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4-1 父から無効判定入りました

 


「なんとままぁ、面倒なこと」

 家族が出て行った後の扉をなんとなく眺めつつ一人ごちたあと、どっと疲れたように彼女は椅子に背中を預けた。口を開いたもののそれ以上の声は出せず、ため息をもらす。侍女の入れた茶をすすり、その温かさに背中を押されるようにして何度か唇を動かして。

「…私の名前を、ご存知でしたでしょうか」

「いいえ。ご家名からすれば、…ミション?、で、よろしいのですかな?」

「いえ。…はは」

 そうしてためらった後で出てきた声はやはり甘めで、なるほど、昨日もあれだけ厳しいことを言っていたわりに攻撃的な感じがしなかったのはこの声質のせいかと、ミハイルは一人、心中で納得した。

 儀礼上からすれば不躾であろう、こちらからの唐突で一方的に始めた自己紹介にも嫌な顔をせず、行儀よく付き合ってくれるあたりはありがたいと名前を確認すると、困ったように否定される。

 そういえばこの顔は初めてだ、と、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。彼女の伴侶であろうかの男性と違い、その表情は初めて見たときから実に豊かだった。貴族とは違い、非難も皮肉もまっすぐに届けられる感情が好ましい。王である自分の目を遠慮もなく覗き込んでくる女性は珍しいこともあり、ついつい自分で返答してしまう事実を面白がりながらも…ミハイルは眉根を寄せた。

 彼女は、そう、なんというか、昨夜に比べて。

「お疲れのようですね」

「申し訳ありません」

 どこが、というわけでもないのに疲れて見えたことを指摘すれば更に困ったように微笑まれる。

 昨日みたいに生き生きとした笑顔や、よくよく覗き込まなければわからないくらいに暗いその深紅の瞳がきらきらとしているところが見たいのであって、謝って欲しいわけではない、と口に出そうとして、それが真実でありすぎることにとっさに唇を引き結ぶ。思いがけないほどに湧き上がったストレートなこの気持ちは貴族相手のような美辞麗句で飾り立てれば薄っぺらになりすぎる。

 この場合はもっと率直に。

「心配をしたいのです。奥様の」

 ……言ったあとで、かすかな違和感を感じた。周りから驚愕の視線を浴び、自分でもちょっと響きが甘くなりすぎたかと首をひねる。そんなつもりもなかったのだが。

 けれども彼女はそんなどうでもいいやり取りには気がつかずにありがとうございますと吐息だけで囁き、反動のように椅子に預けていた自分の背をぐっと伸ばした。

「みその、つぐみ、です。…言いにくいでしょう?ショーンでも鳥とでもお好きなようにお呼びください。先にお詫びしておきますが、私は他人に対しても無礼なまでに名前に対してこだわりがありません。昨夜の繰り返しになりますけれども、陛下や団長閣下がたにおかれましても呼び間違いや尊称なんかの間違いは大らかに見ていただけると大変、助かります」

「…鳥?」

 ショーンだとこちらでは男名前ですがとミハイルが首をかしげる。その隣でレツィーが「確かにいつまでも奥様呼ばわりも失礼ですね」と肩をすくめてみせた。

「チュグミは、鳥という意味なのかな?ねぇ、じゃあ、愛称でもいいってんなら、もう一度自己紹介させてくれますか?俺は、魔法省のディー」

「ならば私は宰相のレツィー」

「団長のグゥエンとお呼びください」

「ジャッドでお願いします」

「私は…」

「「「「「陛下の愛称は無理でしょう」」」」」

 全員分のタイミングまで揃えられたダメ出しにぐっと息を呑んだミハイルがうつむく。しばらく考えた後で顔を上げたところで、

「というか、どう考えてもこの国の最高責任者であられる方たちを愛称でなんて呼べるわけがないですよね。昨日お会いしたばかりですし。…これも、お試しの一環なんですか?」

