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王佐の才  作者: 堀井俊貴
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第66話 慶事――小一郎の憂鬱

 信長は、驚くほどの子福者である。

 正室の濃姫(帰蝶きちょう)との間にはなぜか子ができなかったが、資料的に確定されているだけで少なくとも十二男十女をもうけており、相当の数の側室がいたであろうことは間違いがない。


 信長は幼い頃から腕白――というよりは手の付けられない乱暴者――で、奇矯な振る舞いや言動が多く、ついには人々から「大うつけ」と呼ばれるようになった、ということは先にも触れた。

 信長を産んだとされる土田御前は、我が子のことながら信長の言動や行動にはほとほと愛想を尽かしていたらしい。聡明で行儀良く育った次男の信行(信勝とも)のみを溺愛し、信長を露骨に遠ざけていたという。

 思春期の信長が人目をそばだたせるような奇行を繰り返したのは、逆の見方をすれば、母の愛を弟に独占され、それを享受できずに育った信長のコンプレックスの現れであるかもしれず、「母の注意を惹きたい」、「母から叱られたい」という無意識下の願望の発露であったと言えるかもしれない。信長が愛した女性に注目すると、この「母性愛」に対する憧憬の強さが裏打ちされているようにも思える。

 政略結婚で結ばれた正室の濃姫(帰蝶)を除き、信長が若い頃の側室でその存在が確定されているのは、いずれも年上の女性ばかりなのである。長男・信忠、次男・信雄のぶかつ、長女・五徳ごとくを生んだとされる生駒いこま氏の娘・吉乃きつのや、同じく二男一女をもうけたおなべの方などは、中でも信長の寵愛が深かったと考えられるが、この二人にいたっては子持ちの後家(未亡人)であったらしい(吉乃という女性に関しては、典拠が資料的に難のある『武功夜話』のみであり、生んだ子の数などを疑問視する向きも根強い)。

 無論、信長自身が壮齢を迎えた後に側室に上がった者は、常識的に考えて年齢が信長より下であったろうが、いずれにせよ信長は、自らの決して満たされぬ心の渇きを、母性の情愛――母のようなその優しさ――によって擬似的に(おそらくは無意識のうちに)癒そうとしていたのかもしれない。

 また、他方で信長は大変な審美家であり、蒐集家でもある。茶道具などに対しては淫するというほどに入れ込み、「名物狩り」と称して天下の名品を熱心に収集していることでも解るが、信長は造形的な美を愛し、これをこよなく好むという性質がある。人間の造形としての美しさ――美しい容姿――を好んだことは言うまでもなく、自らの「美」の基準にかなう者であれば、女性に限らず少年でもそれを溺愛した。


 一方、藤吉朗は子宝になかなか恵まれなかったことで知られるが、その方面に対する好みには、信長のような傾斜は見られない。

 藤吉朗は大変な漁色家であり、豊臣秀吉となって天下を取った後は呆れるほどの数の側室を持ったが、資料で確定されている妻たちの中に藤吉朗より年上の女性は一人もいない(これは、藤吉朗が側室を持つことができるまでに出世した時、すでに壮齢を迎えていたことがその主な理由であろう)。また、当時の大名たちがごく一般的に行っていた男色にもまったく興味を示さなかった。


 藤吉朗が側室を持つようになったのは、京の奉行に抜擢された頃からではなかったかと筆者は考えている。証拠はないが、同じく京に長期滞在した村井貞勝や明智光秀は屋敷を与えられているから、同様に藤吉朗にもそれが与えられたであろうことはまず間違いなく、そこに、行儀見習いとか、身の回りの世話をするというような名目で、織田家と繋がりを持ちたいと思う公家や地方豪族、豪商などの有力者が、血縁の娘を差し出すというようなことがあったとしても不思議はない。

 その後、藤吉朗は京を去り、横山城の守将として浅井と対決することになる。

 前線基地であった横山城に女を住まわせていたかどうかまでは解らないが、浅井が滅び、信長から湖北三郡と小谷城を与えられ、北近江の王になると、これまで関係があった女性を小谷城に呼び集めて住まわせ、あるいは家臣の娘を側室にもらうなどして、大名らしく「おく」を持つようになった。

