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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第97話 村重謀反――摂津激震(1)

「摂津殿(荒木村重)がおらんというのは何じゃ?」


 最初その報告を受けた時、藤吉朗は意味を取り違えた。

 荒木村重は、播磨攻略の有力な援軍としてもっとも早くから羽柴軍と行動を共にし、織田信忠らの援軍が帰国した後も播磨に残り、現在は三木城南方の包囲を担ってくれている。その村重が自らの陣にいないというのは、敵情偵察に出るなどしてたまたま不在だったという意味かと思ったのである。

 しかし、荒木勢の陣に遣いしたその武者は、困惑した様子でこう続けた。


「陣屋はすでにもぬけの殻にて、軍兵、人夫の類まで誰一人おりませなんだ」


「あぁ?」


 藤吉朗は眼を剥いた。


「そんな阿呆なことが――」


 あるわけがない、という台詞は途中で遮られた。


「殿――」


 声を上げたのは半兵衛である。


「私が申し忘れておりました。実は昨夜、安土から使者がありまして――殿はすでに御休みであったので私が話を伺うておいたのですが――荒木殿の勢は摂津に回し、石山本願寺の包囲へ戻すというお下知でありました。今朝ほどすぐに申し上ぐべきところ、失念しておりましたこと、お詫び申します」


 深々と頭を下げた。


 が、そんなはずはない。

 信長から使者があったとして、それを家臣が藤吉朗に取り次がぬということはそもそもあり得ないし、万が一、もし半兵衛の言う通りであったとしても、帰国するなら村重はその挨拶のために必ず平井山まで来るはずで、いかに急いでいたとしても使者を寄越すくらいのことをしないはずがないのである。


(軍兵たちを無用に動揺させぬための方便か・・・・)


 小一郎はそう直感した。

 村重の軍勢が突如消えたということを兵たちが知れば、そこに様々な憶測が流れるだろう。まだ実情さえはっきりしないのに、たとえば毛利氏の大軍が襲来するとか、村重が謀反を起こすとかいった深刻な風評に発展せぬとも限らず、兵たちを浮き足立たせることにもなりかねないのである。


「おぉ、そうかそうか――」


 藤吉朗も即座にそれを察したらしい。急に多弁になった。


「そういうことなら致し方ないわな。この播磨の政情も一段落ついたしの。摂津殿はもともと右衛門殿(佐久間信盛)と共に石山包囲に当たっておった。時が来ればそっちに戻るのも当然じゃ」


 大げさに笑いながら何度も頷き、


「するとおみゃぁはまったく無駄足であったわけやなぁ。いや、すまなんだすまなんだ」


 とひょうげて手を振り、使い番の武者を去らせた。


 陣屋が幕僚だけになると、藤吉朗は表情を消し、


「・・・・どういうことじゃ?」


 声を落として一人ごちた。


 村重は五千ほどの兵を引き連れていた。それが一夜のうちに霞のように消えたのだから、おそらくすでに播磨には居まい。本拠である摂津へ帰ったと見るのが自然であろう。

 しかし、戦陣における持ち場の放棄は言うまでもなく重大な軍令違反である。村重が、いったい何のためにそんな重罪を犯したのか、藤吉朗にはまるで意味が解らない。

 いや、まるで解らないというのは嘘である。つい一年ほど前にこれと似た実例があり、藤吉朗はそのことを連想してしまっている。


(大和の松永弾正――)


 摂津石山の本願寺包囲に加わっていた松永久秀は――今度の村重の場合とまったく同様に――無断で陣を払って帰国し、主城の信貴山城に篭って叛旗を翻したのだ。

 しかし、反覆常ないあの老人と、律儀で篤実な村重を同列に語ることはできないだろう。

 そもそも村重には、信長に反逆せねばならぬ理由がないのである。


 現在、織田家には軍団長と呼べる実力を有した重臣が七名いる。柴田勝家、明智光秀、丹羽長秀、藤吉朗、滝川一益、佐久間信盛と、荒木村重である。村重は中でも一番の新参で、見方によっては織田家でもっともスピード出世を果たした武将とさえ言えるであろう。