 軽く小首をかしげて彼女…つぐみが、一人ずつ、机のこちら側にいる人間達の目を覗き込んだ。

 ちかりと、黒と呼べないこともない程度に赤い瞳の底で光がまたたき、それによってつぐみの機嫌が微妙に悪くなったことを男達が理解する。

「…なるほど、これはわかりやすい」

「いいえ、お試しなどではなく、私はただ、奥様にミハイルと呼んで欲しいだけで」

 レツィーが思わずといったふうに呟けば、ミハイルが駄々漏れの本音をこぼした。

「無理です陛下。多少なりとも常識があれば」

 そうして、即座につぐみから否定される。グゥエンが残念そうな顔のミハイルの脇をつついた。無言のままで首を振り、ついでにわかりやすく『そんな口の利き方をするなんて、らしくありませんが?』の、不審の色を出してみる。すぐに気がつき、ばつの悪そうな顔をするあたり、ミハイルとしても自覚していたらしい。

 が、言い訳を口にする前に、つぐみが会話を続けた。

「ところでそれなら、もしも試されてるのでないとすれば、私としては閣下や陛下の言葉の選び方に疑問があるんですけれども」

「選び方、ですか?」

 閣下、を代表してレツィーが聞き返す。

「そうです。いくら昨日に対等だとおっしゃっていただけたとしても、それにしても私に対して態度や言葉が砕けすぎです。…推測ですが、先行実験の単語といい、こちらの国はそれほど、…、その、」

 もどかしそうな表情を浮かべるその下、みぞおち辺りでひらひらと指が踊る。わかりやすいつぐみのボディランゲージにまずディーが頬を緩めた。レツィーが珍しく裏のない笑みで頷く。グウェンが瞬きで意外さを表に出し、簡潔にまとめた。

「言葉が上手くない、とは建前ではなかったのですね」

「ではもしや、昨夜の態度も申告どおり、ねむ…いえ、お疲れだったということですか?」

「いえ、陛下。アレは半分は私のほうのお試し、ですね。残りの半分は今も続いてますけど、怒ってるからです」

「…お試し、ねぇ」

 ディーがしげしげとつぐみを眺める。応えて、ふんわりと笑ったつぐみに肩をすくめた。

「今はもう家族が一緒にいますから、これからは私も、私なりの通常の範囲ででおとなしくします。ですがそれでも、私がここにいる原因は全て、陛下と閣下方にありますでしょう?……話を戻します。これからの無礼な言葉をお許し下さい。…閣下方の、私に対する態度からすればこの国はそれほど大きくなく、歴史がないか、もしくは逆に大変古くからある国だと推測しました。合ってますか?」

「小国は合ってますね。歴史はあるのですが」

「陛下」

「認めて何がおかしい、グゥエン。卑下することなど何もない」

 ま、確かにねー、とミハイルの言葉に頷くディーにレツィーも首を肯定の意味で振った。それを見たつぐみが手のひらを男達に向けて指を折る。

「…では、歴史が長いバージョンで行きます。単語から類推される事象として、歴史が下手にある分、革新的な研究が進まない。小国ゆえに人的財産も予算もあまりない。軍を再編しようにも時間的な余裕がない。…つまり、国単位で対抗するようなナニカの存在が最近、もしくは年単位あたりで問題になってきているのでは、と考えたのです。先行という単語、私を召喚したときの様子を見て、お困りになられてる原因に対し周辺国共通で協力する予定がないのかも、とも推測しました。ならばこの国が対処しようとしているのは、抵抗力としては少数だけれども強力であり、ええと、その」

 つぐみが困った顔で首をかしげる。自分の言葉を聞いている男達がだんだんと無表情になり、じんわりと幾人かが口角をあげていくのを見ながら、んんんんん、とその甘い声で唸った。

「私の概念で言うところの龍、魔人、魔王、希代の犯罪者、暴走した暗部組織、という辺りでしょうか。私は、そんな感じのナニカに対抗する為に呼ばれようとした誰かの前フリであり、召喚陣の先行人体実験における初の成功者である、とココまでが私個人の推論です、が…。ところで、私以前に召喚できた人間はいますか?」