 「奥」とは、すなわち後宮のことである。


 この時期――天正三年(1575)の初頭――正妻の寧々(ねね)はまだ岐阜に留まっている。

 藤吉朗は小谷城に入った時点で今浜に本拠を移すことを考えており、この新城が完成を見、城下町ができ、武家屋敷の移築が終わってから、満を持して自分の家族と家臣の妻子を岐阜から呼び寄せるつもりであったらしい。岐阜から小谷、小谷から今浜と二度転居を重ねるのは手間だし、不経済でもあるから、寧々や家族は岐阜でそのまま暮らしていたのである。

 藤吉朗は常に忙しく動き回っており、年に数回は岐阜にも帰り、そのたびに寧々を抱いていたが、小谷城での夜の相手は、もっぱら複数の側室が務めていた。


 その側室たちの中で、この時期の藤吉朗がもっとも気に入っていたのが、「みなみ殿」と呼ばれる女性であったらしい。小谷城の本丸屋形の南側につぼねを与えられ、住んでいたことからそう呼ばれたのであろう。北近江の守護であった京極氏の血に繋がる女性であったとも言い、北近江で新たに召抱えた家臣の娘であったとも言うが、はっきりした出自は解らない。


 一般にあまり知られていないが、この南殿が、この天正三年、藤吉朗の子を出産している。



「どうやら子ができたらしい」


 と、藤吉朗が満面の笑みで告白したのは、天正三年の二月であった。

 小一郎はもちろん、蜂須賀小六や浅野弥兵衛ら、主立つ者たちは顔を見合わせ、一瞬、沈黙した。真面目な話か冗談と受け取るべきか、判断に迷ったのである。

 藤吉朗は、寧々と結婚して以来、この十四年間、ただの一度も子ができなかった。寧々が石女うまずめなのか藤吉朗に子種がないのか、それは誰にも解らなかったが、半ば諦めかけていただけに、このニュースは衝撃だったろう。


「・・・・まことでござりまするか?」


 一座を代表するように、小一郎が恐る恐る訊ねた。


「どうもそのようなことであるらしい。南の者が――」


 という言い方で藤吉朗は南殿を呼び、はにかんだ。多少、気恥ずかしくもあり、照れ臭くもあるらしい。


「もう二月ばかりも月のモノが来ぬと言うておった。気分が優れず臥せっておったが、薬師くすしの見立ても、懐妊に紛れもなし、と――」


 とまで言ったとき、満座に喜びが爆発した。


「おめでとうござりまする!」


 と、家臣たちが口々に叫び、


「これほどめでたきことはござりませぬな。お世継ぎご誕生となれば、羽柴家はいよいよ安泰じゃ」


 と蜂須賀小六が笑顔で寿いだ。


「彦右衛門(小六)、気が早いわ。まだ男と決まったわけでもない」


 そう言う藤吉朗の顔も、どうしようもなく笑み崩れている。


「半兵衛殿には二年遅れたが、わしにも子種はあったと見える」


 藤吉朗の軽口に、


「どうやら私も、そのことばかりは見込み違いをしておったようです」


 と半兵衛も軽口で応じ、


「おめでとうござりまする」


 満面の笑みであらためて一礼した。

 半兵衛はこの二年前、長男を授かっている。藤吉朗が名付け親になり、秀吉の「吉」の字を取って吉助という幼名が付けられた。後に豊臣秀吉の伝記である『豊鏡とよかがみ』を書いたことでも知られる竹中重門しげかどである。成人すると、藤吉朗の媒酌で加藤光泰の娘と結婚し、半兵衛とその弟の久作の死後、竹中氏の本領である菩提山城に戻り、竹中氏本家を継ぐことになる。


(いやいや、これは思ってもみぬ吉事やったな)


 喜ぶ気持ちは小一郎も変わらない。

 何より、藤吉朗に子種があったということが証明されたことが喜ばしかった。このまま子ができねば、せっかく大名と呼ばれるまでに大きくなった羽柴家を継ぐ者がないのである。藤吉朗の血縁の男子といえば、弟の小一郎をのぞけば姉の子と妹の子があるが、甥っ子に継がせるより、やはり我が子に継がせたいというのが当然の人情であろう。子種があるということがはっきりした以上、後は励めみさえすれば、今後も子ができる可能性はいくらでもあるのである。

 小一郎自身、子ができぬこともあり、


(わしら兄弟は、子種がないのかもしれん・・・・)


