キミのせいだけどね。全部ね」
楽しげな彼が、あきらが、自分の言葉によってびくりと震えたつぐみの身体をさらに腕の中へ抱きこんだ。
「ということで、遠くからいつまで聞いてても本題に入らないので時間切れです。アンタ達が呼び出して対抗しようとした魔人たちの王ですが、嫁が俺を、彼の魔力をもって召喚した為に大幅に魔力減。よって魔王として失脚。かわりに俺が新しく彼らの王として就任しました。これが今朝までのゴタゴタ」
「……そ、れは」
「嫁を召喚したアンタ達が元凶なんでいっそこの国ごと滅ぼしてもいいんですけど、別にそこまでする義理もないし。この子のこと独占させてくれる切っ掛けになったし、まぁね、そもそも俺としてはつぐみさんのすることなんで。どんだけのことされても納得するしかないんですよね」
「…ひどい言い草だな」
「つぐみさんたら、そうでもないよ?…まぁとにかく、そうこうしてる内に魔王領とでもいえばいいんですかね、そっちのほうもほぼ安定しました。細かいあれこれは前魔王が俺の代わりにイロイロと采配してくれるそうで、俺としてもこれで家族にかかりっきりになれるし、良かったですよ」
「前、魔王?」
「そうです。失脚したって言ってもまだ存在としては大きいですからね。今まで持ってた魔力が膨大すぎたんでしょう。俺に八割渡してもまだ他の人たちより力があったみたいで。…ええと、ですから」
あきらはぽろぽろと相槌のようにこぼされた単語に呼応するように説明を続けていく。時間切れだとしびれを切らしたのも納得できる簡潔さでこれまでのことを語り、つぐみがしたのと同じ仕草で手のひらを男達に向けて指を折っていく。
なるほど、夫婦か、と、明かされる事実にを租借するのに忙しい男達はぼんやりと頭の片隅で、共有のその動きに感心した。
「今ので、魔王が私に代替わりしたのは理解してください。ちなみに私は普通の人間でしたので、陛下たちに置かれましてもそのように対応してもらえればいいです。今までの魔王、魔人がしてきたらしいこちらの国々への悪戯の件は、だから、これから暫くはないと思います。されちゃった悪戯についての賠償についてはありえないと向こうの言い分で、俺としてもその辺りは面倒そうなので関わりません。これまで通り、天災だとでも思っていてください。
あ、あと、宣言してやるなんて親切ですけど召喚について。ちょっと不愉快だったのでこれからは、自分のみに限定しても、異国間に渡る距離すら許可しません。人間には出来ないようにしますから」
「できないように、とは、どういう意味でしょうか?」
「さすがに魔法のこととなると食いつきますね、魔法省閣下。でも、そのあたりはアンタらに何の関係もないでしょう?ありがたいことに嫁が最初の召喚成功者だったみたいですし、これからは異世界からの召喚なんて、二度とさせませんよ?」
一瞬だけにっこりと笑ったその顔自体を怖ろしく感じてミハイルは背筋をぞくりとさせる。
あきらの顔は、どうやら基本的に面倒だといわんばかりの表情が通常らしかった。丁寧語であるのに口角すら上がることはなく、これだけたくさんの言葉をすらすらと述べる間にもほとんど眉も手も動くことはない。
それが、「させませんよ?」と言った瞬間に顔から口角と目元だけが動き、恐ろしく短い間に目の錯覚かと思うくらいの素早さで笑顔らしきものを作ったのだ。その間も瞳は一切ゆるまないのだから、その威力たるや半端ではない。ミハイルだけでなくレツィーとディーもたじろぐほどだ。
その、たじろがせた本人はと言えば、許されるのなら鼻を鳴らしていたであろう表情でじろりと男たちを睥睨したあと、元の通りのうんざりした顔に戻る。
「最初に嫁が言いたかったのはこれからのことです。自分達の立ち位置を確認してから交渉したかったんでしょう。公平な性分でして」
でも、俺は違うんですけどね。
あきらがつらつらと言葉を発するたびに疲れたように口を引くつかせていたつぐみがとうとう空のカップを両手で包み込み、腕の中で目を閉じてしまう。その髪を優しく梳きながら、先ほど案件を示すために折られた指を振って彼は歌うように続けた。