「………答える、必要が?」

 硬い声でレツィーが小首をかしげる。つぐみと同じ角度で正反対にかしげるものだから、鏡のようだ、とミハイルが場違いにもそんな呟きを漏らした。

「ありますとも。もしも私が読み違えてて、召喚された方が先にいらっしゃったとしてですよ?呼ばれた方が同郷の人間だったら助けたいじゃないですか。…ちょっと、あの、今まで笑顔だったのにほんの少しだけ真面目にお話しようとしたらそんなふうに真顔になるとか、あのね、私に対して失礼ですよ」

「……貴方の言葉を借りるなら、ほんの少しだけ、意外すぎたのですよ。本当に、俺たちは昨日のアンタを見てるのに。ねぇチュグミ」

「…申し訳ないのですが、やっぱり私をお呼びになるならショーンでお願いします、閣下。確か主人が、以前に誰かが私を名前で呼ぶことを嫌いましたので。いえ、今は知りませんけどね。…ん、ん?意外?…ここでも、そうですか?」

「ですね。正直、頭の回転が速そうな方に見えませんでしたので」

「あは、それって褒められてませんよね団長閣下?いいんです、よく驚かれます。けど、実際に頭は良くないので安心してください。えーと、その」

 そうして、この会話を経ても何度目かになる鳩尾あたりでの指のひらひらを見てしまえば、やっぱりうろたえる妙齢の女性にしか見えないのだ。くるくると正直に感情を伝えてくる表情もその印象を助長する。加えて甘い声質に、異世界から呼ばれたためにつけてある言語への補正を抜いても感じられる、わずかに舌足らずな喋り口調。

「っ、もしかして、そのちょっとだけ足りない口調や表情はオレ達を油断させる為に…ですかっ?」

「…はあ?こんなおばさんにそんなロリ属性つけるわけないでしょう!?っていうか、舌足らずって言われた?!え?頭が足りないって意味?どっち?!」

 ぎょっとしたのは思わずこぼしたジャッドとつぐみのどちらもだったらしい。乱れた言葉が彼女の素なのか、混乱したように言葉を続ける。

「っていうか、どっちも失礼だよね?!ゼッタイ、私のほうが陛下たちより年上なのに!…や、いや、そうじゃなくて!私が言いたいのは、……あ、あれ?閣下?」

「「「「「………とし、うえ?」」」」」

 呆然といった感じで全員がイントネーションまで揃えて出した単語に反射的につぐみが唇を突き出し、ムッとした顔をした。その顔のまま、やれやれと肩をすくめて首を横に振る。一度落とされて上げられた視線には、もう険はなかった。

「年上、ですよ。たぶん。純粋な月数ではなく寿命に比例して、ですけど。…うん。後で年齢のことはお話しましょう。天井裏の方もね、そんな立場なのについ突っ込みを入れたからって私は根に持ってませんよ?っつか、そんなに意外でしたかね?ん?」

 ああ、もう。

 どうしてこうなった、とつぐみが呟いて突き出したままの唇をへにょりと引き結ぶ。小刻みに何度か同じ動きを繰り返してからぐるりと目を回し、いつの間にか立ち上がってしまっていたことを恥ずかしがるように腰の辺りを無意味にはたはたと叩く、その仕草全部が。

「年上では、ないと思いますがね…」

「舌が心持ち短い上にこの声でしょう?上手に発音できなくて。バカなんだろうなって思われるのはわりと慣れましたけど、でも、そんなのがこっちに来てまでも続くなんて予想外です。発音の些細な違いなんて、それこそ魔法による補正とかないんですか?」

 椅子に座りなおしたつぐみがぼそりと漏らしたレツィーに答えるでもなく一人ごちる。微妙にかみ合っていない返事に戸惑ったレツィーが二の句を飲み込み、それで会話を終わらせたのかつぐみがカップを手に取った。口元で傾け、中身が空になっていることに眉根を寄せる。口調や声云々ではなくその行動によって年下だと判断されたことは言わないほうがいいんだろうなとくすりと笑ったディーが何気なく少し離れた小テーブルから茶器を取り上げ、つぐみのカップに注いだ。

「チュ、いえ、ショーン。そんな細かい補正は逆に魔法では効かないもんですよ。っつか発音も声質も自覚済み、…っぅわっ?!