 なぞと暗い想像をすることもあったが、藤吉朗に子ができたとあれば、それが誤りだったことになる。


(兄者の働きにも、これでなお一層の張りができよう。あとは赤子が五体無事に生まれてくれることを祈るばかりや・・・・)


 出産は、おそらくこの秋から冬に掛けての時期になるであろう。

 羽柴家にとって、これ以上の慶事はない。


「ところでなぁ、小一郎」


 その夜、小一郎と二人きりになったとき、藤吉朗が言った。


「悪いが、ちと岐阜まで使いしてくれんか」


「は。して、ご用の向きは?」


「いや、寧々にな――子ができたっちゅうことを、ほれ、それとのぉ伝えてやってもらいたいんじゃ」


「はぁ?」


「アレは見かけによらず悋気りんきがきつい。わしがこっちで側室そばめを置いておるちゅうのも内緒にしておるくらいでな。・・・・・ほれ、解るやろ」


 藤吉朗は語尾を濁し、苦笑いで代用した。


「内緒ちゅうたかて――そんなもん、いずれ義姉上がこちらに参られれば、全部バレることやないか」


 呆れたように小一郎は反論した。


「んなこたぁ解っとる。じゃから、今のうちにそれとのぉ、お前がほのめかしておいてくれりゃぁ、寧々もこちらのことをあれこれと思い巡らし、心の備えができるっちゅうもんやろ」


 藤吉朗が、他の女をはらませたという事実を、あの寧々に伝える――

 夫の帰りを岐阜で寂しく待ち続け、子ができないことにも少なからず悩んでいるであろう寧々に対して、これほど残酷な報せもないであろう。


(冗談やない・・・・!)


 と、小一郎は思った。


「主命とありゃ、地獄の閻魔えんまに使いせえ言われても受けるんが侍なんかもしれんがな。そればかりはお断りや。なんでわしがそんな役を引き受けにゃならん」


「おみゃぁの他にこんなこと頼める者がおらんで言うとるんや」


「わしは嫌やぞ。兄者が自分で言や済むことや。・・・・ちゅうか、こればかりは兄者が己で言わなならんことやろが!」


 声を発するにつれ、勃然ぼつぜんと腹が立ってきた。

 小一郎自身、なぜこんなに頭にきているのか、その理由が自分でもよく解らない。義憤と私憤が小一郎の深い部分で混然となり、寧々の哀れさに対する憤りで胸がいっぱいになっていた。


「岐阜で待っとる義姉上には何のとがもない。悋気が収まるまで平謝りに謝り、その恨み言も聞いてやり、気の済むまで打擲ちょうちゃくでも何でもされてやるのが、義姉上に黙って余所の女をはらませた兄者のケジメやないか」


「百姓のかかあの話をしておるのとちゃうんやぞ」


 小一郎に激されたのか、藤吉朗の声にも怒気が混じり始めた。


「大名が跡取りを作るのは、こりゃ立派な政事まつりごとや。わしに子があってこそ、羽柴家に世継ぎがあってこそ、家来たちは安心して羽柴家に奉公できるっちゅうモンじゃろがい。寧々に子ができておれば、わしも別に他の女を孕ませねばならんことなぞないわ」


(なんじゃその屁理屈は・・・・!)


 自分の好色を棚に上げ、寧々の不妊に責任を転嫁しているとしか、小一郎には思えなかった。


「考えてもみい、小一郎。わしに子ができねば、むしろ寧々の方から側室そばめをすすめるのが武士の妻たる者の当然の作法や。寧々がそれをせんなら、わしに側室を持たせるよう寧々を教導するというのが、羽柴家の老臣筆頭おとながしらであるお前の務めやないか。お前がそれを怠っておるからこそ、わしは寧々に隠れて女を囲わなならんようなハメになっとる」


「・・・・わ、わしのせいやと言うんか・・・・!」


 この藤吉朗の言い分は――腹立たしくはあるが――当時の武家の慣習という観点から見れば、間違いなく正論であった。

 家系を絶やさぬ、というのが、武家にとって最も重要な命題であり、同時に実利なのである。せっかく戦場で命を張って稼ぎ出した身代を、相続する子がなければ、すべてが一代限りの徒労で終わり、その家が潰れることになる。家が潰れれば、その家に仕えていた家来たちを路頭に迷わせることにもなる。養子などを入れて家を存続させるようなこともあるにはあるが、その場合でも、「家」に仕える家来・郎党たちは、当主の濃い血縁を養子に望むのが当然で、縁も馴染みもない馬の骨を「主」に据えては、「家」の結束が立ち行かなくなる。そのような事態に陥らないためにこそ―― 一人でも多くの子を成すためにこそ――武家にとって畜妾は当然の風習になっているし、正妻に子ができぬ場合、妻の方から夫に別の女をすすめるというのが「貞女」のたしなみとされたていた。