 摂津の小豪族の子として生まれた村重は、荒木家の主家であった池田家のお家騒動に乗じて主家の権勢を握り、三好三人衆に属して一時は織田家に敵対し、織田方の摂津守護であった和田惟政これまさを攻め殺したりしたが、織田家の富強と天下の趨勢すうせいを知るに及んで変心し、信長という大将の将来性を買ってこれに寝返った。正式に織田家に属したのは信長が足利義昭を京から追放する直前――つまり天正元年(1573)であり、現在からほんの六年ほど前に過ぎない。

 織田家にとって摂津という国は西国進出の足場であり、地理的にも経済的にも非常に重要な地域なのだが、村重の武勇と器量を愛した信長は、過去の一切を水に流してこの男を摂津の旗頭に抜擢し、その支配を任せるほどに厚遇した。本願寺領や寺社領が多い摂津は治めるのが難しい土地であったが、村重は信長の期待によく応えた。地侍や豪族たちを巧みに懐柔し、敵対する勢力は次々と攻め滅ぼし、本願寺の石山周辺を除く摂津一国をわずか一年ほどで平らげたのである。以後、村重は摂津の治安を守りながら、本願寺攻め、紀州攻め、丹波攻め、播磨攻めと各地の戦線を飛び回るようにして働き続けている。


 藤吉朗と村重の関係も、悪くはない。

 新参者の村重は、織田家譜代の重臣に対しては常にへりくだり、礼厚く接していたが、態度が横柄で頭高い柴田勝家や佐久間信盛などと比べると下郎あがりで気さくな藤吉朗とは付き合いやすかったらしく、仲はむしろ良かった。特に藤吉朗が播磨に入ってからは、村重は援軍として播磨平定に協力してくれ、副将格として羽柴軍の一翼を担ってくれていたから、藤吉朗もこの朋輩には常に気を使い、賓客のように遇してきたつもりである。

 村重の方も、手伝い戦に過ぎないこの播磨で、骨惜しみせずよく働いてくれていた。


 その村重が、突然なぜ織田家に反逆せねばならないというのか――


「摂津殿に限って謀反などということはないと思うが・・・・」


 浅野弥兵衛が藤吉朗の呟きを耳ざとく聞きつけた。


「謀反? 荒木殿は安土様の命で帰国されたのでは・・・・」


 弥兵衛はそこでようやく事態を悟ったらしい。きょろきょろと半兵衛や小一郎を見回し、その表情の深刻さを読み取って、


「――えぇ!?」


 と大声を出した。

 この好青年は決して馬鹿でも無能でもないが、気性が真面目すぎて腹芸が通じにくい体質なのである。


「荒木殿が謀反・・・・!?」


 藤吉朗は面倒そうに弥兵衛を見た。


「そんなはずはないとは思う。・・・・じゃが、他にどう考えればええんじゃ」


 弥兵衛はまだ呆然としている。

 それもそのはずで、実際問題、ここで村重に謀反など起こされてはたまったものではないのである。西に毛利という大敵があり、北東の丹波にも北の但馬にも敵を抱え、播磨国内では別所という強敵と対陣中である今、東の摂津を押さえる村重までが敵に回るようなことになれば、羽柴軍は敵中で孤立する形勢になる。本国・北近江からの補給線さえも断たれてしまうだろう。


「いずれにしても、いま荒木殿の陣に兵がおらぬのは事実なのでしょう。早急に包囲の穴を埋めねばなりません」


 指摘したのは半兵衛である。


「お――おぉ、そうじゃ。そうじゃった」


 藤吉朗はとりあえず蜂須賀小六に一隊を授け、すぐに荒木勢の陣城に入り、これを守備するよう命じた。


「事の真偽を確かめねばなりませんね」


 半兵衛が渋い表情で言うと、


「わしが安土へ行く」


 と、藤吉朗は即決した。

 こういう時は、信長に事情を聞くのがやはり一番早いであろう。播磨や隣国の情勢、宇喜多氏の調略についてなど、信長に報告しておかねばなぬ事項が色々とあり、どのみち近いうちに安土へ行くつもりではあったから、ついでに詳しい経緯を聞き込んで来ようというのである。状況次第によっては、播磨へ戻る途中で伊丹の有岡城に寄り、直接村重本人から話を聞いてもいい。もし本当に村重が謀反を考えているなら、思い止まるよう説得することだってできる。