「っ、ディーっっ!」

 前触れなんぞ一切なく、茶器をテーブルに置いたと同時に、唐突にディーが執務机の幕板に叩きつけられた。少なくともミハイルとレツィーはそう思った。だがその衝撃は机のこちら側には来ず、代わりにジャッドの腕が高い位置でひらりと振られる。グゥエンが「自業自得だな」と咄嗟に受け止めたジャッドの腕の中でぽかんとしているディーに話しかけた。

 目の前では瞬きする間もなく現れたつぐみの伴侶が、獣人と同じスピードで彼女を腕の中に閉じ込めてこめかみに自分の唇を摺り寄せる。

 いっそ、自分の目を疑ったほうがいいような光景だ。一呼吸する間に人間が現れ、つぐみの傍にいたディーは薙ぎ払われ、そして。

「つぐみさん、俺、言っといたはずだよね?男でも女でも近くに寄せるなって」

「い、いやいや、あきらさんはそんなふうに言ってなかったよ?!ナニ拡大解釈してんの?っつかさ、今のは不可抗力でさ、」

 何事もなかったかのように、つぐみの伴侶である彼が軽く彼女を非難する。

 その、ありえなさに加えてつぐみの返事があまりにも普通で。ぐりぐりとレツィーが眉間に自分のこぶしを当てて揉んだ。

「言い訳にしてもお茶くらいならとかそんなの、ありえないよね。飛んで逃げるとか、ウサギみたいに跳ねるとかしてくれたら、…いや、それはそれでかわいいからやっぱりしちゃ駄目か。とにかく、キミのほうが年上なんだって俺もやっぱりそう思うよ。だからキミについては安心してるけど、でもうーん、困ったな」

「…あのさぁ、どこから突っ込めばいいのかな?ねぇ、とりあえずこの年になってまでかわいいとか言われたら恥ずかしくて死んじゃいそうってあたりから言えばいい?」

「……ショーン、できれば、ご主人が何もない空間からいきなり出てきたこととか、この場にいなかったはずなのに会話の内容を把握されてることから突っ込んで欲しいですね」

「純粋な魔力だけで人を吹き飛ばすとか、そんな非常識なことすんなってのもお願いしますよ」

 ミハイルが掠れた声で、それでも突っ込めることにレツィーは内心で賞賛した。この重苦しい威圧感に気がついてないのか気にしてないのか、変わらない態度のつぐみにも。

 ついでに、純粋な魔力で叩かれたのならまだ眩暈がするだろうにふらふらと立ち上がるディーにも。

 その文句に答えたのはジャッドとつぐみの伴侶だった。見下したように鼻を鳴らすタイミングまで同じだ。

「自分のものになったつがいにどこかのオスが近寄るなんて、オレなら沈むまで畳み掛けて攻撃しますけどね」

「つぐみさんの名前を何度も呼ぶようなモノに対して、どうして丁寧に扱う必要があるの?」

「…でしたね。ディー、やっぱり団長の言うとおり、自業自得です」

「うーわ、ないわー」

 わざとらしく嘆くディーを横目に見たつぐみの伴侶が、ついと手を伸ばして彼女の腰をさらった。長椅子が誰にも触られないまま勝手にその位置をずらし、男達から遠ざかる。彼は片手に中身の入ったティーカップを持ち上げると優雅に、ご丁寧にも彼らから一番遠い場所に自分ごと座らせてカップを持たせた。ことりと彼の胸に頭を預けたつぐみが呆れ果てたように深くため息をつく。

 同じように脱力してため息をついたこちら側を見やり、彼が口を開いて爆弾を落とした。

「俺の名前は美園あきらです。呼ぶんなら、ショーンじゃ嫁と一緒になっちゃうんで…そうだな、魔王で結構です」



 そう、特大級の、言葉の爆弾を。



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