 小一郎の個人的な想いからすれば、夫婦のねやの中にまで首を突っ込むようなことをするのは頼まれたって嫌だし、そんな厚顔さはそもそも持ち合わせてない。しかし、「羽柴家の世継ぎ」という問題の重要性を考えた時、主君の正夫人にその手の諫言するのは、確かに羽柴家の家宰を預かる老臣筆頭おとながしらの責務と言えなくもない。


 藤吉朗から視線を逸らし、小一郎は奥歯を噛みしめた。


「まぁ、それはええ。何もお前が悪いと言うつもりはない・・・・」


 それを見た藤吉朗は、矛を収めるつもりになったのか語気を沈めた。


「じゃがな――今、神仏のお慈悲をもって幸いにも子ができた。このことで寧々が悋気を病むは筋違いや。筋違いやということを、お前から寧々にやんわりと説いてやってくれと、わしはこう言うとるんや。当事者のわしが直接言えば角が立つ。何を言うても寧々には言い訳にしか聞こえんやろからな。口喧嘩にでもなれば、子ができん寧々を責めることになってまうかもしれん」


「・・・・・・・・・」


 悔しいが、理屈は通っている。この男なりに、寧々の気持ちを思いやってはいるらしい。


「何も今日明日急に子が生まれてくるわけでもない。寧々がこっちに来るのも今浜の城が出来てからやで、半年ほどは先の話や。今のうちから、それとのぉ匂わせておいてくれるだけでええ。もちろん、寧々の覚悟が定まった頃合いを見計らって、わしからもちゃんと話はする」


 そこまで言われれば、小一郎に返す言葉はない。


「小一郎、羽柴家のためやと思うて、料簡りょうけんせえ」


 トドメを刺すように、藤吉朗が言った。



 小谷から岐阜は、直線距離にして約五十キロ。季節と天候に恵まれれば、頑張れば一日、ゆっくり進んでも二日ほどの行程である。

 わずかな供だけを連れて馬を打たせた小一郎は、小谷を南下して姉川を越え、横山城の麓を縫うようにして北国脇往還から東山道に連絡し、残雪が深い養老山脈を右手に、伊吹の山々を左手に見ながら関ヶ原方面へと向かい、松尾山の長亭軒城に一夜の宿を借りた。

 ちなみに長亭軒城は、堀氏が羽柴家に吸収されたのをキッカケに信長によって公収され、今は不破光治の預かりになっている。

 幸い翌日も、早朝からよく晴れた。松尾山から東方を望むと、視界が開けて一面の平野である。


(気の重い役目や・・・・・)


 天気とは裏腹に、小一郎の表情は冴えない。

 垂井、大垣とゆるゆると進み、揖斐川を越えると稲葉山が見えてくる。墨俣の北で長良川を渡れば、もう岐阜の城下町である。夕日が伊吹山に掛かる頃、藤吉朗の屋敷に到着した。

 藤吉朗ほど頻繁ではないが、小一郎も金策や兵糧・物資の買い付け、家来集めなどといった用務で岐阜に帰って来ることはある。兄嫁の寧々だけでなく、実母や姉、妹なども一緒に暮らす、勝手知ったる我が家である。

 檜皮ひわだで葺いた立派な長屋門は八の字に開かれていた。先触れの者から帰宅の報せを受けたのであろう――長屋に暮らす家来たちの妻女や子弟らが門前に並んで出迎えてくれている。母屋の玄関先には、留守宅の主人である寧々と、母の なか、姉の とも、妹の みつ、その子らなどが顔を揃えていた。


「ただいま帰りました」


 まずはその寧々に向かって丁寧に頭を下げた。


「あぁ、小一郎、やっとかめ(久しぶり)だなやぁ」


 久方ぶりに対面した母は、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれた。また一段と腰が曲がり、一回り小さくなって見える。今年六十二になったはずで、この時代の平均寿命から考えれば長生きしてくれている。