「まずは嫁と家族の分の衣食住及び在住に関して。…これは、俺がいつでも彼女達に関する全責任を負いたいので、うん、本当にいつでもこの国から放逐してくれていいです。むしろそっちが俺の望みですね」
爽やかなまでに言い切ったあきらがふっと眉根を寄せた。腕の中に向かって甘く、「…え?ん、うん。ちょっと言ってみただけだよ、つぐみさん。まずはアンタの思うようにする。でしょ?」と囁く。
どう考えても先に言っていたことの方が本音だろう、と誰にでもわかる口調だった。
「…ってことでしょうがないので改めて、私が要求するのは家族まとめて辺境の一地方への移住許可です。もしもこの国で、都市部と田舎での学習習熟度に隔たりがあるならば、一度、そうですね、生活が落ち着くあたりで子供達に試験を行い、その結果と…ああ、そうだ、この国の教育方針をそれまでに確認しておきますから。試験の結果の学力レベルと教育方針の二つでどこの学校に入れるのか最終的な判断をしましょう。学校への行き帰りと授業中の警備面は細かいことが決まり次第、詰めて行きたいです。そこが貴族でしか入れないような学校ならその場所には近づかないようにして、代わりに無作法に慣れてる一流の家庭教師の派遣を要請します。…ん、なに?……ああ、嫁が作法も学習科目の中に入れて欲しいそうなので、そのあたりも重ねましょうか。
あのね、この要求は昨夜に言ってた衣食住と安全面での配慮の細かい部分ですからね。増え続けてないですから誤解なきよう。
ん、あとは絶縁か。今日から三ヵ月くらいたったらその後は金輪際、今この場にいる方達にお会いしないよう、強く望みます」
さらさらと途切れなく切れ目なく降ってくるあきらの言葉を追いかけていた男達が、この時点でぴくりと表情を動かした。その中でも特に慌てたようにジャッドだけが片手を振り回す。
「待ってください、魔王どの!それはオレが、ゆきどのにもう二度と」
「っあー、はいはいアンタは別口ですよ。ムカつきますが嫁が気にしてますのでね。アンタに接触禁止は言い渡しません。ですので現実的にはジャッドさんが辺境へ左遷、もしくは魔王を非公式に倒した召喚勇者への専属護衛ってことで、栄転って形で俺らについて来る格好になるんですか?もちろん、私…そろそろ面倒なんで俺に統一していいですか?…で、俺としてはアンタが軍属じゃなくなるんならそっちのほうがうれしいですけど」
ついでに辺境に来るまでの間に、と歌いかけて、それまで滑らかに喋っていたあきらがぐっと呻いた。グゥエンが目を見開いてあきらのわき腹にめりこんだつぐみのこぶしを凝視する。
「そこのラインは、ゆきちゃんに聞いてから!」
「同じこと、考えてるくせにー」
「それでも!」
そうして、聞いていても意味がわかりにくい会話の意味を考えたレツィーがうっすらと顔色を悪くした。
「…もしかすると、望まれるのは、ジャッドの不慮の事故死ですか?」
「「!!」」
ぽつりとこぼされた言葉にミハイルとディーがかすかに肩を動かした。そこまで悪辣なことを考える相手ではないだろうとつぐみとあきらの目を覗き込んだジャッドが一度だけ大きく尻尾を揺らす。
ふふ、と声を立てずにつぐみが笑った。
「害になるかどうかもわからない、どう出るのかわからないサイコロを持ち続ける意味なんて、ないでしょう?」
「…えーと、俺はここまでひどくないですからね。駒どころじゃないサイコロ扱いとか。つぐみさんはほんと、時々マジで鬼のような判断を下すから」
「あきらさん、さっきから言葉がひどいよ?!鬼扱いって!…いや、まあ、それでもジャッドさん、ゆきちゃんと目ぇ合わせちゃったしねぇ。いなくなってもらうにしても、どこの時点が一番、遺恨っつーか禍根を残さないんだろうねぇ」
「どっちにしろ、今ならどんな手に出ても間に合うよ。ね?」
「ん、今なら、ね」