 ただ、村重がすでに織田家に敵対することを決断しているとすれば、摂津を通り抜けるのも命懸けということになる。


 藤吉朗は、平井山の守備と別所氏の監視を小一郎と半兵衛に任せ、護衛の精兵二千を引き連れて安土へと発った。

 荒木村重の軍勢が消え、藤吉朗が兵を引き抜いて去ってしまうと、三木城包囲の羽柴軍はわずか六千ばかりが残るのみとなった。やむを得ず、但馬の守備は宮部善祥坊に任せ、前野将右衛門を一千ほどの兵と共に播磨へ呼び寄せることにした。


 数日後、安土の藤吉朗から詳細の第一報が届いた。

 村重はやはり居城の有岡城に篭っており、城門を閉ざして出て来ないのだという。信長は村重の行動に驚き、明智光秀、松井友閑らを使者に立て、「不満があるなら聞いてやるから考えておることを腹蔵なく話せ」と寛大さを示した。これに対して村重は、使者の前で「反逆する心などは露ほどもない」と明言し、その証しとして実母を人質に出したが、村重自身は促されても安土へ出仕しようとせず、相変わらず城に篭っているらしい。

 すでに安土では戦の準備が始まっており、このまま村重が安土への出仕を拒み続けるようなら、来月早々にも荒木討伐の戦が始まるだろう――という藤吉朗の観測が付け加えられていた。


(つまりわしらは播磨で孤軍か。なんとも心細い限りやな・・・・)


 小一郎たちにとって二度目の播磨の冬は、どうやら寒々としたものになりそうな気配である。



 藤吉朗から手紙が届いた翌日、今度は小寺官兵衛が青い顔をして平井山にやって来た。


「姫路で留守を守ります父・宗円から、容易ならぬ報せを受けました」


 官兵衛の主君である小寺政職まさもとが、姫路城へ寄騎として入れていた家臣たちを呼び返し、御着ごちゃく城で篭城支度を始めたというのである。

 小一郎は仰天した。


「まさか、小寺までが織田に叛くと・・・・?」


「まだそうと決まったわけではありませんが・・・・」


 官兵衛は苦しそうに言った。


 小寺氏は播磨第二の勢力を持つ有力豪族である。その最大動員力は二千を超える。万一これが敵に回るようなことになれば、羽柴軍は常に背後を脅かされることになるだろう。

 それどころか――


(わしらは破滅するのとちゃうか・・・・)


 という恐怖が、小一郎の脳裏をよぎった。


 遠国に遠征している羽柴軍にとって、姫路城と書写山は重要な物資の貯蔵基地であった。但馬で採れた銀や銅、北近江で掻き集めて持ってきた軍資金も含め、兵糧・矢弾など物資の多くがそこに保管してある。羽柴軍は三木城包囲に兵力を集中しているためにこれに割ける守備兵力は多くないのだが、御着と姫路に城を持ち播磨中部に勢力を張る小寺氏は、その存在自体が羽柴軍の蔵の番人のようになっていたのである。

 上月撤退以後、羽柴軍の根拠地が平井山に移ったこともあり、平井山の城郭が完成し次第、物資を輸送してこちらに集積するつもりでいたのだが、その前に小寺氏が敵に回るというような事態が起きるとは小一郎もさすがに想定していなかった。

 姫路城は官兵衛の黒田氏が押さえてくれているからまず問題ないとは思うが、書写山はもはや安全とは言えなくなる。


(いや――)