「母ちゃん、達者で何よりや。姉ちゃんたちもみな元気そうで――」


 小一郎の姉と妹はいったんは百姓に嫁いだのだが、藤吉朗が織田家の武将として異数の出世をしてしまったために、その夫たちも故郷から引っ張り出され、藤吉朗の家来として武士になっていた。篤実さだけが取り柄の男たちで、才覚や武勇の点では万人の平均より大きく劣るが、係累の少ない藤吉朗としては選り好みができる立場ではなく、城の留守番や裏方の雑用などをやってもらっている。


「叔父上、お帰りなされませ」


 姉の子の小吉が、ぴょこりと頭を下げた。


「おぉ、小吉もまた大きゅうなったな」


 小一郎は笑顔でその頭を撫でてやった。

 この少年は、このとき六歳。後に藤吉朗の養子となり、成長して豊臣秀勝と名乗り、九州征伐や小田原征伐に従軍して軍功を重ね、朝鮮出兵では総大将として巨済島に渡り、その地で病没するという数奇な運命を辿る。


「まぁまぁ、積もる話は後にして、まずはお上がりになって――」


 と、寧々が笑顔で仕切り、甲斐甲斐しく一行が旅装を解く手伝いの指揮を始めた。



 寧々は――言うまでもないことながら――小一郎にとって兄嫁である。

 が、小一郎が藤吉朗の家来である以上、寧々は主君の北の方(正妻)でもある。

 小一郎はそのことをよく弁えており、ことに藤吉朗がいっぱしの武将となってからは寧々に対しても接する態度を務めて鄭重にしているのだが、小一郎がたまに困惑するのは、寧々のざっかけない性格であった。

 濡らした手ぬぐいで身体を清め、着替えを済ませた小一郎があらためて帰国の挨拶をしようとすると、


「かたくるしい挨拶なぞはいりませんよ。そんなことをされては、わたくしの方がどういう返事をしてよいか解らなくなります」


 と言って寧々は笑い、


「お腹が空いているだろうと思って、いま夕餉の支度なぞをさせています。在所の者が持ってきてくれたお酒がありますから、小一郎殿も久しぶりに尾張のお酒を味わっていってくださいね」


 自ら膳を運び、酒器なども用意し、小一郎をもてなしてくれた。


 寧々は、後に関白・豊臣秀吉の妻として「北政所きたのまんどころ」などと尊称され、従三位の位階をもらい、天下でもっとも高貴な女性になるが、その後も相変わらず生まれ在所の尾張言葉を使い、気取ることも驕ることもなかったらしい。あの夫にしてこの妻、と言うべきかもしれないが、聡明で冗談が上手く、機転が利き、朗らかによく笑う婦人であった。


 家族揃った夕餉に酒まで出るとなれば、当然雑談に華が咲く。娯楽の少ない時代だから、噂話が観劇や小説、テレビドラマなどの役を果たしているのである。女たちは北近江の話や藤吉朗の様子などをしきりに聞きたがり、小一郎は問われるままに、湖北の土地の逸話や築城が続く今浜の話などを藤吉朗の言動を交えておもしろおかしく話してやった。

 夜が更けてくると、老母がまず自室に消えて床に就き、姉たちは子供を寝かしつけに去った。

 自然、小一郎は寧々と二人きりになる。


(困った・・・・)


 本題に入るには良い頃合いだが、用件が用件だけに切り出しかねた。


「今宵は、何か、小一郎殿はおかしいですね」


 酌をするために酒器をもって小一郎の隣に来た寧々は、小一郎の顔を覗きこむようにして笑った。小一郎に付き合って、彼女も相当に飲んでいる。


「私に何か隠し事をなさってる?」


 女の勘というヤツは、まったく馬鹿にできない。


「いやいや、しばらくお逢いしませぬうちに、また義姉上が一段も二段もお美しゅうなられたようやと、見惚れておりまして・・・・」


 小一郎とていい年の男である。女の機嫌を取るには、その容色を褒めるのがもっとも効果的であるということくらいは心得ている。


「まぁ、お上手――」


 寧々はころころと笑い、小一郎にさらに酒を注いでくれた。


 そういう世辞を抜きにしても、二十七になった寧々は、まさに女盛りであった。少女っぽさが消え、しし置きも滴るように豊満になり、人妻らしい落ち着きと色気が自然と身に付き、しかも子を生んでないためか肌に張りがあり、年より若々しく見える。その寧々が酔いに頬を染めて灯明の火に照らされている様というのは、遊女のようになまめかしく、幽玄なまでに美しかった。