無邪気に首をかしげるつぐみのせいで、なんとなく感じられてきた違和感が急激にひどくなったようだった。雰囲気を読んだのか悪戯っぽく笑ったあきらが自身の魔力を威圧感という形で表に出し、それを受け取って非常に珍しいことに無意識だろう、男たちがそれぞれがかすかに喉を鳴らす。
目の前の夫婦は人間の形をしているものの、どちらかといえば魔に近いのではないか。
自分達がこの国に引き寄せたものが強大すぎる力を持っていた場合、どのようにして制御すべきなのか。
…いや、むしろ、これから自分達がとる彼女たちへの対処が間違ってしまった場合、どうなってしまうのか。
ゆっくりと十を数える間、男たちは身じろぎも出来なかった。先ほどの言葉と同時に発せられたあきらからの威嚇もさることながら、時間がたつにつれ好き勝手なまでに要求された数々の案件、その内容の突飛さにも簡単に返事が出来ないと、無言のままで各自からミハイルに視線が集まる。
それを確認すると、つぐみが口角だけでなく目じりも緩めた。よろしい、と、表情だけでそう語ってくる。
それに背を押されるようにして、ミハイルが声を絞り出した。
「…そちらからの要求は、ジャッドの生死に関わる件を除いて全て無条件で飲みましょう。ただし」
「ただし?」
「絶縁するのはこちらでの生活が落ち着いてから、と先ほど魔王殿が言われました。つまりその間にジャッドをご息女にどう関わらせるのかを検討されるおつもりでしょう。では、それでしたら、私達につきましても見極めて欲しいのです。これからも、チュ…いえ、ショーンも含めまして皆様方とお会いしたいので。何度でも、自由に」
「……ふーん、そう来たか」
片眉だけを上に上げたあきらが残念そうに唇を尖らせる。何がうれしいのかにこにこと満足そうなつぐみの首筋に自分の鼻を埋めて何事かを呟き、軽く頭をはたかれていた。
うっすらと頬を赤くして顔を上げたつぐみがミハイルと目を合わせる。
「ん、良し、かな」
「……つぐみさんさぁ、ちょっと甘くない?」
「甘くないよー。だってジャッドさんは未来の義理の息子かも、でしょう?陛下についても、これからお世話になるかもしれない国のトップなんだしー。期待値補正だよ」
「だからそれが甘いって。っていうか言い忘れてましたけど、陛下。彼女はたまたまですけど結果的に魔王を倒したんですから、本来は勇者か何かって呼ばれるんですか?」
「ええ。本来なら。ですが今回は少々手違いが生じましたので…」
たまたまだとか結果的にとか、言い方が回りくどすぎだとつぐみが唇を尖らせる。その様子がかわいらしいのか、あきらがすりすりとまたもや鼻筋を埋め、今度はやや強めに叩かれた。
「対外的にどう落とすんでもいいですけれどね。つぐみさんが勇者とか、無効ですから」
そうしながら、目線だけをこちらによこしてミハイルに宣言する。当然のごとくその内容につぐみから疑問が飛んだ。
「無効?なにそれ」
「勇者判定自体の無効だよ。魔王を倒せたのが偶然なんだから、勇者なんて呼ばせるのは図々しくない?っていうか、勇者なんてものになっちゃったら目立つでしょ?だから、ダメ」
「っえーーーー、ひーどーいー!!」
「なんなの、その口のとがらせ方は…。やっぱり、ちょっとだけ勇者って響きにワクワクしてたでしょ、つぐみさん」
「んーーーーーーー、そんなこと、な、…」
「…待ってても、ないって言えないんだ。ふーん?こっちの世界で、無駄に目立ちたいワケでもあるの?ん?」
すぅ、と目を細めたあきらが小首をかしげた。むにむにと唇を変な形にたわめたつぐみが口を開こうとして何かに気がついたらしい。はっとしたように肩を震わせ、ことさら子供のように大声を上げる。
「ばーかばーかばーか!ちょっとした、あこがれじゃんよう?!」
「「「…ママ、ナニ騒いでんのさ」」」
軽快なノック音がして三拍ほど。その後で開かれた扉の向こうには子供たちが立っていた。開口一番にはしゃいでいたつぐみにむかって突っ込みを入れる。
「んー、つぐみさんの勇者判定は無効だって、そんな話だよ?」
何事もなかったかのようにさらりと、あきらが子供達に答えた。