 よく考えれば、姫路城も決して楽観はできない。

 小寺氏はそもそも黒田氏にとっての主家なのである。小寺氏が織田に叛くとなれば、黒田氏もこれに同調しないとは言い切れないではないか――


 自分に置き換えて考えて、小一郎はぞっとした。

 たとえば藤吉朗が謀反を決断したとする。織田家に叛けば、その先には破滅しかないと小一郎は思うから、藤吉朗を説得して何とか思い止まらせようとするに違いない。しかし、それでも藤吉朗がその決意を変えなければ、小一郎はおそらく藤吉朗に従い、最期まで生死を共にするだろうと思う。藤吉朗と小一郎の繋がりは君臣の恩愛ではなく、ただの肉親の情愛に過ぎないが、その小一郎でさえ、羽柴家から離反し――つまり但馬たじま・四万石の大名として羽柴家から独立し――藤吉朗を捨てることまでして自分一人が生き残ろうとは思わない。

 それに比べて官兵衛は、小寺家の譜代重恩の家来なのである。黒田氏は官兵衛の祖父の代から小寺家に仕え、小寺の姓を与えられ、老臣筆頭にまで引き立ててもらうという恩寵おんちょうに浴している。果たして官兵衛は、それほどの恩ある主家を捨ててまで――黒田氏を小寺氏から独立させてまで――織田方へ肩入れしようとしてくれるであろうか。主君への忠誠を貫いて織田家の敵に回るという選択――つまり小一郎ならそうするであろう道――を取っても少しもおかしくないのではないか・・・・。


 百姓からにわかに武士になった小一郎には、譜代の武士が累代の主家に対して抱く恩愛の情がどれほど深いものであるかは解らない。解らないが、主家に対する忠誠が肉体の一部にまでなっている人物を、小一郎はこれまで何人も見て来た。たとえば主君の罪をかぶって死んだ樋口三郎左衛門や、上月城で散った尼子氏の遺臣などはその好例であろう。

 「忠臣」という人間たちは、主君のためと想い定めれば平気で我が命さえ投げ出すことができるものであり、道理や情義から外れた突飛な行為であっても時に平気でそれをしてのけるような怖さを持っている。官兵衛が誠忠の男であるならば、たとえその先に滅びしかないと解っていても、主君と運命を共にするという道を選ばないとは言い切れないだろう。むしろ、普通に考えればその公算の方が大きいようにさえ思える。


(つまりは官兵衛殿まで敵に回るかもしれんということや・・・・)


 皮肉な話だとは小一郎も思う。

 もし官兵衛が利害損得で動く利己主義者であれば、この場面で迷わず小寺氏を離れ、黒田氏として織田家に直結する道を選ぶに違いない。

 たとえば別所氏が織田に叛いた時、別所重棟も今の官兵衛とまったく同じ立場に立たされた。重棟は別所家を生き残らせるため、織田方に留まるよう家来として出来る限り奔走はしたが、主家への忠節と保身との間で悩み抜いた挙句、ギリギリのところで主家を捨てて保身を採り、独立豪族として織田方につく道を選んだ。重棟は別所家の家来であり、どころか当主・長治の叔父でさえあり、その執権という地位にあったが、同時に個人としては一万石ほどを領する独立の小豪族でもある。武家として自家の生き残りを最優先にするのは理の当然で、これは重棟が責められるべき倫理上の課題ではなく、この時代の小勢力の生き方としてはむしろ自然とするべきであるかもしれない。

 官兵衛が重棟と同じ種類の人間であれば、小一郎もここまで動揺することはない。しかし、官兵衛が主家に対して「忠臣」であるがゆえに、織田家を裏切るかもしれぬという心配をせねばならなくなっているのである。


(姫路の黒田氏と御着の小寺氏が共に叛けば――)


 これは大変なことになる。

 羽柴軍は軍資金と兵糧、軍需物資などの大半を奪われ、しかも別所軍と小寺軍に東西から挟み撃たれる形勢になるのである。

 もはや毛利氏の手を煩わせることさえなく、羽柴軍は滅ぶのではないか――


(いや、疑うてはならん)


 あえて自らに言い聞かせた。


(官兵衛殿がわしらを裏切るはずがない。兄者はこの男を信じ抜いておったではないか・・・・)


 小一郎は、官兵衛の才知に関しては十二分に認めていたが、たとえば半兵衛にするように無条件の信頼を寄せるというほど胸襟きょうきんを開いて接していたわけではなかった。しかし、今は、官兵衛を信じるという部分を基礎にしなければ、この先の戦略も何も立てられないのである。