(これほどの嫁御があってなお不足を言うなぞは、兄者は阿呆じゃ・・・・)


 また勃然と腹が立ってきた。


(いっそ兄者をさんざんにののしってやろうか)


 多くの女を囲い、そのうちの一人に子まで孕ませた藤吉朗の所業を、そのままに吹聴すればどういう結果になるだろう。寧々は烈火の如く怒るだろうか。それとも、さめざめと泣くであろうか――


(いや、れ話としてほのめかしておくに留めるが、義姉上のためか・・・・)


 一座の座興として笑い話にしてしまうか――


「解りました。あの人に何か言い含められて来たのですね?」


「あ・・・いや・・・・」


「わざわざ小一郎殿を寄越したということは、普通のことではないのでしょう。表向きのお話でないとすれば――側室そばめに子でもできましたか」


 と、図星を指されたのには驚いた。


「・・・・・・・・・・」


 とっさにどういう返しをすべきか迷った小一郎の顔を見て、


「あら。冗談でしたのに、当たってしまいました?」


 今度は寧々が驚いたように笑った。


「あちらに何人もの女子がおるという噂はとっくに聞いています。それに子ができたとしても、今さら驚きはしませんよ。むしろ、おめでたいお話ではありませんか」


 藤吉朗の気の回し方は、あるいはまったく的外れであったのかもしれない。

 どの時代の男も、女のことは解ってないものらしい。


 寧々は急に饒舌になった。


「子ができぬ自分を責めたこともありましたが、それもせん無いこと。羽柴の家の世継ぎを得るためには、他の女子の腹を借りるもやむ無しとは思うておりました。それにしても、こんなことのためにわざわざ小一郎殿を寄越すとは、あの人も情けない。何かのついでに岐阜に帰った折にでも、自分で話せば済むことではありませんか。ねぇ?」


「はぁ・・・・」


「それで、やや子はもう生まれたのですか?」


「あ、いえ。おそらく、この秋頃やないかと――」


「そうですか。それはまだちょっと先ですね。私たちが今浜へ移るのとどちらが早いかしら」


「さぁ。それは何とも・・・・」


「明日、お母様や皆にもそのお話をしてあげてくださいね」


 寧々はさらに小一郎に酒を注ぎ、自らの盃にもそれを満たし、


「お祝いのお酒です」


 と言って笑った。

 夫に似ず、寧々は酒が強い。

 小一郎はそう強くもないから、すでにかなり酔っている。


 それからの寧々はすごいペースで盃を重ね、騒がしいほどによくしゃべり、よく笑った。

 気持ちは、なんとなく小一郎にも解る。相手が当事者の藤吉朗ならともかく、なんの関係もない小一郎では恨み言を言うわけにも憤りをぶつけるわけにもいかず、どこにもって行きようもない鬱憤うっぷんが、け口を求めているのであろう。


「いや、義姉上、そんなに重ねてはお身体に障りますで」


 小一郎はたしなめ役に回らざるを得ず、どろどろに酔った寧々から何度か盃を取り上げたが、それでも飲むのを止めようとしない。ついには足腰も定かでなくなったのか、手水ちょうず(手洗い)に立とうとした寧々は膝から崩れ、慌てて小一郎はそれを抱きとめた。

 寧々は、その醜態が我ながらにおかしかったのか、もう止め処もなく笑っている。


「義姉上、今宵はもはやお休みになられませ」


 笑いで揺れていたはずの寧々の背が、別のことで震えていることに、不覚にも小一郎はしばらく気付かなかった。

 背けた寧々の横顔に、大粒の涙がぼろぼろと零れていたのである。

 いったん噴き出した激情は、もはや意志の力で留められるものではない。寧々は小一郎に身体を預けたまま、必死に声を殺して嗚咽を繰り返した。

 こうなっては、慰める言葉もない。


(やはり、兄者は阿呆じゃ・・・・・)


 小一郎は、その女を抱きしめてやりたくなる衝動を、懸命に押さえつけねばならなかった。




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