 もし小寺氏が叛いたとしても、姫路の黒田氏さえ織田方に留まってくれれば、まだ手の打ちようはある。姫路城の兵力は小寺氏に対して十分な抑止力になるはずで、これと敵対すれば小寺氏も迂闊には動けないだろう。

 こうなってみると、官兵衛の手に羽柴軍の命運が握られてしまっているとまで言っても決して大袈裟ではない。


 その官兵衛には、変心するような気配は微塵も見えない。


「私は一度姫路に戻り、事情を確かめて参ります。万一、御家が織田に叛くつもりであるというなら、御着の主君あるじを説いて必ずこれを思い止まらせます」


 と必死な面持ちで言った。


「そ、それが出来るなら――是非とも、頼み入ります」


 小一郎は官兵衛の手を取り、何度も頷いた。


「それは――」


 小一郎の隣で黙って話を聞いていた半兵衛が、静かに言った。


「お止めになった方がいい。下手をすれば・・・・官兵衛殿は殺されますよ」


「え――?」


 小一郎は意外な気がしたが、よく考えればそれもあり得る話かもしれない。

 官兵衛は主家に対する忠義の心を失っていないようだが、小寺氏の側が官兵衛に対する信頼を失くしてしまっている可能性は高い。織田方に過剰なまでに肩入れし、スタンドプレーと見えるほど派手に動き回る官兵衛に小寺氏が強い不快感を持っていたのは事実だし、だからこそ官兵衛は主家から半ば捨てられたような存在になっていたのである。

 小寺氏が織田に叛くつもりなら、織田方の官兵衛は敵ということになろう。小寺氏はすでに黒田氏を家来とも味方とも思っていないかもしれない。

 しかし、そういう事とは別に、これほど真摯に主家の行く末を想い、それに尽くしている人間を、主君の側が殺すということがあるだろうか。


「まさか――いくら何でも御着殿(小寺政職)が官兵衛殿を殺すようなことをするはずが・・・・」


 半兵衛はわずかに首を振り、


「武門とは怖いものですよ・・・・」


 そういう表現で小一郎の甘さを咎めた。


「篭城支度をしておるというからには、すでに御着殿は心を決したと見るべきでしょう。今さら説得をしたとして、再び心を変えるということがあるかどうか――」


「危険は――元より覚悟の上です」


 官兵衛はまっすぐに半兵衛を見詰め、決然と言った。


主君あるじは、お心に弱いところのあるお人です。荒木殿の事もあり、毛利方の巻き返しを怖れるのあまり、左右の者のよからぬ言葉にうかと乗せられてしまったのでしょう。ですが、私が一命を賭して説きに説けば、きっと目を覚ましてくださるはずです。私は――そう信じています」


 官兵衛は、すべて承知の上であるらしい。


 織田と毛利の対決は、様々な紆余曲折はあるにせよ、最後には必ず織田が勝つであろうと官兵衛は信じている。二十年、三十年先の話はともかく、ひとまずはこのまま織田家が天下を取ることになる――という官兵衛の持論を、小一郎は何度か聞いたことがある。

 小寺氏のような小勢力が生き残る道は勝者となる大勢力につく以外になく、つまり織田家にしがみ付いてゆくことしかない。官兵衛は誰よりも早くそれを悟り、だからこそ播磨を織田方にすべく奔走して来たのである。

 いま肝心の小寺氏が、こともあろうに毛利方にはしろうとしている。家来として主家を救う方策は、主君を説得して織田方に戻らせる以外にないと、官兵衛は見極め切っているのだろう。そのために、己の命を投げ出す覚悟までしているのだ。

 忠義の道は人それぞれである。主君に従って共に死ぬのも忠義なら、主君の心を変えるために命を張るのもまた忠義であろう。


(凄いおとこがいたものだ・・・・)


 小一郎は、この時はじめて、官兵衛という男の愚直なまでの一途さと誠実さを知った。


 命を懸けるという武士の決意に、もはや言葉は不要である。

 半兵衛もそれ以上は引き止めようとせず、小一郎と共に官兵衛を静かに見送った。





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